第003話 17歳、彼氏なし
魔王と名乗る頭のおかしな男との邂逅。
そう、あれは今から200年以上も昔――
「ちょ、ちょっと待って」
「ん?」
俺が200年もの前の記憶をようやく掘り起こし、満を持して語り出そうとしたその時――待ったはかかる。
手のひらで押しとどめてきたのは、ある日森の中、野良の吸血鬼に運悪く出会ってしまった少女――ルルワ。
俺が300年の長い人生で、初めて会った女だった。
「それ、本当なの?」
「うん。たぶんあのおっさんのことだと思う。初めて会った時、魔王だとか言ってなかったような、言ってなかったような……やっぱり言ってなかったような」
「一貫した迷いね。もうちょっと自分を信じなさいよ」
正直、自信はない。
むしろ200年も前のことであれば、割と覚えている方だと思う。まあこの森では、イベント自体が少なかったというのもあるが。
そんな自信の無さが態度にも出ていたのだろう。ルルワは疑いとまではいかないまでも、中々信じられないようだった。
「どんな姿をしていたか、覚えてる?」
それは流石に覚えている。
交わした会話や細かいやり取りとなると非常に怪しいが、姿かたちだけはハッキリと印象に残っているからだ。
「馬鹿でかい狼男だった。狼男って分かる? 二本足で立ってて骨格は人間っぽかったけど、ほとんど狼って感じ。あんな恐ろしい化け物がこの世にはいるんだね」
「他人事みたいに言ってるけど、あなたも似たようなものよ?」
「え? 俺ってそんなに怖い顔してるの?」
「いえ、見た目の話ではなくて……」
さっきの反応から薄々分かってはいたが、どうやら吸血鬼という種族は人間にとって化け物側という認識らしい。俺は前世が人間なので、勝手に友人のような顔で人間側へと立っていたのだが、本来は先ほど彼女が見せたような反応こそが、正しい姿なのだろう。
そう考えると、俺と普通に話してくれる彼女は、実は凄い子なのかもしれない。
「…………もしかしてあなた、自分の姿知らないの?」
「うん、知らない」
俺は当然のように頷く。
だってこんな森に鏡なんてものがあるはずないし、光も一切届かないので水面への反射も利用できない。そもそも吸血鬼が鏡に映るのかも分からない。
つまりはこうしている今もこの森の中は真っ暗闇なのだが、俺は吸血鬼の恒常的能力で夜でも昼間のようにはっきりと見えるため問題はない。
彼女は何らかの手段で対処しているか、あるいはレベルによる肉体能力向上の恩恵を受けているのだろう。先ほどから、暗さに全く困っている様子が見られないから。
「だからどんな感じのイケメンか教えてくれ。男前? ハンサム? それとも色男?」
「質問の形で願望を押し付けないで。そうね…………一言で言えば、悪そうだわ。顔色も良くないし……肌もちょっと白すぎるし……」
「あっ……そう……」
「あっ! で、でも……悪くはないわよ! 決して不細工ではないわ! それに……若い! そう、凄く若いわ!」
フォローのつもりなのだろうが、全くカバーできていない。
不細工じゃない。悪くはない――これはイコール褒める部分がないと言っているようなものだ。
そして苦労して捻り出した褒めポイントが若い。もうお察しだ。
そもそも、吸血鬼には”若い”が誉め言葉になると思っているのだろうか。若いと言われて喜ぶのはそれこそ人間の女くらいだろうに。少なくとも、俺は全然嬉しくなかった。
「若いって、何歳くらいに見えるんだ?」
ただ、単純な知的興味は湧いたため、聞いておく。
まさか自分の人生で「私いくつに見える?」を使う日が来るとは思わなかった。俺が世界で二番目に嫌いな言葉。一番は「どっちの服が良いと思う?」だ。ちなみにどちらも直接言われたことは一度もない。
「私より……二歳くらい年下じゃないかしら? 15歳くらい? 少なくとも、300年も生きているようには見えないわ」
ルルワの年齢については、まさかのドンピシャだった。
俺は自分の外見年齢の事実など差し置いて、17歳が確定した女の肢体を眺める。
「ふーん……」
胸元は鎧で隠されているため判断できないが、スタイルが良いことは立ち姿を見るだけでも分かる。
なぜ17歳と聞くだけで見方が変わって来るのか、俺にも分からない。ただもし300歳と言われていたら、全力で目を背けていただろうことだけは確かだ。
彼女はそんな俺の視線から逃げるように、体をよじった。
「…………それで話は戻るけど」
「ああ、魔王だろ? 名前は確か…………すこ? しこ? 忘れたけど、2文字か3文字だった気はする。ずっと狼のおっさんって俺は呼んでたから、覚えてないのも無理はないだろ? 魔王って名乗られたのも、たぶん最初の一回だけだし」
自分で言っていて非常に言い訳がましかったが、事実だ。
狼のおっさんとの出会いはこの長い異世界生活でも一番の、いや今となっては二番のビックイベント。しかし割ける記憶域のほとんどが壮絶な戦闘――いや死闘に占領されてしまっているので、それ以外のことは逆にあまり覚えられなかった。
これにもし仮に、しっかり覚えとけよと文句を言う奴がいるとすれば、俺はこう返す。なら300年生きてみろと。話はそれからだ。
「…………本当に」
だがルルワの反応は、俺のイメージとは少し違った。
僅かに顔を俯かせ、呆然と呟くルルワ。その視線は俺ではない、何かを見ている。
しかし、それも一瞬のこと。瞬き一つで、切り替わった。
「それで、殺したの?」
今度は真剣な表情で、今一度生死を確認してきた。
おそらくは彼女の中で、これはそれほど重要なことなのだろう。
「まあ……結果だけ言えば、俺が殺した。それまで色々あったけど……聞く?」
「長くなりそう?」
「うん」
「なら移動しながらにしましょう。時間がもったいないわ」
「移動? どこに?」
どこか行きたいところでもあるのだろうか。この森にある映えスポットとか聞かれても、俺は困るのだが。
(あそこの底なし沼……は頭蓋骨とかあるし駄目か。血濡れの洞窟なら……下痢みたいな匂いするから駄目か)
即席の観光ルートを模索してみるが、中々いい場所が思い当たらない。こんなことならもっとよく考えておくんだったと、彼女との初デート前日を控えた童貞男のように苦悩する。
俺は彼女のいない童貞男だが、もしかしたらデート後には彼女になっているという可能性もある。もしかしたらデート後には童貞じゃなくなっているという可能性だって――ないか。
そんな望みからくる努力は徒労に終わるどころか、全くの杞憂だったが。
「はぐれた仲間と合流したいの。この森で単独行動は、あまりに危険だから」
「な!? 仲間!?」
「え、ええ……」
突然の大声に、びくりと反応し、半歩下がるルルワ。
俺はそんな彼女の反応も、何ならその前にナチュラルに存在を省かれたことも気に留めず、捲し立てる。
「一人で来たんじゃないの!?」
「こんな危ない場所に、一人で来るはずがないじゃない。私を含めて6人で入ったわ。彼らと無事合流するために、あなたの力を――」
「ああ……」
「えっ!?」
”彼ら”――そのワードが聞こえてきた瞬間、俺は膝から崩れ落ちた。
そのまま流れるような動作で、地に腰掛ける。
体を丸め、膝を抱え、顔を伏せ、小さくなる。これこそ、遮断の構え。別名拒絶の構えともいう。世界から完全に隔離される俺の必殺技。
この300年で一番慣れ親しんだ体勢であり、俺が長い時間をかけて編み出し、辿り着いた――究極の姿勢でもあった。
「ちょ……ちょっと、どうしたのよ。急にしゃがみこんで」
「俺のことは、どうか忘れてください」
「ええ……?」
おかしいと思ったのだ。
こんな閉ざされた空間で久々に誰かと出会えたと思ったら、その人間は女で、若くて、美人で、17歳で……17歳で!
こんなことだろうと思ったのだ。俺は何を浮かれていたのか。
「どうしたの? 何か嫌なことがあった?」
「全てが嫌になりました。実家に帰らせていただきます」
「なんで急に敬語なの? 実家ってどこよ」
「もう探さないでください。どうぞ、仲間のところに行ってあげてください」
「だから単独じゃ危険なの。あなた凄く強いんでしょ? この森のことにも凄く詳しいんでしょ? お願いだから力を貸して。ね?」
まるで聞き分けのない子供を諭すように、語り掛けられる。近くで覗き込まれている気配があるが、俺は固く閉ざし、シャットアウトを続けた。
「無理です。社交恐怖症なので」
「心配しなくても、みんな良い人よ? それにほら、私がついてるから。大丈夫だから」
「無理です。男性恐怖症なので」
「よく魔王に勝てたわね……」
俺は一体何を期待していたというのか。
まさかこの子が死ぬまでこの森にいてくれるとでも思っていたのか。そんなことあるはずがない。
そうだ。彼女のいる場所はここじゃないのだ。仲間たちと共に、森を出ていくのだ。
むしろ俺は邪魔な存在。彼女と長くいるだけ、いずれやってくる絶望も大きくなる。分かっていて期待を抱くのは、それこそ馬鹿ではないか。
お別れだ。俺のためにも、彼女のためにも――
ここは、心を鬼にして拒絶するべきなのだ。
「…………」
「…………」
覚悟は決まった。彼女がこの場を立ち去るまで、俺はこうしていることにする。
俺には無限の時間がある。たかだか100年程度しか残り時間の無い人間が、我慢比べで吸血鬼に勝てるはずもない。
勝ちの決まった勝負に、俺は挑む。戦いにすらならないような、戦いに。
「…………ぁれし」
「ん?」
気付けば彼女の気配は離れており、声も遠い。
俺は無言の時間の果てに彼女が何を口にするのか少し気になり、注意深く耳を澄ます。
予想通り、戦いにすらならなかった。
「彼氏…………いないわよ?」
瞬間、俺の体は一人でに動き出した。
それはまるで、植物が太陽の光を求め、自然と上を目指してしまうかのように。丸まった体は美しさすら感じるような自然な流れで開き、背筋はこれ以上にないほどピンと真っ直ぐに伸び、立ち上がる。
つい先ほど鬼にしたはずの心は、おそらく今のイメージ中に昇った太陽の光でも浴びて死に絶えたのだろう。
それか吸血《《鬼》》という元の場所に戻ったのかもしれない。
「困っている人を見過ごせないこの身が呪わしいよ。狼に襲われている女性を見れば反射的に庇ってしまうし、道に困っている女性を見れば進んで案内を買って出てしまう。全く俺ってやつは……」
「…………」
途端に元気になった吸血鬼が、饒舌に口を開いているその時、ルルワは心の底から驚愕し、そして絶句した。
魔王を倒したという最強の吸血鬼。
この吸血鬼は、なんて簡単なのかと。




