第026話 ロータル大谷防衛戦(3)
鼻先に雷鳴が落ちたような衝撃音。
その一撃は大気に穴を穿ち、もはや当然の如く風を起こす。
衝撃の余波だけで吹き飛ばされる幾多の傍観者たちの中にあって、なんとかその場に留まるのは――3人。
勇者――ルルワと、40試練――ミサ。
そして――
「――っ!? くっ!?」
見えない何かに後ろから引っ張られるような勢いで、大地を滑っていく巨人。
地面を抉り、兵たちを吹き飛ばしながら、一撃の余韻に押され続ける。
しかし――
「っ!!」
強制された十数メートルの移動の果てに、イコラオスは踏みとどまった。
それどころか、体勢を維持しながら、闘志十分の殺意の瞳を持って――攻撃者を睨みつける。
(――っ!? こいつ!!)
瞬間――吸血鬼に、戦慄走る。
導かれた結果を受けて抱いた動揺は、一際大きいものだった。
(死なない!! 俺の攻撃で!!)
それは俺にとって、実に200年ぶりの事実。
手で払えば生物は死に、蹴り払えば生物は死ぬ。俺の一挙手一投足で、生きとし生けるものは、ことごとく死んだ。それが当然だった。
しかし――
『その時代にルコスがいなければ、確実に魔王と呼ばれていた――怪物よ』
目の前の怪物は、生を手放さないどころか、意識すら保っている。
俺の全力の一撃を食らってなお膝すらつかず、立ち続けるタフネス。確かにこれは、ルコス以来のこと。
信じていなかったわけではないが、ようやく現実に体感が追い付いたような感覚だった。
しかし――敵の強さに驚愕していたのは、あちらも同じ。
「おい!! なんだよこいつ!? どうなってんだよこれ!?」
「やかましい!! 黙れ!!」
吸血鬼の驚異の一撃を前に、目に見えて狼狽するミサと、対照的にこれ以上ないほどに警戒を強めるイコラオス。
たった一撃の攻防で、ここに格付けは完了される。やはり警戒すべきは――巨人。
さきほどまでのどこか気の良い爺さんという様子はすっかり鳴りを潜め、表情を一気に険しいものとする男を、俺は改めて敵と見据える。
自身の腹部に足形を残した攻撃の痕など、見向きもしない。イコラオスもただ真っすぐに、俺だけを見ていた。
「<審判・悪>!!」
戦闘開始直後――不意打ちのような一撃を受けても、この立て直しの早さ。
イコラオスの詠唱が響いた瞬間――俺は即断し、腹から叫んだ。
「分かれるぞルルワ!!」
「ええ!!」
一気に慌ただしくなる戦場。
たちどころに時は加速し、肌を焦がすような緊迫感が空間を支配する。
「魔術師か!! ミサ! そっちの女は天術師だ!! 油断す――!!」
「よそ見してんじゃねえよ」
「っ!?」
なんらかのスキルによって得た情報を、イコラオスがもう一人に警告する。
その時には、俺は移動を終えていた。
潜り込んだのは、巨人の真下。大地から、遥か大きな存在を睨み上げ、肉体に鬼気を込める。
極限の集中と、全力の力の解放を前に、空間が屈折したような印象をその場へと残した時――
両者は、動き出した。
「お"お"っ!!」
敵対者の接近を視認した瞬間――巨人は手に持つ大槌を振るう。
ゴウッと空気を裂くような、剛腕剛撃による一撃。この体勢、そしてこの相対距離で、即座に攻撃に転じることができる脅威の身体能力は――まさに怪物。
俺は内心で舌を巻きながらも、天が落ちてきたようなその一撃を、正面から迎え撃った。
「っ!!」
「っ!?」
風を切るような音が耳を掠めると同時、俺は右手の掌底で大上段からの一撃を穿つ。下から掬い上げるような振り上げは、正確に大槌の芯を捉え、力と力が真っ向からぶつかり合った。
信じられないような、剛腕による一撃。しかしそれは一方の思いではなく、両者共通の思いであった。
互いの全力の一撃が交わった瞬間、互いが互いの尋常ならざる肉体能力を認め合ったと、ここに確信する。
そしてどちらの腕力の方が優れていたかは、すぐに結果へと結びついた。
「<夜王の>――」
「っ!?」
衝撃が互いの肉体を突き抜け、衝撃波が荒れ狂う。
現実に残った結果は、常人には信じがたいものだ。吸血鬼の両足は地に沈み込むが、対してイコラオスの肉体は、大きく後方へと仰け反ったのだから。
それは6mを超えるような巨人が、自身の4分の1ほどの大きさの者に力負けしたという――まさに衝撃の事実。
しかし――終わらない。
弾きあげられた右腕、不安定な体勢。致命的隙を生み出した巨人の肉体に、今再び――最強の一撃が迫る。
「<先翔蹴>!!」
「おぶぅっっ!?」
全脚力に気迫を乗せた一撃が、正確にイコラオスの肉体を撃ち抜く。
何キロ、いや何トンになるかわからないような巨体が宙へと浮き上がり、両の足が大地から離れるほどに、巨人は大きく後ろへと仰け反った。
ここは――己の世界。
敵対者に二の句を告げさせないその姿は――
まさしく――夜の王だった。
***
「――っ!?」
上背だけでルルワの4倍はありそうな巨体が、吹き飛ばされる。
それも、ルルワよりもさらに小さな、そんな存在に。
空を切り裂くような一撃は――まさに災害。
発生した衝撃波だけで、弱き者達はその場に立つこともままならず、次々に吹き飛ばされていく。
大地はめくれ上がり、粉塵が立ち昇り、巻き起こる風がそれらを世界へと広げ――
そして夜の空に可視化できそうなほどの衝撃痕を残した存在は、その威力の被害者たる巨人と共に、峡谷の彼方へと消えたのだった。
爆風の余韻と共にその場へと残ったのは、建造途中だった砦の残骸。吸血鬼のたった一撃で、数百人にも及ぶ労力の結晶は、華々しく崩壊したのだ。
嵐が過ぎ去り、夜の静けさが戻る。
そんな中、空間に風穴をあけるが如き速度と威力で消えて行ったパートナーを、ルルワは呆然と見送った。見送ることしか、できなかった。
(な、なによあれ……。あ、あんなに凄かったの……?)
正直、ルルワは気圧されていた。
無理もない。それは世界から、そして神から勇者と定められた彼女を持ってして――規格外。まさに神の如き力。
そもそもルルワはムメイの戦う姿を一度しか見ていない。そしてあの時は、全く全力ではなかったということが、今ここに証明される。
(…………化け物)
己の愛する存在にそんな言い方はしたくなかったが、それが彼女の純然たる思いだった。あんなモノに、人が勝てるはずがない。
くしくもその感想は、アベルが辿り着いた境地と同じだった。人が到達できる限界に差し掛かっている二人だからこそ、逆に肌で実感できる強大な力。
そしてそれらの考えが彼女だけの主観ではないことを、その場に居合わせた第三者が保証する。それはルルワと同じく、壁へと到達したはずの達成者だった。
「お……おい……。おい! おい!!」
「…………」
ルルワは呆然と立ち尽くしたまま、その場へと残されたもう一人を見上げる。
彼女もルルワと同じような気配で、こちらを見下ろした。大災害を目の当たりにした直後のような、そんな姿で。
「なっ、なんだよアレ!! 何なんだよアレは!?」
「…………」
それは酷く、余裕のない表情だった。
戦意が折れているとまでは言わないが、だからこそ逆に狼狽が如実に伝わる。正気だからこそ、必死さが隠せていない。
先ほどまでの余裕が嘘のような、まさに災害の渦中に放り込まれたような、被害者の姿だった。
ルルワは気持ちは痛いほど分かると内心共感しながらも、おくびにも出さない。むしろ目論見通りといった顔を、苦心して演じ続ける。
「さっきも言ったでしょう? 私のペットよ。聞こえてなかった?」
「聞こえたっつうの!! 聞こえたから言ってんだろうが!? あれがペットだと!? ふざけんじゃねえよ!! なんつう危ないもん飼ってんだ!!」
「危なくないわよ。よく甘えてくれるし、凄くカワイイわ」
「甘える!? 死人が出るだろうが!? 見ろよ!! ちょっとじゃれついただけで地形変わってんだろうが!?」
「…………」
必死の訴えに示されれば、そこには跡形もなく粉砕された砦と、抉られた大地。峡谷の石壁も、まるで悲鳴をあげるように変形している。
それがただの蹴りで引き起こされたというのだから、彼女の気持ちもよく分かった。
確かに、あんな身体能力の存在にじゃれつかれるだけでも、ルルワではひとたまりもない。
つまりあの攻撃を受けて肉の形を保っていた存在もまた、規格外ということだ。
『分かれるぞルルワ!!』
ルルワとムメイは予め、相手の力量によって取るべき方針を定めていた。
その内訳は単純にして明快。
もしもイコラオスが、ルルワという存在を庇いながらでもなんとかできる相手だった場合は、二対二で戦う。
逆にそうではなかった場合は、それぞれの一騎討ちへと持ち込む。
つまりは――
(敵の力は、彼の想定を超えていたということ……)
開幕の一撃を与えたその直後に、ムメイは早々に決断を下した。つまりあれは、手加減なしの全力の攻撃だったということだろう。
その手ごたえを受けて、ムメイは悟ったのだ。自身が全力で戦う必要がある相手だと。そしてその戦いにルルワを巻き込めば、確実に死ぬと。
だからこその、即座の判断。間違ってもルルワが攻撃に巻き込まれることのないように、イコラオスを強引にこの場から遠ざけた。
(…………ありがとう)
また命を救われた。
そもそも彼という存在がいなければ、ルルワはここで終わっていただろう。いや、それはもっと前から――。
ルルワは改めて、自身の幸運を再確認し、そしてそれをもたらしてくれた男に感謝を贈る。ルルワは、救われたのだと。
だが――
「ありえねえだろおい……ジジイが吹っ飛んでたぞ。何だよあれ……吸血鬼? どこから湧いて出たんだよあんなの……」
ブツブツと忙しなく呟き続ける女を、ルルワは見上げる。
自身が超えるべき壁を――見定めた。
『キュオンみたいに、心折っとこうか?』
『いらない』
厚意を断ったのは、それでは意味がないと知っていたからだ。
救われるのはもう終わりだ。ルルワはもう、救われるだけの存在であってはならない。
(私は、ここで……)
これはレベル50という壁を超えるための戦いではない。ルルワが勇者として、人の壁を超えるための戦い。
あの男の横で戦える女に、ルルワはならなければならない。
難しいことは分かっている。分かり切っている。
だが、これだけお膳立てされて、できないなんて言えるはずがない。
(私はここで、勇者にならなければ!!)
少女は――試練へと立ち向かう。
乗り越えるべくして、今、壁と向き合ったのだ。
「なによそ見してんのよ」
「っ!?」
剣先に光が集い、夜の闇を照らす。
勇者の一撃が今――立ち塞がる試練へと放たれた。
「<銀の弾丸>!!」




