第019話 満月
暗い森を、男と女は並んで歩く。
二人の間には、もはや自然とも言える様な不自然な空気が流れ続けていた。
(え……? 俺なんか間違った?)
人生で初めて、女の子から好きと言われた。
この時点で既に間違っているような気もするが、転生者にはモテ補正がつくんだという理屈でひとまず納得させる。
続けるが、その女の子は世界を救う勇者で、一国の王女で、17歳彼氏なしで、世界一の美少女(当社比)。
そんな女の子が好きだと言った相手は、暗い森にずっと引きこもっていた人間の男――ですらない御年300歳にもなる、今まで碌に彼女もいたこともないような、冴えない吸血鬼だった。
間違い探しかというレベルで、間違いに溢れている。誰だって犯罪性をくみ取る案件だ。その時どちらの方が犯罪者かは言うまでもない。
俺も一歩進むごとに何かの間違いじゃないかと思っているが、有難いことにこれが事実だった。俺をここまで迷わせるとは、流石は迷いの森と言ったところか。
(やっぱ、なんか言った方が良かったかな?)
事の顛末を結論から言ってしまえば、俺は彼女の好き――という発言には、言葉を返すことができなかった。
なぜなら彼女の言葉は最後、感謝で締めくくられたからだ。この森で助けられたことに対する、お礼を言われた。つまり好きという言葉が枕詞にされてしまったわけだ。要は――
好きです――友達として。好きです――人として。好きです――助けて貰ったから。こういう図式を成り立たせることだって可能ということ。
これが俺を非常に混乱させた。人としての好きなのか、異性としての好きなのか、はっきりと分からないのだ。
いや、俺もそうそう鈍い方ではない。たぶん彼女が言ったのは後者の方の好きなのだと思う。だってあんなにモジモジしてたし。あんなに瞳を潤ませて、あんなに頬を染めておいて、いざこちらが応じた時「え? なに勘違いしてるの?」とか言われた日には、女性不信一直線だ。俺が本当の女性恐怖症になってしまわないためにも、これだけは是非間違っていて欲しい。
しかし「付き合ってください」などの定型文で締めくくられるならまだしも、あの終わり方では非常に答えを返しづらいというのも分かってもらえる話だろう。
そもそも――
(俺、外出れないしな)
これに尽きる。
つまりどっちにしろ、彼女の想いには応えられないのだ。
だから何も言う事ができなかった。俺も好きとか言ってどうなるというのか。
仮に交際に発展したからといって、この森と外では遠距離恋愛が過ぎる。リアルな乙姫と彦星のカップルとか現実で成立するわけがない。次に会う時彼女はしわくちゃの婆さんか、そも生きているのかすら分からないのだから。
だから――
(無理だ。好きなんて言えない)
俺は、自分の想いに蓋をしたのだ。
外へ帰りたいと思っている女に、外へ行くことのできない男が愛を語っても、困らせるだけだと思って。
「――おっ」
黙々と森の外を目指していた俺たちだったが、無言の時間はそう長くは続かなかった。
なぜなら、森の外れが見えてきたからである。
「……近かったのね」
「ああ。さっきのとこは、出口から一番近い拠点だったから」
彼女も俺との距離感を掴みかねているのか、どこか態度がよそよそしい。まるで付き合いたてのカップルみたいだ。
俺は知りもしないような疑似恋愛を楽しみながら、暗視能力をオフにする。
どこから太陽の下か分からずに焼かれました――なんて笑い話にもならない。
そして――
「え?」
「…………」
俺は太陽の下――つまりは森の出口まで65mほどの距離を保って、その場へと立ち止まった。
ルルワは、突然動きを止めた不審な吸血鬼を振り返る。
「どうしたの?」
「俺は……ここまでだ」
名残惜しいどころか、隙あらば行かないでくれと足元に縋りつきたくなってしまうが――そんなことは許されない。
ここが潮時であり、ここらが引き際だ。人には分相応というものがあり、触れてはならないものに触れれば、必ず破滅が待っている。
悔しいが、これだけはアベルと同じ考えだった。
「一緒に、来てくれるんでしょ?」
「…………」
もう、共にいることは当然――そんな口調で誘ってくれるルルワ。俺はその気持ちが凄く嬉しく、そしてやはり、心から申し訳なかった。
こんなことになるのなら、もっと早く言っておくべきだったと。
「ごめん。君に、言ってなかったことがある」
「…………」
見返り美人は、完全に振り返り、男を正面から見つめる。
吸血鬼の先には美女が。その後ろには、淡い光差す森の出口が続いていた。
「俺は、太陽に嫌われてるんだ。だから……森の外へは出られない」
「…………」
「君と一緒には行けない」
「…………」
一世一代の告白直後にこの情報開示は、途轍もない裏切り行為だろう。
良い感じにデートを重ねていざ告白したら、妻と子供がいると言われたようなものだ。俺が女なら絶対に許せない。
しかし、俺の予想は外れ、返礼は平手ではなく言葉によるものだった。
「私も、言ってなかったことがある」
「…………」
俺は視線をあげ、少女を見る。
光を背にした彼女は、ただただ美しかった。
「あなたは外に出られるの。吸血鬼が太陽の下に出られる方法を、私は知ってる」
「っ!?」
ルルワの口から驚愕の事実が飛び出た時、俺は森から出られることへの喜びではなく、ある男の言葉を思い出していた。
『なんか大物ぶって完全犯罪成功――みたいなしたり顔してるけど、お前の計画根本から間違いだから。俺は端からこの森を出るつもりもなければ、ルルワに付いて行くつもりも全くなかった』
『…………なるほど。そういうことか』
ずっと引っかかっていたアベルの反応。その違和感が、ここにきて回収され始める。
「私の……私の血を飲めば、あなたは一時的に太陽を克服することができる。この森から出られる」
「っ!!」
『これは純粋なアドバイスだけど、やっぱり口数は多い方が良いと思うよ? 君が幸せを掴むチャンスも、ちゃんと転がっていたのにね』
『言ったろ? 私は吸血鬼に一家言あると』
(…………そういうことだったのか)
まさか人間の血を取り込めば太陽を克服できるなど、考えたこともなかった。
300年も人のいない世界では、簡単なことのようで中々思いつけない。だっていないんだから。それが俺の普通だった。
俺が衝撃の余韻に浸っている間にも、ルルワは語り続ける。その姿は、まるでセールスや勧誘のようにも見えた。
「2000年くらい前にね。あなたと同じ吸血鬼が、外の世界に一人いたの。その吸血鬼は、太陽を克服するために当時の勇者を自分のものにした。それが魔に魅せられたとされる初代女勇者。私の――ご先祖様よ」
「…………」
アベルを見て、やけに吸血鬼に詳しい男だな、吸血鬼博士か――などと思っていたが、なんてことはない。彼らはそういう一族だったのだ。
過去吸血鬼に敗れた一族の末裔が、2000年後の森でまた吸血鬼に負けた。こう考えると、因果というものをどうしても感じてしまう。
「だからその勇者の血を引く私には、吸血鬼に昼の世界での自由を与える力がある。私はここから、あなたを救い出せるの」
希望を語る勇者。そしてその姿に、確かな希望を見出す吸血鬼。
期待は――希望に。
だが――
『彼が吸血鬼である事実は、何も変わらない』
呪いの言葉は、遅れて効果をもたらす。
「だから、一緒に森を出ましょう。私と一緒に、外の世界で暮らすの」
『それも、強大な力を保有する吸血鬼だ。仮に彼が暴れれば、どれだけの被害が人間の世界で出ると思う? 彼が何かのはずみで正気を失うだけで、一体何人の人間が死ぬ? 彼がもし8人目の魔王になったら、君はその責任をどうやって取るんだ?』
それは皮肉なことに、希望を語るルルワの言葉よりも――
『その時世界から責められるのは我々じゃない、ルルワだ。それでも君は、彼をこの森から出していいと思うのか?』
俺には、はっきりと聞こえた。
「私、あなたとなら――」
「…………ごめん」
だから、俺は謝る。
この謝罪だけは、したくなかった。
「……え?」
「俺は、一緒には行けない」
そんな答えは望んでいない。
そんな答えはあってはならない。
呆けるルルワの表情には、はっきりとそう書いてあった。
「どっ!? どうして!? どうしてそんなことになるの!?」
その反応は、当然だろう。
300年森に引きこもっている吸血鬼。太陽の下に出ることができないから、そんな生活を強いられている。自然な考えだ。現に俺はそうだった。
ならばその障害さえクリアしてしまえば、俺がこの森に残る理由はない。
彼女がそう考えるのは、ごく自然なことだった。しかし――
「もし……」
俺は逡巡の末に、それを語ることに決める。
先ほど約束した、見くびらないという言葉を思い出して。
「もし俺が、外で人を襲ったらどうする?」
「え?」
それはまさに、寝耳に水といったような顔。考えてもみなかったことだと伺える。それだけ信頼されていた事実は素直に嬉しいが、少し不用心だとも思った。
「あ、あなたはそんなことしないでしょ? 現に、私たちのことも襲わなかったじゃない」
「ああ……でもそれは、俺がまだ人の血の味を知らなかったからかもしれない。一度吸って、もしその味を覚えてしまったら? もう一度繰り返さないと言い切れるか?」
「それは……。でも、あなたは凄く理性的だし……。そんなこと……」
ルルワの言い分も分かる。
俺は吸血鬼にしては、人間過ぎた。
「俺もそう思う。だけど、そうじゃなかった時もあるんだ」
そんなことでもなければ、こんなことは言い出さない。
「…………いつなの?」
彼女は、答えを恐れるように聞く。
それはまるで、聞く前から答えを分かっているようだった。
「太陽の光を、浴びた時」
「…………」
それは、俺がこの誘いを断る決定打にして、核心。
「俺が太陽に体を重ねた時、光が直接当たった場所は一瞬で消失し、その後全身が激痛と共に燃え上がる。水分という水分が抜かれていくその感覚を経て、俺は最後にいつも――気づけば、血の海に沈んでいるんだ」
「…………」
その意味が、分からないルルワではないだろう。
分かったからこそ、彼女は表情を蒼褪めさせた。
「森の外は、常に太陽の射程内。そして外にいる生物は、魔獣ではなく人間だ」
そして、俺の一番近くにいるのは――
「で、でも!! 私の血を吸えば、そうならないかもしれない!! そんなの、やってみないとわからないじゃない!!」
「やってからでは遅いんだ」
「でもっ!! だって――!!」
その姿は、親に捨てられる寸前の子供を思わせた。
だからこそ、俺は見ていられない。
彼女をもう、見ていたくなかった。答えはもう、決まっているのだから。
「私が!! 私が何とかしてみせる!! 私の血があれば、きっと――!!」
「<一触即動>」
俺は能力を発動させる。
ルルワが宙に浮いたことを最後に視界の端で捉えると、俺は彼女に背を向けた。
「待って!! まだ話は――!!」
「お別れだ……ルルワ」
「っ!?」
俺は初めて、彼女の名前を呼んだ。
彼女の前で口に出すのは、これが初めてだった。
「ありがとう……好きって言ってくれて」
「待ってよ!! 待って――!!」
必死に伸ばされる彼女の手が、俺に届くことはなかった。
遠ざかっていくルルワの気配に、俺は最後の言葉を届ける。
「嬉しかった」
こうして、還らずの森から、初めての生還者は生まれた。
その隣に、吸血鬼の姿はなかった。
***
ルルワと分かれ、森へと帰った俺は、まずアガトスの元へと向かった。
仕方なかったとはいえ、あれからずっと放置だったのだ。もう獣の餌になっているだろうと踏んでいたが、案の定彼の死体には獣が群がっていた。
やるせなさを抱きつつも、損壊した彼の遺体を肉片の一部まで丁寧にかき集め、その場を移動。彼の墓は、もちろん三人の部下たちと同じ場所だ。
即席ではあるがアガトスの墓を作り終えたら、今度はアベルの遺体を見に行った。彼の死体は、運よく獣に見つかってはおらず、まだ綺麗な状態だった。
アベルではなくアガトスの遺体の方が喰われていたことに世界の無情さを感じながらも、俺はアベルの墓も作ってやった。
ただもちろん、アガトスたちと同じ場所ではない。彼らと同列に扱うのは俺も気が引けるし、何よりあの輪に入れたらイジメみたいなものだろう。
だから狼のおっさんの隣に眠らせてやった。クチャラー同士たぶん気が合うだろうし、精々クチャクチャ喋ってくれよと思って。ルコス「っ!?」
そんな森での一通りの作業を終えた俺は――
元通り、森の中での暮らしを再開した。
「…………」
それはまさに、初期地点。
俺がこの世界にやってきた最初の場所でもあり、ルルワと最初に出会った――想い出の場所でもあった。
彼女に未練でもあるのかと囁いてくる悪魔を、いや変える方が気にしてるみたいだろと吸血鬼の正論で迎撃する。
もう夜になる頃だろうかと、ベッドのように広がる大きな石の上に、俺は腰かける。
そしていつも通りに、体を丸め、膝を抱え、顔を伏せ、小さくなった。
俺が300年という年月を経て辿り着いた――まさに死の境地。
石の上にも三年。いや俺の場合は、300年か。それが成就される日は、終ぞ来なかった。
(…………これでいい)
一国の王女と吸血鬼のカップル。
周囲の人間がどう見るかなど、分かり切っている。決して祝福されることはなく、むしろ当然の如く非難されるだろう。そしてその矛先となるのは、彼女だ。
化け物を好きな頭のおかしな女。世界を救う勇者が、魔に魅せられた。
それもこの世に一度目ではなく、2000年前、勇者が篭絡され、敗北したという前例があるのだ。しかもそれは、彼女の先祖だった。
誰がどう考えたって、悪い歴史が繰り返されていると思うはず。人間は、絶対に俺たちが共にいることを許さない。必ず引き離す。世界のために、人類のために。
だから――
(これでいいんだ)
俺は、嘘をつく。これまでのように、嘘で生きる。
俺は彼女がくれた、言葉とその想い出だけで、十分だと。
その時――
(…………っ!?)
何かの足音らしきものを、人外の聴覚が捉える。
そんなはずがない、そんなわけがないと思いながらも、俺は顔を上げるしかなかった。
「っ!!」
視界の中に小さく捉えたのは、正解ではない――間違いだった。
あちらも俺の存在に気が付いたのか、一直線に駆けてくる。息を乱し、肩を弾ませ、表情を明るくしながら、こちらへと。
間違いだ。決してこの森にあってはいけない間違い――
そんな間違った存在が今、俺の目の前へと辿り着いた。
「女だぁ!!――って言わないの?」
女は、勝ち誇ったような笑みを見せながら、森の吸血鬼を見下ろす。
それはまさに、前代未聞の事件。
森を無事脱出したはずの女。還らずの森からの初めての生還者が――還ってきた。
***
肩で大きく息をし、大量の汗を今も額から流し続ける女が、目の前にはいた。
それは朝に、永遠の別れを遂げたはずの――女だった。
「なんっ……で……」
俺は心の底から、驚く。
まさか森から50km以上も離れているこの場所まで、戻って来るとは思ってもみなかった。普通戻ってこない。というかこれない。
彼女がいかに勇者とはいえ、こんな危険な森を、たった一人で――
「なんで? 話はまだ終わってないでしょ?」
「いや……そうじゃ……。だって森から……」
「森から出たら、もう森に入っちゃいけないなんてルールがあるの?」
「…………」
いや、確かにないが。
常識的に考えて、戻ってこようと思う人間がいるはずがない。
「何度だって戻ってくるわよ。あなたに会いたいから」
「…………」
顎から水滴が滴るほどに汗をかき、髪も乱れ、表情には疲労が見えている。
彼女がどれだけ必死の思いでここまで来たのかを、如実に表していた。
衝撃の邂逅も束の間、ルルワは自身の胸に手を当て、瞳を伏せる。
大きく深呼吸をして、乱れた息を整えていく。そして――
「あなたを――森から出す」
堂々たる宣言を、行ったのだ。
「…………」
俺は、言葉を出せなかった。言葉もないとはまさにこのこと。
どうして、どうして彼女は――
「さっきはごめんなさい」
呼吸を落ち着けたルルワが選んだのは、謝罪の言葉だった。
本来それを言うべきは腰かけている吸血鬼のはず。
俺は矛盾を感じながら、彼女を見上げた。
「やり方を間違えたから。あんな上っ面だけの誘い文句で、人の心を動かせるはずなんてないのにね。だから――」
「だから、私の話を聞いてほしい」
背を正し、胸を張り、勇気を振り絞り、並々ならぬ覚悟を固め、彼女は訴えかける。
己を突き放した吸血鬼に、語り掛けようとする。森に戻ってきてまで。
(どうして…………)
「私ね、あなたに嘘をついてたの。ううん、あなたにだけじゃない。世界にも、自分にも……ずっと、ずっと嘘をついていた」
「…………」
俺はただ、黙って聞く。
黙って聞くことしか、できなかった。
「本当は、諦めてた。勝てるわけがないって」
「っ!!」
少女が吐露した言葉は、彼女という人間そのものを土台からひっくり返すような――真相だった。
「だってそうでしょ? 魔王は7人いて、勇者はたったの一人。私一人でどうしろっていうの? 勝ち目がないことなんて、子供にだって分かる」
考えてみれば、当然の理屈。
それでも彼女は勝利を信じて戦っているのだと、そう思っていた。いや、俺は思いたかったのだ。彼女は諦めていないのだと。
「ずっと、自分を騙しながら戦ってきた。どうせ負けると分かっていながら、絶対に勝つと嘯いて」
「…………」
「だから、この森であなたと出会って、あなたが魔王を倒せる程強いと知った時……嬉しかったの。これで……少しは楽になれるって……」
「…………」
「自分が勝てないと思っている相手に、あなたをぶつけようとしたの。自分が戦うのが怖いから。死にたくないから。だから、ずっとあなたに優しくしてた。ずっとあなたに、嘘をついていた」
「…………」
確かに彼女は、最初から俺に優しかった。俺の正体が、吸血鬼であると分かっても。
その理由は、魔王と戦うための駒とするため。
納得すると同時に、少しだけ傷つく。あの優しさは、打算によって作られたものだったと知って。
「あなたを助けてあげるって顔をしながら、結局は良いように利用しようとしてただけ。ズルい女よね……気持ち悪い」
心から自嘲、いや自己嫌悪とさえ言えるレベルで顔を歪めるルルワに、俺は何も言えなかった。なぜならその姿は、己を映す鏡だったから。
「ずっと嘘をついていた。これが私の生き方なんだって。これが私の人生なんだって。でも――」
少女は、前を向く。
世界でも人類でもない――今の彼女は、俺を見ていた。俺だけを、見ていた。
「もう、嘘はつきたくない」
その輝きは、吸血鬼にはあまりに眩しく――
俺という人間の心には、あまりに見苦しいものだった。
「私は、あなたと一緒にいたい」
「っ!!」
それは、二度目の告白。
真っ直ぐな瞳が、後ろ暗い俺の心を射抜く。
「森の外で、一緒にいろんなところに行って、お喋りして、手を繋いで、歌を唄って、笑い合って……」
少女は夢を語る。己の新しい生き方を。
「そんなふうに、あなたと生きていきたいの」
少女ははにかむ。己の人生に加えたい男へと。
「あなたはどう? 私とじゃいや?」
「…………」
嫌なわけがない。
俺だって、そうなれたらどれだけ幸せか。そうできたら、どんなにいいか。
「…………」
「なら、あなたの話を聞かせて欲しい」
答えられない俺に呆れることも無く、ルルワは手を差し伸べ続ける。
それは、俺にとっても意外な問いかけだった。
「……俺の?」
「そうよ。だってあなた、自分のこと全然喋ってくれないんだもの。自分語りをする男はあんまり好きじゃないけど、好きな人の話なら別」
やっぱり、自分のことばかり喋る男は異世界でも嫌われるようだと、場違いなことを思う。
しかし彼女の次の言葉に、そんな馬鹿な思考はすぐに掻き消された。
「あなたにも、何か迷いがあるんでしょ? それを私に、教えて欲しい」
見透かすような瞳。
これが女の勘というのか、それとも恋心が成せる業なのか。
彼女の指摘は、当たっていた。
「俺は……」
自身の弱さ、不安、そして迷いの全てを打ち明けてくれた少女。
だからこそ、俺も正真正銘――300年で初めての、本音を溢した。
「怖いよ」
言語化すると、恐怖は眼前まで迫ってきたような気がした。
だからこそ俺は、ずっと目を逸らしてきたのだ。
「怖い? 何が?」
「外の……世界が」
それは誰にも言えなかった、俺の本音。
俺は外の世界に希望を見ていたのではない。俺はずっと、外を恐れていたのだ。
「だってそうだろ? 俺は人間じゃない。吸血鬼だ。目は赤いし、肌は白いし、牙だってある……」
「…………」
「愛想も良くないし、たぶん顔もかっこ良くないし、そもそも顔色から良くないし、悪そうだし、人と喋るのも得意じゃないし……」
冷静に考えればそれらは吸血鬼とは全く関係ないが、俺は言葉を止められなかった。
一度進みだした感情は、止めることができない。それも、300年蓋をしてきた感情なのだから。俺には、今しかなかったのだ。
それは、吸血鬼と人間が混じった恩恵でもあり、確かな弊害でもあった。
「俺は人間じゃない、化け物だ! 現にお前らだって、そう言ってたじゃないか!!」
「…………」
初めて、人と会えた。
だからこそ、その最初の人間の反応が、俺をさらに恐れさせた。
「人に怖がられたくない! 人に嫌われたくない! 人に優しくされたい! 人から愛されたい!!」
ルルワは吸血鬼の狂気を、黙って受け止める。
そんな彼女の視線が冷めているように見えて、俺の熱はようやく鎮火した。
「俺が外に出た時……そこに幸せが無いことが、一番怖い。だから俺はずっと……ずっとここにいたんだ……」
そうだ。出ようと思えば、いつでも出られた。
夜の間に、太陽の光から隠れられる場所に移動を続けて行けば、外でも生きていける。その事実に俺は、気が付いていた。
だが、俺はしなかった。できなかったのだ。
外に出た時、そこに幸せがあるのかどうか怖くて。だから、諦めた。諦めるほうがずっと楽だったから。
俺はずっと、嘘をついていたのだ。
「俺もさ。俺もずっと……嘘をついていた。君にも……俺自身にも」
「…………」
「君のためとかそんな顔をしておいて、俺はただ……外が怖かっただけだ」
これが、俺の正体。
なんとか恰好つけていただけの、ハリボテの吸血鬼の姿。
俺はずっと、この森で迷っていた。心の奥底では――外に出たくないと、思っていたのだ。
「…………」
俺は、顔を伏せる。
見せられる顔が無かった。こんな情けない男の姿を、見られたくなかった。
黙って俺の言葉を聞いていたルルワは、しばらくそのまま黙っていた。
愛想が尽きたのだと確信するには、十分な時間を経て――彼女はようやく、口を開く。
「私は、あなたのことが好き」
彼女は、三度目の告白を選んだ。
「…………」
俺は、理解できないものを見るように、彼女を見上げる。
俺の話を、聞いていなかったのかとさえ、本気で思った。
そんな俺の視線を、彼女は受け止める。そして、微笑んだ。
「理由は、あなたとのお喋りが楽しいから」
「っ!」
それは、俺も思っていたことだった。
俺も、彼女と話す時が、一番楽しかった。300年で、いや人生で、一番。
「だって、あなたが言う事、凄く面白いし。言葉選びとか冗談とか、凄くユーモアがあるし。変にカッコつけたりしないし、私が冗談で返したら、本当に嬉しそうに笑ってくれるし……」
「なにを……」
にこやかに、穏やかな面持ちで語り出す彼女の姿に、俺は揺らされる。
「すっごく悪そうな顔だけど、ずっと見てたら可愛く思えてくるし。いつも真っ白で体調が悪そうだから、ついつい甘やかしたくなっちゃう。尻尾を振って後ろをついてきてくれる感じが、子犬みたいで凄く愛おしい……」
「なんで……急にそんな……」
分からない。彼女が何を言っているのか。
急になぜ、そんなことを言い出したのか。
「人から嫌わるのが怖いなら、私が好きなところを伝えてあげようと思って」
それは、純粋な優しさ。俺のことを好きだと言ってくれる――唯一無二の存在。
しかし、いやだからこそ――俺は怖いのだ。
俺はとうとう、その場から立ち上がる。立ち上がらずにはいられなかった。
「違うんだ!! だから怖いんだ!!」
突然叫び出す吸血鬼にも、彼女は一歩も引き下がらない。
泰然と、その場に立ち続ける。それがなおさら、俺には怖かった。
「俺はきっと、外の世界では受け入れられない!! 嫌われて、煙たがられて、つまはじきにされる!! その隣にいるのは、お前なんだ!! お前も巻き込まれるんだ!!」
そうだ。俺が一番怖いのは――
「何年も一緒に嫌われ続けたら、きっとお前も俺のことを嫌いになる!! いつか嫌気をさすに決まってる!! 何でこんな奴を出したんだって! なんでこんな奴を好きになったんだって!! だから――!!」
俺は、負けじと立ち向かって来る少女の視線から、逃げた。
「だから……怖いんだ。俺は君から嫌われるのが……一番怖い」
好きだと言ってくれるからこそ、嫌われるのが怖い。
だから好きと言ってくれた今のまま、別れる方が良かった。なぜなら、もう二度と嫌われることはないから。
それに、外でルルワに見限られれば、俺には死しか待ち受けていない。
一度出てしまえば、もう森には帰れない。
死ぬよりは、俺は死んだように生きている方が良い。俺は生きたいのではない、死にたくないのだ。
「私は……あなたのことが好き」
背けた顔のすぐ側で告げられた、四度目の告白。
俺は何度言わせるんだと、ため息交じりに言葉を溢す。
「だから――」
「好き!!」
しかし、突然のその大声には、言葉を続けることは適わなかった。
それどころか、こっちを向けとでもいうような叫びに、強制的に顔を引き戻される。
俺が顔と、意識をルルワの方へと戻した時――彼女は、泣いていた。
大きく表情を歪め、ボロボロと涙を流す姿に――俺は何度彼女を泣かすんだと、自分に嫌気がさす。
そんなことを考えていられるのは、そこまでとも知らずに。
「確かにあなたの言う通り、ずっと好きかどうかは分からない!! もしかしたら、いつか好きじゃなくなるのかもしれない!! でも、愛ってそういうものでしょ!?」
歯切れのいい肯定は、俺の心に響く。
少なくとも、永遠の愛を誓われるよりは、ずっと。
「いつか嫌われることを恐れてたら、誰も恋なんてできない!! 誰も好きになる事なんてできない!! そうでしょう!?」
その通りだ。皆そうやって誰かを好きになる。
俺が吸血鬼であることは、なんの言い訳にもならなかった。
「だから、私はあなたが好き!! 先のことは分からなくても、今の気持ちは分かる!! 好き!! 大好き!! 好き!!」
涙を流し、鼻水を垂らし、唾を吐きだして叫ぶ。やけくそのような姿は、まるで駄々をこねる子供のよう。
いや違う。駄々をこねる子供は俺だ。彼女は俺の、鏡に過ぎない。
「どうして……そこまで……」
俺はとうとう、その問いを抑え込めなかった。
ずっと思っていた。彼女が好きと言ってくれた、その時から。
なぜ俺なんかを、好きになってくれたのか。
なぜ俺なんかのために、戻ってきてくれたのか。
なぜ俺なんかのために、彼女は涙を流すのか。
その答えを、俺は知っていた。
俺は、見えていなかっただけだ。
「――運命の男性なの!!」
潤んだ瞳が、キラキラと輝く。
まるで瞳の中に、光を放つものでも入っているかのように。
見ているだけで温度を感じる様な熱視線は、確かに、俺の心にまで届けられた。
止まっているはずの――吸血鬼の心に。
「ずっと不安で、迷ってた。ずっと迷いながら生きてきた。生きているって嘘をついて……私は生きていなかった」
「…………」
「そんな私の心を、温かくしてくれた! 元気づけてくれた! 勇気づけてくれた! 私のことを……ずっと想ってくれてた!!」
「…………」
「運命の人だって思っちゃったの!! あなたしかいないの!!」
「…………」
それは、悲しくなるくらいに――恋だった。
彼女は初めて恋を知り、その味を覚えてしまったのだ。
俺もだ。
俺も彼女のことを、運命の女性だと思っていた。
彼女こそが、俺の救いだと。彼女しかいないと。
「…………」
「…………」
涙は、流れない。それでも目を見開き、少女を見つめる俺。
そんな吸血鬼を、涙を流しながら見つめる少女。
俺たちは、同じだったのだ。何もかも、同じだった。
300年かけて、全てを信じられなくなっていた心が、諦めていた想いが、修復していく。
決してやってこないと思っていた時が、今、ここに――
「……あなたは?」
「……え?」
一転して、静かな言葉。
鈴を鳴らすような、美しい声。
「あなたは私のこと……好き?」
「…………」
鼻をすすりながら、ルルワは見上げてくる。
その視線は沈黙の時間が増すたびに鋭くなっていき、最後には、全力で睨みつけていた。
「いいわよ、私待つから」
彼女は意気地の無い想い人を前に、フンと鼻を鳴らす。
腕を組み、見下ろすように俺を見上げた。
「不死だからって、人間を舐めないでよね。何年でも何十年でも、あなたが答えてくれるまで、ここで待つから」
それは、常軌を逸した宣言。
不死の吸血鬼を前に、彼女は根競べを選択したのだ。
「私を無理やり森から出しても、何度でもここに戻って来る。毎日毎日、何回でも同じ話をし続けてやる。あなたが私を好きになるまで、好きって言うまで、何度でも何度でも」
「…………」
「あなたがこの森から出てくれるまで、私はずっとここにいる」
それを最後に、彼女は鼻息を鳴らし、腕を組んで仁王立ちする。
まるでここから一歩も動かないと、宣言するかのように。
「…………」
本気なのか。
それは、俺と一緒にいられるのなら、この森に残ってもいいという意志表示に他ならない。
そこまでだというのか――
そこまで、俺のことを――
「あなた……私に嫌われるのが怖いのよね?」
「…………うん」
しばらくの見つめ合いの果てに、彼女は気が付いたとでもいうように語り出す。
確かにそれは、彼女にとって、いや二人にとっての天啓だった。
「外に出るよりも、どう考えたって、今の方が先に嫌われると思うわよ? 女の幸せよりも自分の我儘を通す男なんて、いつか愛想尽かしちゃうかも」
「…………」
その通りだ。
このまま我慢比べを続ければ続けるだけ、彼女は俺に呆れるだろう。俺は自分可愛さに、彼女を巻き込むのだから。
つまりは――
「あなたは私を、幸せにしたくないの?」
「っ!?」
『約束するよ……アガトス。俺が必ず――ルルワを救ってやる』
別れ際に、友に手向けた言葉が、誓いが――反芻する。
この森で一生を終えるのが、彼女にとっての幸せになるだろうか。
動かない吸血鬼をずっと、永遠に待ち続けることが――
それが、彼女の救いなのか――。いや――
(…………約束だもんな)
そんなものは、救いではない。
俺は彼女を救って見せると、約束したのだ。
不安もある、恐れもある。だけど、それでも――
俺は彼女のことが、本当に好きだった。
「ルルワ……」
「っ!?」
俺は、名前を呼ぶ。彼女の名前を。運命の女性の、名前を。
ルルワは名前を呼ばれただけで、頬をさらに染め、瞳を潤ませた。
まるで――運命の男性に、名を呼ばれたかのように。
「俺は、お前のことが好きだ」
俺はようやく、想いを伝える。
女性に先に言わせ、それも女性に口にするまでずっと待つ――とまで言われた上での、なんとも情けない告白。
それでも、彼女は本当に嬉しそうに、笑ってくれた。
それは、彼女と生きていくという――宣言でもあったから。
「――うおっ!?」
勢いそのままに、俺は背後へと倒れる。
なぜか急に、ルルワに押し倒されたからだ。
「吸って!! 早く血を吸って!! 早く!!」
「ちょっ、待って――」
「待てない!! 気が変わっちゃうかもしれないでしょ!? 好きじゃなくなったらどうするの!?」
「え? 俺の好きってその程度の信頼なの?」
そんなに移ろいやすい心だと思われているのか。自業自得過ぎるが、疑いが止まらない。
見下ろせば、吸血鬼を全力で押し倒し、自身の首筋を突き付けてくる女の姿がそこにはあった。
俺は彼女の肩を唯一残った片手で掴むと、なんとか動きを止める。
ルルワは俺に触れられたことを喜ぶように、すぐに身を預けてくれた。
俺は内心で胸を撫でおろす。冗談じゃない雰囲気を感じたので、ちょっとだけ怖かった。これが肉食系女子という奴か。食すのは吸血鬼たる俺のはずなのだが。
「ごめん、意気地なしで。嫌いになった?」
「ううん、もっと好きになった。かっこ悪いところも見せてくれたから」
斜めに傾く大きな石のベッドの上に、俺は背を預け、そしてルルワは、男に体を預ける。
まるで月でも見上げるように、俺たちは重なる。
「私はもう、あなた無しじゃ生きていけない。あなたがいないと、外には還れない」
「…………」
「この森から私を還せるのは、あなたしかいないから」
「…………」
還そう、彼女をここから。
不安でも、迷っても、例え向かう先が地獄であっても――
彼女と一緒に――生きていこう。
俺はルルワの腰に手を回すと、抱き寄せる。
彼女は鷹揚にそれを受け入れ、むしろ、さらに密着してきた。
「…………」
「…………」
互いの存在を確認するように、互いの想いを確認するように、俺たちは見つめ合う。
近くで見る彼女は、本当に、どうしようもなく――綺麗だった。
「どこ住み? 彼氏いる?」
それは、彼女に初めて俺が問うた言葉。
ルルワは楽しそうに微笑むと、俺の顔に手を当てた。
「この森の外。彼氏は募集中。……あなたは?」
温かい。
こんなに温かいと思ったのは、生まれて初めてだった。
「俺は森生まれ、森育ち、そして森から出る吸血鬼。今年で300歳、彼女はいません」
吸血鬼は――笑う。
「今はね」
俺たちは軽く笑い合うと、愛を重ね合う。
女は自身の首筋を差し出し、男はそこに、顔を埋めた。
吸血鬼に魅せられた人間の女と、人間の女に魅せられた吸血鬼は、こうして――ようやくそれぞれの想いを遂げる。
これは――森に迷い込んだお姫様を、吸血鬼が助け出すお話。
そして――森で迷う吸血鬼を、お姫様が助け出すお話。
森のベールに包まれ、光の一切が届かないような夜。
重なる二人の遥か頭上には、満ちた月が顔を出していた。




