マイノリティ革命の旗手
1926年、イタリア共産党書記長アントニオ・グラムシは、ムッソリーニ政権下で逮捕され、「獄中ノート」の中で「ヘゲモニー論」を書いた。「ヘゲモニー論」の内容は、「芸術、映画、演劇、教育、新聞、雑誌、ラジオなどを一つづつ手に入れて人々の考えを変えさせ、伝統文化・キリスト信仰への関心を無くさせれば、政権は自然に倒れて、革命側が権力者になることができる」というものだった。
大事な点は、革命のために働く主力を「労働者階級」から「マイノリティ」に代えるということだ。「マイノリティ」とは、歴史的に反主流派とされる層、経済的に虐げられた人々だけでなく、 男性に対する女性 、多数民族に対する少数民族、一般市民に対する犯罪者など」だと主張したのだ。「犯罪者が悪いのではなく、犯罪をおこさせた社会が悪い。だから、加害者は逆に保護されるべきだ。被害者は安穏と暮らしてきた保守的な階級であり、保護すべき対象ではない。新世代の若者はみな疎外感にもがき苦しんでいるからこそ犯罪に走る。黒人、貧困者、世の中の敗者、脱落者こそ、革命を起こすことができる英雄なのだ」と。
三十数年後、グラムシの「ヘゲモニー論」は、「カウンター・カルチャー」の花を咲かせた。
1954年にベトナムからフランス軍が追い出されたのを契機に始まったベトナム戦争に係る反戦プロパガンダが「カウンター・カルチャー」という衣を纏って自由主義陣営内で繰り広げられ、伝統的権威懐疑、貧困解消、人種差別克服、平等概念拡張、性的放逸、薬物乱用容認、ヒッピー・ムーブメント等の喧伝が仕掛けられた。
大学構内からは学生運動が始まり過激化していった。警察介入への警戒心が治安軽視の風潮を招いた。マスコミは環境汚染を囃したてて製造活動妨害に奔った。
1957年、前衛芸術家らが社会革命的国際組織を結成した。
アメリカでは1963年に、キング牧師が‘I have a dream.’と唱えながら「ワシントン大行進」を行って公民権運動に勢いを与え、ベティ・フリーダンが‘The Feminine Mystique’を著してフェミニズム運動に火を注いだ。
1971年、ジョン・レノンの‘Imagine’が爆発的に売れた。
〖Imagine心に描こぅ。
Imagine there's no heaven, it's easy if you try.簡単だよ。心に描こぅ。
No hell below us, above us only sky.天国なんて無く、地獄もなく、有るのは空だけ
Imagine all the people, living for today…今を生きる人々は、心に描いて…
Imagine there's no countries, it isn't hard to do, nothing to kill or die for, no religion too.国が無ければ、殺し合いは無く、宗教戦争も無い。
Imagine all the people, living life in peace.平和に暮らしてる人々も、心に描いて…
Imagine no possesions, I wonder if you can, no need for greed or hunger.私有財産を無くせば、貪欲も飢餓も無くなる。
A brotherhood of man, imagine all the people, sharing all the world…人類愛で、総てを共有しよう。
You may say I'm a dreamer, but I'm not the only one, I hope some day you'll join us, and the world will live as one.心に描くのは、僕だけじゃなく、みんな一緒に。〗
1975年、ドイツでは、原発建設計画が反対運動の高まりによって中止された。
半世紀を経て「カウンター・カルチャー」が冬眠から目覚めたかのように「マイノリティ革命」の津波を世界中に巻き起こした勢力が何者かについて思索することは難しい。




