第038話 神託聖域(1)
橋の横腹を沿うように、飛行する少女たちがいた。
一人は鮮やかな金髪が目立つ少女。抜き身の剣を持ち、油断なく周囲を警戒する姿は、まさに歴戦の風格身にまとう戦士。
そんな当代の勇者である彼女を抱えて空を飛ぶのが、勇者の血を引くもう一人の少女。
その名は、アワン・ラーヘル。
ムメイとルルワの運命に唐突に乗り上げたこの赤髪の少女こそが、今回の長い長い物語の主役にしてヒロイン。
世界は勇者と吸血鬼のラブストーリーで完結するほど狭くはなく、また他の人間に何のドラマも無いほど面白みに欠けるわけでもない。
実は勇者が人の領域へと帰るこのお話は、彼女から始まっていた。それはルルワが還らずの森へと入る数年前。彼女が世界から勇者と呼ばれ出した頃のこと。
アワンは――
(…………凄い)
空を飛びながら、アワンは自身の能力に思いをはせる。
むろんこれは自賛ではない。その能力に関しても、自画ではなく模写と言えるものだ。
アワンの天術――<満月の加護>は、他人の能力を一時的に借りることができるスキルである。
12時間に1つという制限はあるものの、当人の練度と遜色ないレベルで能力を扱うことが可能。
それもそのはず。アワンがその能力を使いこなせるのかは、貸す側の能力練度に依存しているためだ。とどのつまり、アワン側にその能力への才能や操縦技術は全く必要ないのだ。初めての、また己の系統に合致しない能力であっても、彼女は己の手足を操るように自在に扱うことが可能。
だからこその、驚きだった。
(かなり緻密な飛行技術……強度も申し分ない。全く落ちる気がしない)
それは地にも空にも、両方に言えることだった。
確認したが、アワンは橋上に戻った時点で浮遊能力に再び襲われた。空への落下、その呪縛は解けてはいなかったのだ。しかしこの飛行能力を扱えば、全くその心配はない。
能力の強度からして、明らかに違う。繊細な飛行操作にも、上へ引っ張られる力を全く計算に入れなくていいほどに。
(術じゃない……。おそらくは、種族固有の力。だけど、この規模の能力を生まれつきなんて……)
反則としか言いようがない。
伝説として語り継がれる強種族だけに納得感もあるが、やはりインチキだと言いたい気持ちもある。
同時に、人間という種族の才能の無さを痛感した。吸血鬼とまで言わずとも、他の種族は基本一つはなんらかの固有的な力を持つものだ。しかし、人という種族にはそれがない。もっと単純な、腕力や身体能力ですら異種族に酷く劣る。
この飛行能力一つとってみても、人間は長い年月を経て、さらに己の才能の全てを注ぎ込んでやっと修得を果たせるような力。仮にアワンが同じようなことを出来るようになるまで、一体どれだけの月日が必要となるか、どれだけの労力が要求されるか――
(いえ……今は味方よ)
アワンは、己の中に生まれたどす黒い感情――嫉妬という不純物を呼吸と共に吐き出す。
才能が無いアワンだからこそ、才能を渇望する。その才能の無さにめげずに努力し続けてきたアワンだからこそ、恵まれた者を見る目は暗くなる。
大した志も無いのに、自分を追い越していく存在が憎い。それらの存在に照らし出される――口先だけで、能力が伴わない自分自身が一番許せない。
なぜ頑張っている自分が報われないのか。神がいるのなら、なぜ自分にこそ祝福を与えないのか。
アワンは、ずっと悩み、苦しみ続けてきた。
その精神的追い込みが、先のルルワとムメイへの暴言へと繋がったという事実は、全く否定できない。
だが、人を助けるのに手を貸してくれる。直近でアワンのことも救ってくれたような相手に、このような嫉妬心をぶつけるのは間違い。人外の吸血鬼に対しそのような自制心が働くのもまた、アワンという少女の紛れもない真実の姿だった。
彼女はムメイという男を嫌っていたわけではない。ましてやルルワを嫌っているわけでもない。
今でさえ、アワンは彼のこの能力がなければ役立たずとなり果てる。その自覚と感謝を忘れない程度には、彼女は真っすぐな少女だった。
それら彼女の全てが明らかとなるのは、もう少し先の話――。
(私たちは、私たちの務めを果さなくては)
少女は負の感情を吹き飛ばし、人命救助を任せた吸血鬼に想いを馳せる。
アワンの術の大きなメリットの一つが、能力を借りても、当人もそのまま能力を使用できるということだ。つまり現在のムメイは、普段通りに飛行することが可能。
当然この点はムメイに即座に指摘された。空を浮かぶ人々を助け出すのに、飛行能力は必須だからだろう。
つまりそれは、彼があの操作能力で浮遊能力の上書きを試みるということに他ならない。延いては、橋上の448人全員に手での接触を果すということになる。
(現実的な策とは言えない……一体どれだけの時間がかかるのか……)
しかし、それが一番マシな作戦というのも事実。役割を逆にすればおそらく戦闘の方が先に終わり、空に浮かんでいる人々がその後どうなるかは運任せになるだろう。
アワンの考えでも、おそらくは敵の死と同時に能力の効果は切れるはず。そうなれば、落下に巻き込まれて大勢の人間が死ぬ。
ムメイを敵にぶつけることが最善策ということは、アワンにも分かっていることだった。それが最も確実であり、安全。何よりルルワとアワンの死亡という最悪のリスクが避けられる。これがムメイにとっての一にして全ということも、アワンには分かっていた。
しかし繰り返すが、それはここにいる人々の命を蔑ろにするということ。彼女たちが勇者と名乗る限り、そんなことは許されなかった。
これは、ルルワとアワンの我儘だ。さらに吸血鬼には質が悪いことに、少女二人の我儘がここに一致した。だからこそアワンは吐いた唾は飲めず、彼らの信頼に応える努力をしなければならない。
ルルワとアワンが敵の足止めを、その間にムメイが人命救助を。
互いの能力と覚悟を信頼し、各々の役割を果たさなくては。
「…………」
アワンにとって、こんなことは初めてだった。
背を預けられるような、己の命を預けられるような――そんな仲間と出会うことは。
いや、まだそこまでには至っていない。それはあまりにも気が早い。
ただ今は、信頼したいし、信頼されたい。
そんなふうに、思っているだけだ。
(この戦いを乗り越えたら……)
ようやく、自分の居場所が見つかりそうな気がする。
少女はこの戦いに、微かな希望の光を見ていた。
「…………」
橋の影に隠れるように移動してきたアワン達だったが、もうすぐムメイに教えられた地点に到達する。
ポイントで滞空し、隣のルルワに視線をやると、彼女はいつでも構わないと目だけで頷いた。アワンも心の準備はとっくにできていたので、間をおかず飛び出す。
「――おっ!」
アワン達が橋の影から飛び出した瞬間、出迎えたのは攻撃ではなく、声だった。
ほぼ同時に、アワンは敵の姿を補足する。
(女……声の主!)
そして橋上にルルワが降り立った時には、声色の一致から能力者本人であることを見抜いていた。彼女は、少なくとも囮ではない。
アワンは敢えて空中に滞空し、敵の狙いを一箇所にまとめないように努める。遠距離攻撃にしろ範囲攻撃にしろ、まとめて攻撃を受けるのは愚の骨頂。逆に空を飛ぶ者が一人いるだけでも、敵からすれば的を絞るのが難しいはずだ。
「――お出迎えは一人かしら? 随分勇気があるのね」
先に口を開いたのは、ルルワ。
拳や武器ではなく、会話による駆け引きを彼女が選択したのは、この場面では至極当然のこと。言葉をできるだけ多く引き出し、まずは記憶の声と声帯を一致させる狙いがあるのだろう。
アワンは先の反応だけでほぼ確信したが、ルルワはまだ半分といったところなのか。いや、確信を高めるに越したことはない。
さらに敵の能力の詳細も引き出さなくてはならない。時間はやはり差し迫っているが、未だ三つ目の能力は影も形も見えてはいないのだから。
「君ほどじゃないけどね。勇者ルルワさん」
「…………」
(<誘惑蛇女>……)
人ではない異業の姿は、下半身が蛇、上半身は人間の女。しかし人でないことは一目で分かる。容姿の特徴から敵の正体を考えるが、残念ながらアワンの検索にはヒットしなかった。
そして妖艶な女の姿と声に似つかわしくない、軽い口調。
表情も、まるで子供のようにコロコロと変わる。それにしては、これまた子供に似つかわしくない人を喰ったような態度だが。
しかしアワンは、その違和感よりも、その言葉のほうに注目してしまう。
勇者がこの場にいる事実を、当然のことのように受け止める敵の姿に。やはり勇者が国に帰還することを読み、待ち伏せされていたと。
「あら? 私の名前を知ってるの? どこで聞いたのかしら」
「今となってはどこでだって聞く名さ。ボクは立ちションしてる時に聞いたよ?」
「知りたくなかったわ」
「ズリセンこいてる時に、必死に叫んでた男もいたね」
「聞くんじゃなかったわ」
(…………ズリセン? こく?)
儀式、もしくは何らかの技の隠喩だろうか。必死に頭を回すが、アワンの知らない言葉だ。だが、ルルワはそれを知っている様子。
そんな彼女の気高き後ろ姿に、アワンは一層の敬意を示す。流石は世に名立たる勇者。知識面にも厚いと。
アワンも必死に勉強してきたつもりだったが、まだまだ努力が足りないことを痛感させられた。一層の邁進を彼女は勇者の背に誓い、そして敵との情報戦を受け持ってくれたルルワの代わりに、思考を続ける。
(西の攻略勢力から? 勇者の情報はどこまで?)
ここガリライヤーは、西と東を繋ぐ大橋だけに、西部の国々からも近い。
そこを現在攻めている勢力の者が、勇者の帰還を聞きつけて予め張っていた。その可能性が最も高いだろう。しかしその場合、勇者の情報がどこまで広がっているかが争点となる。
(12使徒と40試練が同時に落ちたと聞けば、普通はちょっかいをかけるのを躊躇うはず。いや……だからこその探り?)
何が起きているのか、現物を確認しに来た。やはり直接見た方が早いのはどんなことにも共通して言えること。
だがその場合、半端な戦力は送らないだろう。情報を持ち帰れることを期待してのことなのだから。
「話を聞く限り、南はかなり能天気みたいだけど、私に関して伝わっているのは美貌だけなのかしら?」
そのあたりをルルワも知りたいと思ったのだろう。かなりストレートな探りだった。
確かに勇者に関して、さらにその勇者が吸血鬼を飼っている事実に関して、どの程度広く伝わっているのかを知るのは急務。
誰が誰を倒したのか、その事実で個人への警戒度も変わって来る。
しかし敵はそれを知ってか知らずが、ルルワの問いをはぐらかした。
「うっわぁ……すっごい自信だな。もしかして君って、自分が美人なこと自覚してるタイプ?」
「自覚してない女なんているの? 美人と褒められて見え透いた謙遜を口にするような――そんなつまらない女たちと、私を一緒にしないで欲しいわね」
「……それは失礼」
同じ女として、負けたように表情を曇らせる敵に対し、ルルワはむしろ堂々と胸を張る。
そして、勇者の威厳をこれでもかと見せつけた。
「私は世界一美しい女よ。だから勇者と呼ばれている」
(か、かっこいい!!)
それは勇者を志す者として、いや同じ女として――眩しいほどに格好いい姿だった。
アワンが目指す、勇者とはかくあるべしという姿を体現している。
アワンも、こんな女になりたい。心から、そう強く思った。
「そっすか……じゃあそっちが……」
女が、初めてアワンの方を向く。
瞬間、不思議な感覚がアワンの体を襲った。まるで、この視線を知っているような、向こうもアワンのことを知っているような――
しかしその違和感を答えとして掴む前に、爬虫類ぜんとした――まさにヘビのような女の目が、アワンを射抜いた。
「自称勇者だね。空に浮いてるようだけど、中身がフワフワしてるからかな?」
「っ!?」
予想だにしていなかった痛烈な言葉に、アワンの腸は一気に煮えくり返る。
貶されて大げさに反応するのは、それを自身で自覚しているからこそ。それが分かっていても、アワンは込み上げる怒りを抑えきれなかった。
勇者に人一倍の憧れを持つ少女に対し、逆鱗を撫でるがごとき暴言。しかしその言葉に怒ったのは、アワンだけではなかった。
「私も自称よ? 他推薦勇者なんておかしな存在は、あなたの中にしかいないわ。あともう一人の仲間は今頃空を飛んでいる頃ね」
「あれ? いいのかな? 自分からもう一人の仲間を教えるような真似をして。もしボクに仲間がいたら、邪魔をしに行っちゃうかもよ?」
「どうぞご自由に? 向こうは全く問題ないから。たぶんあなたも、こっちにいて良かったって心から思うわよ。結果は変わらないけどね」
ルルワがアワンのことを庇っていることは、明らかだった。
それは敵にも透けて見えるほどに。
「随分仲間を信頼してるんだねぇ……それに、すっごく仲間思いだ。意外だったなぁ……女の子には友情とかないって話に聞いてたんだけど」
「あなたが嫌われてただけでしょ?」
「…………」
アワンは多大な歓喜と、それに張るほどの心苦しさを同時に味わう。
あれだけ酷いことを言ったアワンに対し、二人は信頼を預け、絶えず歩み寄ってくれている。
初めてのことだった。むしろこれまでは、アワンがどれだけ歩み寄っても、人は離れて行ったというのに。
だからこそ嬉しさと、申し訳なさが少女の心を満たす。
だが、すぐに感傷に浸っている場合ではないと、意識を切り替えた。
それはアワンが自分で行ったことではなく、外的要因によって無理やり意識を引き戻されたのだ。
「ん~いいね~。こういうのを待ってたんだ。最高のシチュエーションだ。本当に最高だよ君たち」
それは、虚勢のようには見えなかった。
本心から、この状況を楽しんでいるように見える。
そして見せられた子供っぽい動きは、やはり容姿とのギャップが激しかった。
「あなた……随分大物ぶってるけど、実際のとこ大したことないでしょ。威力偵察に遣わされるくらいだし」
ルルワのその言葉は、逆の答えを引き出すための反語であることがアワンにも分かった。
つまり彼女は、目の前の女を大物だと判断したということ。
そしてそれは、アワンも同じだった。
「酷いなぁ……一応君たちの間では、カッコイイ呼び方で呼ばれてるんだけど……」
こういった時の勘は、恐ろしいほどに当たる。
それが嫌な予感であれば、なおさら。
「12使徒」
「「っ!?」」
それは――世界共通の法則だった。
まるで天が定めているかのように、苦難と試練は、人の頭上に降り注ぐ。
「なんで敵にカッコイイ呼び名とかつけるんだろうね? 人間ってそういうのだけはやたら拘るけど……馬鹿なのかな?」
驚愕の事実を受け、アワンが様々な感情をその内で渦巻いている時――
勇者ルルワは、既に飛び出していた。




