「宗教」概念の多様さ
津地鎮祭訴訟に於ける追加反対意見で、藤林益三最高裁判長が、「宗教」概念の多様さ(神学者、哲学者、宗教の科学的研究者たちは、古来さまざまな宗教の定義を提示しており、その多様さは、学者の数だけ定義の数もあるといわれるほど)に言及したのは、クリスチャンとして神道の特別扱いを許容できなかったという面もあるように思われる。
しかし、人は、生きて人生を過ごすうちに、個人としての感情や人間観について考え、他人との人間関係を処理しながら社会観を育て、過去から来て未来に進むという知識を得て歴史観を培い、総てを包摂する大自然の中に居る自分の存在を悟ったような気分に浸る経験をする。
3500年ほど前、虐げられた奴隷的境遇のヘブライ人たちをエジプトから逃す為に苦難の大移動をしていたモーセにとって、総てを包摂する大自然の「意思」に沿って苦難を乗り切ることが救われる道だと説くことが、大移動を継続する為に必須だった。モーセに従う人々は、自分を創造した唯一神(人智を超えた奇跡を起こすことができる宇宙創造主)の意に添うように生きる人生が正しいという価値観に支えられて、苦難を乗り越えようと努力した。この観念の元に成立したユダヤ教の分流がキリスト教で、そのまた分流がイスラム教だと言われている。唯一創造主信者らの末裔は、「神が創り給うた法則」を探究し、神の御心に添うよう生きる為に、自然科学を発展させた。
神秘的奇跡を人智で呼び起こすことは不可能という達観の下に、経験則に基づく「人生の知恵」を収集整理して、より良い生き方を周知させようと試みる儒教、道教を始めとする諸子百家の説法や李洪志講義録(轉法輪)等、各人に自らの存在意義を意識させる働きかけも、「宗教」概念に含めても差し支えないのではないのだろうか?
https://ja.falundafa.org/book/html/ZFL_J_content.html
経験則に基づく「人生の知恵」を収集整理してより良い生き方を追求する原始仏教も、自らが生きる基盤である自然を畏敬し自然との調和を至高の価値とする民族的「万物有霊」も、「宗教」感を漂わせている。




