第九話
暗がりで十分な検視が出来ていないが、刃物等は刺さっていなかった。
階段から落ちた先に偶然にも刃物があったとか、転げ落ちたときに手に持っていた刃物がちょうど刺さった、といった事故ではなさそうだ。
血の池ができるほどの傷だ。
当然、ただ階段を転げ落ちただけでは、ここまでの血は出ない。
つまり、事故ではない。
何者かがウィルを刺すなり、刻むなりして、殺害した。
先にはいくつかの物置教室がある。
背後は行き止まりなので、犯人が隠れているとしたら、この先のどこかだろう。
「バーツ、手前の教室から順に行くぞ」
「慎重にね」
ドアノブに手をかけ、一気に押し開ける。
懐中電灯を使い、フィレンは右から、バーツは左から照らして捜す。
光が中央で交差した。
「いないようだね」
「ああ、次の教室に行こう」
しかし、次も、その次も、さらに次も、人っ子一人見つからなかった。
どの教室も物音さえしない。
誰かがいる気配はまるでなかった。
迷路を探しに来たはずが、いつのまにか、犯人捜しになっているな、とか考えていると、ついに、最後の教室まで来てしまった。
バーツが改まって小声で囁く。
「ここが最後だね。いるとしたら、この部屋」
犯人がいて欲しいような、いて欲しくないようなそんな気分だった。
ドアを勢いよく押し開けると、今までとは別の光景が広がっていた。
壁。
壁である。
――といっても、正面ではなく、左右に壁がある。
そして、壁はまっすぐ前に伸びているかと思ったら、所々壁のない部分があり、そこからまたまっすぐに壁が伸びている。
そう。
「――迷路だ」
「驚いた。本当にあったなんて……」
バーツは口をだらしなく開き、心底信じられないといったような顔だ。
自分よりも驚いている人を見たからだろうか、フィレンの頭は冷静に動いていた。
「バーツはここにいて。私が中を探索する」
「え、二人で行った方が安全だよ」
「それだと、犯人を取り逃がすかもしれない。一人は入口で待つべきだ」
「じゃあ、フィレンが――」
「ダメ。私が行く」
そう言って、進もうとしたら腕を掴まれた。
しっかりと引き止めつつも、無理やり腕を引っ張れば振りほどける程度の力だった。
バーツは優しくて、面倒見が良い。
人を恨んだり、妬んだりすることがなく、憎悪という言葉をきっと知らない。
故郷の破滅に国王が関わっていると知った時も、復讐よりも、町の復興のことしか口にしなかった。
それなのに、復讐を行わんとする私の意志を尊重し、サポートに徹してくれている。
内心は反対のはずなのに……。
いつも協力の手を差し出してくれる。
そんな、懺悔をすれば全てを許してしまいそうな性格で、刃物を持った者と対峙なんかすれば、自分の命 さえも差し出しかねない。
真っ直ぐにバーツの目を見つめる。
子供の頃から変わっていない――綺麗な紫色の目だ。
「お願い」
――もうこれ以上仲間を失いたくない。
そんな気持ちが伝わったのか、バーツは手をほどいた。
迷路の中は真っ暗で、天井は軽くジャンプしただけで届きそうなほど低かった。
左手で懐中電灯を持ち、右手で壁を触れながら、壁に沿って進む。
こうすれば、見落とすことなく全ての道を通ることができる。
隠し扉になっている可能性もあるため、壁を押したり、叩いたりしながら進んだ。
しかし、壁としての感触があるだけで、迷路の謎を解決するような手ごたえはない。
――なんの変哲もない迷路だ。学校の地下にあることを除いて……。
結局、何事もなく。何者もなく。
迷路の入り口に戻ってきてしまった。
「誰か出てきた?」
バーツは首を横に振って答えた。
「誰も。怖いくらい静かだったよ」
「戻ろうか」
バーツを連れて、もう一度迷路を探索することも考えたが、数時間前まで会話をしていた緑髪の男――ウィルをこれ以上放っておくわけにはいかなかった。
当然のことながら、帰り道にはウィルの死体が血まみれで置かれていた。
「上に運び出そう」
バーツが言った。
「……そうだな」
現場検証をするなら、明日まで触らないでおくことも考えられたが、ウィルにそんな考えは毛頭もないようだった。
この暗い地下廊下に一人置いておくのが可哀そうだと思ったのだろう。
フィレンがウィルの上半身を持ち上げようとしたとき、違和感を覚えた。
「待った!」
下半身から持ち上げようとしていたバーツを手で制して、全身を観察する。
初めて発見した時と同じようにうつ伏せ状態だ。
腹部の当たりから血が滲み出るように広がっていて、緑色の髪は階段の脇に位置し、体は迷路側の廊下に伸びている。
何かがオカシイ。
階段を下りてきたときのことを思い出す。
人が横たわっているのが目に入り、廊下に足が着いたとき、血だまりを踏み付けて足を引いた。体を揺すっても反応がなく、その後、緑髪に気づき、ウィルだと判明した。
階段を少し上る。
下に降りる。
階段を下り切った足は、ウィルの頭部付近に着地した。
――足は血を踏んでいなかった。
もう一度駆け上がる。
眺めると、ウィルの体は階段の壁に遮られ、ほとんど見えなかった。
――つまり、
「死体が、動いてる……」




