第048話 友達
「――帰ってきたとは聞いてたけど、まさか本当だったなんてね」
「っ!」
前方に立ち塞がった影に、アワンが顔をあげる。
俺も気配に気がついてはいたが、今気が付きました――みたいな吸血鬼顔を披露した。
教師がまだ壇上にいるにも関わらず席を立ちあがる不遜な態度。両脇に当然のように腰巾着を侍らす収まりの良さとどこまでもテンプレに則った姿。
間違いない。カースト一位女子――ナトゥだ。
「…………」
「…………」
彼女も一応貴族の一人として、これまでは猫を被っていたのだろう。ルルワの前ではあった最低限の礼節というものが、今はすっかりなくなってしまっている。
やはり立場の弱い者を前にすると、人は強くなるようだ。そして強い者に迎合する者達も、なぜか強くなる。全て己の勘違いとも気が付かずに。
なんてことをカースト一位の彼女にも屈せず睨み返す、強い女ことアワンの隣で思う俺。隣の少女の存在が凄い心強いので、俺もなんとかこの場から逃げ出さずに済んでいた。自分で言うのもなんだが、流石カースト最下位だ。情けなさが期待を裏切らない。
「血が好きなのは相変わらずのようね。だから吸血鬼?」
「彼はルルワ様のペットですが?」
「あらそうなの? またあなたが拾ってきたのかと思ったわ」
「…………」
見下ろすナトゥと、見上げるアワン。
俺は黙ってそれを見守る。気が付けば、教室の騒がしさもどこかへと消え去っていた。
俺は前世でよくあった、示し合わせてもいないのに突然誰も喋らなくなり、沈黙が生れる現象を思い出す。その後は教室が笑い声に包まれたものだが、今はそれがない。
不気味なほど、誰も喋らない。授業を終えた教師が逃げるように教室から出ていく。
そして誰もが、悪い意味でこちらに注目していた。
「人間に友達ができないからって、人外に走るのがあなたの悪い癖ね。それも己よりずっと知能が劣る者を選んで。昔もそうだったわね」
「…………」
「けど、いくら自分が気持ちよくなりたいからって、それはないんじゃない?」
チラっと視線が向けられたのは、アワンが取っているノートだ。
文字の読み書きができない俺の代わりに、彼女がまとめてくれているもの。
どうやら馬鹿にされていると感じたのは、被害妄想ではなかったようだ。
「私はもちろん、ここにいる誰よりも、彼は知能が高いと思いますよ?」
「そうなの? それは気づかずごめんなさい。きっと天才を馬鹿と見間違えてしまったのね。我々一般人には理解しがたいわ」
「…………」
なんか文字だけ見れば殊勝になったようだが、態度や表情がつくと全く印象が変わる。
知能の低い俺にも、凄い馬鹿にされていることだけは分かった。
クスクスと嫌な笑い声まで聞こえてくる。それも、クラス全体から。
「王との謁見では床に這いつくばってたみたいだけど、お腹でも痛かったのかしら? それとも床の血を舐めてたの?」
どうやら土下座作戦の効果は良い意味でも悪い意味でも覿面だったようだ。
これでは魔人を討伐したのも俺ではなく、ルルワだとか思われてそうである。
まあこれに関しては全く問題はないし、誤解した彼女たちが馬鹿とも言い切れないのだが。人間に土下座する吸血鬼が実は魔王くらい強いなんて、俺でも中々信じられない。
ナトゥは頑なに無言、無表情の俺を見てつまらなそうに鼻を鳴らす。
きっと言語を全く理解できていないと見做されたのだろう。
これこそ、天才と馬鹿は紙一重作戦。嫌な相手とこれ以上会話をしなくても良い必勝の策だ。
しかしその余波は、やはりもう一人の少女へと襲い掛かる。
「良く帰ってこられたわね」
「ルルワ様たちがいらっしゃったので」
アワンはナトゥの問いを、道中の12使徒襲撃の件について触れていると思ったようだが、これは真面目過ぎると言うほかない。この場では能天気とも言えるような勘違いだ。
彼女のような人間が、善意の問いかけをするはずがない。どこまでもどす黒い悪意が、俺の目には見えた。
「違うわ。よくこの国に帰ってこれたと言っているのよ」
「…………」
「恥ずかしげもなく、よく被害者たちの前に顔を出せるわ。それも、吸血鬼を連れて。どう育ったらそこまで図太くなれるのかしら? きっと親の教育が良かったのね」
「っ!!」
瞬間、アワンが弾かれたように立ち上がる。
それはパフォーマンスというより、本当に意図せず体が動いてしまったようだった。室内の注目が彼女に一挙に集まり、静寂を更なる静寂が包み込む。
「…………私も殺すの? 手懐けた吸血鬼を使って?」
「…………」
ナトゥは血相を変えたアワン相手にも、一歩も引かなかった。
大した胆力だ。一瞬ではあるが、微かな恐れをその表情に浮かべた取り巻きたちとは違う。
顔を突き合わせながらも、気後れしているのはむしろアワンの方だった。これは実力というより、内容が悪いのだろう。
「まあできないでしょうけど。今この場で最も強いのは、私だから」
「…………」
俺は何も言わない。
アワンも、ここで吸血鬼の方が圧倒的に強いと言い出す程、馬鹿ではなかった。
「あなた、レベルは?」
「レベルは隠すのが基本であり、他者に軽々しく――」
「相変わらずのマニュアル人間。自分の言葉を持たないのかしら? だから友達ができないのよ。それとも、言うのが恥ずかしいほど低いの? 勇者に恥ずべきことがあって?」
「…………」
俺は、この挑発にアワンは乗らないと思った。
デメリットこそあれ、メリットは全くないからだ。しかし、ここで俺の予想は初めて外れる。
「34です」
「「っ!?」」
俺は斜め下からアワンを驚愕の視線で見上げる。
彼女は俺を見ず、ナトゥではない、どこかを見ているようだった。
しかしその堂々たる宣言は、クラスの色を変える。言葉を選ばずに言えば、今完全に、アワンを心から馬鹿にする空気が整った。
「嘘……ほんとなの? 34?」
「え? まだ? そんなことある?」
ヒソヒソと体裁だけ抑えられた声は、吸血鬼でなくとも容易に聞き取れる。
聞こえるなら聞こえても良いとすら思っているのだろう。一対一の正面なら言えずとも、周囲のみんなが味方なら話は違ってくるというわけだ。
やがてこの場にいる全員にその情報と意識が共有された頃、ナトゥはまとめるように声を張り上げた。
「聞いた? 34ですって! あの勇者が!」
何かの熱に浮かされているのが、よく分かる姿だった。
冷静な者から見れば滑稽だが、意外にもこの熱は伝播していく。そもそもこの学園自体が、彼女の影響下にあるのかもしれない。
ここの先鋭的な教育システムには、彼女――ロフォス家が関わっているとも言っていたから。
「彼女より低い方、この中にいらっしゃる? いたら名乗り出てほしいわ!」
誰も名乗り出ない。
当然だ。話によれば、ここは金級クラス。最低レベルはアワンと同じ34。つまりここにいる数十名はレベル34以上が約束されている者達だ。
意味のない問いは、だからこそ意味を持つ。
「ねえ嘘でしょ? あなた昔彼らの前でなんて言ったか覚えているかしら? あの恥ずかしいセリフ言ってみてよ。もう一度あなたの口から聞かせて?」
「…………」
アワンは答えない。
彼女はただその場に立ち続け、真っ直ぐに前を見ていた。
俺は彼女のそんな姿を見て、体の力を抜く。そして、ここに静観することを決めた。
「ねえあなた覚えてる? 入学初日、彼女がなんて言っていたか。あまりの衝撃に頭から抜けてしまったわ」
「はい!!」
ナトゥが振り返り、一人の男子生徒を指名する。
彼は指し示された瞬間、弾かれたように席を立ちあがった。それはナトゥに対しての返事というより、道化に徹した故の演技という側面の方が強い。
おそらくは、過去のアワンの模倣のつもりなのだろう。ピンと片手を突き上げ、生真面目な顔を作り上げる。
開幕から多大な不快感を感じるような姿だった。
「私はいずれ、七人の魔王を倒す者!! この世界を救う勇者です!!」
瞬間――クラスは爆発的な熱気に包み込まれる。
誰もが、笑っていた。大口を開け、唾を飛ばし、本当におかしいものを見えるように。
アワンの声に似せたのか、似てもいない女声と非常に出来の悪いものまね。だが思い切りが良ければそこそこウケるとでも言うように、面白くもないギャグに爆笑する面々。
その中で笑みを浮かべていないのは、たったの二人。
夢を語った少女と、吸血鬼だけが、笑っていなかった。
「そっくりだわ。でももうちょっと馬鹿っぽい顔の方がいいわよ。信じて疑っていない感じの。私の記憶ではそうだったわ」
「善処します!」
お調子ものの少年は、残念なことにこれでさらに調子に乗ることだろう。
俺は彼のこの先の人生を思い浮かべ、同情の視線を最後に送ると、完全に興味を無くして視界外へと追い出した。
そして再び、こちらに振り返った女を見上げる。
「それで、魔王の一人くらいはもう倒せたのかしら? そろそろ取り掛からないと、間に合わないんじゃない? 計画の方はどうなっているの? 順調?」
「…………」
分かっていて言っているのだろう。非常に白々しい。
ようやく分かったが、彼ら彼女らは、おそらくアワンと同年代――同じ学年だったのだろう。事情を知らないという顔の者が、ここには俺しかいない。
「そうなの、残念ね。私はあの言葉を聞いて、あなたこそが世界を救う勇者だと確信していたのに。私だけじゃないわ、みんなあなたのことを信じてた。ずっと応援してたのよ? ね?」
「はい、ずっと応援してました」
「裏切られたような気持ちです」
何か仕事や役割があるのかと不思議に思っていた左右の腰巾着が、ここにきて喋り出す。残念ながら、己の意志は持っていなようだが。
「もう一度聞かせてくださる? あなたのレベル。ごめんなさい、あまりに信じられなくて」
「34です、ナトゥ様」
「34ですね。このクラスの最下位です」
「ありがとう。私は皆さんご存じの通り50なのだけど……私は自分が世界を救える器だなんて、そんな大それたことは考えたこともないわ。あなたあって?」
「俺のレベルは今42ですが、想像したこともありません。俺如きには恐れ多いです」
「そうよね。皆さんはどう? 私こそが世界を救う勇者という方は?」
ナトゥが振り返れば、途端にシーンと静まり返る。
出来の悪い舞台を見せられているようだ。俺とアワンがいなければ、決して見れたものではなかっただろう。
「これはどういうことなのかしら? みんなあなたよりもレベルが高いのに。不思議だわ。まさか誇り高い勇者の血を引くあなたが間違っているということもないのでしょうし……」
ワザとらしく顎に指をあて、小首を傾げる。
だがその後、表情は一変した。
それは――憎悪。アワンに対する負の感情が、ようやく誰の目にも分かる形で表へと吹き出したのだ。
「あなた、これまで一体何をしていたの?」
「…………」
到達者の威圧を受けても、アワンは引き下がらなかった。
彼女はあのルルワと殴り合いの喧嘩をし、そして俺とルルワを相手に正面から意見をぶつけるほどに肝が据わっている。いまさら彼女程度の存在に怯むことはないだろう。
しかし、言い返すことはなかった。いつかの立場と逆になったように、彼女は黙して口を開かない。だから、俺もこれを静かに見守った。
「まさか祈っていればいつか魔王を倒せるとか思ってるんじゃないでしょうね? それとも、勇者の功績を横から掠め取る算段なのかしら?」
「…………」
「恥ずかしくないの?」
俺は、あの夜のことを思い出す。
思い出さずにはいられなかった。アワンの言葉は、ずっと俺の中に残っていたから。
「この国に人外の吸血鬼を招いて。誰だってあの事件の記憶を想起するわ。人々を不安にさせていることがどうして分からないの? 勇者が聞いて呆れるわね」
「…………」
「間違ったことをしている馬鹿女に忠告するのが、人として正しい姿でしょ? 私なら、心を鬼にして止めるわ。この国の民たちのために、相手が本物の勇者であろうと立ち向かう。人として間違いたくないから。私たちには、人の誇りがあるから」
「…………」
溢れかえったナトゥへの同意の声は、アワンへの批判の声と同義だった。
間違いを見つけると、ここぞとばかりに寄ってたかって糾弾する。自分は正義側という顔で。自分は正義でいたいから。
どうやら人は、異世界でも特に変わらないようだ。
「あれだけのことをしておいて、どうしてまだ生きていられるの? どうして笑っていられるの? 私ならとっくに命を絶っているわ。それが責任だもの」
「…………」
「人様に迷惑をかけたなら、責任取って死になさいよ。この国に、それを望んでいない者は一人だっていないわ。皆があなたに死んでほしいと思ってる」
「…………」
「みんなが望んだんなら、そいつは死ななきゃ。社会の常識よ?」
ナトゥの言葉は、正しくはないが、真理は突いていた。
みんなが不快だと思い、みんなが死ねと願う存在。そうなっても仕方がないだけのことをしたから。自業自得だから。
誰もが抱える狂気だ。これが平然と世には存在するから、虐めは決してなくならない。誰かが幸せになるということは、誰かを不幸にするということだから。
これこそが、人間の恐ろしさ。人は正義の仮面をかぶった時、最も恐ろしい化け物と化す。
悪の吸血鬼と、この国では悪とされる少女は――
この正義の力を前に、ただ口を閉ざすしかなかった。
***
「――それで、何も言い返さずにスゴスゴ帰ってきたわけね? 私がいないと、あなたがこんなに情けないなんて」
ルルワと合流した俺たちは、落ちる夕日に歓迎されるように、帰路を辿っていた。
ことの顛末を語ると、早速ダメ出しが飛んでくる。
「くっそ! 俺が喋れさえすれば! 今頃泣きべそかかせてやったのに!」
俺は責任逃れの最中だ。
この国で吸血鬼に対し喋れないという縛りを課した存在が憎い。それさえなければ、きっと吸血鬼による華麗な反論劇が展開されていたことだろう。きっとそのはずだ。
「いいえ。あなたは例え喋れても何も言わないと思うわ」
「失礼な。その時は俺だって『キィ』くらいは言い返すぞ」
「それは今回も言えたじゃない」
「キィ……」
ルルワの論破力の高さと俺の論破力の低さがここに露呈し、どっちみち俺は役立たずだったと言う事実もまとめて明らかとなる。
ルルワはそんな役立たず俺を無視すると、アワンに近づいた。
「ごめんねアワン。私が一緒だったら、まとめてボコボコにしてやったのに」
「まとめて?」
アワンは下は向いていなかった。
表情は明るいわけではないが、そこまで暗いわけでもない。今だって、ルルワの言葉を本気にするか迷うくらいには平常だ。
たぶんナトゥをボコボコにするルルワを想像してしまったのだろう。若干引いているようだった。流石の俺もそれは引く。
そして彼女の不穏な言い回しに、別行動中のルルワの動向に関して嫌な予感を汲み取ったらしい。
「案の定もう一人の方はボコボコにしたんだ。大人気な」
「やられっぱなしが大人なら、子供上等よ。子供同士の喧嘩ならどっちが勝とうが両成敗で済むしね」
「ガキ大将か」
大衆の面前でボコボコにされたであろう王子ケインに同情する。
彼はちょっと調子に乗っていただけだというのに、唐突に本物に分からされてしまった完全なる被害者だ。
まあ彼から挑んだので自業自得という言い分も分かるが、いかにいっても本物の勇者が対戦相手では可哀想だ。大人と子供である。
「笑えますよね」
「「っ!」」
そんな時――アワンが唐突に立ち止まり、呟く。
空気が変わったと察した瞬間には、俺とルルワも、その場に立ち止まっていた。
張り詰めるような空気の中、少女は口元を震わす。
そして、絞り出した。
「試練の一つも……乗り越えられない女が」
「…………」
「…………」
『私はいずれ、七人の魔王を倒す者!! この世界を救う勇者です!!』
それは、彼女の夢の宣言についてだろう。
世界を救うという、アワンの夢。
拳を握りしめ、体を震わせ、悔し涙まで流す姿には、息を飲むしかなかった。
静かな怒りだったからこそ、彼女の激情が伝わってくる。
クラスでは、決して見せなかった姿。俺たちの前だからこそ、想いが決壊した。
それは夢を否定された怒りか。それとも未だ夢に届かない自身への怒りか。
いずれにせよ、軽々しく声をかけられない雰囲気。
そして、蔑ろにしてはならない想いだった。
「…………」
「…………」
歯がきしむほどに食いしばり、血を吐くような想いで悔し涙を流し続ける少女に、俺は声をかけられなかった。
俺とルルワも同じ目標を持っているが、その事実が彼女の慰めになるとは思えない。俺やルルワとは強さが違う。
既に壁を乗り越えている者達が声をかけても、上から目線の同情にしかならないだろう。
だから、俺は黙り――
そしてルルワは――なおも口を開かない吸血鬼に声をかけた。
「なんで黙ってたの?」
「…………」
先ほどのような冗談ではない。真剣な瞳に、俺は目を合わせる。
俺も、今度はふざけなかった。
「あなたが嫌いな人間とあまり言葉を交わしたくないのは知ってる。あなたが喋りたいのは、好きな人とだけってことは。けど、なんで仲間が馬鹿にされてるのに黙ってたの? あなたなら、簡単に助けられたでしょ?」
「…………」
本当にルルワは、俺という人間への理解が深い。
その通りだ。俺は基本的に、嫌いな人間とはできるだけ喋りたくない。時間も言葉も無駄だからだ。その時間を、好きな人間とのお喋りに当てたい。そっちの方が絶対に楽しいし、幸せだから。
それを理解した上での、問い。だからこそ、俺は誤魔化せないと感じた。
誤魔化したくないとも思った。
俺がこうして本心を語れるのは、それこそ好きな人間相手だけだ。
「俺の助けがいるようには、全く見えなかった。だって、アワンの方が強かったから」
「「っ!?」」
二つの視線が、集まる。
アワンも泣き顔をあげ、食い入るようにこちらを見ていた。
「アワン一人にも負けてるのに、俺が手を貸したらあっちが可哀想だ。俺は弱い者虐めが、世界で二番目に嫌いだから」
これに尽きる。
俺の目線では、一貫してあちらの方が弱者に見えていた。アワンは逃げずに立ち向かっていた強者だ。
だから、手を貸さなかった。アワンが弱い者虐めをする側に回るのを避けるために。
「…………」
「…………」
こちらを真っすぐに見つめる少女たちと、俺は目を合わせる。
誰も笑っていない。真剣なほどに、痛いほどに、それぞれの覚悟をぶつけ合った。
俺だって、譲れない信念はある。俺たちは、仲良しサークルではないのだ。
十分に想いを確認し合ったあと、ルルワは満を持してそれを問うた。
俺が一番譲れないものを。
「…………じゃあ、一番嫌いなのは?」
「友達を、傷つける奴」
俺はルルワの問いを、アワンに答えた。
怒っていないと思われているのであれば、それは大きな誤解だ。俺は大切な友達が馬鹿にされて、凄く怒っていた。気持ちはルルワと同じだ。
そんな俺の言葉に、こちらを食い入るように見ていた少女の瞳が、大きく見開かれる。
そして瞳の中に溜まっていた大粒の涙が、溢れた。
「とも……だち……」
誰のことを言っているのか、分からないはずはない。
だからこそ、彼女は驚いているのだろう。
俺も驚いた。彼女はいまさら何に驚いているのかと。まさかこうして言葉にしなければ友達になれないと思っていたのか。
そう思っていなかったのは、今この場で彼女一人だけだというのに。
「名前で呼んでくれない?」
「え?」
潤んだ瞳と、上気した頬が、夕日に照らし出される。
呆気にとられたような少女に、俺はもう一度伝えた。
「俺の事、名前で呼んでほしい」
「…………」
俺の、大切な名前だ。
だからこそ、大切な人間に、呼んで欲しかった。
「そうね。私もいい加減”様”とかやめてほしいわ。なんか壁を感じるもの」
「…………」
ルルワがアワンの横に並ぶと、彼女の肩に手をかける。
俺は上げた手を、力なく下ろした。目に見えないセクハラが怖かった。
「分かりました。ルルワさん、ムメイさん」
心からの笑顔を浮かべる少女。
泣いてはいたが、俺は少なくとも、今までで一番良い笑みだと思った。
ルルワが懐からハンカチを取り出し、アワンに手渡す。
俺も慌てて懐をまさぐると、ハンカチを探した。
「ないわよ」
「ないですよ」
そうだ。俺はハンカチを持っていなかった。
ルルワのハンカチで鼻をかみ、大量の鼻水を拭っているアワンを見て、俺は思った。
ハンカチを持っていなくて、本当に良かったと。
この日を最後に、アワンは俺たちの前から姿を消した。
そしてブーノス家のケインと、コロノス家のアワン――両家の結婚が、コイラスに報じられる。




