第042話 コイラス
人の国に入るというのは、俺にとっては人の領域に入ることとはまた別種の緊張感があった。
なぜなら俺は吸血鬼だ。いくら外見が人に似ていようが、いくら俺が子供のように無垢で可愛かろうが、この世界の人間は人とは全く別種の生き物と認識する。
それは最初のアガトスらの反応からも薄々分かっていたことだ。たぶん俺が思っている以上に、その辺の感覚は大きく異なるのだろう。
まあ中身は生粋の日本人な俺なので、主観と客観で認識に差異が生れるのは当然のことではあるが、異世界ではそれがことさら大きいと思っておけばいい。たぶん前世地球であれば吸血鬼は人の進化系みたいな扱いをされたはずだ。一部の人間はカッコイイ存在とすら思うことだろう。
それが異世界では違うというだけ。この世界では吸血鬼は人ならざる存在――つまりはどこまで行っても化け物なのだ。
その辺の感覚をちゃんと理解しておくことが、処世術に繋がると吸血鬼の俺はしみじみ思っているわけだ。人の国に入るということは、人との関りが不可欠と言う事なのだから。
俺はその感覚の差を、プールでミズカマキリを見て、カマキリの色違いだと誤認していた幼少期の俺現象――と呼んでいる。非常に外見は似ているが、中身は全くの別物だと。
早々だが、今の例えはどうか忘れてほしい。
なぜなら俺の中身は人間だからだ。吸血鬼という入れ物に人間が入った。だからこそ生じた認識のズレだというのに、別物と仮定したら根本から崩れさってしまう。
俺はこれを吸血鬼になっても人間は特に変わらない。つまり吸血鬼も人間も大した差はない現象と呼んでいる。
これまでの話全部忘れて欲しい。ほんとくだらない話に付き合わせてしまった。
何が言いたかったと言えば、吸血鬼は満を持して、人の国へと突入したというわけだ。
「――あれが例の?」
「本当にかの伝説の吸血鬼なのか? とてもそのようには見えん」
「危険はないのか? 拘束もせずに王の御前へ」
「勇者の力を疑う方が危険だ。なにより、王が認めておられる」
「至って平凡……それも子供だ。本当に?」
前に立つルルワやアワンには届かないだろうが、吸血鬼である俺の耳には当たり前のように届く声。
玉座の間を埋め尽くすほどに集められた貴族たちの者だ。
正直、酷いことを言われているとは思わなかった。むしろ当然の反応だと思う。なぜなら俺もそう思っているから。王何考えてんだと、不敬ながら今も思っている。
――謁見。
実は俺は初めてではない。
ここコイラスに辿り着くまでにも、一つ国を通過している。その際にも一国の王との面会を果した。当然俺ではなく他国の姫二人を歓迎するものだったが、なんとその場に俺も立ち会うことになったのだ。
俺からすれば本当に勘弁してくれという感じだったが、なぜかルルワたちからの猛プッシュもあって、場違いな吸血鬼もエントリーすることとなったのだ。
後から聞いてみると、これには大人の事情というものが多分に含まれており、ようは吸血鬼の存在を公的に認めさせるための儀式なようなものらしい。
ルルワの立場からすれば、まずは勇者の安泰を各国に伝えたい。
彼女はそのために真っすぐ国へと戻らずに色々な場所で顔を見せているのだ。
そしてその際にルルワからプッシュしたいもう一つが、彼女が吸血鬼を支配下に置いているという事実。
だからこそ謁見の際に俺がいるのといないのとでは意味合いが大きく変わって来るのだ。
謁見というのは要は儀礼的面会となり、公式に事実を残すということでもある。つまりはここにいる多数の貴族や重臣たちは、立会人であり証人というわけだ。
そしてこの玉座の間に吸血鬼の入室を認め、王自ら迎えるということは、この国は勇者が吸血鬼を連れ歩くという行為を公的に認めるというアピールに他ならない。
この手順こそが重要なのだという。
コイラス王としては、勇者を歓迎することがまず国としての第一義。その労をねぎらい、無事彼女の母国ダソスまで送り出すところまでがハッピーセットなのだという。おもちゃはついてこないが。
これはコイラスだけではなく、どこの国にも求められる最低基準らしい。
人が追い詰められている現状、人のために動かない国は他国から厳しい目で見られる。その最たる例にして頂点こそが勇者である彼女の扱い。
さらに他国の王家の姫という事実がことさら重く、国家儀礼であると同時に外交の場でもあるというわけだ。
俺はもっと人が少ない場所でこっそり会えないかと提案したが、ここで密室で私室謁見などしようもんなら様々な面で危険なのだという。
後から揉めないためにも、公開の場で身分と関係性を明示し、既成事実を作るのは絶対条件。
この国では難しいかもとルルワはぼやいていたが、何らかの交渉と調整の果てに、吸血鬼の帯同を認めさせることができたようだ。
「――よくぞ参られた、ルルワ・シェメシュ殿」
「陛下。歓迎を心より感謝いたします」
そんな王との謁見についてだが、何を隠そう、この時気になるのは吸血鬼に求められる態度だろう。
個々人に焦点を当て、まずは一国の王と友人かのように自然と会話をこなす我らが勇者ルルワから。
背筋を伸ばし、片胸に手を当てて一礼。姫というより騎士みたいだ。
特に深くもない礼をこなせば、直ぐに頭をあげる。
膝を突いたりなんかはせず、よく聞く「面をあげよ」みたいなやりとりも無い。俺からしたら失礼なんではないかと思う態度だったが、こんなに必要なのかというレベルで大量にいる周囲の貴族たちからは、意外なことに文句の一つもあがらなかった。
これは彼女の立場が成せる業なのか、それとも人徳がなせる業なのか。まあそれもわかるというもの。
彼女は森の吸血鬼から、ホテルのカウンター、果ては一国の王まで、誰とでも友好的コミュニケーションを取れる生粋のコミュ力お化けだ。
彼女と話して笑顔になっていない人間はいない。あの堅物アガトスでさえ、娘でも見るかのようなほっこり顔だったし、兄アベルは涎を垂らしたシスコンだった。
「人類の宝、勇者をローラシアへと無事に帰した働き、見事であった。コロノスの名に恥じぬ働きだ」
「ありがとうございます」
ルルワと軽いやり取りを経て、王は次にアワンへと声をかける。
コイラスの大公姫である彼女も、膝はつかなかった。自国の王にここぞとばかりに忠誠心を見せなくてもいいのかと俺は思ったが、下げる頭も一礼に留まる。
彼女はルルワとは異なりかなり固い口調ではあったが、それでも無難に王との会話をこなしていた。
このあたりは性格だろう。客観的に見て、二人の対応に大した差はない。王の歓迎と労い、それらの言葉を快く受け入れるに留まる。
必要以上に遜らず、敬意を示すのは本当に最低限。俺のイメージとはかなり違った。もっと膝をついて頭を下げて「ははあっ!」とか言うのかと思っていた。
「さて、それで彼が――」
ようやく、俺の番が回ってきた。
この俺を最後に後回しとは、大した王だと褒めてやるべきか。それとも勇気と蛮勇は違うとその身に教えてやるべきか。
つい先日世に名立たる12使徒、最強の魔人を打ち破り、過去には最強の魔王ルコスを屠ったほどの吸血鬼。たかだか一国の王とは脅威が違う。
こちらにあるのは、圧倒的暴力。生物としての、圧倒的格の差。
たかだか人間一人に下げるような頭は当然持ち合わせていない。そもそも俺の主人はルルワだけだ。俺は彼女のみに絶対の忠誠を誓う忠臣。
他の人間に頭を下げるということは、彼女への裏切り行為であり、いたずらに自身の価値を下げるような真似は、誰が許してもこの俺が許さな――
「貴殿も歓迎しよう。ムメイ・ヤレーアハ殿。面を上げてくれ」
そんな最強の吸血鬼たる俺は、土下座をしていた。
登場から今までずっと、実は土下座だった。
「…………」
それは――見事なまでの土下座。
洗練――見る者によればそこに何らかの美術的価値を見出せそうなほどの、限りなく美しい姿勢。
自国の配下なんかよりもよっぽど忠誠心が垣間見える姿。俺はたぶん、この国に長年仕えてきた吸血鬼だったのだ。
「どうか頭を上げてくれないか?」
俺は二回目の許可で、ようやく顔を上げる。
一度王の言葉に背くことで静かな反抗心を見せつけ、そして一度目では決して上げないことで忠誠心を見せつけた。つまりは差し引きイーブン、プラマイゼロだ。プライドゼロの間違いではない。
顔がよく見えるようにあげるが、姿勢は決して崩さない。サラリーマンの血に染みついたジャパニーズ交渉術、土下座体勢を維持した。この姿勢でどんな窮地も乗り越えてきたという圧倒的自負。体育座りに並ぶほどの絶大なる信頼が、その姿には現れていた。
「貴殿の武勇はコイラスにも届いている。ぜひ話がしたいと思っていた」
「キィ」
「「「っ!?」」」
王の言葉に応えた吸血鬼の第一声に、ざわつく玉座の間。
それは建物そのものが揺れたのではと思うほどの、騒然。圧倒的緊張が、玉座の間を包み込む。
そんな中、俺はただ仲間を信じていた。
堂々たる態度(土下座)で、この難局に立ち向かう。
「コイラスの王よ、歓迎を心より感謝します。難しい立場である私をこのような場に招いていただきましたこと、さらに王より直接お言葉をかけていただきましたこと、有難くも勿体なく思います。不調法者ゆえ至らぬ点は多々あるかと存じますが、皆様の信頼にお応えできるよう努力いたします――と申しております」
その凛とした声に、ざわっと、室内に一層のざわめきが起こった様な気がした。
吸血鬼の言葉をいとも簡単に通訳して見せた勇者の威光に、今室内の関心と視線が、一挙に集まる。
静かな、しかし確かな熱気を、俺は肌で感じたのだ。
「おおっ……」
「なんと……」
「これが吸血鬼の言葉か……」
「完璧に意思疎通が取れている……」
俺は今の言葉を発言したとしか思えないような発言者顔を維持しながら、心の中では、人間ってこんなに馬鹿だっけと失礼なことを思っていた。
それとも吸血鬼はよっぽど馬鹿だと思われているのだろうか。これには立ち上がって抗議しようかと思ったが、材料も資格も無いので大人しく土下座をしておいた。
ちなみにこのやり取りについては、当然俺の独断専行ではなく事前にルルワと打ち合わせ済みである。
というのもこれには、一回目、つまりは前の国の時のおおやらかしが起因している。俺は王からの言葉を、正面から無視してしまったのだ。
最強の吸血鬼と言えど、中身は平々凡々を地で行く俺は、謁見なんかそれはもう緊張したし、王に声をかけられた時なんかはまともに言葉を出すことさえできなかった。あの時もルルワのフォローがなければ、大変なことになっていただろう。
まあつまりは、その時の人間の言葉はまだ喋れないという言い訳から、こうなったというわけだ。
滞在期間も短いので、なんとか誤魔化せるだろうと。今後喋っているところを見られたとしても、頑張って覚えたとか言えばいいのだ。
「しかし、あんなに喋ってたのか?」
「人間とは言語体系自体が異なるのだろう。でたらめであれば、あんな顔はできまい。見ろ、堂々たるルルワ様のお姿を」
「勇者が吸血鬼を完全に支配しているという噂は、真実だったようだな」
「まさか吸血鬼の言葉まで理解するとは、流石は勇者だ」
(まずい、ちょっと短すぎたか……)
幾人かが俺の渾身の「キィ」に疑念を持ち始めている。
確かにあの一単語であの言葉の量はいくらなんでも表現力が高すぎるか。それこそ美術の領域だ。受け手側の想像力に委ね過ぎているうえ、これではルルワの負担もデカすぎる。
もうちょっとお喋りな吸血鬼でもいいだろう。
「キュキュッ! キュイ!」
「っ!?」
完全なアドリブだが、ここはルルワを信じよう。
信じられないくらいに両眼を見開き、「何やってんだお前!!」とばかりにこっちを見ている気がするが、彼女ならやってくれるはずだ。
彼女は吸血鬼を完全に支配している勇者なのだから。俺は信じてる。
「…………」
通訳の声は、途端に聞こえなくなった。
どうやら俺の言葉は彼女には難しかったらしい。かくいう俺にも意味は分からないが。
というか冷静に俺は何をやってるんだろうか。最初から最後まで間違いだったとしか思えない。
「ルルワ! 好き! ――と申しております」
職務を果たせなくなった通訳者の代打――アワンの登場で、その確信は強まった。やっぱり最後まで間違いだったと。
この謁見の時間を経て、意外にも勇者が吸血鬼を完全に手懐けているという情報は広く、確かな事実としてコイラスに広まっていく。
そして吸血鬼の知能はあまり高くはないという事実も、同時に広まった。
俺は吸血鬼という種族に関する人間の無知にどこまでも感謝すると同時に――
外見が子供の姿で、本当に良かったと思った。




