第027話 ロータル大谷防衛戦(4)
――魔人イコラオス。
姿認められること少なかれど、その名と強さは世界へ轟く。
それも当然。彼は最強と名高き魔王と、唯一互角に渡り合ったとされる伝説の魔人なのだから。
イコラオスは腕力が優れた巨人族の中でも、二大血統の一つとされる――キュクロプスという種族の出。
大きさとは、力。デカいだけの木偶の坊では決してない。確かな力と破壊力が、巨人族の肉体には内包される。
さらに現在世界に確認されるキュクロプスの中で、彼は唯一の原種にあたり、その中でもさらにごく少数――いや、もはや特異点とも言えるような突然変異こそが、彼だった。
しかしその奇跡のような生まれに、イコラオスが驕ることはなかった。
怪力無双の種族の中で一際高い身体能力を持って生まれ、そんな中、イコラオスは種族特性と己の戦闘スタイルに見合った職業――つまり物理攻撃特化型の戦士としての道を極めた。
肉体能力で他の種の追随を許さない存在が、武器を持ち、技術を収めた。
才能に驕ることなく、むしろ更なる才能を開花させるために、修練の道へと進んだのだ。
そして彼が進んだ道は、まさに最適であり、到達した場所は、まさに戦士としての極地。
最高の肉体に、最高の戦闘技術を加えた彼という存在は――怪物。いや、300年かけて育まれた――災害だった。
そのレベル――数値にして96。
彼に肉弾戦で匹敵できる存在は、かの魔王を含めても世界にたったの数人。圧倒できる者など――皆無。
ルコスと渡り合ったという表現は、誇張でもなんでもなく、彼はまさに――この世界の8人目の魔王だった。
しかし――
「――お"お"お"っ!!」
山を削り、もう一つの谷をここに生み出しそうなほどの腕力による一撃。
風を起こし、大地を揺らし、世界を二つに分ける。
それほどの一撃は――またも、空を切った。
「っ!?」
まるで空を泳ぐように、空中を自在に移動する存在は、イコラオスの破壊的一撃をことごとく躱す。
ミットにボールが収まった後に振っている――とまでは言わない。むしろインパクトギリギリのタイミングで、すり抜ける。だからこそ逆に、イコラオスの驚愕は大きかった。
そこまで致命的な遅れでないことが、ジャストミートを確実に見切られている確証のようで。
決して遮二無二の回避ではない。速度に頼り切った、身体能力任せの回避ではない。その事実は、またも結果へと結びつく。
「ぶぅっっ!?」
振り切り、爆風が押し出されたと同時――小さき存在は、イコラオスの顔面へと到達する。
攻撃直後、一瞬の身体硬直に合わせたこのタイミングでは、差し迫った小さな拳を回避する術はない。
ゴガンッと超高硬の金属がぶつかりあったような音が響き、イコラオスの意識は一瞬吹き飛ぶ。頭が首の付け根から折れ曲がるかのように後ろへと仰け反り、血反吐が上空へと吐き飛ばされた。
牙の一本は根元からへし折れ、鼻から飛び散った血と合わせて、宙へと残る。
これほどの負傷と屈辱は、イコラオスにとって数百年ぶりのことだった。
「こ、小僧がああっ!!」
顔面そのものがへしゃげるような一撃を受けても、イコラオスの戦意は折れない。むしろ更なる殺意を持って、生意気な存在を睨みつける。
暗闇に浮かぶ赤き瞳の妖光を捉えた瞬間、イコラオスは満を持して、術を発動した。
「<比類なき力>!!」
それは、戦士の高みへと到達した存在だけが修得できるスキル。
肉体能力の限界を突破し、己の潜在能力の全てを、一時的に開放する。
このスキルを使用した時のイコラオスの物理的攻撃力は、他の追随を許さない。能力値はレベル99の存在にも匹敵し、さらに彼という究極の戦士が使用することで、さらなる高みへと能力を押し上げる。
それはもしも、身体能力、肉体能力のみの世界大会が開かれれば、彼が優勝トロフィーを手にすることは間違いないと言い切れる程。
そこに一人の男が不参加であれば――の話にはなるが。
「落ちろぉ!!」
「<日神月歩>」
「っ!?」
咆哮と共に放った全身全霊の12連撃は――またも、空を切る。
まるでそこに見えない大地でもあるように空を蹴る姿――まさに空の支配者。軌道を変え、場所を変え、空に縦横無尽の射線を描く。
吸血鬼に空も大地も関係ない。夜の全てが己の手足とばかりに、それは尋常ならざる動きだった。
(ば、馬鹿な!? ハエや虫ではないのだぞ!?)
人が飛び回るハエを捉えられないのとは、わけが違う。
むしろイコラオス程の巨体と肉体能力の前では、この矮小な存在を未だ捉えられないことの方が不条理。現に、こんなことは過去一度としてなかったのだから。
イコラオスの全力の肉弾戦を持ってして、未だ攻撃が掠りもしない。
もはや、マグレなどという次元はとうに超えている。それも、全くの逆。
大きさも、空気抵抗も関係ない。彼は彼だからこそ、イコラオスを置いていくのだ。
「ぐお"お"っ!!」
必殺の12連撃が空を切っても、イコラオスの猛追は止まらなかった。
というのも、戦士の攻撃には流れというものがある。
一撃目が躱されることなど、戦闘には茶飯事のこと。優れた戦士は、その初撃を活かし、どう次へと繋げるかを考える。攻撃の流れを崩さず、さらなる威力の攻撃を繰り出すために。
最高の戦士である彼が続けざまに生み出した最高の技は、先の二倍の手数。数にして24にもなる超連撃。
それはまさに、戦士としての頂き。繰り出されるは、その残影。
見られるものなど滅多といない――正真正銘、世界最高峰の技だった。しかし――
「<日神月歩>」
しかし――繰り返す。
空を空とも思わない、世界を嘲笑うかのような動きの前に、イコラオスの最高の技は、儚く闇へと消えた。
赤い閃光が暗闇に色をつけ、夜の空を少しばかり華やかにする。
全霊の攻撃直後の肉体硬直。その致命的隙を、吸血鬼はつくづく見逃さなかった。
「っ!?」
どうやっているのか、空で加速し、瞬きほどの時間で肉薄した真の最強を前に――イコラオスは、過去の憧憬をその脳裏に浮かべる。
それは、魔王ルコスに敗れた時――彼の人生で最初にして唯一の、敗北の記憶だった。
7人の魔王は、ムメイと同等の力を誇るのでは。この世界のレベルは、ムメイの想像を超えているのでは。
その懸念は――やはり正しい。
現時点で、戦闘においてムメイ相手に勝利を収められる存在は、確かに存在する。それは何も、魔王だけに限った話ではない。
なぜならムメイは、対人の戦闘というものに関し、全くの無知であるからだ。
戦闘経験は300年でたったの二人。戦績こそ華々しいものの、やはり経験不足は否めない。そういう意味では、ムメイの懸念は正しかった。
しかし――
(化け物――!!)
レベルにして96。純粋な肉弾戦において、世界でも屈指の力を持つ巨人が――
どこの誰とも知れない吸血鬼を前に、既に白旗をあげていた。
彼ほどの境地に達した戦士だからこそ、その差を色濃く、肌で、魂で実感する。
怪物が恐れる程の真の化物の存在を――彼は今、ここに見たのだ。
「<夜王の>――」
確かにムメイという吸血鬼に勝てる者は、世界に存在する。
しかしこと肉体能力による真っ向からの肉弾戦において――
彼に並べる者は、世界にも存在しなかった。
「<先翔蹴>!!」
世界屈指の一撃が、三度巨人を襲う。
純然たる力で、比類なき地位へと上り詰めたはずの強者は――
それ以上の力を持つ化け物によって、ねじ伏せられた。
***
(…………ルルワ)
峡谷の崩壊音を耳にしながら、俺はルルワの現状に思いをはせる。
しかし、<反教底位>で向こうの様子を探るような野暮な真似はしなかった。
彼女は並々ならぬ覚悟を抱き、試練に立ち向かっているのだ。ならば、心配するような真似は侮辱だ。俺は請け負った目の前の敵に集中すべき。
しかし、分かっていてもままならないのが人の心。俺は最後に「勝て」とエールを送ると、ようやく正面へと意識を戻した。
「…………」
土砂崩れ、いや崖崩れのような有様となっている渓谷。
岩肌が内部まで削れ、多量にして多大な岩が崩れ落ちている。その下敷きになっているはずの敵の状態に思いを馳せれば――
巨人は、岩山の中から這い出した。
(――っ!!)
まるで服についた土ぼこりでも払うように、何の痛痒も感じさせない姿で、イコラオスは立ち上がる。無傷ではない。肉体のあちこちからは鮮血を流し、確かな傷跡も残っている。
だからこそ逆に、俺にとっては衝撃だった。
(こいつ……本当に強い。タフさはルコス級だ……)
200年前、ルコスと戦った時と今の俺とでは、強さがまるで違う。
レベル99。おそらくは最強の魔王ルコスにさえ届くほどの暴力をその身に受けてなお、この程度のダメージ。
確かにあちらの攻撃はまだ一度も俺の体には届いていないが、だから隔絶した差があるとはならない。むしろ逆だ。
俺が確実に避けなければならないほどの攻撃力を、イコラオスは持っている。両者に脅威の差はほとんどない。まさに天上の戦い。
正真正銘、人生で二人目にして、二番目の強敵だった。
(…………こんなのがあと11人だと? 魔王はこれ以上だってのか……)
これは、今の強さに胡坐をかいている場合ではない。
こんな化け物からも、ルルワを守り切れるだけの強さを、一刻も早く手にしなければ。魔王の部下如きと互角にやり合っている場合ではないのだ。
「その身体能力で、魔術師か……」
「っ!」
これまで会話など不要とばかりに肉弾戦に応じていたイコラオスが、ここにきて口を開く。明らかに会話をしたいという意思表示。
俺は無視して攻め続けるかとも思ったが、その内容に興味を持ち、踏みとどまる。相手がどんな奴なのかにも興味があった。
「さっき叫んでた、<審判・悪>……だっけ? それで見破ったのか?」
「いかにも」
「…………」
森を出てから数日で、俺はこの異世界についてルルワから色々と教わった。
その中で特筆すべき事項が――術という力について。
しかし時間が中々取れず、俺はまだ勉強途中。いや、はっきりいってまだ知識は皆無といっていい。
「貴様の身体能力……異常だ。生物の限界を超越している」
「ああ、生物じゃないから」
「そうだったな。不死なる存在か……」
自分のことを棚に上げて、凄いことを言う爺さんだ。
俺と張り合えるほどの身体能力を持っているイコラオスの方が、生身の生物とは到底思えない。
(金属の塊を殴ってるみたいだ。不死で本当に良かった)
俺が攻勢に出れているのは、筋肉疲労も息切れも存在しない体だからだろう。肉体の負荷を考えずに、全力の動きを体に強制できる。それが生身の生物との圧倒的な違い。俺が魔王に勝てた唯一にして最大の要因でもある。
「だが伝説的種族という理由だけでは、説明がつかない。選ばれた血だけで到達できるほど、魔王という地位は安くはないのだ」
「含蓄があるな……流石魔王の椅子に座れなかった男。椅子が小さすぎたのかな?」
「怒りも沸き上がらん。貴様という存在を目の前にしては、特にな。ルコスの時もそうだった……」
挑発に揺れもしない堂々たる姿は、巨人族の威厳を示しているよう。
だが、そのデカい図体に不釣り合いな、まるで懐かしいものでも見るような瞳に困惑する。
それは自分では届かない場所を眺めているかのような、憧れているような、そんな視線だった。
「8人目の魔王よ。その力、並みの代償では得られまい。根源の悪魔に何を差し出した?」
「…………」
魔王を安くはない地位と語りながら、俺の力を魔王に匹敵すると認めるイコラオスの言葉に、俺は素直に驚く。
しかし言葉を返せなかったのは、それが理由ではなかった。
「どうした? 貴様ほどの強者からすれば、別に減るものではあるまい。私は魔術の真価を覗き見たいだけだ」
「…………」
俺は答えなかったのではない、答えられなかったのだ。
なぜなら、言っていることのほとんどが、意味が分からなかったから。
俺はただ吸血鬼としてすくすく育ったから、ここまで強くなったのだ。この力にそれ以上もそれ以下も無い。
根源の悪魔などと会った覚えもなければ、取引をした記憶もない。300年努力したから強くなった。それで合っているはずだ。
(もしかして女神のことか? 確かにあいつは悪魔みたいな女だったけど……)
「まさか……知らぬのか? 力の理由を……」
いつまでも答えを返さない俺の姿に、イコラオスは一つ目を大きく見開く。
もじゃもじゃの髭で表情が分かりにくいが、驚愕の気配だけは強く伝わった。
「ごめん。それ今勉強中で。まだテスト範囲に入ってないんだ」
「勉強中? 馬鹿な……それだけの頂に上り詰めて、何も学んではいないと? 一体何をしていた? 誰ぞに指摘されなかったのか?」
「友達少なくて」
何をしていたって言われても、鍛え続けていたとしか言いようがない。
そもそも俺は300年間森の中にいたのだから、誰かから何かを学べるような機会には巡り合わなかったのだ。自分一人で強くなるしかなかった。
「馬鹿な……」
喘ぐような雰囲気に、なんとなくではあるが、はっきりと分かったことがある。
やっぱり俺の強さは、ちょっとみんなとは違うみたいだ。それは強さの規模ではなく、中身。
そしてこの異世界特有の新しい力を得ることが、俺のこれからの課題になりそうだ。その予感は、正しかった。
「本当に? 貴様が先ほどから術を一切使わぬのは、余裕からではなかったのか……」
「命を懸けた戦いで手を抜くわけないだろ。今年で300歳になるけど、俺もそこまでボケてないよ」
「然り」
無論、俺は手抜きなど一切していない。
一発一発殺すつもりで攻撃している。だから驚いているのだ。
そしてそれは、あちらも同じのはず。
「知らぬなら、教えてやろう。戦闘の極意――天術と魔術について」
まさかの教師役が増えた――その事実に、喜びは見いだせなかった。
決して親切からのものではないと、イコラオスの顔には書いてあったから。
「まこと、相性が悪かったな。私の運も、まだ尽きてはいなかったようだ」
巨人は、無いと思っていた勝機を見出したかのように、宣言する。
肉体能力だけでは勝負は決まらないと、そう告げるような――不敵な笑みを湛えて。
勝負はまだ、始まっていなかったのだ。
「<子らへの贈物>」




