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「ねえ。さっきから聞いていれば、ニャーニャーと……。貴様、その光る箱の中に、私以上の宇宙の真理があると思っているの!?」
布団から這い出したカナは、ボサボサの髪のまま、コウタの端末を指差して咆哮した。
だが、コウタは視線を一ミリも動かさない。
画面の中では、白い子猫が毛玉と格闘する、あまりにも平和で高潔な時間が流れている。
「……あ、いっす。……今、一番いいところなんで。……子猫が毛玉に勝てるかどうかの瀬戸際なんすよ」
「ムキーッ!! 貴様、いい加減にしなさいよ!! 仕事(覇道)とあたし、どっちが大事なのよ!!」
「……え。……何言ってるんすか。……カナさんの覇道に付き合うのが、俺の今の『仕事』じゃないっすか。……何と何を戦わせてるんすか、カナさん」
コウタの至極真っ当な、そして極限まで温度の低いツッコミが炸裂した。
カナは一瞬、自分の放った「テンプレ的な問いかけ」の矛盾に気づき、顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
「ま、間違えたわよ!! 猫!! 猫とあたし、どっちが大事なのよ!! 宇宙の覇権を握るべきこの私と、ただ毛玉に転がされている四足歩行の獣を、今すぐその冷徹な天秤にかけなさいよ!!」
カナはコウタの襟首を掴み、鼻先が触れそうな距離まで顔を近づけた。
端末の光に照らされた彼女の瞳は、本気で猫に嫉妬しているという、クソザコナメクジ特有の矮小な情熱で燃え上がっている。
「……あ、いっす。もちろん、カナさんっすよ。カナさんの方が、大事に決まってるじゃないっすか」
コウタは、感情の起伏を完全に削除したような、事務的かつ迅速なトーンで即答した。
そこには「これで満足して静かになってくれ」という、有能なオペレーターによる迅速な処理の意図しか存在しない。
「…………えっ」
「……あ、いっす。返事したんで、もういいっすよね。……猫に戻るっすよ」
「………………きゃ、きゃああああああ!! 貴様、何を、何をさらっと! 恥ずかしげもなく!! この、無自覚な女誑し!! 死罪よ! 万死に値するわよぉぉ!!」
カナは、耳まで真っ赤にして自分の頬を両手で押さえると、そのまま水着の上から上着を振り乱し、脱兎の如く自分の部屋(隣室)へと逃げ帰った。
廊下に「不敬よ! 呪ってやるわ!!」という、支離滅裂な叫び声だけが木霊する。
「……あ、……やっと一人になった。……タイパ最高っすね、肯定の一言で解決するなんて」
コウタは静かになった部屋で、再び画面の中の毛玉を見守る作業に戻った。
扉の向こうで、カナが悶絶しながら壁をトングで叩いている音など、もはや心地よいBGMでしかなかった。
覇道し者の銀河
第五十七話:受領、および追加発注
「コウタ! 感謝しなさい! 貴様の昨夜の、あの涙ながらの……もとい、震える声での愛の告白、この私が正式に受理してあげたわよ!!」
翌朝、扉を蹴破らんばかりの勢いで乱入してきたカナは、昨夜の悶絶など無かったかのような、神々しいまでのドヤ顔で仁王立ちしていた。
その手には、なぜかどこから持ってきたのか分からない「不味いパン(乾燥しきったフランスパン)」が握りしめられ、聖剣のように掲げられている。
「……あ、おはようございます。……てかカナさん、勝手に人の部屋入ってこないでください。……あと、告白なんて一文字も発してないっすよ。……ただの二択の回答っす」
コウタはベッドの上で、昨夜から一睡もしていないかのような疲れ切った目で、端末を充電器から抜いた。
その淡白な反応に、カナは「フンッ」と鼻を鳴らし、ベッドの端に腰掛けてぐいぐいと距離を詰めてきた。
「いいのよ、照れなくて! 貴様の愛が私を絶望の淵から引きずり出した……それは厳然たる事実なのよ! だからこそ、私は考えたわ。……コウタ、貴様、もっと感動的な告白をしなさい!!」
「……はあ。……追加発注っすか。……何言ってるんすか、朝から」
「足りないのよ! 昨夜のはあまりにも簡潔すぎて、私の覇道日誌に刻むには文字数が少なすぎるわ! もっとこう、私の美しさを銀河の星々に例えたり、貴様の人生がいかに私という太陽なしでは暗黒であるかを、膝をついて、涙を流しながら、三時間くらいかけて述べ立てなさいよ!!」
カナはフランスパンでコウタの胸板をポカポカと叩きながら、無理難題を要求し始めた。
彼女にとって、コウタの「大事っすよ」という事務的な言葉は、すでに脳内で「命を懸けた求愛」にまで超翻訳されているらしい。
「……あ、いっす。じゃあ、一言だけ。……カナさん」
「なっ、なにかしら! ついに本気を出すのね!? さあ、奏でなさい、私への愛の鎮魂歌を!!」
カナが期待に胸を膨らませ、上目遣いでコウタを凝視する。
コウタは、感情の死んだ目でまっすぐに彼女を見つめ、もっとも効率的で、かつ彼女の勢いを止めるための一撃を放った。
「……カナさんのその、クソザコなのに無駄に前向きなところ、……嫌いじゃないっすよ。……だから、早くそのパン食べて、ギルドに再挑戦しに行くっすよ。タイパ悪いんで」
「嫌い、じゃない…に、にしししし!! 貴様、またそうやって! 私を翻弄して!! 仕方ないわね、今日のところはそれで勘弁してあげるわ!!」
カナは、顔を真っ赤にしてフランスパンを齧り、またしても自分の部屋へと逃走していった。
廊下からは「聞こえたかしら! 嫌いじゃないって! 嫌いじゃないって言ったわよあいつ!!」という、壁を叩くような激しい音が響いてくる。
「……あ、よし。……これでまた二時間は静かになるっすね。……さて、猫動画の続き、見るっすか」
コウタは、主人の扱いを完全に理解した手つきで、再び端末の再生ボタンを押した。
令和の覇道は、家来の「適当な飴」と、主人の「異常なまでのポジティブ変換」によって、今日も迷走を続けていた。
「フンッ。勘違いしないでほしいのだけれど、コウタ。貴様が『お前は俺のものだ』と私に熱烈な契約更新を迫るから、仕方なくきてやっただけだからね!!」
ギルドの扉を再び蹴破り、颯爽と(実際は水着の裾が引っかかって転びかけたが)姿を現したのは、カナだった。
彼女のファッションは、前回からの「進化」を遂げていた。
水着の上に、コウタから搾取した上着をまるでマントのように羽織り、歪な王冠は額にしっかりと固定されている。
しかし、上着は「着る」のではなく「羽織る」スタイルなので、水着の露出は全く隠れていない。
むしろ、中途半端な布面積が「謎の儀式を終えた謎の強者」感を際立たせ、ギルド内の冒険者たちの視線を釘付けにしていた。
「……あ、いっす。……そんなこと言ってないっすけど。……てかカナさん、その上着、全然機能してないっす。ただの飾りっすよ、それ」
「何を言うの! これこそが私の新しい『防護フィールド(バリア)』よ! 私の神聖なる肉体を直視できない凡人共の目を焼くために、わざとこうしているのよ!!」
カナは自信満々に胸を張り、ギルドの奥深くへと足を進めた。
コウタはその後ろを、顔を覆いながら必死に追いかける。
受付カウンターには、昨日と同じ受付嬢が、もはや無の境地に至ったような顔で座っていた。
「にししし! さあ、昨日取り損ねた報酬を渡しなさい! この私が、わざわざ水陸両用・覇道形態の完全版を披露しに来てやったのよ!!」
カナはカウンターに両手をドンとつき、王冠をギラリと光らせた。
受付嬢は、カナの「水着+マント(上着)+歪な王冠」という、もはや芸術の域に達した奇抜なファッションを、一分間ほど無言で見つめた。
その視線は、諦めと、ほんの少しの恐怖が混じり合っているように見えた。
「……あ、あの。……お客様。……本日はまた、さらに……その……『唯一無二』な出で立ちで……。ある意味、伝説の風格ですね」
受付嬢の言葉に、カナの顔が「してやったり」とばかりにニヤリと歪んだ。
「ほら見たことかコウタ!」と言わんばかりに振り返ったカナは、そのまま続けた。
「フン! 当然よ! それに貴様、私の服がもうなくなっていることにお気づきでないかしら? あのスライムの粘液で、持っていた服が全部溶けてなくなったのよ! これしかないのよ!!」
「……いや。……溶けたのは一着だけっすよ、カナさん。……それに、昨日俺が水着と同時に予備の服、買ってあげたじゃないっすか。……なんでそれ着てないんすか」
コウタの冷徹な事実確認に、カナの顔が「しまった」というように強張った。
彼女は一瞬、視線を激しく泳がせた後、無理やり咳払いをした。
「ご、ごほっ! 貴様は私の服がないことへの感動を優先するべきだろうが! いいわ、あの服は……そう、私の覇気に耐えきれずに消滅したのよ! だからこれしかないの! 納得しなさい!!」
「……あ、いっす。……もう疲れたんで、それでいいっす。……とりあえず、スライム十匹討伐の報酬、ください」
コウタは諦念に満ちた目でそう告げ、受付嬢に討伐証を差し出した。
受付嬢は震える手でそれを受け取ると、ゆっくりと報酬をカウンターに置いた。
ギルド内には、カナの奇抜なファッションと、コウタの「もうどうでもいい」という諦めのオーラだけが充満していた。
「ちょっと貴様! そこの受付嬢! さっきから私のコウタに、その……淫らで不遜な色目を使っているんじゃないわよ!!」
カナはカウンターをバンと叩き、身を乗り出して受付嬢を威嚇した。
水着にマントという、職質確定の出で立ちで叫ぶ姿は、もはや覇王の威厳というよりは、縄張りを主張する珍妙な生き物のそれである。
「えええええ!? い、色目!? 私はただ、この書類の……その、不備がないか確認していただけで……!!」
「嘘おっしゃい! 貴様のその、憐れみと困惑が混ざり合った湿っぽい視線! それこそが、私の所有物を奪おうとする、女狐の狡猾な罠だってことはお見通しよ!!」
「……あ、カナさん、落ち着いてください。……この人、俺のこと一ミリも見てないっす。……見てるのは、カナさんのその……ボンドがはみ出た王冠だけっす」
コウタは死んだ魚の目で、カナの腰を掴んで引き剥がそうとした。
だが、カナはさらにヒートアップし、カウンターに身を乗り出して指を突きつける。
「いいえ! 受付嬢の私を見る目が怪しすぎるのよ! 嫉妬ね!? 私のこの、機能美あふれる戦闘衣への嫉妬なのね!?」
「……カナさん、自分の格好が一番怪しいって気づいてください。……あと、受付嬢さんが怪しんでるのは、カナさんの倫理観っす」
コウタの冷徹な正論を、カナは「フンッ」と鼻を鳴らして無視した。
彼女はそのままコウタの腕を強引に掴んで引き寄せると、ドヤ顔でギルドの出口を指差した。
「まあいいわ! 下々の者の嫉妬に構っている暇はないの! そろそろ私の『国』を作っていかないとね! 食料(パン屋のジジイ)は確保済みよ!!」
「……パン屋しか繋がりなくないっすか? ……しかも、あの不味いパン、国民全員に食わせたら三日で暴動が起きるっすよ」
「にししし! 栄養なんて根性で補えばいいのよ! あとは土地よ! 土地さえあれば、そこが私の帝都となるのよ!!」
カナは街の地図が掲示された掲示板の前に陣取り、王冠をキラリと光らせた。
彼女が指差したのは、街の地図の端……魔物が徘徊し、誰もが近寄らない「呪われた湿地帯」だった。
「見てなさいコウタ! ここを更地にして、私の黄金の城を建てるわよ! 貴様は私の隣で、一生猫動画を禁じられて、私の美しさを讃える歌を作るのが仕事よ!!」
「……あ、いっす。……湿地帯っすか。……地盤沈下で、城ごとスライムの海に沈む未来しか見えないっすけど。……タイパ最悪っすね、その開拓」
「にししし! 見てなさいコウタ! 呪われた湿地帯なんて、私の神聖なる覇気の前に跪いて……あら?」
自信満々に足を踏み出したカナの足元から、どろりとした漆黒の泥が、獲物を狙う蛇のように這い上がってきた。
周囲には、この世のものとは思えない怨嗟の声が渦巻き、大気は紫色に淀んでいる。
一歩進むごとに、精神を削り取るような悍ましい波動が周囲を包囲した。
「……あ、……っ、やば。……ここ、マジで呪われてるっす。……っ、意識が……ログアウト、しそう……」
コウタはその場に膝をつき、こめかみを押さえて苦悶の表情を浮かべた。
超人的な感覚を持つがゆえに、この地の「負のエネルギー」を過剰に受信してしまっている。
彼の視界は点滅し、システムエラーのような頭痛が脳を蹂躙していた。
「カナさん……なんで、平気なんすか……。……ここ、かなり、やばいっす……。……引き返しましょう、死ぬっすよ……」
「はあ? 何を弱音を。ただの泥遊びじゃないの。……というか、呪い? どこにあるのよそんなもの。私の王冠の輝き(接着剤の反射)で、すべて浄化されているに決まっているじゃない!!」
カナは不思議そうに小首を傾げ、水着姿のままスキップせんばかりの軽やかさで泥の上を歩いていた。
あまりにも中身が空っぽ(ピュア)すぎて、呪いという高度な精神攻撃が、彼女の脳を素通りしている。
あるいは、彼女自身の「クソザコな思考」が、この地の呪いよりも遥かに強力なノイズとして機能しているのかもしれない。
「ひかぬ! ひかぬぞぉ! 我が覇道のまえには、如何なる魔境もレッドカーペットに、亜あああ!!」
高笑いと共に右足を踏み出した瞬間、カナの身体がズブズブと地面に飲み込まれた。
そこは底なしの沼だった。
覇道の宣言は一瞬で「ぶくぶく」という情けない泡へと変わり、水着の肩紐までが黒い泥に染まっていく。
「……あ、……いっす。……だから言ったじゃないっすか、ここ地盤沈下してるって。……カナさん、そのまま沈んでスライムの養分にでもなるっすか?」
コウタは頭痛に耐えながらも、バックパックから一本のロープを取り出した。
彼は感情を殺したまま、泥に沈みゆく「自称覇王」の、まだ地上に残っている唯一の希望……プラスチックの王冠を冷静に狙い定める。
「あ、あうっ……! コウタ! 助けなさい! 宇宙が! 宇宙の理が泥に溶けるわぁぁ!!」
「……あ、いっす。……今、引き上げるんで静かにしてください。……タイパ最悪っすね、この新天地。……やっぱりパン屋の隣に掘っ立て小屋建てるのが一番安定(安定)っすよ」
「にししし! ほら見なさいコウタ! 水着で正解だったじゃない! 泥にまみれても、こうして川で丸洗いすれば即座に戦闘不能(汚れ)から復帰できるわ!!」
川の浅瀬で、カナはジャブジャブと豪快に自分の身体を洗っていた。
黒い泥が夕日に照らされた川面に溶け出し、水着の黒が再び生々しい光沢を取り戻していく。
彼女は、自分が底なし沼に沈みかけた屈辱など一秒で忘却し、むしろ「水着を選んだ自分の先見の明」を称えるフェーズに移行していた。
「……あ、いっす。……ポジティブ変換のパッチ、強力すぎっすね。……てかカナさん、王冠に泥詰まってるんで、それもちゃんと洗ってくださいよ。……ボンドが剥がれるっす」
コウタは川岸で、泥を吸って重くなった自分の上着を、棒で突っつきながら洗っていた。
彼の顔は依然として青白く、あの地の呪いによる「精神的デバフ」の後遺症で、眉間に深い皺が刻まれている。
「コウタ! 貴様、いつまでそんな幽霊みたいな顔をしているのよ! あの程度の呪い、何とかしなさいよ! 覇王の家来でしょ!!」
「……いや、カナさん。……たぶん、あれを何とかできたら、ギルドからガチで勲章がもらえるレベルっすよ。……人間が立ち入っていい領域じゃないっす」
「ふん、私にはあんな呪い、これっぽっちも効かなかったわ! 魂の格が違うのよ、格が!!」
カナは川の中で仁王立ちになり、胸を張った。
呪いが効かなかったのは「格」ではなく「中身の無さ」によるものだが、本人が満足げなので、コウタはあえて指摘しなかった。
彼は濡れた手を拭うと、バックパックから使い古された魔導回路を取り出した。
「……あ、いっす。……とりあえず、あそこを自力で開拓するのはタイパ最悪なんで。……ゴーレムで遠隔探索するっす」
コウタが地面に魔導回路を設置し、無機質な指示を飛ばす。
すると、周囲の石や土が寄り集まり、手のひらサイズの小さな岩の塊……簡易ゴーレムが形成された。
それはコウタの視界とリンクし、トコトコと不気味な足音を立てて湿地帯へと向かっていく。
「なっ……! 貴様、いつの間にそんな小癯い魔術を……! あんた、毎回思うけれど、できないことって無いの!? 私を差し置いて、有能すぎやしないかしら!!」
カナは川から飛び出し、濡れた身体のままコウタの肩を掴んで揺さぶった。
水着の冷たい体温と、彼女の「嫉妬と驚嘆」が混ざった熱い吐息が、至近距離でコウタを襲う。
「……あ、いっす。……できないこと、山ほどあるっすよ。……例えば、カナさんの言動を予測するとか、これ以上の不条理を回避するとか。……それは神様でも無理っす」
「にししし! 私の覇道は、神の計算すら超えるのよ!! さあ、その岩人形の目を通じて、私の王都に相応しい『一番高い場所』を探し出しなさい!!」
「なっ……! ちょっとコウタ、その岩人形の視界を私に見せなさい!!」
カナは川から上がったばかりの濡れた身体で、コウタの端末を覗き込んだ。
ゴーレムが送ってくるノイズまみれの映像。
そこには、呪われた湿地帯の最深部、ひときわ巨大な枯れ木の根元に、ボロ布を纏って焚き火をしている「人影」が映し出されていた。
「……あ、いっす。……見えますか? 呪い渦巻く中心地で、普通に生活してる奴がいるっす。……あれ、たぶんこの地の主か、あるいは……」
「不法占拠者よ!! 間違いないわ!!」
カナは濡れた髪を振り乱し、歪んだ王冠を指先でクイッと直した。
まだ水着のまま、足元には泥が少し残っているというのに、彼女の瞳には「正義」と「領土防衛」の過激な炎が宿っている。
「見なさい、あの卑しき背中! 私がまだ一坪の地権も得ていないというのに、勝手に焚き火などして! 私の帝都を勝手に暖めているなんて、万死に値するわ!!」
「……いや。……カナさん。……たぶん、あの人の方が先に住んでるっす。……てか、あの呪いの中で平気で座ってる時点で、俺らより数段ヤバい奴っすよ。……関わらないのが一番のタイパ(効率)っす」
「問答無用よ! 行くわよコウタ! 立ち退き交渉の開始よ!!」
カナはトングを聖剣のように掲げ、再び呪いの湿地帯へと突き進もうとした。
コウタはため息をつき、ゴーレムの遠隔操作を「自動追従モード」に切り替えると、フラつく足取りでその後を追った。
「……あ、いっす。……もうどうにでもなればいいっす。……死なない程度に、俺が裏で障壁張っておくんで……。……でもカナさん、交渉って、トングで殴りかかることじゃないっすからね?」
「にししし! 覇王の交渉は、常に一方的な宣言のみで構成されるのよ!!」
「ちょっと貴様! 呪いなんて物騒なもの、私の帝都のど真ん中で展開してんじゃないわよ!!」
カナは、枯れ木の根元に蹲るボロ布の塊――「泥の賢者」に向けて、トングをビシィッと突きつけた。
水着姿にマントという、呪いの霧よりも不気味な格好で叫ぶ少女に対し、ボロ布の塊がビクゥッ! と大きく震えた。
「ひっ……! に、人間……!? なんで……なんで呪いが効かないの……。来ないで……こっちを見ないで……!!」
ボロ布の中から漏れ聞こえてきたのは、賢者の威厳など微塵もない、消え入りそうな震え声だった。
彼はガタガタと震えながら、さらにボロ布を深く被り、焚き火の影に隠れようとする。
その姿を見たコウタは、背後で冷静に分析結果を口にした。
「……あ、いっす。……カナさん。……これ、賢者っていうか、ただの極度の対人恐怖症(コミュ障)っすね。……この呪いの霧、たぶん他人を寄せ付けないための『防犯用の結界』っすよ」
「なっ……! 自分の殻に閉じこもるために、私の土地をこんな不気味な色に染めていたの!? 贅沢な引きこもりね!!」
カナは呆れるどころか、なぜか「救済者」のような慈愛に満ちた(歪んだ)笑みを浮かべた。
彼女はズカズカと賢者のパーソナルスペースに踏み込み、泥まみれの手でボロ布を強引に剥ぎ取ろうとする。
「いいわ、安心なさい! この覇王カナ様が、貴様のその腐った根性を覇気で叩き直してあげるわ! ちゃんと更地にして、私の城の庭師として雇ってあげるから感謝しなさい!!」
「やめてぇぇ!! 眩しい! その水着のテカリが眩しすぎて死ぬぅぅ!!」
「……あ、いっす。……カナさん、それ逆効果っす。……その格好で近づくのは、ただの事案っすよ。……てか賢者さん、泡吹いて倒れそうじゃないっすか」
「あんたには根性とガッツが足りないのよ! そんなボロ布に包まってないで、シャキッとしなさい!!」
カナは、もはや恐怖で丸いボールのようになっている「泥の賢者」をトングでツンツンと突き回した。
呪いの霧を無効化して物理的に距離を詰めてくる水着の少女。
賢者にとって、それは死神よりも、あるいはギルドの督促状よりも恐ろしい実体を持った「暴力」だった。
「ひぃっ、やめて……! 根性なんて、そんな高カロリーなもの、僕の辞書には載ってないんだ……! 帰って……お願いだから、その眩しい格好で僕の視神経を焼かないで……!!」
「にししし! 安心なさい! とりあえず、ここをピカピカの更地にしたら、いいところへ連れて行ってあげるわよ!!」
カナは太陽のような(あるいは接着剤の反射のような)眩しい笑顔で、とんでもない提案を口にした。
背後でそのやり取りを見ていたコウタの背筋に、嫌な予感が走る。
「……あ、カナさん。……その『いいところ』って、まさか……」
「わ、わかった! 土地はあげる! 呪いも解くし、更地にする手順書も置いていく!! だから、そのパン屋にだけは連れて行かないでぇぇ!!」
賢者は泣きながら、地面に魔法陣を高速で描き込み、霧を晴らすための魔力を一気に解放した。
呪いの霧がみるみるうちに晴れ、ドロドロだった泥濘が、彼の魔力の消失と共に乾いた土へと変質していく。
「にししし! 見たかしらコウタ! 私のカリスマが、ついにこの広大な領土を無血開城させたわ!! 勝利よ! 私たちの建国記念日は、今日に決まったわね!!」
「……あ、いっす。……カリスマっていうか、ただの不審者による強迫の結果っすけどね。……まあ、土地が手に入ったならタイパ的には合格っす」
「にししし! 見たかしらコウタ! 土地は手に入ったし、呪いも晴れた! あとはこの『余った無能』を有効活用するだけね!!」
カナは、恐怖のあまり魂が抜けかかった状態で震えている泥の賢者をトングで指差し、とんでもないことを口走った。
その瞳には、家来であるコウタすら戦慄させるほどの、極めて合理的(で身勝手)な「リサイクル精神」が宿っている。
「……あ、いっす。……カナさん。……今、何て言いました? 『引き渡す』って、まさか……」
「当然じゃない! しゃあないから、このヒキコモリを、さっき貴方を狙っていたあの受付嬢に引き渡してあげるわよ!! 彼女も寂しそうだったし、ちょうどいいじゃない!!」
「……はぁ!? カナさん、それマッチングアプリのバグどころの騒ぎじゃないっすよ。……あのお姉さん、求めてるのは『まともな冒険者』であって、この『ボロ布の塊(コミュ障)』じゃないっす」
カナはコウタの正論を「フンッ」と鼻で笑い飛ばし、賢者の襟首を掴んで強引に立ち上がらせた。
水着姿で泥まみれの少女が、ボロ布の男を引きずりながら、再びギルドへと「逆戻り」を開始する。
「いいのよ! あの女、貴方のことをジロジロ見ていたでしょ!? だから、代わりの『男』を献上してあげることで、私の独占権を確固たるものにする……これぞ覇道の等価交換よ!!」
「……あ、いっす。……それ、ただの押し付け(ハラスメント)っす。……てか賢者さん、絶望のあまり口から魂みたいなエクトプラズム出てるじゃないっすか」
「にししし! 感謝しなさいコウタ! これで貴方を狙う刺客(受付嬢)は一人減るわ! 貴方は一生、私の所有物として、私の隣でパンを焼いていればいいのよ!!」
カナは、接着剤まみれの王冠を誇らしげに揺らし、夕暮れの街へと突き進む。
令和の覇道。
それは、気に入らない恋敵(?)に「泥の賢者」を叩きつけ、自分の安全圏を確保するという、あまりにもクソザコで独占欲の強い、歪んだ愛の形だった。
「ハッハッハ! 感謝しなさい受付嬢! 貴様のその寂しそうな瞳に見かねて、最高の『男』を連れてきてあげたわよ!!」
カナはギルドの扉を蹴り開けるなり、引きずってきた「泥の賢者」を受付カウンターへと豪快に放り出した。
ボロ布を纏った賢者は、受付嬢の足元で「ひっ……光が、光が強すぎる……」と、深海魚のようにのたうち回っている。
水着にマントという、不審者の極致のような格好のカナが、歪んだ王冠をギラつかせて胸を張った。
「さあ! この男を貴様に献上するわ! 代わりに、私のコウタに色目を使うのを金忌としなさい! これでウィンウィン、覇道の等価交換成立よ!!」
お客様」
受付嬢は、カウンターに投げ出されたボロ布の塊と、自信満々の水着少女を、凍りつくような冷ややかな目で見つめた。
彼女は手に持っていた羽ペンを静かに置くと、カウンターの下にある「非常用魔導ブザー」に指をかけた。
「あの……。まず、ギルドは人身売買の仲介所ではありません。……そして、その怪しい方を『供物』として持ち込まれたこと、および相変わらずのその……露出狂的な服装。正直に申し上げますね?」
「な、なにかしら! 私の寛大さに、感動のあまり言葉を失ったのかしら!?」
「いいえ。……今すぐそこを動かないでください。……警察を呼びます。……今すぐ、確実に、呼びます」
「…………えっ」
「警察」という、覇王がもっとも苦手とする「公権力」の単語が出た瞬間、カナの顔がみるみるうちに青ざめた。
彼女は一秒前までの威風堂々とした態度をゴミ箱に捨てると、音速の速さでコウタの背後に回り込み、彼の上着をギュッと掴んでガタガタと震え始めた。
「コ、コウタぁぁ!! あの女、私を売ろうとしているわ! 反逆よ! 国家転覆の罪で、今すぐあのカウンターを消滅させなさいよぉぉ!!」
「……あ、いっす。……無理っす。……完全にカナさんが百パーセント悪いっすよ、これ。……てか賢者さん、受付嬢さんの足元で寝ないでください。……事案が加速するんで」
コウタは頭を抱え、ブザーを押そうとする受付嬢に向かって、これ以上ないほど深々と頭を下げた。
「……すみません、全部俺が悪いっす。……この不審者と、このゴミ(賢者)、今すぐ回収して撤収するんで。……タイパ最悪どころか、人生の履歴書に傷がつくっす……」
「にししし……! そうよ、コウタ! 早く私を連れて逃げなさい! 戦術的撤退よぉぉ!!」
カナはコウタの背中にしがみついたまま、ギルドの出口に向かって足をバタつかせた。
令和の覇道。
それは、良かれと思って仕掛けたマッチングが「通報」という最悪の結果を招き、家来の背中に隠れて震え上がるという、情けない敗走の記録だった。




