第11話:「絶対、死なないで」——人間を殺さない人狼と、祈るしかできない私
「俺が、やる」
低い声が、店の奥から響いた。
振り向くと、カミヤがカウンターの影から出てくるところだった。
いつの間にか、そこにいたらしい。昨夜、あれほど血まみれだったはずなのに、もう傷はどこにも見当たらない。
「やるって何を」
真珠さんが、眉をひそめる。
「囮だ」
カミヤは、警察の二人を真っ直ぐ見る。
「俺が奴らの前に出て、暴れる。そうすりゃ、賀茂側も堂前も、黙ってねえだろ。引きずり出されるもんがあるはずだ」
「……その隙に、我々が動く」
久我山警部は、すぐに意図を理解したようだった。
「囮として、あなたを使うということですか」
「使うとか言われるとムカつくな」
カミヤは、口を歪めて笑う。
「俺は俺で、あいつらにムカついてる。昨日の段階で、もう目をつけられた側だ。だったら、どうせならこっちから噛みついてやった方がスッキリする」
「あなた……何者ですか」
久我山警部が、あらためて問いかける。
「普通の港湾労働者には、到底見えない」
「通りすがりだ」
「その通りすがりに、我々の案件を賭けるのは——」
「警部」
三門巡査部長が、そこで口を挟んだ。
「この街の被害者を、また見て見ぬふりしたいんですか?」
静かな声だった。
「私たちは、これまで何度も、証拠が足りないタイミングが悪いって理由で、動けなかった。動かなかった。その度に、こぼれ落ちた人たちがいる」
久我山警部の表情が、苦く歪む。
「……部下を一人、薬で失ったことがあります」
唐突な告白に、私も真珠さんも目を見開いた。
「潜入捜査の最中に、証拠を取るためと言い訳しながら、彼のSOSを無視した。結果、彼は抜けられないところまで行ってしまった」
掠れた声。
「二度と、同じことはしたくない」
「だったら」
三門巡査部長が、穏やかに続けた。
「今度は、動く側を選びましょう」
久我山警部は、長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「……わかりました」
そして、カミヤの方を向く。
「あなたを囮とする。だが、無茶はさせたくない。最低限の条件を提示させてください」
「聞くだけ聞く」
「一つ。あなたは、我々の指示したエリアから出ないこと。
二つ。対象の確保は、我々が行います。あなたは足止めに徹してください。
三つ。危険を感じたら、即時離脱すること」
「足止め、ね」
カミヤは鼻で笑った。
「了解。線は越えねえよ」
「線?」
「そっちは検挙が仕事だろ。邪魔はしない」
久我山警部が、わずかに目を細める。
「……信用していいのですね」
カミヤは肩をすくめた。
「安心しろ。無用な血は流さねえ主義だ」
「……人間の血も、ですか?」
警部の問いに、ほんの一拍、間が落ちる。
三門巡査部長が、じっとカミヤを見つめていた。
値踏みするような、だがどこか本能めいた視線。
彼女だけが、言葉の裏にあるものを感じ取っているようだった。
それでも、何も言わない。
「作戦は、こうです」
久我山警部が、テーブルに簡単な地図を広げた。
港湾倉庫の並び。そのうちの一角に、赤丸がつけられている。
「ここが、賀茂の特別な倉庫である可能性が高い。普段は使われていないように見せかけて、夜中にだけ人の出入りがある」
「そこで暴れりゃ、嫌でも出てくるか」
カミヤが、地図を覗き込みながら言う。
「堂前たちだけじゃなく、賀茂本人も」
「可能性は高いです」
久我山警部が頷く。
「そのタイミングで、我々は別ルートから倉庫に突入する。薬物と帳簿、電子データ——押収できるものは全て押収する」
「……サヤは?」
私は、たまらず口を挟んだ。
「サヤは、どうなるの」
「保護します」
三門巡査部長の即答。
「彼女は既に加害者であると同時に被害者です。今度こそ、見捨てません」
その言葉に、肺の奥まで入っていた空気が、少しだけ楽になった。
「リオ」
不意に、名前を呼ばれる。
顔を上げると、カミヤがこちらを見ていた。
「お前は、店から出るな。真珠さんの言う通りにしてろ」
「でも——」
「囮が二人いたら、ややこしいだけだ」
淡々とした声だった。
「この街の普通の世界側の代表として、警察と真珠さんと一緒にいてやれよ」
「普通じゃないよ、私」
反射的に言い返す。
「少なくとも、人狼よりは普通だろ」
「……それもそうかも」
思わず笑ってしまう。
怖いのに。
不安なのに。
彼のそういう雑なところが、変に安心させる。
「行ってくる」
カミヤは立ち上がった。
「すぐ、終わらせてくる」
「……約束して」
咄嗟に、言葉が飛び出した。
「絶対、死なないで。絶対に帰ってきて」
「死なねえよ」
カミヤは、当たり前みたいに言った。
「死ねねえしな、俺」
「そういう意味じゃなくて!」
「わかってるよ」
一瞬だけ、彼の顔が柔らかくなった。
「ちゃんと、帰ってくる」
その言葉に、私はすがりつくように頷いた。
満月の夜。港の倉庫街が、舞台になる。
私は何もできない。でも——祈ることくらいは、できる。
人狼に、祈りは届くだろうか。
届いてほしいと、心から願った。




