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さよなら、優しい狼さん。~傷だらけの不死者が捧ぐ、一夜限りの逃避行~  作者: silver fox
第2章:三百年の孤独が、君の瞳に溶けていく。――潮騒の街のニューハーフバーで、不器用な人狼が恋をした、一夜の約束。

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第11話:「絶対、死なないで」——人間を殺さない人狼と、祈るしかできない私

「俺が、やる」


 低い声が、店の奥から響いた。


 振り向くと、カミヤがカウンターの影から出てくるところだった。


 いつの間にか、そこにいたらしい。昨夜、あれほど血まみれだったはずなのに、もう傷はどこにも見当たらない。


「やるって何を」


 真珠さんが、眉をひそめる。


「囮だ」


 カミヤは、警察の二人を真っ直ぐ見る。


「俺が奴らの前に出て、暴れる。そうすりゃ、賀茂側も堂前も、黙ってねえだろ。引きずり出されるもんがあるはずだ」


「……その隙に、我々が動く」


 久我山警部は、すぐに意図を理解したようだった。


「囮として、あなたを使うということですか」


「使うとか言われるとムカつくな」


 カミヤは、口を歪めて笑う。


「俺は俺で、あいつらにムカついてる。昨日の段階で、もう目をつけられた側だ。だったら、どうせならこっちから噛みついてやった方がスッキリする」


「あなた……何者ですか」


 久我山警部が、あらためて問いかける。


「普通の港湾労働者には、到底見えない」


「通りすがりだ」


「その通りすがりに、我々の案件を賭けるのは——」


「警部」


 三門巡査部長が、そこで口を挟んだ。


「この街の被害者を、また見て見ぬふりしたいんですか?」


 静かな声だった。


「私たちは、これまで何度も、証拠が足りないタイミングが悪いって理由で、動けなかった。動かなかった。その度に、こぼれ落ちた人たちがいる」


 久我山警部の表情が、苦く歪む。


「……部下を一人、薬で失ったことがあります」


 唐突な告白に、私も真珠さんも目を見開いた。


「潜入捜査の最中に、証拠を取るためと言い訳しながら、彼のSOSを無視した。結果、彼は抜けられないところまで行ってしまった」


 掠れた声。


「二度と、同じことはしたくない」


「だったら」


 三門巡査部長が、穏やかに続けた。


「今度は、動く側を選びましょう」


 久我山警部は、長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。


「……わかりました」


 そして、カミヤの方を向く。


「あなたを囮とする。だが、無茶はさせたくない。最低限の条件を提示させてください」


「聞くだけ聞く」


「一つ。あなたは、我々の指示したエリアから出ないこと。

 二つ。対象の確保は、我々が行います。あなたは足止めに徹してください。

 三つ。危険を感じたら、即時離脱すること」


「足止め、ね」


 カミヤは鼻で笑った。


「了解。線は越えねえよ」


「線?」


「そっちは検挙が仕事だろ。邪魔はしない」


 久我山警部が、わずかに目を細める。


「……信用していいのですね」


 カミヤは肩をすくめた。


「安心しろ。無用な血は流さねえ主義だ」


「……人間の血も、ですか?」


 警部の問いに、ほんの一拍、間が落ちる。


 三門巡査部長が、じっとカミヤを見つめていた。


 値踏みするような、だがどこか本能めいた視線。


 彼女だけが、言葉の裏にあるものを感じ取っているようだった。


 それでも、何も言わない。


「作戦は、こうです」


 久我山警部が、テーブルに簡単な地図を広げた。


 港湾倉庫の並び。そのうちの一角に、赤丸がつけられている。


「ここが、賀茂の特別な倉庫である可能性が高い。普段は使われていないように見せかけて、夜中にだけ人の出入りがある」


「そこで暴れりゃ、嫌でも出てくるか」


 カミヤが、地図を覗き込みながら言う。


「堂前たちだけじゃなく、賀茂本人も」


「可能性は高いです」


 久我山警部が頷く。


「そのタイミングで、我々は別ルートから倉庫に突入する。薬物と帳簿、電子データ——押収できるものは全て押収する」


「……サヤは?」


 私は、たまらず口を挟んだ。


「サヤは、どうなるの」


「保護します」


 三門巡査部長の即答。


「彼女は既に加害者であると同時に被害者です。今度こそ、見捨てません」


 その言葉に、肺の奥まで入っていた空気が、少しだけ楽になった。


「リオ」


 不意に、名前を呼ばれる。


 顔を上げると、カミヤがこちらを見ていた。


「お前は、店から出るな。真珠さんの言う通りにしてろ」


「でも——」


「囮が二人いたら、ややこしいだけだ」


 淡々とした声だった。


「この街の普通の世界側の代表として、警察と真珠さんと一緒にいてやれよ」


「普通じゃないよ、私」


 反射的に言い返す。


「少なくとも、人狼よりは普通だろ」


「……それもそうかも」


 思わず笑ってしまう。


 怖いのに。


 不安なのに。


 彼のそういう雑なところが、変に安心させる。


「行ってくる」


 カミヤは立ち上がった。


「すぐ、終わらせてくる」


「……約束して」


 咄嗟に、言葉が飛び出した。


「絶対、死なないで。絶対に帰ってきて」


「死なねえよ」


 カミヤは、当たり前みたいに言った。


「死ねねえしな、俺」


「そういう意味じゃなくて!」


「わかってるよ」


 一瞬だけ、彼の顔が柔らかくなった。


「ちゃんと、帰ってくる」


 その言葉に、私はすがりつくように頷いた。


 満月の夜。港の倉庫街が、舞台になる。


 私は何もできない。でも——祈ることくらいは、できる。


 人狼に、祈りは届くだろうか。


 届いてほしいと、心から願った。




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