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さよなら、優しい狼さん。~傷だらけの不死者が捧ぐ、一夜限りの逃避行~  作者: silver fox
第3章:幽霊トンネルの少女~消えたい夜に、あなたが来た~

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第11話:嫌なことがちっぽけに見える岬で交わす、「今この瞬間だけ」の約束

 海が、すぐそこにあった。


 県立汐風高校から少し走ると、

 町並みはすぐに低くなって、

 両側の建物の隙間から、青い水平線が顔を覗かせる。


 原付のエンジン音が、風の音に混じって耳に届く。

 潮の匂い。

 アスファルトの熱。


 空は、抜けるように青かった。


 あの夜の夜空とは全然違う。

 月も星も隠れた、重たい闇じゃない。


 眩しすぎて、少し目が痛いくらいの青。


 私は、思わず目を細めた。


 カミヤさんの背中に、そっと額を押し当てる。

 彼の体温は、夜だけじゃなくて、昼もやっぱりあたたかい。


 でも、今日は――。


 そこに顔を埋める理由が、

「泣いているのを隠すため」じゃない。


 ただ、

 風が強くて、前を向きにくいから。


 それだけ。


 私の腕の中で、彼の肩がかすかに揺れる。

 笑っているのか、ため息なのか判別しづらい微妙な動き。


「どこ行く?」


 風に紛れる声が、背中越しに届く。


 行き先を聞かれているのだと気づくのに、

 数秒かかった。


「……えっと」


 どこ、だろう。


 カラオケでも、ファミレスでも、映画館でもない。

 そういう「普通の高校生の遊び場」は、たぶん今の私にはまだ似合わない。


 でも、一つだけ、また行きたい場所が頭に浮かんだ。


「……岬の、灯台。分かりますか?」


「あぁ。地図で見た。町外れの古いやつだろ」


 即答だった。


「行ったこと、あるんですか?」


「いや。ない。仕事の合間に、暇つぶしで地図見ただけだ」


 そんなことしてるんだ、この人。

 意外と几帳面というか、真面目というか。


「……昔から、好きなんです。あの灯台」


「ほう」


 興味があるのかないのか分からない相槌。


 それでも、原付は何の迷いもなく、

 岬の方へ向かって舵を切った。


 住宅街を抜けて、

 コンビニを過ぎて、

 やがて、人家の数が減っていく。


 海が、だんだん近くなる。


 左手側に広がるのは、限りなく続く水平線。

 太陽の光を反射して、きらきらと眩しい。


 道路脇には、すすきが揺れている。

 防波堤の向こうに、波が白く砕けていた。


 風が、髪を乱暴にさらっていく。

 それでも、私は顔を上げていた。


 あの夜は、

 ただ彼の背中にしがみついて、

 世界を見る余裕なんてなかった。


 でも今日は、

 見える。


 色も、匂いも、音も。


 全部、ちゃんと、ここにある。


 岬へ続く道は、思っていたよりも細かった。

 ガードレールが途切れ途切れになっていて、

 左側はすぐ崖になっている。


 少し怖い。

 でも、その怖さもまた、

「生きている」感覚を強くしてくれる。


 やがて、

 白い建物の影が見えてきた。


「あ……」


 思わず、声が漏れる。


 岬の先端に立つ、古い灯台。

 白いペンキはところどころ剥がれかけていて、

 窓も小さくて、こじんまりとしている。


 でも、

 私にとっては、世界で一番「高い場所」だった。


 小学生の頃。

 お父さんに連れてきてもらった。


 まだ夜になる前で、

 灯台のてっぺんから見る海が、

 どこまでも続いていて、

 怖いくらい綺麗だった。


 そのとき、お父さんが言った。


『どんなに嫌なことがあってもな、

 ここまで来て海を見りゃ、ちっぽけに感じるぞ』


 あの頃は、

 そんな「嫌なこと」なんて想像もできなかったけれど。


「……ここ、昔から好きだったんです」


 原付が灯台の駐車スペースに停まると、

 私はヘルメットを脱ぎながらぽつりと言った。


「小学生の頃、お父さんと来て。

 今は、お父さん、単身赴任でいないけど」


「そうか」


 カミヤさんは、それ以上何も聞かなかった。


 家の事情とか、

 お母さんのこととか、

 そこに踏み込まれなかったことが、

 少しだけありがたかった。


 灯台の入口は、観光客向けに開放されている。

 古い木の扉の前には、小さな募金箱と

「維持管理協力金」の文字があるだけだ。


「階段、ちょっと急ですよ」


「落ちるなよ」


「それ、さっきも言われました」


 くすりと笑って、

 私は先に中へ入った。


 螺旋階段が、上へ上へと続いている。

 木製の踏み板が、ミシ、と軋んだ。


 一段一段、足を踏みしめて上がっていく。

 狭い階段に、二人分の足音が交互に響いた。


 やがて、

 頭上が明るくなった。


 最後の一段を上がって扉を開くと、

 視界が一気に開ける。


「……わぁ」


 思わず、声が漏れた。


 ぐるりと、全部、海。


 水平線が、地球の丸さを感じさせるくらい、ゆるやかに弧を描いている。

 空は、どこまでも青くて、

 雲が糸みたいに細く伸びていた。


 足元に広がる岸壁に、

 白い波が何度も何度も打ち寄せては、砕けて消える。


 潮風が、ほおをやさしく撫でた。


「……綺麗」


 その言葉しか出てこなかった。


 胸の奥の、黒く淀んでいたものが、

 少しだけ薄まる気がした。


 隣を見ると、

 カミヤさんは、無言で海を見ていた。


 琥珀色の瞳に、

 果てしない青が映り込んでいる。


「……カミヤさんは、どうしてあの夜、私を助けてくれたんですか」


 訊かずにはいられなかった。


 あのトンネルで。

 見知らぬ女子高生一人のために、

 暴走族五人相手に化け物みたいな狼を出して。


 それで、何を得るでもないのに。


 カミヤさんは、少しだけ目を細めた。


「……さあな。気まぐれだ」


「嘘」


 即答だった。


 自分でも驚くほど、迷いなく口をついて出た。


「……お前、すぐ嘘って言うな」


「だって、カミヤさん、嘘下手だから」


 あの夜も。

 汐風ステーションでも。


「気まぐれ」なんて言葉で誤魔化そうとしても、

 瞳の奥にちらりと滲む本当の感情までは、隠しきれていなかった。


 彼は、少しだけ眉をしかめる。


「お前、自分のことになると鈍いくせに、人の嘘には妙に敏感だな」


「……自分のことだから、かもしれません。

 私、ずっと『普通じゃない』って言われてきたから。

 誰かの本音と建前の差ばっかり気にする癖がついてて」


 誰かの「優しさ」の中にある見下しとか、

「励まし」の中に混じる興味本位とか。


 そういうものに、

 人一倍、敏感になってしまった。


 だからこそ、

 この人の「嘘」が、余計に浮き上がって見えてしまう。


 彼は、海に視線を戻した。


 しばらく風の音だけが、二人の間を満たす。


 やがて。


「……死にたがってる奴を、見捨てられねぇ性分なんだよ」


 ぽつり、と。


 波打ち際に小石を投げるみたいに、

 彼はそう言った。


 その声の中に、

 長い時間の重みが混ざっているのが分かった。


「……カミヤさんも、死にたかったことあるんですか」


 私は、怖々と訊いた。


 この人は、「普通の人間」じゃない。

 あの狼も、銀色の粒も。

  どれも、私の知っている世界から外れたもの。


 それでも、

「死にたい」という言葉だけは、

 同じ重さで響く気がした。


 彼は、すぐには答えなかった。


 代わりに、

 遠くの水平線を見つめる。


 その横顔に、

 ほんの少しだけ、影が差した。


「……三百年も生きてりゃな」


 冗談みたいな数字。

 でも、あの狼とあの再生力を見たあとでは、

 笑い飛ばすことができない。


「飽きることもある」


 短く、そう言う。


「守りたい奴が死んで、自分だけが残される。

 それが続くと、たまに、全部どうでもよくなんだよ」


 言葉は淡々としているのに、

 その一つ一つが、やけに重かった。


 彼が見てきた「死」は、

 私の想像なんか、きっと追いつかない。


 友だち。

 家族。

 恋人。

 あるいは、

 もう名前も思い出せない誰かたち。


 その一人一人を見送って、

 それでも自分だけが残り続けるということが、

 どれほどの孤独なのか。


 私は、彼の横顔を見つめながら、

 そっと、自分の手を伸ばした。


 ためらいながらも、

 指先を、彼の手の甲に触れさせる。


 ひやりとした感触のすぐ下に、

 確かな血の温度があった。


 彼は、驚いたように私を見た。

 でも、手を振り払うことはしなかった。


「なら、私が」


 か細い声。

 それでも、

 ここで言わなかったらきっと後悔する言葉。


「私がカミヤさんを、独りにさせません」


 たとえ、

 それがどれくらい無茶な約束でも。


「……馬鹿言うな」


 彼は即座に、吐き捨てるように言った。


「お前は人間だ。俺より先に死ぬ」


「それでも」


 食い下がる。


「今この瞬間は、一緒にいます。

 海を見て、風を浴びて、同じ景色を見てる。

 それじゃ、ダメですか?」


 沈黙。


 風の音が、

 さっきより少しだけ、やさしく聞こえた。


 彼は、何も答えない。

 でも、握った手を振り払わずに、

 そのまま、指先に力を込めた。


 ほんの少しだけ。

 それでも、

 確かに「握り返して」くれていた。


 それだけで、

 胸の奥が、熱くなる。


 私は、海の方を向いた。


 水平線の向こう側には、

 まだ見たことのない世界が広がっている。


 そこへ、一緒に行く未来なんて、

 簡単に想像できるものじゃない。


 それでも、

 今、この瞬間だけは――。


 彼の隣に立っていられる。


 それが、

 どうしようもなく嬉しかった。


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