第029話 ロータル大谷防衛戦(6)
「――くっ!!」
攻撃を、紙一重で躱していく。
それは殴打というよりも叩き付けという方が近い。地を這いずり回る虫を叩くがごとき連撃。全体重を乗せた殴打は、鋼鳴りのような破壊音をあげ、一発一発が余すことなく地を割っていく。
大地の破片が宙へと舞いあがり、これ以上痛めつける場所もないような地面の成れの果てが俺の進行方向を一つずつ減らしていったその時――
雨のように降り注ぐイコラオスの乱打は、とうとう俺の肉体を捉えるまでに至った。
「ぐっ!?」
悲鳴が漏れた瞬間には、俺の肉体は地面に叩きつけられ、バウンドして宙に舞い上がっている段階だった。
瞬間的に防御したというのに、全身の空気、どころか内臓の全てまでが体外に飛び出したと錯覚するほどの威力が襲う。それは一瞬と評するのも馬鹿馬鹿しくなるほどの刹那のこと。たったの一撃で意識が飛びかけ、全身の身体機能から漏れなく絶叫があがった。
(――っ!? このダメージは!!)
薄れかけた意識の狭間で警報が鳴り響く。どう考えても喰らってはまずい威力の攻撃。というより、俺の体の防御力の方にこそ異常が起こっているような――
何かが起きている――そう確信させるに、十分な攻防だった。
「<浪漫非行>!!」
空中へと飛び上がろうとした俺の目に、追撃を企てんとするイコラオスの大槌が映る。
その速度は、あまりに遅い。無論イコラオスではなく、俺の方だ。
やはり能力が上手く扱えない。まるで自分のものではないように、体が言う事を聞いてくれない。
立て続けの異変に俺が瞠目している間にも、それは迫っていた。
振り上げられた暴力の迫力は山のごとく、落ちてくる威力は滝のごとし。
「ちっ!」
躱せないのなら、迎撃するしかない。
振り上げた右足が、イコラオスの一撃を正面から迎え撃つ。
体積も体重も、比べるのもおこがましいほどの差。これでは本当に象と蟻。しかしぶつかり合う攻撃の威力から判断しても、勝敗はまだ分からない。
弾き上げるつもりで全力を込めた蹴りだったが、上から全体重を乗せて振り下ろされた破壊の一撃には流石に拮抗できなかった。
俺は瞬時に攻撃をいなす方向にチェンジし、態勢を変える。上から下へ――イコラオスの一振りに足を添うように流れさせ、衝撃を大地へと送った。
「むっ!?」
爆心地もかくやというような巨大な土煙が舞い上がり、衝撃音が鼓膜を突き破らんと襲い掛かる。
大槌が大地へと深くめり込み、俺の体は爆風に飛ばされるようにそこから離脱した。
大砲のように発射された一撃は大地を容易く貫き、大きな空洞を残す。
動作の余韻に浸るように身を低くし、自身が形を変えた大地を眺めていたイコラオスは、体勢そのままに、背中だけで俺に語り掛けた。
「何が起こったか、分からぬだろうな。だが能力値の弱体化を受けてまだそれほど動けるとは……流石だ」
(弱体化……)
この異変はやはり、イコラオスの何らかの力によるものということか。
いやそれ以外にあり得ないが、何が原因で起こり、どういう理屈の上に成り立っているのかがさっぱり分からない。
(…………これが魔術)
目に見える力ではなく、目に見えない力。俺が持つ武力とは本質からして違う。
俺はここにきてようやく、その事実を身を持って体感した。
「自分の体じゃないみたいだな。不思議な感覚だよ」
「いいや、それは正真正銘貴様の体。ただ少し……幼くなっただけだ」
「幼く?」
その言葉を最後に、イコラオスは再び突進してくる。
弱っていると分かっている相手に時間を与えるわけがないのは当然だが、もう少しお喋りしてくれてもいいものを。俺は自身の肉体の現状を把握しきる前に、戦闘再開へと巻き込まれる。
だが、戦闘への集中も、覚悟も――既に十分。精神は極限状態へと達していた。
大地を駆けるイコラオスに対し、俺は激動の左足を振り上げる。
「お"お"っ……!!」
「なっ!?」
持てる力の全てを使って地面へと叩きつけた左足は、峡谷の大地――その大部分を揺らし、干ばつのように地を割っていく。当然その上を走っていたイコラオスは衝撃に態勢を崩し、大地の上でたたらを踏んだ。踏みしめて体重を支えようとした足が、割れた地の中に沈み込んだ時――
(何が起きているにせよ――)
俺は大地を砕きながら、正真正銘――真の覚悟を決めたのだ。
理解不能の事態。思うように動かない肉体。奇妙な術。
ずっと森の中で生きてきた吸血鬼には、実に300年もの知識ハンデがあった。
しかし――
(攻めるしかない!!)
「<日神月歩>!!」
地を空のように、空を地のように――吸血鬼に大地も空も関係ない。
そこにない何かを蹴った時には、その場には舞い上がった土煙だけが残った。
やはり、思うように体は動かない。しかし、動かす。動かすほかに無いのだから。
この肉体能力だけが、俺が確実に敵に勝ると断言できる――唯一の武器。
俺にはこれしかない。
「<夜王の>――――」
弓のように引き絞った足に、余力の全てを込める。
制御できない体を気迫だけで制御し、前へと進まない体を己が魂で蹴りとばした。
「<先翔蹴>!!」
「ぐおおっ!?」
地面に足を取られ、迎撃も防御も間に合わなかったイコラオスのみぞおちに、全力の一撃が入る。
しかし、先ほどまでのような手ごたえは得られない。速度にも鈍化が入り、一撃の重みも酷く軽減しているように感じられた。
その証明に、イコラオスは即座に反撃へと転じる。
「このォッ!!」
攻撃の動作で体が流れていたところを、捕まる。
平時なら容易くすり抜けられたはずの鷲摑み。しかし、簡単に捉えられてしまう。
この腕力で握り潰されればひとたまりもない――その考えは、ひとまず杞憂に終わった。
しかし想定と異なる現実に直面して喜ぶべきか悲しむべきか、その選択を突き付けるかのように――俺の体は思い切り引っ張られる。
「っ!?」
下半身をわし掴まれ、峡谷の石壁に上半身を叩きつけられる。
遠心力で加速した俺の肉体は壁を抉るように破壊していき、威力そのままに中へと突っ込んでいった。
思わず、反射的に目を瞑ってしまったことで視界が真っ暗となるが、攻撃は終わらない。
イコラオスはそのまま剣を振るかのように大きく上に振りかぶると、俺の体を地面へと叩きつけた。
「っ!!」
これ以上ない程に、大地を震わせる一撃。
瓦礫や土煙が視界一杯に舞い上がり、6メートルを優に超えるイコラオスの姿さえ隠した時、俺は振り上げられる大槌の影をその中に見た。瞬間――
「<一触即動>!!」
「おごっ!?」
攻撃が当たる際に触れておいた槌を操作し、イコラオスの顎へとぶつける。自分の得物に攻撃されるとは全く予期していなかったのか、完璧に顎にクリーンヒットした一撃。
タイミングを見計らっていたが、ここで切る判断は間違いではなかった。
そのまま大槌を操作し、月の彼方にまで弾き飛ばす。二度と帰っては来れなくなったイコラオスの武器に思いをはせることもなく、俺はむしろそれを追うように、めり込んだ大地からの脱出を果した。
「お"お"お"っ!!」
「うぐぅっ!?」
矮躯の一撃が、巨躯を吹き飛ばす。
峡谷に風が起こり――今再び、吸血鬼の一閃が大地を震わせた。
「…………<公序陵辱>」
大げさに吹っ飛ばされ、大地に沈んだ巨人を見送りながら、俺はすかさず能力を発動する。
息切れはしない体のはずだが、そんな気分だった。そして血の再生でこの状態をなんとかできないかとの判断は、空振りに終わる。
(…………駄目か。ルルワの血を使っても……だが傷は治せるな)
体を確認すれば、裂傷などの浅い傷は塞がっていく。
しかし、遅い。再生能力にも不調が起きているのは明らか。
まさに弱体化。あらゆる面において己が弱くなっていると感じた。
「――っ!!」
「まだ足らぬか……本当に、脅威の強さ。それだけに……実に惜しい」
大地を割りながら起き上がってきた巨人の姿に俺は目を見開く。
こんな経験は、本当に200年ぶりだ。
(…………化け物だな、こいつ)
ルコスと、その時代の魔王の椅子をかけて戦ったという言葉は、全く誇張ではないと分かる。逆になぜこいつが魔王じゃないんだと、八つ当たりにも似た激情が起こった。
痛々しい打撃痕が見える体。武器もなくなった空の両手。しかし両足でしかと割れた大地を踏みしめる姿――魔人イコラオスは、まだ健在だった。
「覚悟を決めて戦場に立つ戦士に対し、無粋とは思うが……一度だけ言わせて欲しい」
「ん?」
「我が王とならぬか?」
「…………」
流石にそれは、俺も予想していなかった。
まさか敵に勧誘されるとは。それも、己の下ではなく上に。世界的に見てもかなりレアな勧誘ではなかろうか。
「魔王だ。貴様ならすぐにでもその地位に立てる。現状ですら魔王に匹敵するその力。戦い方を学べば、世界を統べることもできる器だ」
「…………」
「ルコスに下った私だが、奴の遺言に従い後続に仕えてきた。しかし、ルコスを超えるほどの才覚は未だ出てきていない。貴様を除いてな」
「…………」
「私如きが、ここで芽を摘んでしまうのは惜しいと感じたのだ。貴様はいずれ、世界を制する王となるだろう」
「…………」
「私と来い。貴様がいるべき場所は、ここではない」
「…………」
それは、命乞いには見えなかった。むしろ、本気で勿体ないと感じていることがありありと伝わって来る。
俺はルコスがいなくなった今も、なぜイコラオスは魔王になっていないのかと思っていたが、どうやら話を聞くに、彼はその椅子を掛けた戦いに参戦すらしていないようだ。
この感じ。力量で後れを取ったいうよりも、魔王の座をかけた戦いは、ルコスとしかしたくなかったのだと思われる。
もしかしたら今彼が仕えている後続の魔王とやらよりも、イコラオスの方が実は強いなんてことも、あるのかもしれない。
「昔は良かった……」そんなイコラオスの声なき声が聞こえてくるようであり、そして彼が俺にルコスの面影を重ねていることは、もはや疑いようがなかった。
「悪いけど、俺ペットだから。そういうのはご主人様を通してくれ」
「…………そうか」
当然の拒絶に、イコラオスは瞳を伏せる。
それはこちらが申し訳なくなるほどに、哀切な姿だった。
しかし、そんな姿も一瞬。
「――ならば、更なる贈物を授けよう」
「贈物?」
宣言通り、勧誘は一度で終わり、戦闘再開のゴングが鳴る。
――贈物。その言葉が彼の能力を示唆していることは、なんとなくだが俺にも分かった。
「貴様が欲しているものだ。知りたいのだろう? 自分の身に何が起きているのか」
「ぜひ知りたいね。ついでに反撃の方法とかあるならそれも教えて欲しい」
「素直な奴よ」
イコラオスはその言葉を待っていたかのように、笑う。
それこそが彼の狙いだと、この時の俺は気づかなかった。
「貴様は今、幼子になっているのよ。眠りについた童子だ」
「子供ってことか?」
「左様。大人が子に戻された時、自在に体が扱えると思うか? 超えられる障害につまずき、小さな痛みにも声をあげて泣く。それが子というもの。貴様は今、その状態にあるのだ」
「…………」
確かに、納得できる部分がある。
体の感覚的には、初めて自転車に乗った時に近い。こんなの簡単にできると漕ぎ始めるが、気づけばすぐにこけている。出来ると思うことが出来ない。イメージ通りになってくれない。
まさしく子供。ただ走るだけで何度となく転び、同じ個所に同じような傷を連日作り、ちょっとした怪我でもすぐに泣いていた――そんな非力な存在。
言われて見れば、そのままズバリだった。
「確かにさっきから、攻撃がやけに痛いとは思ってた。でも、じゃあなんでそんなことになってんだ? 魔術ってことは分かったけど、いくら何でもインチキ過ぎない?」
敵を一方的に弱くすることができる能力とか、ズルいにもほどがある。
それも俺は、特に何もされていないというのにだ。
「そうでもない。因果応報という奴よ」
(……俺の行動が原因? なんだ?)
戦闘中の自身の行動を頭から振り返ってみるが、思い当たる節が全くない。
まさか脳まで弱体化させられたのでは――この懸念は当たっていて欲しいと強く思った。
「大人の身で贈物を受け取った貴様に非がある。故に子供へと還されたのだ」
「だからその贈物ってなんだよ。年寄りの話は回りくどくて嫌だよほんと」
自分も同じくらいの年であることは完全に棚にあげて糾弾する。
幸いにも、彼は揚げ足を取って来るようなタイプではなかった。
「当人にとって価値あるものよ。貴様自身が言っていたことだ」
「…………」
その時、ようやく、俺の中に答えの片鱗が顔を出し始める。
それはやはり、厭らしい笑みを浮かべた悪魔の顔だった。
「勉強中なのだろう? 学べて良かったな」
「…………まさか」
予感は――確信へ。
「そう。貴様は私の話を聞き、価値あるものを贈られたと自覚したのだ。故に子へと還った。身に余る贈物は、人を童心へと還す」
『知らぬなら、教えてやろう。戦闘の極意――天術と魔術について』
『まこと、相性が悪かったな。私の運も、まだ尽きてはいなかったようだ』
俺が知らない、そして知りたいと心の奥底で思っていたことを、イコラオスが教えてくれた。
それが贈物。ならば、この能力に関しての説明も――
『ぜひ知りたいね。ついでに反撃の方法とかあるならそれも教えて欲しい』
(くっ……くそ!!)
取り返しのつかない失態。
やけに親切に教えてくれると思っていたが、やはりこの世に美味しい話などなかった。
このまま喋らすのはまずい――その危惧は、杞憂に終わる。
「終わらそうか」
正面を見据えれば、どこから取り出したのか、イコラオスが白い袋を手に持っていた。
その中から出てきたのは、彼の新しい武器。それも二対のハンマー。形状は石頭型で、金属部分の割合がやけに大きい。
そしてやはり、自身の肉体程もある巨大な双槌を、巨人は悠然と構えたのだった。
「数百年ぶりに、楽しい時間だった」
***
「――っっ!?」
顔面に食らわされた衝撃で意識を半分飛ばしながら、俺の体は受け身も満足に取れずに地面へと叩きつけられる。
背中の衝撃と共に意識は戻ってくるが、それで状況が好転したわけではなかった。
むしろ戻った意識で頭を働かせたことにより、俺はさらなる絶望に直面することになる。
「!? はぐっ……うっ……!」
折れた鼻から、血がだくだくと流れ落ちる。
呼吸が必要のない身でありながら、口と鼻に血が逆流して窒息してしまいそうだと感じるほどの――出血量。
俺は即座にうつ伏せの体勢となると、下に血を垂れ流しながら、大地に両手を付いて敵を睨み上げる。
「っ!!」
視界に映ったのは、先ほどの繰り返しのように大地を駆けるイコラオスの姿。
あの巨体からは想像もできないようなスピードが、猛然と差し迫る。
飛び上がった際に発生した大地の音と、土煙を置き去りに、視界に大きな影が差した。
それを認識した瞬間には、眼前に巨大なハンマーの一撃は迫る。
「炎の砕槌!!」
瞬時に防衛本能で交差した両腕が、重い一撃によって弾き飛ばされる。
ガードが吹っ飛ばされた無防備な腹に、蟻を踏みつけるかのような巨大な攻撃が入った。
「っ!? あ"あ"あ"あ"っっ!!」
想像を絶する痛みに、俺は大地を転がる。
一瞬、太陽の恐怖を脳裏に浮かべてしまうほどの痛み。肉体は、炎に燃やされていた。
「アンデッドという種族共通の弱点も知らぬのだろうな。知識があれば対策もできるが、術を持たない貴様にはその術すらない」
身を焼く豪炎の中、巨人の声が聞こえる。
希薄な意識を気合だけで保ち、位置と距離を割り出す。俺は、負けるつもりなど毛頭なかった。
「本当に残念だ。むっ――!?」
むしろ戦闘意欲はこの上ない程に高まり、極限の集中状態に肉体は移行する。
200年前もそうだった。俺は、追い詰められた時にこそ、貪欲に勝利を求められる男だ。
(ここだ!! 今しかない!!)
敵が勝利を確信している時こそが、最大のチャンス。
対処法が見当たらない今、実質打つ手は一つしかない。
「オ"オ"ッ!!」
人外の脚力が、勝鬨の銅鑼を鳴らす。
逸る心、高ぶる精神――勝利への微かな光が俺の体を突き動かす。
もはや泣き言を言うような段階はとうに過ぎ去っている。
土煙で視界は悪く、体は未だに燃え盛っている。炎の攻撃は持続するのか、太陽に焼かれるような尋常ならざる痛みが、肉体を蝕み続ける。
しかし、関係ない。俺は前へと進んだ。
「くっ!?」
空中を蹴り進み、速度をこれ以上ないほどまでに高めた俺は、空気を押しのけてイコラオスの眼前へと躍り出た。
煙の中から突然飛び出してきた存在を、イコラオスが捕捉する。
この視界の悪い中、このスピードを捉える動体視力は賞賛に値する。しかし意識は追いついても、速度に肉体までは反応できていない。
「ぐおおっ!?」
蹴りが炸裂した瞬間、イコラオスが天を仰ぎ、空気を吐き出すように嘶く。
倒れろという淡い期待は、巨人が振り上げた鉄槌と、こちらを睨みつける鋭い眼光に泡沫夢幻と消えた。
しかし止まらない。もとよりこの程度で終わるとは思っていないし、これで終わらせる気など毛頭ない。
俺は攻撃硬直を狙ったイコラオスのカウンターをギリギリで回避する。
超速で空中を移動した俺の残滓を、巨人の一撃が遅れて振り抜いた。
「なにっ!?」
イコラオスの攻撃が空を切った時には、俺は既に背後をとっていた。
がら空きの大きな背中が目の前に用意される。歓迎するように何の障害もない背中。抵抗も防御も、受け身の体勢すらそこには存在しない。
俺は前方からの攻撃を未だいなしきれていないイコラオスの背中に、超速の拳を叩き込む。
「ぐうっ!?」
彼にとってしてみれば、米粒ほどの小さな拳に、イコラオスの背中が大きく仰け反る。
しかし、当然ではあるが、ただ殴られてばかりのサンドバックではいてくれなかった。
両者の鬼気はこれ以上に無いほどまでに高ぶり、世界でも天上の戦いは――いよいよ最終局面へと突入する。
冷たい夜の空気に、ここだけが、灼熱のごとき温度を展開していた。
「<比類なき力>!!」
「<日神月歩>!!」
いつか見たような12連撃は、今回ばかりは被弾する。
しかし一撃が肉体を捉え、更なる炎に燃やされた瞬間、俺はカウンターを叩き込んだ。
大気が弾け、空気が押し出される轟音が轟く。
互いの一撃に吹き飛ばされる両者。しかし互いに反動にたたらを踏むことも、ただの一歩も引き下がることもない――攻めの姿勢。
戦士として負けられない、意地がそこにはあった。
「お"お"お"っ!!」
「あ"あ"あ"っ!!」
魂が震えるような叫びが行き交う。そんな中、続けて放たれた24連撃。
二本の巨槌が縦横無尽に入り乱れる空中の中にあって、俺はその攻撃を掻い潜り、懐へと飛び込む。
もはや恐れなどない。相打ち覚悟で突き進む。
燃え盛る太陽へと飛び込むように、身を焼かれながら、俺は全霊の一撃を叩き込んだ。
「がはっ!!」
「ぐああっ!!」
互いの攻撃が交差し、衝撃が突き抜ける。
巨人は天を仰ぎ、俺は地を眺めた。眩い光を放つ槌による一撃が、肌を突き抜け、内部の肉まで溶かしていく。
「っ!!」
閃光に目を焼かれたような感覚から何とか這い出れば、そこには燃え盛る大槌を頭上まで振り上げ、全体重をその巨腕に込めている戦士の姿。
ミチミチと筋肉が膨れ上がる嫌な音が聞こえ、肉体に怖気を誘発する。
これだけは確実に躱さなくてはならない――そう察するに余りある気配に、俺が回避の準備をし始めた頃――
「――なに!?」
眼前にいたはずのイコラオスが、突如としてその姿を消したのだ。
俺の動体視力から一瞬で移動できるほどの敏捷性があるとは思えない。あれば最初から使っているはずだし、そこまでの身体能力差はなかった。だからといって、あれほどの巨体を突然見失うわけもない。
イコラオスの居場所はすぐにわれる。なぜなら彼は、遠い場所に行ったわけではなかったから。
「っ!? くっ――――!!」
「<光の砕槌>!!」
いつの間にか、背後に移動を終えていた巨人。
悪夢が具現化したような一撃が、大気を押しのけ、只一人の吸血鬼に死を届けるために躍動する。
夜の空が俺から遠ざかったのか――
それとも大地が俺に近づいてきたのか――
その答えは、分からなかった。
***
「はぁ……! はぁ……!」
これほど息を切らしたのは、何年ぶりのことになるか。少なくともここ数十年の記憶には一切ない。
それほどの戦い。魔人イコラオスをして苦戦、いや文句なしの激戦といえる戦いだった。
(恐ろしき存在。これで生まれたてというのが……げに恐ろしきこと)
イコラオスがぼやくのも無理はない。
術も戦い方も、何一つ知らないような存在が、既に世界の頂点にも届く暴力を有している。これが知恵をつけ、戦い方を身につけた暁には、誰にも手に付けられない悪魔となることは間違いない。
それは延いては、南領域の滅びを意味する。敵に回ることが分かっている今、確実に誰かが殺しておかなければならない存在だった。
そしてそんなことができるのは、イコラオスを除いて他にはいない。
(許せよ……私とて本意ではない)
もはや肉の形すら保っていないであろう、土砂崩れの中に埋葬された死体を、イコラオスは眺める。
アンデッドの致命的弱点とされる――魔術では火属性と光属性に分類される攻撃を、弱体化した肉体へと叩き込んだ。
それも動けなくなった後も念入りに、不死なる存在に確実な死を届けるまで。
イコラオスの魔術――<子らへの贈物>は、敵に恩恵を与え、その恩恵の度合いによって相手に強力なデバフをかける術だ。
この時対象が魔術師であった場合はなおさらその効果は高く、贈物が相手にとって価値があるほどに威力は致命的となっていく。
今回イコラオスは、ムメイの決定的な知識不足を見透かし、そこにつけこんだ。300年森の中での生活を余儀なくされ、外の知識をこれ以上ないほどに価値あるものと思っていたムメイだったからこそ、この術はハマったと言える。
というのも、天術魔術という基礎的な知識すら知らない者は、この世にはほとんどいない。そういった相対的希少性も、根源の悪魔は力として加味するのだ。
つまりは、本来ここまでの大幅弱体化となることは中々見られず、そういった意味では、やはりムメイにとってイコラオスはこの上なく相性の悪い相手だった。
さらに畳みかけるは、イコラオスのもう一つの魔術の力。
イコラオスが扱った3本の巨槌は、彼が自らの手で打ち、そして完成させたもの。生涯でたった3本しか打たないという、時間の代価と引き換えに得た強力な武力。まさに彼の魂と心血を注ぎ込んだ武器。
これこそが魔術の神髄とも言えるような魂の取引。300年という時間の具現。
以上の理由から、単純な攻撃力だけでも底知れぬ力を誇るこの属性武器だが、何の偶然か、これがムメイの弱点にことごとく合致した。だからこその、この結果だったのだ。
しかし――
(ここまで……ここまでしての、勝利か。やはり……ルコスの再来だった……)
ムメイは最後まで勘違いしていたが、イコラオスの強さは正真正銘の世界屈指。
仮に現存する魔王と戦った場合でも、勝敗が分からないとまで言われるほどの男だった。
純然たる事実として、彼の力は世界最強の12人とされる――12使徒の中でも、突出している。
つまりは――この戦いは真にして8人目の魔王を決める戦いだったというわけだ。
彼は森を出て数日で、心の準備も無く、世界最高クラスの戦いに臨むこととなった。
(しかし……こんな化け物が、今までどこに? 一体どこに隠れ住んでいたというのだ?)
激闘が終わりを告げ、緩やかに興奮が収まり出した頃、イコラオスは幾分冷静となった思考でそもそもの問題へと立ち返る。
なぜ勇者が突然、こんな化け物を飼い出したのか。こんな怪物をどこで拾ってきたというのか。
(そもそもおかしいのは、やはり勇者の帰還だ。あの若僧が仕留めたのではなかったのか?)
新参の魔王とはいえ、こんなつまらない嘘をつくことはないだろう。
ならば勇者を出し抜き、罠に嵌めたというのは真実と見ていい。
そして送ったはずだ。禁断の地――かの還らずの森へ。
「――っ!?」
瞬間、イコラオスの頭に閃くものがある。
思いついてしまえば、もはやそれしかないと思うほどの、答えが。
(還らずの森!! 奴はそこにいた!!)
それならば、勇者が誰も還ってこれない場所から帰ってきたことにも、説明がつく。あの吸血鬼が外へと送り返したのだ。そして勇者は、吸血鬼を森から連れ出した。
『今年で300歳になるけど、俺もそこまでボケてないよ』
(――っ!? ま、まて……まて!!)
イコラオスは己が導き出そうとした恐ろしい真実を、全力でくい止める。
しかし最強の魔人と言えど、己の思考までは操れるものではなかった。
『ずっと呼ばれていた気がしたんだ。ちょっと行って来るよ』
生涯でただ一人、自分より上と認めた男。
『俺がもし帰って来なかったら、次の奴を見守ってやってくれ』
その言葉が、記憶が――反芻する。
(あのルコスでさえ、還らずの森からは還ってこれなかった。そしてそこには――)
その時――
「――っ!?」
土葬の役目を果たしていたはずの土砂から、何者かが這い出る。
闇の中、静かに、影のように浮かび上がった存在に、イコラオスは振り返った。
それが誰かなど、分かり切っていること。しかしイコラオスには、到底信じられない。
(ばっ、馬鹿な!? 立ち上がれるはずが――!!)
もはや動くことすらできないような状態から、四肢を砕き、頭を砕き、ミンチにしたのだ。立ち上がれるとかそういう話ではなく、生きていられるはずがない。
弱点属性をこれでもかと叩き込んだ。幼子と化した体に。
人外の肉体能力を取り上げ、代わりに地獄の苦痛を与えた。イコラオスの魔術の最も恐ろしいのが、デバフを受けた肉体は、通常時の数倍の痛みを齎すということ。
それもアンデッドの致命的弱点である炎と光。常人であれば、自ら命を投げ出したいと思うほどの責め苦だったはずだ。
(まさか――!? そんな――!?)
ここに、確信に至る。
世界最強の魔王――ルコス。
イコラオスが唯一超えられなかった怪物を、森から還さなかった存在が――ここにいるのだと。
血に染まり、亡霊のようにその場に立つ小さき存在に――
イコラオスは実に300年振りの恐怖を抱いた。
赤き瞳が、闇に浮かぶ。
吸血鬼と相対した魔人は、ここにようやく悟った。
決してこの世に出てはならないモノが、世界へと解き放たれたのだと。




