第028話 ロータル大谷防衛戦(5)
峡谷の中を疾走する者達がいた。
常人の目には捉えきれないほどの速度を維持する彼女たちは――追う者と追われる者。
しかし、追う者が必ずしも優勢とは限らない。
(…………速い)
鎧着用、さらに片手剣を手に持ったまま走るルルワと、四足をフルに活用できるミサでは、速度に差が出るのは当然。
しかし曲りなりにも勇者と言われる存在を突き放す走力には、ルルワをして舌を巻かざるを得なかった。相手の力量に感嘆するような余裕は、今の彼女には存在しないが。
(走り始めてもう数分になる。疲弊を狙っているのは明らかね)
ミサが突然走り出してから、彼女は速度を落とすことなく、トップスピードを維持し続けている。それにルルワがなんとか追いすがっているような状態。
生物であれば当然のように呼吸があり、体力というものがあるが、おそらくはその消耗が狙いだと見える。
エラフォケンタウロスという種族の特性を知らないルルワではあったが、相手が何に自信を持っているかは、過去幾田の戦闘経験から導き出せた。
現に、先に息を切らし始めたのはルルワ。ミサの方は、まだまだ余裕の色が透けて見える。
(…………仕方がない)
こうしていても埒が明かない。どころか、時間をかけるほどルルワには不利。
ここはリスク承知で、先に仕掛けるべきだ。元より、こちらは挑戦者のつもりなのだから。
「<太陽の寵愛>」
ルルワは己の身体にバフをかける。太陽の淡き輝きが、彼女の身を包んだ。
走りながらでもバフを行えるのは、彼女の並外れた修練と努力によって培われた秘術。本来であれば、戦士は何らかの行動を強いられている時、肉体能力向上のスキルを唱えることは非常に難しいとされる。だからそのような支援は、後衛の仲間に頼るのがセオリーだった。
しかし――
「<紫外線視覚>」
しかし、このレベルの戦場では、特に珍しくもない光景。
それを証明するように、ルルワのスキル発動に続いて、ミサが何らかのスキルを発動する。
ルルワの知識にない詠唱。防御系か、それとも探知系か。定かではないが、ルルワの選択肢は変わらない。
走りながらこちらを見据える強敵を、ルルワは殺意の面持ちで睨みつけた。
「っ!?」
劇的に向上した肉体能力。それを悟らせないよう、ギリギリまで引き付け、ベストのタイミングを見計らう。
やがて小さな障害物を避けるために、ミサの4足が地から離れたその瞬間――ルルワは飛び出した。
「<銀の弾丸>!!」
――銀の弾丸。
勇者ルルワのオリジナルスキル。
彼女の得意な刺突系物理攻撃に、天術聖属性を乗せた――彼女の今放てる技の中では、最高最大威力の一撃。
その突撃は大気に小さな穴をあけ、受ければ一瞬のうちに生命の命を刈り取る。
勇者の筋力から放たれる小さな弾丸は、殆ど必殺の一撃。一度銃口を向けられれば、命はない。だが――
「<夜空疾走>!!」
「っ!?」
一撃はミサの頬を掠め、背後の空気に風穴を残す。
空振りに終わった砲弾。その返礼は、ルルワが放ったものよりもさらに大型の弾丸だった。
「<角槍>!!」
「<月の寵愛>!!」
ルルワの刺突を軽やかな跳躍で躱したミサが、そのステップを軸に反転し、突進してくる。
それはまさに――突撃。
眼前に迫った瞬間、反射的にスキルを発動する。
そして巨大な馬車が猛進してきたような迫力に、ルルワの肉体が身構えた時――
「かはっ!?」
体内から空気が無理やり吐き出されたような声を残して、ルルワの体は宙を飛んだ。
どんな威力の衝撃を喰らえば、人間の体がここまで宙に浮くのか。見る者がいれば、卒倒するような光景。
しかし、常人であれば口から内臓が飛びだしてもおかしくないような衝撃にも、ルルワは意識を保ち、咄嗟に受け身を取る。
転がるように着地し、地面を滑りながら敵を睨み上げれば、ミサは追撃の構えを取らず、満面の笑みでこちらを見下ろしていた。
「俺の一撃を耐えきるか……流石勇者だな。普通なら口からゲロ吐いて、ケツの穴からゲリ吹き出すとこなんだが」
「……下品な女」
それは、己の攻撃がどの程度勇者に通るのか、観察するような視線だった。
このことから、彼女は先の攻撃にかなりの自信を持っていることが伺える。追撃してこなかったのは、勝負が決まったとでも思っていたのか。
「はあ? お前美女はうんこしないとか素で言っちゃうタイプ? そっちのがキモイだろ」
「私はしたことないわね」
「きっしょ! アイドルかよ!」
ルルワはダメージを受けた腹に手を持って行かないよう苦心しながら、立ち上がる。
何の痛痒も感じていないという表情で、余裕を演じる。
「あれがあなたの必殺技ね。角での攻撃に随分自身があるみたい」
「ああ、俺の自慢さ。お前の刺突とどっちのが上か、身に染みて分かったろ?」
「…………」
ミサの挑発通り、ルルワの必殺の一撃は、ことごとく空振りに終わっている。
しかも最初の一撃はほとんど不意をついた攻撃だったというのにだ。つまりミサの反射神経と回避能力は、ルルワの刺突速度を上回っているということ。
いかに狙い撃ちが避ける隙を与えやすいとはいえ、的の大きさという点では圧倒的にルルワの方が有利なはず。
それだけに、あれが当たらなかったのは本当に痛い。
それに――
(急ごしらえの鎧とはいえ、私の防御スキルの上からこのへこみ……想定を超える威力……)
見るからに立派な角。
攻撃に利用されることなど端から読めてはいたが、その威力はルルワの想定を超えた。
おそらく<月の寵愛>の発動が間に合っていなければ、ルルワはそれだけで戦闘不能にされていたことだろう。
ダソスの国宝とまで言われる鎧をこの戦闘に持ち込めなかったことも、今更ながらかなりの痛手だ。
(あの攻撃はもう食らえない。ならば――)
まずは何にしろ、ミサの足を止める。
あの威力をもたらしているのは、助走。それを生み出す彼女の脚力と走力。なんでもいいからまずは動きを鈍らせなければならない。
ルルワが選択したのは、言葉による揺さぶりだった。
「あなた……天術師ね。それもスタンダードな信仰型」
「ああ、よく分かったな。やっぱ同じタイプだと通ずるもんがあんのか?」
探りにあっさりと同意するミサ。
ルルワが天術師という情報は、イコラオスの警告によって既に既知のものとされている。ミサは彼のスキルによる判別を疑っていないようだ。
ルルワにとっては、正しくもあり間違ってもいる情報を。
「あなたと同じはちょっと嫌ね。私はしないもの」
「小便も?」
「しない」
「究極生物じゃん」
ルルワは一つ確認を済まし、内心で安堵する。
戦闘では口を開いてくれる者と、そうでないものがいる。これは自身の力に自信を持つほど前者――という単純な話ではない。
戦闘熟練者の中にも、会話から余計な情報を与えまいとするタイプはいるからだ。前者はよっぽど情報戦に自信を持つか、己の力量を誇示したいタイプか、はたまたただのお喋りか。
ミサがその中のいずれに該当するのかはまだ掴めないが、少なくとも戦闘中、口を開かないタイプではない。
「角での攻撃に威力が上乗せされている。目的の神に何を捧げたのかしら? まあ、聞かなくても大体察しはつくけどね」
ルルワの一歩引いたような誘いへの反応は、顕著だった。
彼女はむしろ聞かれることを待っていたかのように、自慢げに語り出す。
「ご名答。俺は神にこの角を捧げているのさ。生え代わったものを、毎年な」
「…………」
天術師とは、神への祈りを代価に力を行使する者。
信仰心により力は発揮され、さらに目的の神に供物などを捧げることにより、その威力は増大する。
例えばそれは金銭だったり、作物だったり、戒律の遵守だったり、自己犠牲だったりと、色々だ。
ミサのように、己の一部を神に捧げて力を得るのは、割とよく見られる術者のタイプだった。
「生え代わったものを? 随分ケチね。それで神が満足するのかしら?」
「それがそうでもねえのさ。神が見るのはモノそのものではなく、その奥に隠された信仰心。俺たちの種族にとって、この角は命に等しいほどに価値あるものだ。例え肉体から離れたものであってもな」
その通りだ。
天術師の力は、その信仰の深さに比例する。
神にとっての価値あるものではなく、神に祈りを捧げる者にとって価値あるものかどうかが非常に重要となってくるのだ。
彼女にとっては自慢の角であり、その上で彼女の種族にとって神に角を捧げるという行為自体が、神聖なものなのかもしれない。
祈りの歴史、神聖さ、敬意の深さ、それらも能力の補正に影響してくる。この辺りの塩梅は、本当に神のみぞ知る部分だ。
(生まれた時から毎年捧げているのだとしたら……かなりの継続年数ね)
生あるものに限られたもの、それが時間。
だからこそ、神は時間を捧げる行為を、一際重く捉える傾向がある。これが数十年積み重ねた祈りなのだとすれば、この威力も頷けるというもの。
(でも逆に……警戒すべきは角での攻撃に限られる。これが神の祝福の大きな弱点)
角に並々ならぬ誇りがあり、それを捧げることで力を得ている。祈りの種類は酷く限定的であり、見返りもまた見極めやすい。
つまりは――神から得られる祝福も、角に限定されるというわけだ。
「お前も目的天術師だろ? 神に頼んで、うんこできない体にしてもらったんか?」
彼女は自分の能力を喋りたいだけの女ではなかった。
もしかしたら、自分から敢えて明かすことでルルワの口を開かせようとしたのかもしれない。確かに彼女が支払っている代償を隠す意味はあまりない。
なぜなら角での攻撃に特化していることは、誰にでも予想がつくからだ。
「乙女の秘密を喋るわけないでしょ? 神のみぞ知るわ」
「そうかい。じゃあ俺からも一つだけ言っとくぜ」
ルルワは当然、自身の力の秘密は明かさない。
ミサも大して期待はしていなかったのか、すぐに話を変えた。それは何の偶然か、ルルワの最も知りたかった情報。
「俺のレベルは53。第一の壁を突破した達成者だ。端からお前に勝ち目なんてねえんだよ。さっさと諦めろ」
「…………」
レベル50という壁を越えた達成者。
この壁を超えた者とそうでない者とでは、覆しようのないほどの力があるとされている。
しかし――望むところ。
「それを聞いて安心したわ」
「なに?」
本当に、望むところだ。
ルルワはこの窮地を、試練を――ずっと待っていた。
「私が本物の勇者となるために、あなたの命を――神へ捧げる」
***
「――それが天術師。そして魔術師とは逆に、己が魂を代価に力を行使する者。根源的欲望によって力は生み出され、契約、取引、何らかの代償を背負うことでその威力は増大する」
「…………」
「まあ実態はさして変わらん。契約者が神か悪魔か、一言で言えばその違いに尽きる。しかし戦闘では、この見極めが非常に重要となるのも確か」
「…………」
「上手く契約を結ぶことができれば、身に余るほどの強大な力を引き出せ、レベル差を無視して勝利を掴むことも可能。ならばこそ、術を知らぬ貴様には十分に敗北の目もある」
「…………」
『魔術が魂を代価に行使する力であることは、知っているだろう? 欲望、契約、取引なんかで、その威力は増大していく』
『分かるかな? 私は太陽になったんだ』
(…………なるほどな)
おかしいとは思っていた。
いかに太陽の攻撃とはいえ、レベル50のアベルが、レベル99の俺に致命傷にもなり得るほどの攻撃を通せたことが。
あれは魔術師として、何らかの代償を払って得た力。逆に言えば、上手くその調整ができれば、レベル50とレベル99でも戦いになるということ。
(流石にそこまで大げさじゃないだろうが、無視できる話でもないな)
アベルは吸血鬼の知識に明るかったからこそ、俺とあそこまで善戦できたのだ。つまり対俺特化型の魔術師といっていい。普通のレベル50では、あれほど上手くはいかないだろう。そのくらいは俺にも分かる。
しかし、ならばレベルが近い者同士であればどうか。もしイコラオスが、俺の関知しない特殊な能力を持っていたとしたら――
この状況がひっくり返される要因にすら、なり得るかもしれない。
(それが分かっただけでもありがたいな。事前に心構えがあるだけでも大分違ってくる)
「要は……神や悪魔の顔色伺ってよいしょして、力を強請るってことか」
「然り。だが口で言うほどこれが簡単ではない」
「そうだろうな」
ちょっと考えただけでも、かなり難しいと思う。
少しでも調整が狂えば、下手な鉄砲の類になりそうだ。
そもそも何かを捧げろって言われても俺には全然思いつかないし、戦闘に活かせる欲望とかってあるのだろうか。
「ん? お前の言い分だと、俺はもう何かを悪魔に支払ってるのかな?」
「左様。でなければそこまでの力は得られまい」
「…………」
レベル99で、吸血鬼ってだけでは、ここまで強くはなれないのか。
ルコスのおっさんのことも知っているイコラオスが言うのだから、信憑性は高いのかもしれない。
ならば俺が支払ったものとは――
(駄目だ。生涯童貞くらいしか思い浮かばん)
そんなもん捧げられても、悪魔だって困るだろう。神ならば完全に冒涜だ。
おかしい。転生者には知識チートというものがあるはずなのに、逆に知識負けしてしまっている。これは俺の頭のせいではなく、異世界のルールが難しいのだと思いたい。
「それで? やけに親切に教えてくれたけど、だから諦めろってこと? 悪いけど、俺はもう天使と契約しちゃってるんだよね。お前倒せたらよしよししてくれるんだ」
知識が不足しているから不利――なんてことは最初から分かっていたことだ。
俺はまだまだ勉強不足だし、戦闘熟練度も異世界人の水準に達していないのかもしれない。しかしそれらは、目の前の戦いから逃げていい理由にはならない。
彼女が戦っている限り、俺も戦うしかないのだから。
「安い契約だ。その程度の代価で貴様ほどの男を顎で使おうとは……神や悪魔をまとめて侮辱している」
「逆だよ」
「なに?」
分かっていないようなので、これだけは言っておかなければならない。
価値を決めるのは、神でも悪魔でもない。
「お前程度を殺すだけで、俺は彼女の傍にこれからもいられる。俺は本当に、契約に恵まれた」
価値を決めるのは――人。
本質を見誤らないことこそが、真の価値だ。
「…………そうか。ではその信念が口先だけではないことを、私に見せてみよ」
「いいね、楽しくなってきた」
戦闘続行の意思。
それも、ここからが本気という分かりやすい空気の変化。
心が湧きたつ。俺は案外、戦いが好きなのかもしれない。
「言い忘れていたが、私も魔術師だ。そして今、発動条件は整った」
発動条件。
今の会話の中で、水面下で何かが動いていたのか。
その思考が形作られる前に、現実が先に動き出した。
「褒美を賜いし子らよ。眠りの時間だ」
「っ!?」
瞬間、肉体の動きが低下する。
まるで自分の体ではないように、飛行体勢を維持できなくなった。
(なんだ!? これは――っっ!?)
咄嗟にバランスを保ち、空から落ちないように努める。
その時には、巨人の一撃は迫っていた。




