第103話 玉を磨く(2)
「――ぎゃああああっっっっ!!」
室内に、絶叫が轟く。
銀世界で踊り狂うは、一匹の吸血鬼。
まるでこの世界は己の居場所ではない。そんな葛藤と渇望が、その姿には現れている。
世界からの脱却を絶えず志す吸血鬼に向かい合うのは、一人の男。
吸血鬼の天敵たるその男は、ただ呆然と、その光景を眺めていた。
男が生み出した暴力によって、苦しむ吸血鬼。
そう、吸血鬼は――
「あっつ! あつ! 死ぬ! 死ぬってこれぇ! カロスぅぅっっ!!」
吸血鬼は、燃えていた。
「何をやっているんだ貴様は!? 私の預けた信頼を返せぇ!!」
「信頼ってどれ!? 『流石だ……だがその理解に実力が伴うかな?』、『いいね……見せてやるよ』――のこと!?」
「違う!! 『いいね……そうこなくっちゃな』、『…………いい度胸だ』――の方だ!! 貴様、何度私に恥をかかせれば気が済むんだ!! もうそのまま死んでしまえ!! いや、ここで殺してやる!!」
カロスは激怒した。
「上等じゃねえか!! かかってこいやこの童貞野郎がぁ!!」
「貴様が言うなぁぁっっ!!」
ここに、300年の童貞を経て魔術師となった男と、20年の童貞で魔術師へと上り詰めた男が、相対する。そして――
男と男のプライドを懸けた、決して負けられない闘いが――
今、始まる。
(――なんてことには流石にならなかったか。こいつの場合、普通にあり得そうだと思えるから恐ろしいな)
そちらの未来も普通にあり得そうだと思ってしまうようなふざけた空気感。しかし、仮にそうなったとしてもなんとかなりそうな不思議な安心感も併せ持つ男。
一言で言えば、掴みどころがない。カロスから見たムメイは、そんな男だった。
しかし――
(…………見事だ。もう驚かんがな)
目の前のムメイは、違う。
そんなカロスの馬鹿げた未来を、その男は容易く裏切った。
(抵抗力、反発力は申し分ない……ただ、力技だ)
上へ向かう炎を、上から押さえつける。
玉の中の炎の歪み方を見ても、まるで押し潰されているようだ。
肉体の外へと絶えず拡散、放出する雷の力に抵抗していた時も同じだった。莫大な魔力で無理やり押さえ込む。まさに力技。
本来あの常軌を逸した魔力量を初見でなんとかできるだけでも凄まじいことではあるが、やはり粗い。技術とは対極の姿だ。経験者には一目で見破られる。
(まずはこいつの中にある魔力へのイメージを確認したかったが……ごく一般的だな)
上へ向かう性質なのだから、上から押さえつければいい。
誰もが最初に頭に思い描く。ごくごく平凡な思考。
しかし奇をてらわれるよりはよっぽどいい。魔力への感覚は同系統の素質を持つ術者でも、その実態は微妙に異なる。
そのイメージまで遠ければ、さらに理解から遠くなるのは道理。『上に向かう? じゃあ下から引っ張るか!』とかだったら、正直カロスも困っていた。魔力に対しそういった変わった考え方を持つ者も、案外少なくはないのだ。
(本来ならこの段階でしばらく様子を見るのだが……)
これは初歩中の初歩であり、第一段階だが、だからこそやはり最も重要な工程であることも確か。基礎を疎かにすれば痛い目を見るのは、別にこの修行に限った話でもない。むしろ一般常識だ。
本来であれば、元素の性質へと対抗するこの訓練だけでも、一か月はかけるのが普通。それはやはり一般的な目安でもあり、先人たちが定めてきた遵守すべき術師のルールでもある。
しかし――
『いいね……そうこなくっちゃな』
「それでいいと思っているのか? 何のために修行をしている」
「!」
カロスが声をかけた瞬間、ムメイの魔力が乱れる。
意識が、一瞬よそ見をした。その僅かな隙にも、炎は変化する。
「くっ……!」
だが即座の修正によって、事なきを得た。
これはムメイの過失というより、慣れてない者にはよくあることだ。全く新しい技術に触れる時、人はかなりの集中力を要求される。だからこそ僅かでも集中が乱れれば、取り返しのつかない失敗となる。
ムメイはよく軌道修正できた方だ。普通ならそこで終わりだっただろう。
カロスはそれも分かっていた。だからこそ、甘やかさなかった。
「貴様は何のために修行しているのかと聞いたんだ。殴って言うことを聞かせればそれで満足か?」
「…………」
ムメイの視線と意識は、変わらず玉へと向かっている。
だが気にせず、カロスは畳みかける。
「それは炎ではない、雷だ。常に実戦をイメージしろ。この瞬間を乗り切るためだけに、生きてはいないだろう?」
「……………………」
カロスの挑発は、かなり効いたようだ。ムメイの顔つきが変わる。
当然だ、カロスは効くと分かって発破をかけたのだから。
ここまで時間を共にすれば、流石にムメイがどういう男かくらいカロスにも分かる。
今この瞬間だけ良い思いができればそれで満足なのか。お前はその程度の男なのか。
馬鹿みたいな挑発だが、プライドが高く、負けず嫌いの男にはこれが意外とよく効くのだ。なぜわかるかと言えば、カロスもそうだから。
(凄まじい集中力……素質は十分)
炎は少しずつ形を変え、下から上へと。
上に行き過ぎない。かといって下に押さえつけ過ぎない。その絶妙な力加減を目指しているのがよく分かる動きだった。
つまりムメイも、この力技では修行として全く意味がないと悟ったということ。しっかりとした目標と明確な理想像が定まっていなければ、こんな動きにはならない。プロであるカロスの目には、それこそ一目瞭然だった。
(いいセンスだ。ここにきて番狂わせもないか……)
センスで言えば、まさに一級品のものを持っている。
ただ、魔力感覚ほどではない。
己の魔力量を正確に捉える技術に関しては、ムメイは超天才と言えるほどの才能を有していた。
おそらくは、このパンガイア大陸を見渡しても唯一無二の才。カロスはそう確信する。
ただこの元素魔力への干渉という分野では、やはりその才能は凄まじくも、一般的な域に収まった。
この程度の才能ならば、その辺にはいないが、国に一人はいる。
なぜなら現に、ここにもう一人いるから。
(センスは私より僅かに下……ただ自系統に近いとはいえ雷ではなく火という点を鑑みると、同程度と考えていいだろう)
カロスはこの工程は、ムメイと同じく初日、どころか即座にクリアした。
その日のうちに火を広げる、形を変えるなどの操作まで行えたほどだ。
自分で言うのもなんだが、これほどのセンスを持つ者は滅多にいない。
ただこの初動の動きを見た限りでは、ムメイはまだその域にはいない。
安定させる二段階目で留めておくのが堅実だろう。三段階目、形を変えろと指示すれば、おそらく炎は玉から飛び出す。
(こいつはこれまで成功体験ばかりしてきている。一度失敗させるべきか? いや……)
それでセンスがないと、肉体に勘違いされても困る。
ムメイ当人の人格が受け入れることはできても、術師の精神にしこりを残す可能性があるからだ。
信仰心を糧とする天術師も、欲望を糧とする魔術師も、最も重要となるのはやはり精神。この在り方によって術者の在り方も変わると言って過言ではない。
恐らくムメイの強さの秘密は、その精神性にあるとカロスは睨んでいる。ならばやはり、その部分への配慮は必須。
むしろカロスは教師として、この炎に上手く薪をくべる必要がある。
(意図的な過誤は逆効果。それに感づかれないとも限らない)
この尋常ならざる集中力は、冗談ではなく、一度でもミスをすれば死を覚悟しているのだろう。そういう男だ。
ただの修行と見做していない。常人なら理解に苦しむような所業だが、裏を返せば、この程度のことにも本気で命を賭けられる男。
思惑があるとはいえ下手な干渉をすれば、その覚悟を軽く扱っていると見做される恐れがある。それは延いては、カロスの価値を下げかねない行為だ。
(死んでも御免だな。それくらいなら、死んだ方がマシだ)
こいつ、意外と大した奴じゃないんだな。この程度のことにも本気になれないんだ。
ムメイからそんなふうに見切りをつけられるのだけは、カロスは本当に御免だった。それくらいなら自ら死を選ぶ。生き恥を晒すわけにはいかない。
『私は動かない』
この気配、ムメイは朝までこれを続けるようだ。
カロスが時間を測る術道具を用意したことで、持続力も測っていると察したのだろう。それが当然というような気配さえ感じる。
そしてカロスは、動かないと言葉にしてしまった。
ならば――
(いいだろう……見届けてやる)
カロスも、改めて腹を括る。
もしムメイが失敗すれば、共にその炎を被る覚悟を決めた。
***
(なんという持続力だ……初日でこれほど続けられる者はそうはいまい)
修行開始から、既に三時間が経過していた。
深夜を回ったくらいから始まったので、時刻はやはり3時過ぎといったところ。
その間、ムメイの制御にはほんの僅かな狂いすら見られなかった。
(なるほど、アンデッドには疲労がないからか。体力消費を考える必要がない)
人間では最高でも90分程度とされる極限の集中が、理論的に無限。
肉体の疲労がないため、本人の意思力次第でどれだけの長時間でも続けることができる。
知性を持つアンデッドの強みを、カロスは初めて心から理解した気がした。
(そろそろ私の方が疲れて来たな……)
当然カロスは人間であるので、疲労がある。
ただ立っているだけとはいえ、その場から一歩も動かないというのは、やはり精神的にしんどかった。
しかし、動くわけにはいかない。
約束したのだ。心意気に付き合うと。
「…………これをクリアしたら、次は形態変化か?」
「!」
そんな時口を開いたのは、意外にもムメイだった。
彼は相変わらず玉の中の炎を見ながら、カロスへと語り掛ける。
「ごめん……思ったよりしんどくて。お喋りしても良い?」
「…………いいだろう」
このタイミング。
偶然か意図的か、その変わらない表情からは読み取れなかったが、カロスは頷く。
口を開きながらできると本人が言うのであれば、これを止めるほど厳しくはない。むしろ意識が分散することで難易度は増すので、良い修行だ。
「貴様の問いだが、その通りだ。ただ分かっているとは思うが、現状先に進ませるわけにはいかない。少なくとも一週間はこれを続けることになるだろう」
「うん、分かった」
(素直な奴だな)
普通これほどのセンスを持っていれば、もっと調子に乗ってもおかしくない。
どんどん次へ行こうと。
それ以前に、一週間ただ同じ作業。普通の人間でも不満を感じざるを得ないメニューだ。だが、即答。
基礎修行の大切さをよく分かっていなければ、この態度にはならない。そしてなにより、教師の力を信じていなければ。
「ただ風の方も同時に進めたいんだけど……どう思う?」
ただ思うことが全くないわけではないようで、ムメイは提案する。
やはりあくまで、それは提案に留まるが。
「風は火とは全く異なる性質だ。並行すれば、せっかく覚えた感覚が無に帰す可能性もあるぞ」
・ 風
性質:軽い・広がる・見えない。熱 + 湿
象徴:伝達・霊。運動・拡散の原理
本質: 境界を越えて拡散する力。コスト軽いが拡散して威力低い
火と風は、四元素の中では比較的近いとはいえ、やはり勝手は全く違う。
並行して修練する話など聞いたことがない。
それ以前に、二兎を追う者は一兎をも得ず。一つに集中して修行した方が、やはり効率は遥かに良い。それが分からないムメイではないだろう。
「だからだよ」
「なるほど……」
だからこそ、修行になると。
いや、その程度できなければ別元素の同時制御など夢のまた夢だと、そう言いたいのだろう。本当に良い度胸をしている。
かといって夢見がちな過信ではないのが本当に凄いところだ。
リスクが大きいことは承知している。そのうえで、やらなければならないと。
「意気込みは買うが、その分野の専門家がいなければ流石に頷くことはできない。当てはあるのか?」
「ナアマが風の元素魔術師なんだ。話はもう通してある」
「なるほど、織り込み済みというわけか」
それも込みで師事を依頼したと。
確かにこの条件なら、<赤き月>の面々をただの見張り役としておくのは非常に勿体ない。
これはダソスにとっても願ったり叶ったりだ。
「いいだろう。しかしナアマと、私の二人が立ち会うことが絶対条件だ。私の目がない場所で勝手にやることは許さん」
「約束する」
ムメイは即答する。
そして一瞬だけ、こちらへと視線を寄越した。
「いい機会だし、腰を据えて話したいんだけど……いいかな?」
「…………」
その姿は、カロスの顔色を確認したように見えた。
そして、腰を据えるという発言。
意図が分からない程、カロスの察しは悪くない。
「…………いいだろう。その様子では、お喋りもできるようだしな」
「キィ……キィ……」
「買いかぶりだったようだ」
カロスは水を手に持つか迷ったあと、ムメイのすぐ横へと腰かける。座るという行為は対等と己を納得させられるが、水分補給となると話は別だ。
同じ覚悟で修行に臨むと銘打っている以上、カロスのプライドが許さない。
ベッドに腰掛ける一瞬、アクレミアからの弄りを思い出すが、意識する方がおかしいとムメイの隣へと並んだ。
それからそう間をおかず、ムメイは語り出す。
当然だが、彼に気にしているような素振りはなかった。
「前に根源魔術師の四大属性についてアワンから教わった時、水は最難関と聞いたことがあるんだ。本当なの?」
「ふむ……」
修行に沿った内容。
だがその語りぶりから、用意していたことが伺える。
「結論から先に言えば、それは真実だ」
カロスは玉の中の炎の様子を一度確認してから、語り出す。
「四大属性の中でも、水属性は最難関に位置する。元素を直接操る元素系魔術師に至っては、他とは桁違いの難度だ」
まずは結論から。
だがこれだけの説明で満足するほどカロスは教師甲斐がないわけではないし、これだけの答えで納得するほど、ムメイも生徒甲斐がないわけではない。
「火は最も変化しやすいと教えたな。ならば最も変化させにくい元素はなんだと思う?」
「俺は土だと思ってたけど、その言い方だと違うんだな」
「察しの通りだ。水は最も形態変化が難しい元素とされる」
少しでも思考できるよう質問形式にしたが、ムメイにはあまり意味が無さそうだ。
なぜなら、質問の傾向だけですぐに答えに至ってしまう。そのうえで、さりげなく自分の考えを相手に伝える巧さまである。
土は固く、基本固定されているから変化させるのが難しいと考えていたのだろう。それをわざわざ答えに入れ込んだということは、裏を返せばそこの説明をして欲しいという要求とも取れる。
(頭の良い奴だ……)
こういった何気ない会話に、知性が光っている。
凡人ではそれの何が凄いのかも気づけないだろうが、だからこそカロスには分かった。
「なぜなら、水は絶えず勝手に流動するからだ。形を持たないからこそ、自ら形を持とうとする。これを制御するのは容易ではない」
「なるほど……他3つのように、ワンパターンじゃないってわけか。要は火も土も風も、一つ試練を乗り越えればその後は成功が保証されるのか」
「その通りだ。風は拡散する性質のため、一点に威力を集約させる必要がある。土は形を保つ性質のため、その固さを上回るパワーがいる。だがここさえクリアしてしまえば、応用は難しくない」
だが水の動きだけは無尽蔵で、そのパターンを理論的に捉えるのは凡そ不可能とされている。
変化するからこそ、逆に術者が変化させるのは難しいというわけだ。
「でもおかしくない? なんでそんなのが基本四大元素の中に入ってんの?」
「最大の理由は、適性を持つ術者の数が最も多いからだ。突出している」
水は術者全体の3分の1を上回り、火は10%を切る。
水の次点が土となり、その右に風が並ぶ。
つまり雷の力を得たことにより、逆説的に適性があるとされたムメイの火と風は、適合者の少ない二つとなるわけだ。
まあそれらは、術師の力量にはほとんど関係ないのだが、珍しいことは確か。
「そして、生成自体は水が最も簡単。これらは生物の身体に水分があるからと言われている。持って生まれるものだから、この世の根源にも干渉しやすいのだと」
「…………面白いな」
適量の水を生成するのは、適性を持つ術師ならば比較的簡単だ。
他三つをこの世に生み出すことと比べれば、その難易度は簡単すぎると言える。これは水を生み出す生物自体が、水で出来ているから。それが一般的な考えだ。
生成した水は飲み水としても使えるので、水魔術師の存在は案外馬鹿にできない。言うまでもなく、生物の命の源だからだ。
「初心者なら最も簡単なのが水。その点に限って言えば、むしろ火の方が難度は高い」
「最低でも、高すぎる出力を制御できるだけの魔力量が要求されるからだな?」
「貴様は本当に理解が早いな」
「常時賢者タイムだから」
「黙れ、殺すぞ」
「はい」
ムメイの言うように、火は人が扱える力以上の威力が勝手に出てしまう。
それは初心者でもだ。だからこそ、初心者には扱うのが最も難しい属性とされる。
「だがそこさえクリアしてしまえば、後は比較的容易だ。一歩間違えれば自滅だが、正しき師が立ち合えばそれも問題ない」
「え? こいつさりげなく自慢してね?」
「この程度は当然の対価だろう。それとも、もっと借りをつくりたいか?」
「キィの音も出ないよ。なんか俺、最近キィって言えてないような気がするから、ここで消費させてくれ。需要満たさなきゃ」
「誰の?」
少なくとも、カロスが求めていないことだけは確かだ。
それに、キィも出ている。ツッコミどころが多すぎる。
「ちなみに四大元素で最強と言われるのは何だと思う?」
「火だろ? ピーキーな仕様とはいえ、ちょっと強すぎるよな」
流石に分からないはずもないか。
それどころか、ムメイは不満、いや不平を抱えているようだ。そう思ったからこそカロスは口にしたのだが。
「貴様の感覚は間違っていない。だがこれにもちゃんとした理由がある」
「言ってみろよ。だがこの俺が簡単に納得すると思うなよ? 揚げ足取りと言いがかりは大の得意なんだ」
「教わる立場とは思えんな……」
カロスはぼやきながらも、ムメイの手元を確認する。
これだけ複雑なやりとりをしながら、ちゃんと制御できている。大したものだ。
「火は、環境にないんだ。水も、土も、風も、その気になれば環境から見繕うことができるが、火だけはない」
「…………」
ムメイのふざけた空気が、静かに霧散する。
集中して聞きたい内容であると、その気配が示した。
「だから世界がバランスを取り、火の威力を高めているとされる。水は世界の70%以上を占めるからこそ、逆に精密な操作は難しい」
風は世界全体を漂っているが、密度が限りなく低い。
それを武器として扱える質量とするには、かなりの技量が要求される。
土は、知的生命体が住む場所では最も多いが、やはり固定された形を変える技術が必須。
だが自然界にある大量の水は、一方向に動かすというシンプルな操作だけで必殺の武器にすることが可能。世界の恩恵を借りやすいからこそ、逆に操作難度は最も高く設定されている。
「基本、大量の元素を一から生成するのは一律で難しいが、水は量が増えるほどこの難易度も比例して高くなる傾向にある」
「…………」
ムメイの視線が、こちらに集中していることを感じる。
「だから大量の水を自ら生成、さらにそれを自由自在に扱える者が仮にいたとすれば……それは化け物だ。少なくとも、私は見たことがない」
恐らく常人では決して辿り着けない領域だ。
そんなことができる者がいたとすれば、それはムメイと同等の才能有する怪物だろう。
「貴様の雷の力は、無尽蔵だと言ったな? 本来それはあり得ないことだ。元素をこの世に出現させる工程も丸々省いている。悪いが、仮に通常の方法で目指していたとしても、到底この領域に辿り着けたとは思えない。貴様でもな」
「そうか……そう言ってもらえると安心するよ」
<月夜見>という能力の異常性、異質性を訴えたことは、正しく伝わったようだ。
あの力は世界の法則を歪めている。術者があるべき姿、過程を無視しているのだ。
命懸けの覚悟は、決して無駄にはなっていない。その事実を、カロスは正しく、感覚ではなく言語化して伝えたかった。
視線の交錯は、すぐに終わる。
ムメイの視線が妙に生暖かい気がして、先にカロスが目を逸らした。
「それにしても……いやー凄い。ほんと凄いわ。誰が考えたんだろこのバランス。やっぱ神様とかいるのかな?」
「考えた? 世界とはそういうものだ」
「ああ、そっか。そうだよな…………」
ムメイは思い出したように取り繕う。
そして、すぐに話題を逸らした。その一瞬だけは珍しく、余裕がないことがカロスにも分かった。
「いや、ケインって凄かったんだって思ってさ。不良系悪人顔王子様。土属性だと思うんだけどさ、コロノス領丸ごとひっくり返したんだぜ?」
ムメイの突然の話題替えに、カロスは違和感を持ちつつも、受け入れる。
別に一々触れるようなことでもないと思ったからだ。
「ケイン・ブーノスか。奴は確かに天才とされるが、流石にそれは語り過ぎだ」
「本当だってばよ! 回復しに行く時現場も見たし、ほんと凄かった」
カロスは黙って詳細を聞く。
ムメイが語った内容は、カロスをして信じられないものだった。
土属性の元素系特化、さらに自然環境にある大地を限定対象とした操作系と仮定しても、信じがたい威力だ。
ケインは先の戦いで壁を越えたと聞く。ならば相手は少なくともレベル50以上。短時間で決着をつけるにはしんどい相手だ。何か種がある。となれば――
「十中八九<混沌術>だろう。何らかの奉献と、ファウスト契約を交わしていると見た」
発動さえしてしまえば必殺というレベルの威力。
仮にカロスが相対したとしても、その条件下で勝てるとは到底思えない。
それほどの切り札。
ならば、その正体は<混沌術>しかあり得ない。
ただ、己の欲望と術系統がよほど合致していなければ、それほどの威力を引き出すことはできないだろう。一都市の大地を丸ごと操作するほどの規模の力は、聞いたことがない。
おそらくは、かなり限定的な条件を交わしていると思われる。時間か、回数制限か、それとも場所か。
相手はそれを読み切ることができず、切り札を発動させてしまった。これに対処するには、ケインが何らかの条件をクリアする前に片を付ける必要がある。
(それにしても強いが。それとも、相手がよほどマヌケだったのか?)
毒の脅威はコロノス領を覆い尽くしていたという。それも、12使徒の能力。
そんな状況下で勝利をもぎ取ったケインは勿論すごいが、だからこそ明らかな格下に負けた相手は恥ずかしい。
まあ実際は逆で、ケインの方が術者として遥か格上だったということなのだろうが。なんにせよ、これからの人類に欠かせない英雄であることは間違いない。
カロスは静かに別の地の英雄へと敬意の念を抱くが、隣の男は別の人間に敬意を持ったようだった。
「凄いな……聞いただけでそこまで分かるんだ」
「分かるに決まっているだろう。同レベル帯ならなおさらだ」
ムメイの純粋な賞賛を、カロスはお世辞として受け取る。
むしろここまで話を聞いて見抜けない方が術者として致命的だと。カロスには宮廷魔術師――ダソス一の魔術師としての自負がある。
そこには、馬鹿にするなという感情さえあった。それに――
「それと貴様。他人の手の内をおいそれと明かすな。マナー違反だ」
「あ、ごめん。友達だから大丈夫かと思って」
「…………」
それはケインが友達だからなのか、カロスが友達だからなのか、判断に困る言い方だった。
カロスは前者として受け取る。二人の思惑はすれ違う。
「それにあいつ不良のくせして超美人な彼女いるし、何よりイケメンだし。ムカツクからいいかなって」
「貴様……本当に友達か?」
どこまでも、すれ違った。




