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さよなら、優しい狼さん。~傷だらけの不死者が捧ぐ、一夜限りの逃避行~  作者: silver fox
第2章:三百年の孤独が、君の瞳に溶けていく。――潮騒の街のニューハーフバーで、不器用な人狼が恋をした、一夜の約束。

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第13話:人狼は、人を殺さない——満月の夜に選んだ「甘くて面倒くさい」生き方

 その時。


 足元の影が、爆ぜた。


『——待たせたな、主人!』


 闇から、黒い狼が飛び出した。


 一匹。二匹。三匹。四匹。五匹。


 全身が黒い毛に覆われ、目だけが赤く光っている。だが、その赤は、怒りではなく、意志の色だ。


 クロが、先頭で吠えた。


『やっと暴れられる!』


「遅ぇぞ」


 カミヤが、口の端で笑う。


「主が呼ばんからだろうが!」


 クロが、時雨に飛びかかる。


 時雨は、咄嗟に後退する。


 銀の刃が閃き、クロの輪郭を切り裂いた。だが、影でできた身体は、形を崩しながらも再び収束する。


「……影を操る、か」


 時雨が、僅かに目を見開いた。


「聞いていた。だが、実際に見るのは初めてだ」


「油断したな」


 カミヤは、ゆっくりと立ち上がる。


 切り裂かれた腱が、満月の光と影狼たちの存在に刺激されるように、じわじわと再生を早めていく。


 満月は、彼にとって「毒」であり、「薬」でもあった。


「——行け」


 カミヤの一声で、五匹の影狼が一斉に動いた。


 一匹が正面から。二匹が左右から。残り二匹は、足元と背後から。


 時雨は、退いた。


 退きながらも、攻撃の手は緩めない。


 足元に飛びかかってきた一匹の影狼の前足を、銀の刃で切り裂き、その反動で脇腹を斬りつける。


 影が、裂ける。


 だが、消えない。


『ガウッ!』


 別の一匹が、時雨の手首に噛みついた。


 ナイフを握っている方の手首だ。


 影でできた牙は、獲物を前にして質量を持った凶器へと変わる。

 肉を裂き、骨を軋ませる、明確な物理攻撃。


「ぐっ……!」


 一瞬、ナイフの動きが止まる。


 その隙に、クロが背後から跳びかかった。


『がら空きだぞ、人間!』


「っ——!」


 時雨の背中に、黒い牙が深く食い込む。

 シャツが裂け、鮮血が影の漆黒に吸い込まれていく。


 時雨の口から、抑えきれない唸り声が漏れた。


「……はは」


 それでも、笑っている。


「いいね……やっぱり、化け物は、こうでなくちゃ」


 目の色がおかしくなっていた。


 痛みを痛みとして感じているはずなのに、それを快楽として舐め回すような目。


「もっと見せてくれ、人狼」


 時雨は、ナイフを持っていない方の手で、自分の噛みつかれている腕を掴み、そのまま自分ごと影狼を地面に叩きつけた。


『ぐっ——!』


 影狼が、潰れる。形が崩れ、地面に一体分の黒い染みのように広がった。


「調子乗んなよ、犬っころが」


 血を吐きながら、時雨は立ち上がる。


 その全身から、じわじわと血が流れ続けている。だが、その目の光はまだ消えない。


 人間の限界を、何度も越えたことがある目だ。


「——カミヤ!」


 クロが叫ぶ。


『こいつ、 自分の命と引き換えに、殺す気だぞ!』


「知ってる」


 カミヤは、一歩踏み込んだ。


 もはや、攻防の細かい差を数えている場合ではなかった。


 右足に力を込める。銀の刃が音を立てる前に、時雨の懐に入り込む。


 拳を放つ。


 左拳が、時雨の顔面を捉える。


 骨が軋む鈍い音。


 同時に——腹の奥で、冷たい痛み。


「っ……!」


 時雨の銀のナイフが、カミヤの脇腹を深く抉っていた。


 狙いは、心臓のわずか手前。もう一度、角度を変えて抉れば、確実に鼓動を止められる距離。


「最後に、心臓を——」


 時雨の指先に力がこもる。だが。


「させるかよ……!」


 カミヤは、自分の脇腹に刺さったナイフの柄ごと、時雨の手首を鉄の万力のような力で掴んだ。


 銀の刃が肉の中で嫌な音を立て、さらに内側を裂く。


 視界が白く瞬くほどの激痛。だが、カミヤは止まらない。そのまま逃がさぬよう、時雨の腕を強引にひねり上げた。


「ぐ……っあ!」


 時雨の手首の骨が、鈍く、嫌な音を立てて砕けた。


 その指先から、ようやく力が失われる。


『今だ!』


 クロが叫ぶと同時に、残りの影狼たちが一斉に飛びかかった。


 一匹が時雨の右足の腱に、もう一匹が左腕に。四肢を完全に押さえ込まれ、時雨の身体がアスファルトの上へ叩きつけられた。


 砂利と血飛沫が闇に舞う。


 時雨はもはや、指一本動かすことすら許されない。


 カミヤは、激しく上下する肩を震わせながら、ゆっくりと立ち上がった。


 その脇腹には、時雨の銀のナイフが深々と突き刺さったままだ。


 カミヤは無造作にその柄を掴む。


「……っ、ふぅー……っ!!」


 短い呼気と共に、一気に刃を引き抜いた。


 溢れ出す鮮血を無視し、彼はその銀のナイフを、動けなくなった時雨の眼前の地面へと突き立てる。


「っは……」


 銀の刃に反射する月光が、カミヤの紅く光る瞳を冷たく照らしていた。


 彼は、死線を越えた荒い息を吐きながら、敗北した刺客を静かに見下ろした。


 満月が、血の海を白く照らしている。


 影狼たちは、まだ牙を緩めていなかった。


『主人』


 クロの声が、少しだけ低くなる。


『どうする?』


 カミヤは、答えずに、しばらく黙っていた。


 目の前の男は、確かに人間だ。


 だが、その残虐さは、時に人狼以上だとすら感じる。


 この場で銀の刃を首に押し当てれば、簡単に殺せる。


 たった一度ナイフを振り下ろせば、もう二度とこの男に刃を向けられることはない。


 それは、どれだけ「楽」だろう。


「……殺せよ」


 地面に押さえつけられながら、時雨が笑った。


 血まみれの顔で、口元だけを吊り上げる。


「ここまでやったら、殺すしかないだろ。俺はお前を殺そうとした。お前も俺を殺せば、チャラだ」


「そうやって、チャラにして生きてきたのか」


 カミヤの声は、妙に静かだった。


「戦場でも、裏社会でも」


「そうだよ」


 時雨は、あっさりと答える。


「殺しが好きで、殺しが得意で、その技術を欲しがる奴がいて。俺は稼いで、生きてきた。自分の命は、俺の腕で守ってきた。他人の命は、ナイフの先で落としてきた」


 眼差しに、後悔はない。


「だから、お前もやれよ」


 時雨が、薄く笑う。


「このまま生かしても、またお前の喉を狙う。次はもっと、うまくやる。今度は、本当に心臓を突く」


 それは、脅しでも虚勢でもない。ただの事実だ。


「だからさ」


 時雨は、にやりと笑う。


「殺してみせろよ、人狼」


 ——喉元まで、何度も上がってきた衝動。


 それを、カミヤは飲み込んだ。


 ゆっくりと、首を横に振る。


「……殺さねえ」


 その言葉に、影狼たちがざわめいた。


『主人!?』


「俺は人間を殺さないと決めてる」


 カミヤは、はっきりと言った。


「どれだけクズでも、どれだけムカついても、死なない程度に痛めつける。それが、今の俺の線だ」


「ふざけるな」


 時雨の目が、わずかに揺れる。


「ここまでされて、まだ、そんな甘いことを——」


「甘いさ」


 カミヤは、あっさりと認めた。


「甘くて、面倒くせえ生き方してんのは、自分でもわかってる」


 銀のナイフを拾い上げる。


 満月の光が、刃先を白く照らす。


「でも、それが俺だ」


 その言葉と同時に、カミヤはナイフを思い切り遠くへ投げた。


 銀の刃は、倉庫の屋根をかすめ、闇の向こうへ消えていく。


「……っ」


 時雨の喉から、低い声が漏れた。


「警察がもうすぐ来る」


 カミヤは、影狼たちに命じる。


「こいつを離すな。四肢を押さえたままにしろ。噛み千切るなよ。深手だけ残せ」


『了解だ、主人!』


 クロが、牙をさらに深く時雨の腕に沈める。


「痛ぇ……」


 時雨が、笑うように呻く。


「お前、本当にバカだな」


「そうかもな」


 カミヤは、満月に一瞬だけ目を細めた。


「でも、バカなりに、生き方は選ぶさ」


 遠くから、サイレンの音が近づいてきていた。



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