第012話 自白と独白
「――気持ち悪い」
「ルルワ!!」
吸血鬼の討伐ではなく、逃走を選んだ女勇者。兄の静止も振り切って、駆けていく。
その姿が完全に見えなくなると、この場にはそれぞれの事情を少しずつ知る、三者だけが残った。少女一人がいなくなっただけで、そこは最初から別の空間であったかのように、ガラッと色を変える。
「はぁ……困った妹だ。本当に、思い通りになってくれない。そう思わないかい?」
「…………」
ルルワの背を見送り、振り返ったアベルと、俺は再び向かい合う。
いや、俺たちは――
この時、初めて向かい合ったのかもしれない。
「言われっぱなしだったね、女の子の前で」
「…………言い返すよりマシだろ?」
「へぇ……かっこいいな」
軽口に、俺は答える。
この場にルルワがいなくなったことで、俺が口を閉ざす理由はもうなくなったからだ。
「それに利口でもある。けど良かったのかい? 泣き落としでもすれば、ルルワは話しくらいは聞いてくれただろうに」
「涙出ないから」
「そうだったね、失礼」
めんどくさかったので、適当に煙に巻いた。
しかしそれでは納得できない者も、ここにはいたようだ。
「――殿下」
「ん? どうしたのかな、アガトス」
俺の背後から前に出てくる者など、一人しかいない。彼は、吸血鬼である俺の横へと並ぶと、アベルと向かい合った。
「今回の一件……彼は、犯人ではないのですね?」
「おや? 君はその吸血鬼を信じたのかな?」
アベルが目を丸くするが、その様はどこか演技じみていた。俺は演技ではなく、本気で目を丸くし、隣のアガトスを見る。
「私は直前までこの者と共におりましたが、ここへ駆け付けるまでの疲労、そして動揺は、とても演技には見えませんでした。私の目も、そこまでは曇っていないつもりです」
「ふむ。彼が犯人でないとすると、容疑者は限られてくるのだが……君は自分が言わんとしていることを分かっているのかな? 王族批判だよ?」
「心しております。ですが、無実の者に罪をなすることはできません。それを看過することも」
それは眩しいほどに、真っ直ぐな心根だった。
俺を無実だと証明するということは、アベルとルルワのどちらかを犯人だと言うようなもの。そして騎士が仕えるべき王族に殺人犯のレッテルを貼ることは、不敬という言葉では収まらないほどの暴挙のはず。それも、人ですらない化け物の方を信じるというのだ。アベルにとってこの上ない屈辱となることが、分からないはずもない。
だが、部下から剣を返上されたに等しい侮辱を受けたアベルに、それを気にする素振りは見られなかった。
「流石はアガトス・アントローポス。その高潔なる魂に敬意を表して、私もおふざけはこのくらいにしておこう。そうだ、犯人は私だ」
「…………」
唐突かつ軽い調子の自白にも、動揺は驚くほど少ない。
俺は当然だが、アガトスも覚悟していたようだ。
「…………あまり驚いていないのは、もう誰かが答えを言い当てていたからかな?」
「やっぱり、昨日の会話はわざと聞かせたんだな」
俺は質問に質問で返す。
それがアベルの問いへの答えになると分かっていて。
「ああ。私は吸血鬼に関しては、一家言あるからね。必ず聞いていると思ったよ。ただ私の想定以上に、君は賢い吸血鬼だった」
満足げな表情。
俺がアベルの思惑を完全に見抜いたうえで、それをアガトスに伝えたと悟ったのだろう。いや、見抜いたのではない。俺は踊らされていたのだ。俺をこの状況へと陥れるために、彼は敢えて会話を聞かせ、そして俺の行動を操った。確実に犯人へと仕立て上げるために。
「…………殿下、なぜでしょうか? 私には、ここまでする必要があったとはどうしても思えません。仲間を殺してまで、彼を貶める必要が本当にあったのでしょうか?」
「それを本気で言っているのだとしたら、私は正気を疑うね。見たろ? 先ほどの彼女の姿を」
ルルワの泣き顔を思い出し、ないはずの胸が痛む。
「私もあれほどとは想定していなかったが、ルルワが彼を気に入っていたことは、もはや疑いようもない。このままいけば、彼女はきっと彼を森の外へ連れ出していたことだろう。それでいいと、君は本気で思っているのか?」
「彼が人間に危害を加えると? 私にはそうは思えません」
「それについては同意するよ、半分ね。確かに彼は非常に理性的だ。この状況でも、暴力を持ち込むどころか、チラつかせることさえしない。本気を出せば、我々など簡単に殺せるだろうに」
「…………」
俺をなんだと思っているのだろうか。ムカツク奴は全員ぶっ飛ばすような量産型ヤンキーとでも思っているのか。
俺はそういったオラオラ系のイキリストたちが世界で二番目に嫌いなのだ。一番はそういうイタい男をかっこいいと思いこんでいる勘違い女だ。
大人になれば、謙虚な奴が一番格好いいと分かる。誰かの頭を踏みつける奴よりは、頭を下げる奴の方が絶対に格好いいと。
「この状況なら、人間の大人だって怒りに我を忘れるだろう。その苛立ちをルルワにぶつけたって何らおかしくはない。吸血鬼とは思えないほどに自制が効いており、人の手本にしたいくらい考え方も大人だ。だが、それだけだ。彼が吸血鬼である事実は、何も変わらない」
過剰な誉め言葉を、特に嬉しいとも思わず聞き流す。
むしろ全くといっていいほど心に響かなかった。
「それも、強大な力を保有する吸血鬼だ。仮に彼が暴れれば、どれだけの被害が人間の世界で出ると思う? 彼が何かのはずみで正気を失うだけで、一体何人の人間が死ぬ? 彼がもし8人目の魔王になったら、君はその責任をどうやって取るんだ?」
アガトスは、答えなかった。答えられなかったのだろう。
俺も同じだ。吸血鬼という種族については、まだまだ未知の部分が多い。そんなことが絶対にないとは、口が裂けても言えなかった。
「昨日も言ったが、人の手に負えないようなものには、端から触れるべきではないんだ。人の身で吸血鬼に首輪を嵌められると、本当に思うのか? それじゃあ熊を飼って食われる馬鹿と同じじゃないか」
「馬鹿な考えの始末が自分だけならまだいいが、近隣住人までその熊の餌食となったら? 君の娘がその犠牲者になって、仕方ないと思えるか? 飼おうとした馬鹿を恨むだろう? その時世界から責められるのは我々じゃない、ルルワだ。それでも君は、彼をこの森から出していいと思うのか?」
的確な例えだと思う。
俺がニュースで起きた事件の結果だけを知ったら、馬鹿じゃねえのかと当たり前のように思うだろう。一人の馬鹿のせいで大勢死んだと。
今回の場合、責められるのは当然俺を連れ出したルルワ。しかも彼女は勇者だ。世間からの批判は、どうあっても彼女に集中するのは目に見えている。
「人が禁忌に手を触れれば、待ち受ける運命は破滅しかない。君も最初はそう言っていたじゃないか」
「仰る……通りです」
確かに、一番最初に俺を危険な存在だと判断し、早い段階で殺すべきだと強く唱えていたのはアガトスだ。
つまり彼の根底にある考え方も、アベルと同じということになる。
正直、俺もそれについては共感した。なぜなら俺の中身も、人間だから。
「ですが……良い奴です」
「っ!」
口の中で噛み締めるような小さな言葉は、それこそがまごう事なき彼の本心であると、聞く者に理解させるに十分だった。震えるようなその声に、俺たちはそれぞれ大きく目を見開く。
「…………凄いな。堅物のアガトスを……ここまで。まあその気持ちは分かるよ。私が見ていた限りでも、彼は今日一日ずっと、更なる死者を出さないように常に神経を張り巡らせていた。それは何もルルワだけに限ったことではない。こんなに人間に優しい吸血鬼が存在するとは、私にとっても驚くべき発見だったよ」
「吸血鬼自体が驚くべき発見だろ?」
「違いない」
俺が彼らを観察していたように、アベルも俺のことを観察していた。そして彼の目には、頭を悩ませて人間が通りやすいルートを選択したりする吸血鬼の姿が、かなり奇怪に映っていたのだろう。元人間の吸血鬼という情報を知らないのだから当然だ。
「吸血鬼に似つかわしくないその疲労も、だいぶ無理をしたからなんだろう? お優しいことだ。無駄骨になるとも知らずに」
「…………」
初めて、少しだけイラっとした。
自分が殺しといて言うセリフではない。確かに彼らは大局的に見れば俺のせいで死んだと言えるが、実際に手を下したのはアベルであるというのも紛れもない事実。その当人が部下の死を軽んじるとはどういうことなのか。
「だから君が苦しむことはないんだよ、アガトス。この結果は、彼も臨んでいることだったんだ」
「ですが、彼の名誉は……」
「彼は化け物なんだろう? 君が言っていたことじゃないか」
良い性格をしている。
確かにアガトスのような真面目なタイプには、非常に効果的な言葉だ。真面目な人間ほど、他責よりも自責の割合が大きい。あれだけ誹謗していた自分が、今更どの口で、虫が良すぎる――などと、彼なら考えそうだ。
「それともルルワに告げ口するかい? それこそが、彼が最も望んでいないことだというのに?」
「どういう……ことでしょう?」
「ん? 分からなかったのかい? 本当に? じゃあ一から説明しようか?」
アベルは嬉々として語り出す。
仲間の死を悼むような心は、完全にないようだ。
(まあ……自分で殺しといて悲しまれてもな)
後悔するくらいなら最初からやるなと俺は思う。むしろこれくらい開き直っている方が、ある意味清々しいのかもしれない。
「まず、私の困った妹が、ちょっと目を離した隙に吸血鬼とお友達になっていた。優しい彼女はその吸血鬼を森から自由にしてあげたかった」
「だが彼という脅威が人の社会に出た時の影響を心配した兄は、妹の未来のため心を鬼にする。自分と、愛すべき部下たちの命を犠牲にしてでも、妹の目を覚まそうと」
「そして事件は起き、ここに終わった。仲良くなった吸血鬼は、蓋を開けてみれば人殺しの吸血鬼だった。それも自分を手に入れるためだけに、邪魔な人間たちを殺すような。彼女は二重でショックだったろうね。信じていた相手に裏切られた。自分のせいで人が死んだ。だからこそ、彼は全ての罪を自分が背負うことに決めたんだ」
「…………」
正直、純粋に凄いなと思う。
ここまで洞察力に優れた人間は見たことがない。
「分からないかい? もし彼があの場で真実を語っていたら、一番傷つくのは誰だ?」
「っ!」
アガトスの気配が大きく揺れ動く。横から注がれる驚愕の視線を、俺は正面を見続けることで躱した。
「自分が安易に森から吸血鬼を出そうとしたせいで仲間が死に、しかもそれを実行したのは最愛の兄だった」
「その理由は人類の大局を見た、妥当な判断。確かに冷酷かもしれない。しかしこの判断を責められるか? 我々には人類を救うという使命がある。その辺の野良吸血鬼では無くね。リスクの早期排除は当然であり、臭い物に蓋をするのもまた未来への備えだ」
「それら背景を知れば、彼女は自分の方こそが軽はずみな行動をしたと思うだろう。真面目な子ほど、ちゃんと罪と向き合おうとするし、自分を責めてしまうものだからね」
「だから彼は、あの場で何も言い返さなかったんだ。血を分けた家族よりも、まだ数日の付き合いである吸血鬼に裏切られた方が、彼女の心の傷は浅く済むから」
「アガトス、君のしようとしていることは、彼の覚悟を踏みにじる行為だよ。むしろ、皆を不幸にする偽善だ。君は自分だけが気持ちよくなれれば、それでいいのかい?」
「…………」
まあ間違ってはいないが、正しくもない。
俺は結局、この森から一生出られない未来が確定しているのだから、誰が殺したかなどということは、割とどうでもいいことなのだ。それこそ人間数人からどう見られるかなど、本当にどうでもいい。女好きの吸血鬼でも、血好きの吸血鬼でも、好きに思ってくれという感じだ。
だが俺にも、譲れないことはある。それが彼女の幸せだ。
できるならこの森から無事出してやりたいし、辛いし苦しいだろうが、外の世界でも頑張って長生きしてほしい。
だからちょっとムカツクからといって、アベルを殺したりはしない。彼は勇者に匹敵するだけの強さを持つ戦士だ。ルルワがこの先の過酷な戦いを生き残るためには、少しでも強い味方が必要なはず。彼女を一人にするようなことだけは、絶対にしてはならない。
そもそも、仕方がなかったとはいえ、300年間森に閉じこもっていた俺のせいで、世界は追い詰められているのだ。少しでもその助けになるような行動をしなければ、罰が当たるというもの。
だから俺は、人殺しの吸血鬼で構わない。
彼女の幸せを、心から願っている。




