第105話 女は、恋に生き――
カロスとムメイの修行から少しだけ時間は巻き戻り、再び懇親会へ。
アクレミアは部屋に戻ってきたムメイの姿を確認すると、入れ替わる様にして賑やかな場所を抜け出した。
そして、すぐに目的の人物を発見する。
「何の話をしていたんですか?」
「これは殿下」
神妙な顔をしていた男は、アクレミアの姿を見るなりすぐに襟を正す。
王族を迎える姿勢としては手本とされるような所作だが、空気が読めていないのも確か。
現にアクレミアは、そんなカロスの態度に頬を膨らました。
「やめてください」
そして、彼の隣に並ぶ。
壁に背をつけ、すぐ横に入り込む。カロスもそこまでされてまで抗うほど融通が利かないわけではない。すぐにアクレミアに倣った。
王女と家臣の関係は、そこにはない。二人は別の世界でいうところの、幼馴染のような関係だった。
「また勝手に動いて……陛下に怒られますよ?」
「いきなり説教か? 覚悟の上だ」
アクレミアとしては、話のきっかけ、取るに足らない軽口。
しかしカロスは、仕事として受け取る。言葉遣いや礼儀は崩そうとも、ここだけは崩れない。
アクレミアは内心でため息を吐きながら、カロスを見上げる。
この男は後で罪を償う覚悟なら、罪は犯していいものだと思っているのか――などと呆れながら。
「これは当然伝えるべきことだ。こちらから誠意を見せることも、悪いことではないだろう」
「困った人……」
勇者と吸血鬼の交際。これをルルワが自らの口で暴露した昨夜の一件。
この情報をムメイに伝えることがダソスの利になるとは思えない。カロスはそれが分からない程愚かではないはず。
だが、頑なに隠すことでもない。なぜなら、ルルワ本人が伝える可能性もあるからだ。
しかしカロスは、その可能性が低いことすら分かっている。
分かっていたから、カロスが出張ったのだ。彼の性格と、その心をよく知っているアクレミアが、それを見抜けないはずもない。
こういったカロスの感情的部分は、人として美しくはあるが、やはり困る。
国に仕える重役の適性としては、間違いなく不適当。国より自分の意志を優先するのだから、上に立つ器ではない。
王は良く手綱を握れていると、常日頃から思う。アクレミアは振り回されてばかりだ。
そして、似ている。今のルルワと。
それがアクレミアには、どうしようもなく嫌だった。
「どう見ますか?」
だから、話題を変える。
カロスからしてみれば、自然な話題に。
「我々に与えられた任務です。表ではなく、裏の」
それに実際、アクレミアも気になるところだった。
同僚と先に意見を擦り合わせておくことは、悪いことではない。
「何とも言えないな……魔力の揺らぎからは何も読み取れない。ただ種族的能力となると、私の目では見破れない可能性もある」
一部の種族が持つ種族的能力は、天力、魔力と言われる可能態を消費しない。
これは例えば、腕力が優れる種族、その能力値補正に代価を引き換えとするのかという話になるからだ。これは世界が定めたバランス、つまり世界のルールだ。
だからこそ、種の恩恵が全くない人間種を、選ばれなかった種族と見做す者達もいる。人間は生まれながらに、大幅なハンデを抱えているのだと。
「では、評価は?」
「…………」
カロスが押し黙る。
こちらを見ようとしない気配が、逆にカロスの考えていることを如実に表した。
「わたくしに遠慮せず」
「…………」
カロスの感情は、非常に分かりやすい。
おそらくカロスへの理解力では、自分の右に出る者はこの世にいないと、アクレミアは自負するほど。
「確かにあれは……人類に欲しい逸材だ」
カロスはやはり、アクレミアの方を見ない。
その代わり、視線は扉の奥、壁に遮られる先を見ていた。
「正直に言えば、女数人やる程度で縛りつけれるのなら……安い。安すぎる」
「…………」
本当に遠慮がない。
ただ、アクレミアも同じ考えだ。
あの力が手に入るのならば、100人だろうが1000人だろうがくれてやるべきだ。万の命、そしてこれから生まれてくる億の命を守れるなら、安い物だろう。
冷たい考えではあるが、この程度のことも言えないようでは国を支える一柱は任せられない。ニコニコと綺麗ごとだけ言いたいのなら、教会がお勧めだ。
「あれほどの強さを有し、人間に協力的。むこう数百年は現われまい。私は峠越なんかよりは、よっぽど信頼を預けられる」
「随分な高評価ですね……ですがわたくしも、そう思います」
おそらく、向こうでは新しい王になってもおかしくないほどの化け物だ。
そんな存在が人間の世界に身を置くのは本当に稀。200年前の峠越以来だろう。そしてどちらかと言えば、アクレミアもムメイの方が良い付き合いができそうだと思っている。
少なくとも、話にはなる。こちらがテーブルにつけば、ムメイも自然とテーブルにつくのだ。その程度の常識すら違うのが、人間から見た異種族という存在。峠越はそのタイプだ。いや、もっとタチが悪い。
「まあ……当人でないから、私はなんとでも言えるがな」
「…………」
その時初めて、カロスがアクレミアの方を見た。
「…………嫌なのか?」
「…………」
アクレミアは、答えない。
答えられない。
迂闊なことは言えない。それがアクレミアに与えられた役目、使命なのだから。
だが――
「誰か……想い人でも?」
「…………」
その問いだけは、無視できなかった。
「…………」
「…………」
二人は横に並び、互いを見る。
アクレミアは、カロスを見上げる。
カロスも、アクレミアを見下ろした。
何かが変わる。この瞬間に未来が変わると、世界が確信した。
「…………いました。けどその方は…………別に、好きな人がいるんです」
ずっと、分かっていた。
その心は、アクレミアのものにはならないと。
決して、手に入らないと。手に入れてはならないと。
「あなたは?」
未来を変える問い。
だが運命の歯車は、狂う。
いや――
最初から、狂っていたのだ。
「私は――」
カロスが答えようとしたその瞬間、扉は開く。
出てきた二人の姿を確認して、アクレミアとカロスはすぐに背を正した。
パーティ会場から出てきたのは、手を繋いだムメイとルルワ。
カロスとアクレミアは壁際に立ち、軽く頭を下げて送り出す。
ジロジロ見るような不躾は、二人ともしなかった。
いや、できなかった。
「…………」
「…………」
禁忌のカップルを送り出し、二人は再び顔をあげる。
その時にはもう、未来は変わり始めていた。
「いたよ……ずっと好きだった」
「…………」
遠ざかっていく二人の背を、カロスが眺める。
アクレミアも釣られるように、こちらに背を向ける男女を見た。
「だが、今はいない」
カロスが振り返り、アクレミアはその光景を目に焼き付ける。
遠ざかっていく男女の背と、男の顔を。
その目は――アクレミアと、同じだった。
「なら……同じですね」
同じだ。
還らずの森に、恋を奪われた。
カロスとアクレミアは、同じだった。
***
吸血鬼という抱き枕を取り上げられた勇者が、今どういった夜を過ごしているのか――彼女に与えられた試練の数々を思えば、想像に難くない。
最愛の男と別行動を強いられ、一人枕を濡らす夜。
重責と課題に押しつぶされ、一人思考を巡らす悶々とした夜。
それら全てから逃げ出したいと、布団に包まり、塞ぎこむ夜。
そう、ルルワには余裕がなかった。
ムメイと離れたこの状況に、彼女は今――
「好きな人いる?」
恋バナをしていた!!
「…………」
寝る支度を完了したアクレミアは、いつまでも消える様子の無い明かりに遠い目をしていた。
こちらをチラチラと窺いながら、ふざけたことを抜かすその存在から、全力で目を逸らしながら。
「私はね……いる」
「いえ、聞いてないです」
「初恋なの……」
「聞いてますか?」
珍しく酒を飲み、早く寝たいと心地よい睡眠欲に誘われていたアクレミアを引き戻したのは、別の要素から気分が良くなっているルルワ。
酒とは違う理由で酔い、頬の上気はアルコールによるものではないだろう。アクレミアは冷めた視線で、そんな姉の姿を眺める。
正直に言えば、さっさと寝かせて欲しかった。その旨を、アクレミアは言葉を選んで伝えようとする。
しかし、この夜は勝手が違った。
この夜は、何かがおかしい。
「恋の話が聞こえてきたわね!!」
「「っ!?」」
寝室の扉が勢いよく開かれ、その音に二人は身を跳ねさせる。
こんな状況でもベッド下の予備武器を手に取り、即座に警戒する様はまさに勇者。アクレミアは剣を持ったルルワに庇われながら、こういったところは尊敬せざるを得ないと思う。
彼女は確かに、まごう事なき勇者だ。
姉妹の和やかな(?)時間。
家族の団欒を邪魔する闖入者の正体。
それは――
「「お母さま!?」」
「わたくしが誰かって!? そうお母さま!! 世界一のマミー見参!!」
部屋の中央に躍り出る美女。その周囲をとり囲むメイドたち。
共通しているのは、皆一様に変なポーズをしていること。見る者が見れば、そこには感動すら見出せた。
中央の女性を引き立たせるように計算された構図。決して素人崩れのようには見えない洗練された動き。
恥ずかしさよりも先に、感心の方が来る。
そんな登場で空間に加わったのは、ルルワとアクレミアの母――メーロン・シェメシュ。その人だった。
「お、お母さま? なぜこちらに? お父様に、こちらのフロアへの出入りは禁止されているはずでは?」
この城には今、吸血鬼がいる。
彼がどのような存在かまだ検討中の段階では、間違ってもメーロンと鉢合わさせるわけにはいかない。
安全のため、こちらのフロアへの出入りは王命により禁止されているはずだ。だというのに、なぜ彼女が――
「恋の話が聞こえてきたの!! 理由はそれ以外にないわ!!」
「…………」
ルールを守れる奴はいねえのかと、アクレミアは率直に思う。
それはそうだろう。こうポンポンと自分勝手に動く者ばかりでは、ちゃんとルールを守っている者たちが馬鹿みたいだ。全く割に合わない。
(警備の者達も可哀想ですね……何も悪くないのに)
進撃のメーロンを止められる者など、そうはいない。
だが、後で叱られるのはここに通した警備だ。本当に、この世は不条理。身勝手な者達の我儘のせいで、真面目なものたちが馬鹿を見る。これが正しいわけがない。
「何よその目は!? いい年こいて恋とか言ってんじゃねえよババアって目は!!」
「はい」
「否定してよぉ!!」
気付けばメイドたちは解散し、静かに部屋を出ていく。
早々に、メーロン一人だけがその場へと取り残される。その光景は、自分たちはもう関係ない、むしろ最初から関係なかったと見捨てられたようだった。
(あれのためだけに連れてきたの?)
理解に苦しむ。全くもって意味が分からない。
アクレミアが混乱している間にも、メーロンは気にせず動き出す。そして当たり前のように、ベッドへと腰掛けた。
どうやら今夜はこちらに居座るようだ。アクレミアは頭が痛くなるような感覚を覚えながらも、成り行きを見守る。
「ルルちゃん、アクリーって意地悪なのよ? ママをママとも思わないの。たぶんおっぱい大きく産んであげられなかったから怒ってるのね。まだ根に持ってる顔してるわ」
メーロンがルルワの手を取り、自陣へと引き寄せる。
まるで仲間を作る様に。
「お母さま、流石にそんなことは……してるわ」
「してるの。この世の全てを平らにするような目をしてるわ」
そんな二人を、アクレミアは対岸から眺めた。
仲間ではない、二人を。
「アクリー、憎しみは何も生まないわ。話なら聞いてあげるから」
「おいで。わたくしの胸の中で、荒んだ心を癒して差し上げます」
(こいつら……殺そうかな)
アクレミアは親の仇でも見るような目で、二人の顔を眺める。
厳密には、その顔の僅かに下を。
メーロンのものは、まさにメロン級だ。いや、下手をすればスイカかもしれない。ルルワもその遺伝子を遺憾なく引き継ぎ、小玉メロンは確実。この年で中玉メロンにも届くかという胸囲は、まさに脅威であり驚異だ。
だがアクレミアだけが、なぜかその血を受け継がなかった。別の母親の子なのではないかと疑ったことは、一度や二度ではない。正直今でも疑っている。なぜなら、この二人とは全く反りが合わないからだ。
「それでそれで! 何の話をしていたのよ! このわたくし抜きで!! 何の話をしていたのか言ってみなさいな!!」
メーロンがルルワの肩をゆする。
その度に、ぶるんぶるんと揺れる塊が、計四つ。アクレミアは汚いものでも見るように冷ややかな視線を送る。
もぎ取ってやりたいと常思うが、流石にもう諦めた。それは、彼女がここにいることも。
こうなっては、もうどうすることもできないと。
「あの……好きな人の、話なんだけど……」
「きゃああっっ!!」
まるで10代の少女のような反応。
いや、10代でももっと慎み深いだろう。現にアクレミアは違う。
若々しい外見も相まって、その辺の村娘のようだ。決して一国の王妃とは思えない。
それに対し、ルルワも真っ赤に顔を染める。
あまりに初心すぎる。それは女と言うより、少女の顔だった。
「ルルちゃんにもついに春が……ママ安心したわ。ルルちゃんその年で仕事人間みたいだったから……。私は今は仕事が楽しいからって男を一切寄せ付けないで、婚期を逃がす40手前バリキャリ女みたいになりそうで、わたくし心配だったの……」
「リアルですね……」
凄まじくリアルだ。
ルルワはこれまで勇者の務め一筋だったので、本当に恋愛そのものに関心がないようだった。ただメーロンの描く未来と違うのは、ルルワは必ず誰かとは結婚しなくてはならなかったこと。
まあ結果にそこまでの違いはないだろう。その未来であったとしても、義務的に結婚した夫も子もほったらかしにして、彼女は変わらず戦っていそうだ。
だが、もうそうはならない。
運命は、変わってしまったのだから。
「それで、もう想いは伝えたの? 片思い? 脈はありそうなの?」
「…………」
恋バナ。
女は共通して好きなものではあるが、アクレミアは正直興味がなかった。
そう言う意味ではルルワと同じく、彼女も冷めていたのかもしれない。いや、諦めていたのだ。
自分の人生に恋などないと、諦めていた。本気になっても、意味がないと。
アクレミアは、ルルワと同じだった。
「つ……付き合ってる」
「ええええっっ!?」
しかし、変わった。
ルルワがそうではなくなったから。
彼女は、変わってしまった。
「凄いじゃない! なんて手の早さなの! 流石はママの娘!!」
メーロンは飛び跳ねるように喜び、ルルワを抱き寄せる。
本当に嬉しく、本当に誇りに思っているようだった。そしてなぜかアクレミアまで引き寄せられ、一緒に抱きしめられる。
アクレミアは頬に当たる駄肉を憎々しく思いながら、されるがままに身を委ねた。抵抗しても無駄だから。
「そうよ! 女は狩人なの! 男という弱い生き物を狩る強生物! 血に飢えた獣! それが恋する女よ!!」
相変わらず、凄い持論だ。
絶対に同じ血は流れていないと確信できる。そして、ルルワには流れているとも。
「いざという時はパパとママの権力を使って男の首を縦に振らせようと思ったのだけれど、その必要はないようね! ルルちゃん凄いわ!!」
「職権濫用……」
「違うわ、これは愛よ! 国を敵に回す覚悟があるのかって問うの! 親として当然のことだわ!」
「脅迫……」
あまりに身勝手だし、勇ましいことこの上ないが、相手を聞けばそんな悠長なことは言っていられなくなるだろう。
一国の権力に屈するような男でもなければ、国を敵に回して大人しく死んでくれるような男でもない。
ルルワが堕とした男の正体を聞けば、きっと笑えなくなるはずだ。
「それで、どちらの家の殿方なの? いえ、どちらの国かしら?」
「「…………」」
その時が来るのは、意外に早かった。
純粋な興味によるメーロンの問いに、ルルワとアクレミアは揃って口を噤む。
「…………わたくしにはまだ内緒? パパに止められたりしてる?」
「いえ……」
別に止められてはいない。
もちろん超極秘事項ではあるが、ムメイにばらすよりはまだいいだろう。メーロンが国に不利になる様な事をするとも思えない。
そしてメーロンは、こんな感じではあるが、察しが悪いわけでも頭が悪いわけでもなかった。
アクレミアたちの反応から、政治的な約束事があるのだと見做したようだ。
まあ自然だ。そもそもルルワが交際できる相手となれば、対象は大貴族か王族に絞られる。彼女も相手は十中八九、自国の貴族か、他国の王族と思っているようだ。
「…………」
ルルワは、言葉にできないようだった。
メーロンの無垢なる期待が、重いのだろう。だからこそ、否定されるのではないかと。
これについても、自然だ。
吸血鬼に因縁あるこの国で、吸血鬼と付き合っている。それも、勇者であるルルワが。
まともな神経では口に出来ない。祝福してくれる者などいるはずがないと、分かっているのだから。
彼女はアクレミアから見れば、自分勝手のくせに妙に真面目、強気な癖に弱いので、こういった中途半端な姿勢になる。
それも含めて人間的なのだが、そのはっきりしない姿勢には正直うんざりだ。いつまでもウジウジするなとさえ思う。これ以上周りを振り回すなと。
(こんな方じゃなかった……)
それが羨ましくもあり、憎らしくもある。
やはりそれは、同族嫌悪なのかもしれない。
「…………うそ」
それは母の勘か、それとも女の勘か。
ルルワの気配から、メーロンは答えに自力で辿り着く。
もちろんそこには、理論的考えも含まれているのだろう。
ルルワがここまで言いにくい男。ダソスに再来した吸血鬼。
タイミング的にも、それを繋げない理由はない。
ただ、信じられない。
普通の人間では、やはり飲み込めない。信じられるはずがない。
だが――
「ルル……凄いわ」
「「っ!?」」
メーロンは、疑わなかった。
娘の恋を。娘の恋心を。
「本当に凄い。偉い偉い」
「…………」
不安に揺れる娘を、体ごと抱きしめる。
そこには、母の慈愛と、同じ女としての――絶対的敬意があった。
恋する女への、惜しみない敬意が。そして――
「素敵な恋をしているのね。母として、女として、あなたを誇りに思います」
吸血鬼と勇者。
化け物と人。
世界に望まれぬ禁断の恋を――
祝福した。




