表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
さよなら、優しい狼さん。~傷だらけの不死者が捧ぐ、一夜限りの逃避行~  作者: silver fox
第2章:三百年の孤独が、君の瞳に溶けていく。――潮騒の街のニューハーフバーで、不器用な人狼が恋をした、一夜の約束。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/68

第12話:腱を狙う殺し屋と、再生と破壊を同時に強いられる人狼

 満月は、雲ひとつない夜空の真ん中で、異様なほど大きく、白く光っていた。


 湾の水面に、その光が長く伸びる。波が揺れるたびに、光もまた揺れた。


 港の倉庫街は、ひどく静かだった。


 昼間の喧騒が嘘のように、トラックもフォークリフトも姿を消している。代わりに、どこか遠くで鳴る船のエンジン音と、風に擦れる鉄骨の軋みだけが、世界に残されていた。


 カミヤは、指定された倉庫の前に立っていた。


 満月の光が、彼の黒い髪を淡く縁取る。


(……嫌な夜だ)


 胸の奥で、獣が吠えるような感覚が広がっていた。


 満月の夜は、力が増す。超人的な身体能力も、再生力も、影の支配力も、全てが底上げされる。


 その代わり、制御が難しくなる。


 ほんの少し気を抜けば、「人」としての理性より、「獣」としての本能が勝ってしまう。


(だからこそ、油断できねえ)


 足元で、影が揺れた。


『主人』


 クロの声が、いつもよりも濃く響く。


『血の匂いが濃くなっている』


「そうだろうな」


 カミヤは、倉庫の壁にもたれ、空を見上げた。


「こっちもやる気満々だ」


『あの銀の刃の男が、また来ると思うか』


「来るだろうな」


 カミヤは、薄く笑った。


「獲物の味を覚えた猟犬は、簡単に引き下がらねえよ」


 時計は、もうすぐ零時を指そうとしていた。


 その瞬間——


「——やあ」


 聞き覚えのある、平坦な声が、闇を裂いた。


 倉庫と倉庫の間の暗がりから、細い影が歩み出てくる。


 黒い髪が額に落ち、まばたきの少ない目が、冷たい光を宿している。


 時雨。


 前回と違うのは、その手に握られたナイフだった。


 銀色に光る刃。


 刃渡り三十五センチ。厚み一センチ。ごついサバイバルナイフ。


 満月の光を受けて、刃先だけが白くぎらりと光った。


「また会ったな、人狼」


 時雨は、口元だけで薄く笑う。


「今度は、本気で殺しに来た」


「そりゃどうも」


 カミヤは、肩を回しながら言う。


「前回は前哨戦ってことか」


「そういうこと」


 時雨は、銀の刃をゆっくりと掲げる。


「銀は人狼の天敵らしいね。傭兵時代に、耳にしたことがある」


 ナイフの側面を、指先で軽く叩く。


「本物かどうかは、この夜で確かめよう」


「実験台にされる趣味はねえんだが」


「でも、君はもうここに立っている」


 時雨の目が、かすかに細くなった。


「逃げない。戦う。だから、殺す」


 その理屈は、恐ろしいほどシンプルだった。


「——来いよ」


 カミヤは、前に一歩踏み出した。


 満月の光が、彼の瞳を琥珀から金に変える。


 風が、一瞬止まる。


 影が、息を潜める。


 次の瞬間、銀の刃が閃いた。


 ***


 時雨の一撃は、予想以上に速かった。


 銀のナイフが、一線の光となってカミヤの視界を横切る。


 カミヤは、ギリギリで上体を反らした。


 だが、避けきれない。


 胸元を薄く裂かれる感触。シャツの前立てがぱっくり割れ、皮膚に細い線が走った。


「っ……!」


 熱いものが流れる。


 すぐに再生が始まる——はずだった。


 だが。


(……遅い)


 銀色の粒子は出る。こぼれ落ちる。だが、肉の盛り上がる速度が、明らかに鈍い。


(これが、銀か)


 時雨が、目を細める。


「なるほどね。やっぱり、効くんだ」


 楽しそうな声。


 次の瞬間には、もう一撃が飛んでくる。


 右肩を狙っていた。


 カミヤは、加速した。


 満月の夜がくれる力を、骨の髄まで引きずり出す。


 人間の目には見えない速度でステップを踏み、銀の刃の軌道から身を外す。同時に、右拳を繰り出す。


 時雨は、その拳をかわさない。


 ナイフを持っていない左腕で受け、衝撃を滑らせていなしてみせた。


「っぐ……」


 時雨の口から、初めて低い声が漏れる。


 だが、踏ん張る。


 そのまま、腹の底から力を伝えて、カミヤの足元を払おうとする。


 カミヤは、それも読む。


 片足を軽く浮かせ、足払いをいなす。その勢いを利用して、逆に踵を時雨のこめかみに叩き込んだ。


 ゴン、と、鈍い音がした。


 時雨の身体が横に弾かれる。


 だが——倒れない。


「……いいね」


 口元から、少し血を滲ませながら、時雨は言った。


「やっぱり、獣はこうでなくちゃ」


「お前も十分、化け物じみてるがな」


 舌打ちしながら、カミヤは距離を取った。


 足場の砂利が、二人の間で音を立てる。


 月明かりの下、獣と殺し屋が向かい合う。


 時雨は、ほんの一瞬だけ目を伏せた。


 次に顔を上げた時、その瞳には、先ほどまで以上の熱が宿っていた。


「屈筋腱」


 呟くように言って、時雨の姿がかき消える。


(——来る)


 カミヤが反応するより、わずかに早く、左手首の内側に冷たい感触が走った。


「っ!」


 手のひらから力が抜ける。


 指を動かそうとしても、動かない。


「上腕二頭筋腱」


 今度は右肘の内側だ。


 銀の刃が、肉の薄い部分を正確にかすめ取っていく。


「っぐ……!」


 右腕に力が入らない。


「アキレス腱」


 かかとの後ろ。少しでも動きが遅れれば、完全に断ち切られていた。


 カミヤは、ぎりぎりのところで身をひねり、刃先を浅く受けるようにした。


 それでも、鋭い痛みが走る。


「前脛骨筋腱」


 足首の前面。


「膝蓋腱」


 膝の皿のすぐ下。


 一つ一つの言葉が、刃とセットで突き刺さる。


 時雨は、本当に「観察」していた。


 どこを切れば、相手の機動力を一番効率的に奪えるか。どの深さで切れば、死なずに苦しめられるか。


 傭兵時代に磨いたナイフ捌きが、人間ではない相手に向けられている。


 カミヤの身体は、再生と破壊を同時に繰り返していた。


 切られる。血が噴き出す。銀色の粒子がこぼれる。肉が盛り上がる。だが、その前に、また次の刃が来る。


「……はぁっ……」


 息が、少しずつ荒くなる。


 満月からの力が、再生にどんどん食われていく。


「銀は人狼の天敵だ」


 時雨が、淡々と告げる。


「知っていたか?」


「今、身をもって実感してるところだよ」


 皮肉っぽく返す余裕は、まだあった。


 だが——膝が、笑う。


「くそ……」


 片膝が地面に落ちる。


 砂利が膝に食い込む感覚が、妙に鮮明だった。


 右腕は、ほとんど言うことを聞かない。左手も、握ろうとすると震えが走る。両足の腱も、何度も切られ、何度も繋がれ、そのたびに再生の速度はほんの少しずつ遅くなっていた。


「最後に、心臓を突く」


 時雨が、歩み寄る。


「これが俺の流儀だ」


 銀のナイフを、逆手に持ち替える。


 刃先が、月光を受けて白く光る。


「——終わりだ、人狼」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ