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さよなら、優しい狼さん。~傷だらけの不死者が捧ぐ、一夜限りの逃避行~  作者: silver fox
第3章:幽霊トンネルの少女~消えたい夜に、あなたが来た~

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第14話:影の狼たち、出ろ――不殺の制約を抱えたまま群れと戦う決意の咆哮

 朽縁トンネルは、

 すでに「こちら側」の空気ではなかった。


 夜中。

 月齢は、十六に届く少し前。


 山の頂を越えた月が、

 トンネルの入口を、青白く照らしている。


 だが、その光が、

 トンネルの中に一歩でも踏み込むことはない。


 闇が濃すぎるのだ。


 中から、

 黒い霧がじわじわと溢れ出している。


 生ぬるく、

 重く、

 湿った憎悪の塊。


 その手前に、

 百台近い単車がずらりと並んでいた。


 エンジンは止まっているのに、

 そこに座る連中からは、

 エンジン音以上の「ノイズ」が漏れている。


 歪んだ笑い声。

 意味を失った呟き。

「死ね」「壊せ」「燃やせ」といった、

 原始的な欲求だけを繰り返す声。


 目は、誰一人としてまともではない。

 瞳孔は開ききり、

 黒い霧が眼窩を満たしている。


 トンネルの中央。

 コンクリートの床に、

 鎖で繋がれた少女が、一人、膝をついていた。


 柊木詩乃。


 制服の袖は、ところどころ破れている。

 手首には、金属の冷たい輪っか。


 足首にも鎖。

 短い鎖が、彼女の行動範囲を数歩に限定していた。


 顔は俯いていて、表情までは見えない。

 だが、肩は震えていなかった。


 怯えではなく、

 何かを堪えるような、

 静かな強張り。


 その横。

 龍二が立っていた。


 もはや、人間の面影は薄い。


 瞳はどす黒く濁りきり、

 血管の代わりに、

 黒い筋が肌の下を走っている。


 口の端からは、

 常に黒い霧が漏れ出していた。


 その霧は、

 龍二の周囲に渦を巻き、

 時折、呻き声のようなノイズを発する。


「……来たか」


 龍二の口が動いた。

 だが、その声は彼自身のものではなかった。


 幾つもの声が重なったような、

 不協和音。


 トンネルの外に、

 原付のヘッドライトが近づいてくる。


 カミヤは、

 ぎりぎりまで原付を走らせ、

 入口手前でリアブレーキをロックさせた。


 砂利を巻き上げ、原付の尻が大きく横へ流れる。

 カミヤは片脚を突き、振り子のように振れる車体を力でねじ伏せて、正面を見据えた。


 ヘルメットを脱ぐ。

 汗まじりの黒髪が、夜風に揺れた。


 紅蓮の瞳で、

 トンネルの奥を見据える。


 百の単車のライトが、一斉に点いた。

 白い光が、

 トンネル内の闇を乱暴に裂く。


 だが、その光すらも、

 黒い霧に飲み込まれて、

 どこかぼやけて見えた。


 暴走族たちの顔は、

 ヘッドライトに照らされているのに、

 どこか「平面」に見える。


 命の奥行きが、ない。


「……詩乃を返せ」


 カミヤの声は、

 獣の喉を通ったような低さだった。


 トンネルの壁に反響する。

 それに共鳴するように、

 黒い霧がざわめいた。


「死ネ……」


 龍二が、笑った。


 唇から、黒い霧が溢れる。


「死ネ……死ネ……死ネェェェェ……!」


 それは、彼自身の叫びではなかった。


 朽縁トンネルで死んだ連中。

 彼らが最後に吐いた悔恨と呪詛の残響。


 龍二は、そのスピーカーにされている。


 詩乃が、

 鎖の先で顔を上げた。


 ヘッドライトの眩しさに目を細めながらも、

 その瞳は、カミヤを見つけた。


「……カミヤ、さん……!」


 声はかすれていた。

 それでも、はっきりと、彼の名を呼んだ。


 それだけで、

 彼の背骨を走っていた怒りの熱が、

 一瞬だけ、違う温度に変わる。


 守るべき対象。


 それを認識した瞬間、

 彼の中の獣は、

 全ての優先順位を塗り替えた。


「行け」


 龍二が、両腕を広げる。


 合図だった。


 百台のエンジンが、一斉に咆哮を上げる。

 コンクリートの床が微かに震えた。


 ヘッドライトの光が、

 白い奔流になってカミヤを飲み込もうとする。


 百人の暴走族が、

 鉄パイプや鎖やナイフを握りしめ、

 一斉に突進してきた。


 人間の波。


 その全てに、

「殺意」だけが注ぎ込まれている。


 だが、カミヤは一歩も退かない。


 むしろ、一歩、前に出た。


「……来いよ」


 拳を握る。

 指の骨が、

 ぎり、と音を立てて軋んだ。


 最初の一台が、

 彼に突っ込んできた瞬間。


 ドゴォォォォン!!


 そのバイクごと、

 男が横っ飛びに吹き飛んだ。


 カミヤの拳が、

 タンクを殴りつけたのだ。


 鉄板がへこみ、

 エンジンが悲鳴を上げる。


 普通の人間なら、

 拳の骨が砕けている衝撃。


 だが、彼の拳からは、

 銀色の粒子がぱらぱらと零れただけだった。


 バイクは横転し、

 乗っていた男はコンクリートの上を数メートルも転がった。


 それでも、

 男はすぐに立ち上がる。


 足の骨が変な角度に曲がっていても、

 腕がぶらんと下がっていても。


 痛覚が、ない。


 黒い霧が、

 その骨折した部分に絡みつき、

 無理矢理立たせている。


「……チッ。ゾンビかよ」


 カミヤは舌打ちした。


 攻撃を躊躇すれば、

 詩乃に届く拳や刃が増える。


 しかし、

 攻撃を強めすぎれば――。


「殺すな、と……言ったはずだ……!」


 己に言い聞かせるように、

 低く唸る。


 殴るたびに、

 蹴るたびに、

 人間の骨が悲鳴を上げる。


 だが、それを「折る」に留めなければ、

 彼は自分の一線を越えてしまう。


 百人相手に、

 そんな繊細な手加減を強いられる。


 最悪の条件。


「邪魔だ」


 鉄パイプが背中を叩いた。

 鈍い音。


 普通なら、

 背骨にひびが入る一撃。


 銀色の粒子が、

 衝撃の軌跡をなぞるように飛び散った。


 ナイフが、

 肩口から刺さる。


 刃が肉を裂き、

 骨に当たって止まる。


 銀の粒子が、

 刃の根元から溢れ出す。


「い゛っ……!」


 さすがのカミヤも、

 喉の奥から声が滲んだ。


 痛みは、感じる。

 人間より鈍いが、

 ゼロではない。


 その痛みが、

 獣を刺激する。


 紅蓮の瞳が、

 一瞬ぎらりと光った。


 その度に、

 トンネルの闇が、

 彼を歓迎するようにざわめく。


「……来いよ、もっと」


 低く笑う。


 百人の暴走族が、

 次々と彼に飛びかかる。


 鉄パイプ。

 鎖。

 ナイフ。

 素手。


 人間の攻撃としては、

 戯れにも近い。


 だが、それが「百」重なれば、

 いかに人狼でも、

 無傷では済まない。


 殴る。

 蹴る。

 ひねる。

 投げ飛ばす。


 バイクごと叩き落とす。


 そのたびに、

 骨が折れ、

 血が飛び、

 人間たちは地面に叩きつけられる。


 だが――。


 黒い霧は、

 それを許さない。


 痛みを奪い、

 苦悶を取り除き、

 ただ「立て」と命じる。


 失神しかけた目に、

 再び黒い光が灯る。


 糸で操られた人形のように。

 よろよろと、

 しかし確実に、

 彼らは立ち上がってくる。


「……クソが」


 カミヤは、

 息を荒くしながら笑った。


 銀色の粒子が、

 彼の周囲に雪のように舞っている。


 肩の傷は塞がっても、

 次の刃が別の場所を裂く。


 自己再生能力がいくら高くても、

 無限ではない。


 再生には、

 エネルギーがいる。

 血がいる。

 時間がいる。


 それを、

 今この瞬間、

 彼は無理矢理前借りしている。


 背中をまた鉄パイプが叩く。

 肋骨が一瞬きしみ、

 すぐに綴じる。


 膝にチェーンが巻き付く。

 無理矢理引き倒そうとする力を、

 逆に利用して、

 相手を肩越しに放り投げる。


 肉体は、

 まだ動く。


 だが、

 精神の奥底で、

 何かがじりじりと侵食されていく。


「殺せ」という衝動。


 ここで殺せば、楽になる。


 そう囁く声が、

 黒い霧と一緒に耳元をくすぐる。


 朽縁トンネルに溜まった怨念だけじゃない。


 カミヤ自身の中にも、

 同じ色のものが眠っている。


 三百年の間に、

 どれだけの人間を喰らい、

 どれだけの血を浴びてきたか。


 人間界で生きるために自らに課した、不殺という名の細い線。


 それを、あの橋の上で少女ナギを光の下へ送り出し、

「しぶとく生きる」と約束を交わしたあの日から、

 絶対に破れない強固な「封印」へと鍛え直したはずだった。


 だが、

 封印は、

 完璧じゃない。


 満月に近づく夜。


 紅蓮の瞳は、

 危険なほど輝いている。


「……殺さねぇ」


 自分に言い聞かせるように、

 唇を噛む。


 血の味が、

 口の中に広がった。


 遠くで、

 鎖の鳴る音がした。


 詩乃の足元。

 彼女の鎖。


 怨念の黒い霧が、

 彼女の周囲にもじわじわと近づいている。


 このままでは、

 彼女もまた、

 黒い霧に呑み込まれかねない。


 それだけは、

 絶対に許せなかった。


(時間をかけすぎてる)


 カミヤは、

 殴り飛ばした暴走族の一人を

 バイクごと壁に叩きつけながら、

 冷静に状況を計算する。


 百人。

 すでに三十は叩き伏せている。


 だが、

 まだ七十。


 再生能力は酷使され、

 銀の粒子は、

 さっきよりも粗くなっている。


 息も、

 荒くなっていた。


 殺せないという制約は、

 彼の両手両足を

 見えない鎖で縛っているようなものだ。


「……クロ」


 無意識に、

 影の名を呼びかける。


 だが、

 クロ一匹では足りない。


 これは、

「群れ」に対する戦いだ。


 なら――。


 彼の中で、

 何かがカチリと音を立てた。


「……出ろ」


 低く、

 喉の奥から唸るような声。


「影の狼たち!!」


 足元の影が、

 夜よりもなお濃く沈んだ。


 トンネルの闇と、

 一瞬だけ見分けがつかなくなる。


 次の瞬間。

 その影が――

 五方向に、同時に裂けた。


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