第101話 月は満ちる
『ルルワは嫌なら嫌って自分で言える。そんなことで俺に助けを求めるほど、弱い子じゃないよ』
「――お前如きが何やったって落とせるような女じゃない……か。かっけー……」
トバルが好色であることは、牢に入れられた経緯を聞いて知っているはず。
そのうえで、お前がこましてきた女たちと俺の女を一緒にするな、と。
要は、通りすがりのナンパ男なんか俺たちの恋の障害にはなり得ない――というわけだ。別に一々騒ぐようなことではなく、それこそ女一人で容易く撃退できる程度の脅威だと。
女を100%信頼していなければ、出てこない言葉だ。
これほど女を尊重し、その力を信じている男には会ったことがない。
それでいて他者の意見に耳を傾ける柔軟さも併せ持っている。
普通他人から偉そうなことを言われれば、それがどんな内容であれ耳障りなものだ。デリケートな男女関係に関しては特に。客観的に見れば、トバルの言葉は完全に空気が読めていないものだった。
プライドが高いだけの頭でっかちでは、到底受け入れることはできないだろう。それが潔くアドバイスとし、思い立ったら即行動。
どう贔屓目に見ても格好いい。現に、お節介を焼いたはずのトバルの心まで一瞬で掴まれてしまった。
「愛されてるなぁ……それに、大切にされてる」
仲良く手を繋いで会場を出ていく二人の背を、トバルは見送る。
若き男女のこの先を、心から祝福しながら。ちょうどそのタイミングで――
「おう」
「おう、なんだよ? 口説かれにきたのか?」
入れ替わる様に、ナアマがやってきた。
予想できたことではあるので、トバルは快く迎え入れる。
「馬鹿言うな。あたしにだって選ぶ権利はあるぜ」
「俺にもあるね」
トバルの片割れ。
双子の兄妹は、まるで自分の分身のような安心感があった。
ナアマは引いてやった椅子に座ると、悪戯っぽい笑みをこぼす。たぶん、トバルも同じような顔をしていることだろう。
「で、あの二人はどうだよ?」
「ロマン童貞とメルヘン処女」
「なんだ、相性いいじゃん」
「どうかな?」
トバルは気分をよくし、酒を流し込む。
こんなにうまい酒は中々飲めるものではない。今日は最高の夜だ。
「高潔と綺麗は違う。近いからこそ、なおさらな」
あの二人の距離は、近いようで遠い。
目に見えているし、すぐそこにある。ただ、手は届いていない。
その情景が、情緒が、いっそ美しく感じられるほどに。
「あっちにはこういう男でありたいっていう高い理想がある。その理想がちょっと良すぎるもんだから、女の方は気が引けている。本当に自分は、この男と釣り合ってるのかってな」
「世間から見れば、どう考えたって男の方が釣り合ってないけどな」
「間違いない。ただ恋愛は民主主義じゃない」
確かに世間的に見れば、あの二人は世界で一番望まれていないカップルだ。
野獣ですらない害獣と、世界の希望、そして未来。
ただナアマが言っているのはそれだけではないだろう。普通に男と女として見ても、全く釣り合っていない。
男の容姿はどう贔屓目に見ても平々凡々。背も普通、顔も普通、金なし職なし何も手にしていないただの男――以下の吸血鬼。
かたや容姿端麗、血統書付きの王女様、選ばれし勇者、文句なしの世界一の美女。
容姿が、身分が、価値が、明らかに違う。全く釣り合いの取れていないカップルだ。
だが男女の関係には、実はそんなものは一切関係ない。
どこまでいっても、二人の問題。外野は関係ない。
「ムメイは良くも悪くも、自分が釣り合っていないとは全く思っていないようだ。なぜなら、ルルワが選んだ男だから。そこには女が自分を選んだという絶対的な敬意がある。自分でその価値を下げるのは、それは逆に女の顔に泥を塗る行為だと」
「なるほどロマンね……良い男じゃん」
まさにロマン男だ。
それをナチュラルでやっている感じ、高潔すぎる。同じ男としては、もっと下種でもいいと思えるほどに。
「ただやはりそうなると、女の方は気後れする。模範解答のような良い男は、女を疲れさせるからな。あの子は真面目だから、真っ直ぐに向き合おうとし過ぎるんだ。男が逃げないタイプってのもタチが悪い。その背中を追いかけるのが、その生き様に倣うのが、恋人として正しいことと思いこんでしまう。そのせいで、実態以上に差を感じてしまう悪循環。それら不安が行きつくのは、最悪の答え……」
「もしかして、自分は大して愛されていないんじゃ……って? 可愛いなー」
「ああ、可愛いね」
本当に可愛い。
これほど真っ直ぐに愛し合っているカップルも、今どき中々いないだろうに。
トバルからすればちょっと痒くなるような大恋愛だ。だからこそ酒が進む。
「考えられねーあの容姿で自信無くすことあるんだ。おっぱいも凄いのにな」
「ほんとだよ。俺ならおっぱいから片時も手が離せん。あいつ実はついてないんじゃないか?」
「てめえの竿でも握ってろよ」
「握ってる」
そしてトバルにはやはりついていた。
切り落とされそうになるような危機をいくつも乗り越え、今も尚立派に一人立ちしている。
「で、狙うの?」
ニヤリと獣のような笑み。
トバルは鼻で笑い飛ばした。
「馬鹿言うなよ。他人の女だぜ?」
「いまさら常識人ぶるんじゃねえよ。泣かせてきたのは女ばかりじゃねえだろ?」
確かにトバルは、別に男がいようがいまいが関係なく狙った女は落としてきた。
通りすがりの男に口説き落とされるような女なら、長くは続かない。その程度しか愛を語ってこなかった男も悪い。そんな開き直りのような持論を展開しながら。
実際他人の女に手を出すことに関しても、ナアマの言うようにそこまで悪いこととは思っていない。冒険者なのだから冒険して何が悪いのか。探索者だろうが討伐者だろうが同じ理屈だ。だが――
「ダチの女にはちょっかい出せねえよ。兄弟なんだぜ?」
「嘘つけ、ビビってるだけだろうが」
「ははっ……バレた?」
格好つけたが、普通にビビってるだけだ。
あの規格外の強さを敵に回すような度胸はトバルにはない。魔王に喧嘩を売るようなものだ。
悪戯程度なら許してくれそうだが、少しでもマジになろうものならアクセル全開で突っ込んできそうな怖さがある。その時、ハエを追い払うような優しい対応ではないことだけは確かだ。
むしろそちらの方がタチが悪い。ルルワの目に見えないところで速やかに殺されそうなので、女の同情を買うことさえさせてもらえない。
「じゃああたしが狙おうかな……別に文句ねえだろ?」
「おうやれよ。ただ俺にだけは迷惑かけんな。一人で勝手に死んでくれ」
「そりゃ無理だな。ムメイ狙うから」
「殺されるって」
それは本当に勘弁してほしいものだ。
ムメイは罪を犯した一人だけを粛清しそうだが、ルルワはムカツク奴全員に当たり散らしそうな気がする。お前が最初に変なことしたせいだ――とか言って、トバルまで串刺しにされそうだ。
「まあ要するに、ガキの恋愛はもっと馬鹿で良いし、大人の恋愛はもっと汚くていいってこったな」
「なるほどね。高潔だから馬鹿になれない男と、綺麗だから汚くなれない女。どっちが子供かわかりゃしねえな」
「ああ」
この歪みは、どこから来ているのか。
ルルワは分かる。子供ながらに大人顔負けの重責を抱えてきた少女。大人を必要以上に志すのは環境のせいだ。精神的に未熟ではいられない。だから必要以上にムメイを大きく映してしまっている。
ならばムメイは。
300年森にいた吸血鬼。人間との関係値で言えば0歳時のはず。それこそもっとルルワと目線の高さが合ってもおかしくない。
小さなことで喧嘩し、ちょっとしたことにムカつき、頻繁に破局の危機を迎えるような、どこにでもいるような普通のカップル。
これらは悪いことではない。むしろ健全だ。今の関係の方が、よっぽど不健全だと大人なら分かる。
そうなっていないのは、やはりどちらも歪んでいるからだ。そしてその歪みは、ムメイの方が遥かに大きい。
(これは……当たりかもな)
トバルがそう思い始めたところで顔をあげれば、ちょうど目が合う。
それは、あちらもそう思っていたと分かる目だった。
「期待してなかったけど、面白いことになってんじゃん。初めてあんたの口車に乗ってよかったよ」
視線が、交錯する。
「ああ……吸血鬼と勇者。2000年前と同じだ。時代が変わるぞ」
***
『どこか、二人きりになれる場所はない?』
ムメイに手を引かれ連れ出されたルルワだったが、立場はすぐに逆転した。
当然だ。ムメイは城内についてほとんど無知。ルルワが場所を見繕う必要がある。
夜空を見ることができて、二人きりになれる場所。ルルワが選んだのは――
「ここは?」
「私の……部屋……」
「…………そうか」
唇が、震える。声に出せ、言葉に出来たのが奇跡だ。
顔は当然のように熱く、体まで震えてきた。もはや暑いのか寒いのかもよく分からない。
(手汗……大丈夫かしら。大丈夫よね?)
ベタだが、誰もが気になるからベタなのだろう。
ルルワは意味もなく繋がれた手を確認し、その後、ソロリと隣の男の様子を伺う。ムメイの反応は気になるところだ。
チラリと盗み見た彼の横顔は、やはりいつもと変わらなかった。
ドキドキどころか、何も考えてはいないようなすまし顔。この状況に何らかの感情を突き動かされているようには見えない。
「…………こっちよ」
「うん」
勇気を出して、部屋に連れ込んだ結果がこれだ。少しショックを受けながらも、ルルワは今更かとも思う。ちょっとやそっとのことでは、ムメイの心を動かすことはできない。
ルルワはムメイの手を引き、広い部屋を横切る。
ムメイは珍しい物でも見るようにルルワの部屋を眺めていた。こういった時はあまりジロジロ見ないのがマナーではあるが、もちろんルルワに文句は無い。
というより、何か変なものが置いてないか気が気ではなかった。そして、見つける。
(ベッド……!!)
ルルワの部屋は、寝室とリビングが一体となったオープンスイートタイプ。部屋を横切れば、当然ベッドも目に入ってしまう形だ。
「…………」
「…………」
しかも誰の悪戯か、目的地のバルコニーのすぐ近くにあるため、これではまるでベッドへと誘っているように受け取られかねない。
今夜は一緒にいたい。二人きりになりたい。気が回るムメイなら、ルルワが早合点し、勘違いさせてしまったと思う可能性すらある。
(ま、まずいわ……どうしよ……)
想像もしていなかった罠。
心の準備などできているはずがない。もちろん誘われれば城の頂上から飛び降りるような覚悟で臨むが、怖くないかと言われれば嘘になった。
(いや……いや! そうじゃないでしょ! しちゃだめなんだってば!)
だが、そんな心構えと誘惑を即座に振り払う。
ムメイをこの世界で生かすには、ルルワの血が不可欠。そしてその血は、処女の血でなければならない。ムメイと肉体的に結ばれるようなことは、あってはならないのだ。
――本当に?
「!」
その声は、誰のものだったか――。
分からない。だが、ルルワの声に、似ている気がした。
「ルルワ?」
その声に、別の声が重なる。
ルルワの、一番好きな声が。
「…………ごめんなさい。こっちよ」
それが救いの手のように感じられたので、ルルワはその手を迷わず取ることにする。
こちらが正しい。ムメイが進む道が、正しいのだと。
そう思うと、迷いも誤魔化せた。
「おお……」
名残惜しいが手を離し、両開きのガラス扉を開ければ、二人並んでバルコニーへと。
ムメイの、珍しく感情の色が見える反応に、ルルワは掴みの成功を確信した。今夜のデート場所は、間違っていなかったと。
ここはルルワの部屋でも、自慢の一つ。いや、一番の自信を持っているかもしれない。
ふんだんの大理石を使った広いバルコニーは、物語の産物だ。自分で言うのもなんだが、まさにお姫様がいそうな場所。
繊細な彫刻、薔薇のつたが絡む装飾柵、色とりどりの花々、白亜の空間。ここまで立派なものは早々お目にかかれない。
自分だけの王子様をここに連れてくるのが、ルルワの子供の頃の夢だった。
「凄い……」
空間に引き寄せられるように、ムメイは進む。
ルルワはそこに残った。見たかったからだ。
ここに来てくれた、ルルワの大切な男性を。
「ここで、ルルワは空を見てたんだね」
「…………うん」
振り返ったムメイの第一声は、景色ではなく、ルルワのことだった。
それが、この上なく嬉しい。
黒髪に、白すぎる肌、赤い瞳。
子供の頃、思い描いていた王子様とは、何もかもが違う。
昔のルルワなら、なんで好きになったのか分からないような平凡な男。
だけど、やっぱり――
どうしようもなく、彼が好きだった。
「羨ましいよ。俺の住んでた場所からは、空は見えなかったから……」
「…………」
ルルワがここから空を見上げていた時、ムメイは森の中にいた。
彼に空はなく、ルルワが生れてからこの年になるまで、ずっと孤独だった。
その事実を思うと、切なくなる。迎えに行くのが遅くなって、申し訳ないとまで。
「だけど、今は一緒に見れる」
「!」
沈みかけた心は、再び掬い上げられる。
そこには、ルルワが選んだ男がいた。
ルルワが彼を選んだように――
彼もルルワを選んでくれた。
この世界で見つけてくれた――ルルワを。
「星を見よう……二人で」
「うん」
彼も、もう一度手を繋ぎたかったから。
離れた手が、名残惜しかったから。
そんなふうに思うのは、期待し過ぎだろうか。夢を見過ぎだろうか。
分からない。
ただ、確かなのは――
ムメイは再び手を伸ばし――
ルルワは再び、その手を取った。
***
「――オリオン座のペテルギウス、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン。あの三つの星々を合わせて、冬の大三角形という……」
「いま夏よ?」
「――わけではないから間違えないように気をつけてって言いたかったんだ。話は最後まで聞こうね? 恥をかくよ?」
「ずるいわ! 引っ掛けよ!」
ムメイとルルワは、バルコニーの手すりにもたれかかって仲良く並ぶ。
誰の手も及ばない二人だけの空間で、誰も手の届かない空を二人で見上げた。
「――ていう話を友達にされたことがあったんだけど、実はこれ引っ掛け問題じゃなくて間違い探しなんだよね。正解はペテルギウスじゃなくてベテルギウス」
「まだ続いてたの?」
「最後まで聞こうね?」
揃って顔を見合わせ、クスクスと笑う。
楽しかった。この時間が永遠に続けばいいと、心から願うほどに。
「あれって満月かな?」
「少しだけ満たないんじゃない? ほんとにもうちょっとだけ」
「そうかな? 満ちてるように思うけど……」
「うーん……やっぱりあと少し」
今夜の月は、大きい。
少し手を伸ばせば手が届きそうなほどに、ルルワには大きく見える。
ただ、満月ではない。ムメイには満ちているように見えるようだが、ルルワはほんの少し欠けていると思った。だからあれはまだ、満月ではない。
月は、欠ける。だから、月は――
「なら、あれからもうすぐ一か月ってことか。あっという間だったな……」
「うん……」
本当に、あっという間だった。
濃い一か月だった。ルルワの17年の人生の中でも、間違いなく最も濃密で、大切な一月。
ムメイにとってもそうであってほしい。もちろんアワンにとっても。
そして新しい月も、こんなふうに幸せな時間を過ごしたい。それだけで良かった。
「ごめん」
「え?」
二人して月を眺めていた。
だがその視線が、奪われる。
唐突に謝罪の言葉を紡いだムメイによって、ルルワの意識は地上へと帰った。
「自分のこと、ばかりだったから」
「…………」
正直、何のことか分からなかった。
ルルワには思い当たる節が全くない。
だけど、いやだから――ルルワはムメイの言葉を聞いた。
「強くならなくちゃって、必死だった。それが一番君のためになるんだって、そんなふうに自分を納得させてた」
「!」
そんなことを考えているとは、思ってもいなかった。
確かに月夜見を創造したことや、この国での鍛錬への姿勢から見て、ムメイが強くなることに乗り気であることは分かっていた。
しかし、そこまで必死だったとは。現にムメイは表ではそんな気配は微塵も見せていない。ルルワはただ純粋に強くなることを楽しんでいるのだと思っていた。そういうタイプの男なのだと。
それは、間違っていない。
確かにムメイにはそういった一面もある。ただ人間はそんなに単純ではない。
裏返してしまえば、そこにはただ自分の女を守りたい――そんな男しかいなかった。それだけだった。
「本当に大切なことは、そんなことじゃないのにね。ルルワと笑えなきゃ、この世界で生きてる意味なんてないのに」
「…………」
ルルワを守るために強くなっても、そのルルワが守られるに値する状態でなければ本末転倒。そう言いたいのだろう。
彼が独特な死生観をもっていることは、ルルワも察するところ。
今幸せであることに、彼は重きをおいている。時間は関係ない。
「だから……」
月を見上げていたムメイが、地上へと帰る。
今、ルルワの元へと戻った。
「困らせることになるのは分かってるけど……君のためなら、俺はこの世界なんてどうでもいいよ」
「…………」
それは――魔の言葉だ。
妖しき瞳に、意識が吸い寄せられる。
赤き瞳が、少女を魅了する。
「君が望むなら、今すぐにでも君を連れ去る」
本気の意志が、そこにはあった。
誰にも揺るがされることのない、覚悟が。
ムメイは分かっているのだ。
これから、もっと辛くなることを。
もっと苦しく、もっと生きづらく、もっと不幸な――地獄だと。
これまでは、ムメイはそんなことは言わなかった。
その理由は分からなかったが、今なら分かる。
ムメイはルルワの力を、信じてくれていたのだ。
だけどルルワは、現状でさえ既に追い詰められている。
その心の弱さを、月明かりの元に引き出された。
「…………」
ムメイは、本気だ。
ルルワがもう嫌だ。もう何もかも投げ捨てて楽になりたい――そう口にすれば、本気でここからルルワを連れ去るだろう。
勇者でも、王女でもない。ただ一人の女にしてくれる。ムメイだけの女に。
世界の生末など気にせず、二人だけで。
どこかでひっそりと、永遠の時を。
「…………」
すぐに答えられなかったのは、それもいいと思ってしまう自分がいたからだ。
今になって、アベルの気持ちが分かる。
辛い、苦しい、もう考えたくない。自由になりたい。幸せになりたい。
だけど――
『もう、嘘はつきたくない』
「ごめんなさい」
断る。
ルルワのことを想った、愛の逃避行。その誘いを、ルルワは拒絶した。
自分のために。自分だけのために。
「私は、あなたと一緒にいたい」
「うん」
ずっと嘘をついていた。
誤魔化していた。それを口にすれば、嫌われるんじゃないかと思って。
はっきりさせるのが怖った。だから、濁して、逃げていた。でも――
「この世界で、あなたと一緒にいたいの」
ルルワはまた一つ、自分と向き合う。
世界も、男も、両方手に入れたい強欲な女。
それが、ルルワの正体。
ムメイのように、世界全てがどうでもいいと言えるほどの愛ではない。
その事実を初めて、ルルワは告白した。
「辛いことは分かってる。幸せになれるか、分からないってことも。だけど……」
怖い。
だけど、人は弱いから――
「私は、この世界を救いたい。私も幸せになって、みんなも幸せにしたい」
また、強くなれる。
「…………」
「…………」
自分の幸せも手放したくない。
人々の幸せも手放したくない。
それでいて、男の愛も独占したい。
かといって、自分が決めた男以外と結ばれることも許さない。
欲しい物は全て欲しい。
八歩美人であり、まるで子供の我儘。
そんなルルワの答えに――
「…………そうか」
ムメイは、心から微笑んだ。
「嫌いになった?」
ルルワはひとまず安堵しながらも、未だ不安に揺れる瞳で彼を見上げる。
普通は愛想をつかされてもおかしくない。最低のことを言っている自覚があった。
全てを投げうつ覚悟で愛を届けてくれた男に対して、半端な想いで応えたのだから。だが――
「いや? もっと好きになった」
男に重要なのは、そんなことではなかった。
偽らずに心を曝け出してくれることこそが、男にとって大事なことだったから。
「やっぱり強い女性だったって。俺は間違ってなかったって、そう思えたよ」
「…………」
そんなことはない。
ルルワは弱く、ちっぽけな存在だ。
ただここまできて、ムメイの心が分からないルルワではなかった。
ムメイの中の強さとは、弱くても立ち向かうこと。
強くあろうという姿勢こそが、強さなのだ。だから――
「なら、嫌なことも話していいよね?」
ムメイは覚悟を示した人間には、どこまでも厳しい。
「カロスと、何があったの?」
「…………」
それはルルワが最も望んでいない話題だった。
そして、最も望んでいた話題でもあった。
今じゃなくてもいいのにと思う心と、今しかないという心。
相反する感情も、また人だった。
「彼から何か?」
「会議があったことは聞いたよ。何の話がされたのかも」
「そう……」
ならば、ルルワの結婚云々の話についても聞かされていることだろう。
そのあたりムメイがどう考えているのかも非常に気になるところではあるが、それこそ今ではない。
ムメイはそれらも含めて、もう考えるのも嫌なら全部壊そうかと、そう提案してくれたのだ。
だがルルワがそれを拒否し、辛い道を歩む覚悟を改めて決めたから、ようやくこの話をすることができた。
これほど優しい男を、ルルワは知らない。
これほど、厳しい男も。
ルルワはこれに、全霊で応えなければならない。
「なんでカロスは、森に来なかったの?」
いつもそうだ。
彼は、人の本質を容易く見通す。そこにルルワの心があるのだと、間違えなかった。
「私が……置いて行ったの」
「…………」
ムメイは、黙って聞いてくれた。
上辺だけの優しい言葉など、間違ってもかけない。
だからこそルルワも、話すことができた。
「彼を連れて行くか、アガトスを連れて行くかで意見は割れたわ。宮廷会議ではカロスが優勢だった。それも圧倒的に」
新星であり、これからの人類の未来を担う若手。
アルフレート大山攻略の遠征は、箔付にはちょうどよく、また世界に名前を売りだす機会としても絶好。彼を連れて行かない理由はなかった。しかし――
「アガトスと私が、それを捻じ曲げた。アベルにも話を通し、現場の意見を優先という形で彼の帯同を取り下げたの」
アベルにはそれをひっくり返すだけの影響力があった。
それを王も特に抵抗することなく受け入れ、全ては決まった。
「それが正しいことだと、その時は疑ってなかった。だけど私は、軍務に私情を挟んだ……」
アガトスがなぜカロスを連れて行きたくなかったのか。想像するのは難しいことではない。
カロスは確かに強く、経験も十分だが、遠征は初めてだった。
彼が当てられるとすれば、当然ルルワの護衛となるだろう。そうなると緊急時は最前線だ。生粋の元素系魔術師となれば、ルルワとアベルのパーティでは最も死の可能性は高い。
そんなルルワの罪の告白に、ムメイはようやく答える。
「人間の組織なんだから、どうしても私情は差し込むでしょ。俺は規律の中なら、命令系統こそが最も尊重されるべきだと思うけどね」
「死ねって命令でも?」
「うん。反論になっていないよ。むしろ軍人なら普通のことだ」
ムメイはこの話に関しては、特に感情を動かされてはいないようだった。
むしろ酷い言い方ではあるが、なんだその程度のことか――というような感情さえ透けて見える。もちろんルルワの悩み、カロスの悩みを軽く扱っているわけではないだろうが。
「まあそうじゃなかったから、カロスは怒ってるんだろうね」
そしてやはり、話しの本質は見誤らなかった。
カロスが何に対し怒っているのか、何が許せないのか、その言葉からはよく分かっていることが汲み取れた。
「…………そうね」
私情を優先し、カロスの命を助けようとした。その結果アガトスが死んだ。
これではカロスの代わりにアガトスが犠牲になったようなものだ。少なくとも、カロスはそう思っているのだろう。
本来あるべき未来が、捻じ曲げられた。なら今は? 本当に正しい現実だと言えるのか。
残された者だからこそ、辛く、苦しい。カロスは誰にその怒りをぶつけていいのか、分からないのだ。
「こんな時……あなたならどうする?」
「…………」
難しい質問をしている自覚はある。
だからこそ、ムメイも珍しく悩んでいた。
「迷うかな」
だが、やはり迷いはなかった。
ムメイはいつも、自分がどうあるべきかは心を決めている。
「出来る限り迷って、悩んで、苦しむ。その間に、できるだけ自分の心にも寄り添う」
「自分の?」
「うん」
ムメイは柵から完全に身を離し、ルルワへと向き直る。
全てをルルワの方へ。だからルルワも、彼に全てで向き合った。
「君が今考えていることは、とても大切なことだと思う。だから答えが出るまで、ゆっくりのんびり、悩み続ければいい」
「…………」
それは、答えではなかった。
解決策でも、根性論でもない。それは、寄り添いだった。
「だけど……一人で悩んでばかりいたら、心が苦しくなる。そうなると、誰にとってもいい結果にはならないよ。カロスだって、そんなことは望んでいないはずだ」
手を、取られる。
掬い上げられ、月明かりの下へと導かれる。
その時にはもう――
ルルワには、ムメイしか見えなかった。
「だからルルワは、もっと自分を大切にしてあげないとね」
手を、包み込まれる。
相変わらず、温度はない。でも、温かかった。
「自分を……でも、どうやって?」
手を、握る。
手が触れるだけで、こんなにも熱い。
見つめ合うだけで、こんなにも苦しい。
「答えは教えてあげられないけど、話を聞くことはできる。代わってはあげられないけど、一緒に悩むことはできる」
――好き。
「一歩ずつでいい……一緒に、前に進もう」
好きが、止まらない。
「っ!」
手を引かれ、抱き寄せられる。
ルルワは突然のことに、身を縮こませることしかできなかった。
大人の女を気取りたいのに、彼の前では、ただの少女に戻されてしまう。
その辺の村娘のように、固まることしかできない。そんなルルワに――
「ルルワって、案外可愛いよね」
「人には……よく格好いいって……言われるけど……」
ドキドキし過ぎて、心臓が痛い。
これまで抱き合う時は、いつもルルワからだった。
だから、抱きしめられた時、こんなに自分が保てなくなるとは思ってもいなかった。
意味のある言葉を紡ぐので精一杯。逃げ出さないことで精一杯だ。
「ふーん……そうなんだ。まあそれも分かる気がするけど……やっぱり可愛いかな」
「そう……なんだ……」
初めて、可愛いと言われた気がする。
心から求めていたはずだが、いざやってくるとどうしていいか分からなかった。
あまり耳元で可愛い可愛い言わないで欲しいとさえ思う。わがまますぎる。
「あなたは……意外と慣れてるわよね」
「え?」
傍目にはクールで完璧な女性。そのルルワの中身が少女過ぎて可愛い――そう言うのであれば、ムメイは逆だ。
女性に慣れていない、全く縁がない。そんな前情報でこれはどういうことなのか。
もはやドキドキし過ぎて訳が分からなくなったルルワは、ここにきてようやくそれを問いただす。
やめておけばよかったと、言葉にした時は思った。
だけどすぐに、言ってよかったと思う。
なぜなら、同じだったから。
「ルルワにはどう見えているのか分からないけど……」
ムメイが少し顔を後ろに下げ、スペースを作る。
ルルワも埋めていた首元から、ソロリと顔をあげた。
意図せず上目遣いになり、逆に距離も近づく。
「俺は未だに、君と話す時ドキドキしてるよ」
「え!?」
それは、予想外の告白。
ルルワが考えもしていなかった、驚愕の事実。
その瞬間だけは、恥や照れなどまとめて吹き飛ばされるほどに。
「う、うそ? ほんとう?」
「うん。情けないけど、正直まともに目も合わせられない……」
「…………」
無表情で視線だけを逸らすムメイに、ルルワは唖然とする。
まさか日頃中々目が合わないのが、照れているだけとは思わなかった。
だって話す時も自然体だし、顔色も全く変わらない。言葉に詰まったりもしなければ、どもったりもしない。緊張している素振りなど、欠片も感じられないというのに。
それが全て、ハリボテだったなど。
「分からないわ! だって! 全然顔色変わらないし!」
「死んでるからね」
「心臓だってバクバクしてないし!」
「死んでるから」
こんなことが――。
ルルワは安堵感か疲労感か、よく分からないものに全身の力が抜ける。
寄り掛かれば、ムメイが全身で受け止めてくれた。
これ幸いにと甘えるようにしなだれかかり、胸に顔を押し付けるが――
やはり呼吸も乱れず、脈もなく、体温もなく、心臓も動いてはいない。
だが、それだけだった。
ただ、それだけのことだったのだ。
「分からないわよ……。そんな……思いもしてなかった……」
「ごめん。カッコつけるのに必死で……情けない男と思われたくなくて……」
同じだったのだ。
格好つけようと頑張っていたルルワと、同じだった。
今も、同じなのだ。
「じゃあ……今も?」
「うん。お酒吐きそう」
「ふふふっ……!」
確かに、いつもより顔色が悪い――ように思うのは気のせいか。いつも通りだ。
いつも通り、何を考えているのか分からないような無表情で、何があっても顔色一つ変わらなくて、どこまでも自然体。だけど――
それが、ムメイなのだ。
ルルワは確かめるように、ムメイを抱きしめる。
同じだったと分かるだけで、こんなにも違う。
ルルワが緊張しているように、彼もどうしようもなく、緊張しているのだ。
そんなルルワを、ムメイも抱きしめた。
互いに恐れながら――
それでも、大切な人を抱き寄せる。
「君が来てくれなかったら……俺はずっと、あの森にいた……」
「うん……出会えてよかった……」
ムメイの静かな囁きに、ルルワも答える。
迎えに行けてよかった。巡り合えてよかった。
「そうじゃないよ」
「え?」
だが、違ったらしい。
ムメイが言いたいのは、そういうことではなかった。
「迎えに来たのがアワンでも、アクレミアでも、俺はたぶん森から出られなかった。俺が救われたのは、やっぱりルルワだから……」
嘘じゃない。それが、心で分かった。
なぜならそれは、ルルワが一番言って欲しかった言葉だからだ。
赤き瞳に、吸い寄せられる。
その妖しい輝きに、いつも魅了される。
ルルワにだけ見える、光。
それは、ムメイにとっても。
「どこ住み? 彼氏いる?」
「ここに……彼氏は、いる」
ムメイが微笑むと、ルルワも微笑む。
全部同じだと、二人で伝え合う。
「あなたは?」
ムメイがこれから何をするつもりなのか、今のルルワには分かった。
だからそれは、全てを受け入れると示す――魔法の言葉。
「俺は森生まれ、森育ち、森にはもう還らない吸血鬼」
手を握り、寄り添い合う。
「彼女はいます。今、ここに」
互いだけを、見つめ合う。
「せっかくの月なのに、見なくていいの?」
月は、欠ける。
だから――
月はまた、満ちるのだ。
「いいんだ」
月光の下、影は重なる。
触れあう唇は熱く、赤く――
甘さより先に、心を届けた。




