第033話 私ですか?
「…………」
日が傾き、眩い夕焼けが世界から隠れ始めた頃――馬車内は変わらず、冷ややかな温度に満たされていた。
二人、俺も入れれば三人、馬も入れれば四人いるとは思えないほどに冷え切った空間は、朝とほとんどその姿を変えない。
朝一に出立した時も御者台に座っていたのはアワンだったが、これは彼女だけに仕事を押し付けていた――という訳ではもちろんない。
俺たちも――と言いたいところではあるが、実際はルルワも、一定時間で交代して御者を勤めている。俺は馬に乗ったこともなければ馬車を操ったこともなく、さらには俺が練習しようもんなら馬がめっちゃ暴れ出すため、文字通りのお荷物だった。
諦めずトライしようとはしたのだが、もうほんと勘弁してほしいというレベルで嫌がられたので(馬も俺も)、泣く泣く荷物の立場に甘んじたというわけだ。
まあ何が言いたいかと言えば、ラストの御者がアワンになったのは本当にたまたまだということ。決して集団虐めをしているわけではない。むしろ今日虐められたのは俺だけだ。
(ここって……街なのか?)
頑なに無言の馬車だったが、彼女たちが何も言わないということは、ルート自体は正しいのだろう。建物のようなものが顔を出し始めたし、人の影もチラホラと見え出した。
国のようには見えないのだが、ここは一体どういう場所なのだろうか。
減速し出したし、今日の目的地であることは間違いないのだろうが。
なんにせよ、そろそろ今夜の宿泊場所をどうするかを考えなくては。彼女たちは俺と違ってたぶん(?)吸血鬼ではないし、この空気のまま馬車に並んで雑魚寝もたぶん無理だろう。
しかし、誰も何も言い出さない。
やはり昨日の大喧嘩をまだ引きずっているようだ。見てはいないが。
(仕方ない……な!)
ここは超年長者たる吸血鬼が一肌脱ぐしかないだろう。
彼女たちはまだ若いのだ。人間関係で苦労することだってある。ようやく大人の出番というわけだ。
「そろそろ、宿とか探したほうがいいんじゃないかな?」
俺はわざわざ馬車から立ち上がると、御者台のアワンに近づいて声をかける。
驚かせないよう気配は敢えて断たず、できるだけ優しい声色を意識した。
その返答は――
「…………」
無視だった。
「…………」
ガン無視だ。
大人が子供からここまで無視されることがあっていいのかというレベルの無視。俺でなきゃ見逃すレベルの完璧なる無視だった。
答えを考えているのかと思って少し待ってみるが、何かが返って来ることは終ぞない。壁でさえ投げればボールは返って来るというのに、俺が放ったボールは一体どこへ消えてしまったのか。そもそも吸血鬼の手にボールなど渡されて無かったというのか。
「あの……」
「私ですか?」
「え?」
会話とは思えないような、ぶっきらぼうな声。
こちらに拒絶の背中を向け続ける少女から発生したもののようだ。
(声ちっさ)
単純な精度で人間の約10倍もの聴覚を持つ俺でなければ、到底聞き取れないような音量。
この走行音に声を発する方向も逆では、それも当然だ。そもそも伝えようという意志が全く感じられない。
「そうだね。俺は人の街についてよく知らないから、頼りきりになって申し訳ないんだけ……宿とか心当たりないかな? どこか泊まれる場所に向かってくれると、有難いんだけど」
「私ですか?」
「え?」
先ほどと一言一句違わない言葉に、正直度肝を抜く。
ここには確かにアワンだけではなくルルワもいるが、常識的に考えて、どう考えたってアワンに語り掛けた発言だ。なぜなら御者を勤めているのはアワンなのだから。ルルワに言っているのだとしたら発言の内容が矛盾する。
普通の会話能力のある者なら誰だって分かること。
つまりは――
「名前を言っていただかなければ、誰に語り掛けているのか分かりません。それとも、人の名前も覚えられないんですか?」
「…………」
見えるのは、拒絶の背中。返って来るのは、硬質な言葉。
ここまでくれば俺にも分かる。彼女はただ単に、俺のことが嫌いなのだと。
(…………ここまでとは)
正直、彼女に好かれていないことは分かっていた。
なぜだか彼女は、初めて会った時から俺への態度が非常に厳しかったから。もしかしたら第一印象から、俺のことは生理的に受け付けなかったのかもしれない。吸血鬼ならそんなにおかしなことではない気がするが、それだけが理由の全てではないような気もする。もっと重大な何かがあるような。
いずれにせよ、思春期の女の子というのは非常に難しい生き物だ。
だがそんな少女の扱いを、この俺が知らないとでも思っているのか。300年という無駄に長い時間で培った大人力を、発揮する時がようやくきたようだ。
「ごめん、失礼だったよね。もちろん名前は憶えているよ。何て呼んだらいいかって、悩んでいたんだ。不快にさせたなら本当に申し訳ない」
まずは、謝罪だ。己の非を認め、謝る。
とにかく下手に出て、下から歩み寄るのだ。これが大人と子供の隔絶した差。
ルルワという少女が例外だっただけで、本来女の子というのは難しい生き物なのだ。今更苛立つこともなければ、慌てふためくようなこともない。
大人は大人として、粛々と対応するのみ。
「君のこと、何て呼べばいいかな?」
「私ですか?」
「…………」
大丈夫。大丈夫だ、落ち着け俺。
怒るほどの事じゃない。相手は子供だ。ただの「私ですか?」だ。たぶん彼女は自分が何者であるかを忘れてしまったんだ。最前線での激務で疲れているんだ。
幼い少女に戦争なんてさせるからだ。これは大人の責任だ。
「ああ、お前に言ったね。アワンに言った。御者台に座っている、赤髪の、14歳の、アワンに言った!」
全然怒ってはいない俺だったが、声はなぜか大きくなった。
本当に全然怒ってはいない俺ではあったが、大人の姿はどこにも見当たらなかった。
「気安く名前を呼ばないでもらえますか?」
「…………」
「それと、お前もやめてほしいんですけど。女を下に見てるんですか?」
「…………」
どうしようこれ。
俺が悪いんだろうかこれ。
そして呆然と立ちすくむ俺を嘲笑うようなタイミングで、馬車は止まる。
アワンはそこで初めて、こちらへと振り返った。
「宿に着きましたが、何か文句がありますか?」
「…………ありません」
そこには、14歳の少女に丸め込まれる300歳の吸血鬼の姿があった。
***
もはや語るまでもない豪華な部屋に辿り着いた俺は、早速ルルワから話を聞いていた。
「――ここは国際租界よ。要は複数の国が共同管理している場所ってこと」
難攻不落の三並防壁。
アルフレート大山、ロータル大谷、ウェーゲナー大河。
この帯に戦線は基本的に固定され、世界の喉元グランド大要塞を通り抜ければ、人の領域へと入る。
ロータル大谷を超えた者達を最初に出迎えるのが、ここ国際租界という場所らしい。
「山脈沿いの峠道、大河の渡河点や港、峡谷に通じる軍道――周辺国家の交通が集中する場所よ。軍事、外交、補給が交差する場所でもあるわ」
なるほど。
あの大要塞への補給拠点でもあり、各国の監視や連絡所でもあるというわけか。
前方が軍事的中立地である大要塞、左右が拡張不可の自然障壁であるために、単独国家が占有しにくい空白地帯が生れたのだ。
「ここには外交区、補給区、傭兵区、交易港、山岳街道口――いろんな場所があるわ。重要な都市だけに、腕の立つ傭兵も多く集まっている」
「ふーん……」
崩れた戦線にすぐに援軍を送れるようにだろう。
当然だが、人間も色々と考えて生きているようだ。
「それで今後の動きは?」
「このまま直進すると、世界最大の橋に差し掛かる。そこを渡って東側に入るわ」
広げられた地図の上を、白魚のような指が示す。
何度か見せられている地図だが、何度見ても出来が酷い。この世界には伊能忠敬はいなかったようだ。
「このあたりって……」
「ええ、西からも近い。でもこの橋を渡るのが一番早いの」
食い荒らされているという西の国々からも近い場所だ。
その戦火に巻き込まれるという可能性も十分にある。
「東に入ったら、縦に並ぶ三つの国を下っていく。一番下にあるのがダソスよ」
「…………」
どうやらアルフレート大山のすぐ裏にダソス王国はあったらしい。
山を越えたらめっちゃ早かったが、まあ今更言っても仕方ないだろう。ロータル大谷で起こった事件を思えば、そんなことをしなくて良かった。
「手前にある二つの国を素通りはできない。挨拶回りを考えると今から頭が痛いけど……コイラスではあの子の力を頼れるから、少しは気が楽ね」
「あの子? アワンか?」
コイラスとは、ダソスの上の隣国だ。
つまり上からも下からも二番目。三国の真ん中に位置する。
「ええ。あの子コイラスの大公姫だから、王にも顔が効くはず。大公って分かるかしら? まあ私とそんなに変わらないわ」
「…………」
出会った二人目の少女が、勇者で、大公姫だった件。
というかこの世界の姫ちょっとアクティブ過ぎではなかろうか。全然王子様の迎えとか待って無さそうな少女たちなのだが――。
だが、そう遠くない未来、俺は知ることとなる。
彼女も一人目の姫と同じく、ずっと誰かの助けを待っていたのだと。
その手を取るのはどこかの王子か、それとも――




