小話1 第三話
次に到着したのは、牧場を営む男の家だった。
塀のそばには鉄でできた大、中、小のミルクタンクが所狭しと並んでいる。
外には人の姿が無かったので、ドアをノックするとすぐに開いた。
長身の白髭を蓄えた体の大きな作業着の男だ。
「よお、バーツ――ではないみたいだな」
「ああ、バーツの代わりに来たフィレンだ」
「来てもらったとこ悪いんだが、今日の作業はもう終っちまっててな」
「そうか。じゃあ、いいんだ」
と、踵を返そうとしたが、
「せっかくだから、搾りたてのミルクを飲んでけよ」とフィレンの返事も聞かず、男は家に入っていく。
――ミルクを飲むくらいならいいか。
そう思ったのが過ちだった。
男は胸元に付いている学校の紋章を見ると、ミルクを飲み干したばかりのフィレンにこう切り出した。
「最近、困ったことがあって――」
嫌な予感がする。話を無理やり変えようとわざとらしくため息をつく。
「こ、こんな旨いミルクは初めてだ」
「ああ、そのミルクが立て続けに盗まれたんだ」
わざとらしい演技も虚しく、白髭男は悩み相談を始めた。
この街の人は話を聞かない自分勝手なやつらが多いのだろうか。
優雅な休日が遠のく気配に落胆しながらも渋々話に乗る。
「盗まれた?」
「ああ、牧場で朝早くに搾乳した後、この場所でお得意さんからの注文通りにミルクをタンクに分けて、届けるまでの間、塀の近くに置いておくんだけどな。昨日、今日と連続で、あるタンクの中身が減ってたんだ」
「そのタンクはどこに」
男は一度外に出ると、小さめのミルクタンク――小さめと言っても、学校のクラスで全員に一杯ずつ配っても余るほどの量――を持ってくる。
フィレンの目の前に置き、その木蓋を開けた。
「ここを見てくれ、いつも目いっぱいにミルクを入れているんだが、少し減ってるだろ」
一見、ミルクは並々いっぱいに入って見えたが、目を凝らすと確かにフチからは水面が低くなっていた。
「これくらいは誤差じゃないのか。もしくは、移動させたときにこぼれたとか」
「おいおい、うちのミルクは『溢れんばかりのおいしさ』を売りにしてるんだぜ。味にも量にも気を付けてるんだ。こぼすなんてありえん」
――って、言ってもな。現に減ってる訳だけどな。
と、悪態をついてしまいそうになる。
ミルクタンクをじっと観察するが、穴が開いているなどの欠陥はない。
木製であれば、染み出ることもありそうだと思ったが、鉄製のタンクならその心配もないだろう。
「そういえば、蓋は木製なのか」
「ん? ああ、これな、元々はしっかりハマる鉄の蓋だったんだが、紛失してな。代わりに鍋蓋で代用してんだ。そいや、なぜだか、蓋が外れていたな」
「昨日も?」
「ああ、昨日も今日も。不思議なもんだ」
なぜ、そんな重要なことを言わないんだ。
蓋が、例えば風の影響で長時間ずれていたり、外れていたとしたら、考えられることが一つある。
「蒸発したんだろう」
「蒸発? なんだそりゃ」
「ほら、雨が降ってできた水たまりが、次の日には消えていたりするだろ? 日が当たったりして、温められると蒸発ってのが起きて、水が減るんだ」
少し雑な説明ではあったが、納得したようで、頷いた。
「そうかそうか。鍋に火をかけるとスープが減るのも蒸発ってやつか」
その例えの方が分かりやすかったかと、少し反省をしていると、「だが、」と続いた。
「タンクは日の当たらないところに置いているけどなあ」
そう言って不思議だといった様子で腕を組んだ。
言われてみれば、塀のそばに置かれたミルクタンクは日陰にあった気がする。
もちろん、蒸発は日が当たっていなくてもゆっくりだが、起きる。
ただ、さっき、『搾りたてのミルク』と言っていた。
今朝絞ってからはそう時間が経っていないはずだ。
目で見えるほどの蒸発が起きるとは考えにくい。
と、すると推察は間違っていたのか……。
「日陰では蒸発がほとんど起きないはずだ。僕の考えが間違っていたようだ。すまない。他の用事もあるので失礼する」
そもそも、バーツの約束を断るためにここに来たんだ。
謎解きをしに来たわけじゃない。
このことは忘れて、さっさと他の約束を違えにいこう。
酪農家は出口へと向かうフィレンに言った。
「俺も勉強になったよ。ありがとな。……でも、ウィンシャードの学生でも解けないとはな」
足を止め、振り返る。
「解けない? いいや、他に野暮用があるんでね。それが済んだら解決してみせる」
気づけばそう宣言していた。




