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アルトリウスとフェンが、甘ったるい光の粒子を撒き散らしながら去っていった後の広場。
カナは、地面に転がったままの「銀色のタライ」を忌々しそうに見つめていた。
やがて、彼女は隣で黙々とログを整理しているコウタを、食い入るように凝視した。
「……コウタ。アタシも、強くなりたいんだけど」
「………はい?」
コウタの手が止まる。
普段、傲慢と自信だけで世界を塗り替えているはずの少女の口から出た、あまりにも直球で、それでいてどこか「迷子」のような言葉。
カナはトングをぎゅっと握りしめ、不機嫌そうに地面を蹴った。
「さっきのを見たでしょう! あいつら、なんかよく分からない『構文』で、物理法則を無視してハッピーエンドを強行したじゃないの! 私も、ああいう理不尽を叩き潰せるくらいの『チート』が欲しいのよ!!」
「……あ、いっす。……ええええ、ムズいわ。……カナさん、今更何を言ってるんすか」
コウタは天を仰ぎ、重いため息をつきながら魔導端末のホログラムを激しく操作し始めた。
「いいすか。カナさんのスペック(能力値)は、既にこの街の既存システムじゃ計測不能なレベルで振り切れてるんすよ。……これ以上の『強化』は、サーバーそのものが物理的に爆発するか、カナさんの存在そのものがバグとして世界からデリート(消去)されるリスクがあるんす」
「そんなの、王の気合でねじ伏せなさいよ! 私は、あのキラキラした連中に二度と舐められないような、圧倒的な『主人公補正』が欲しいの!!」
「……それを、管理職(俺)に丸投げするっすか。……はぁ。……結局、カナさんが求めてるのは『出力』じゃなくて、物語を強制的に書き換える『権限』なんすよね。……それ、俺が一番触りたくない禁忌の領域なんすけど」
コウタは頭を掻きむしりながらも、端末に表示された「カナ・強化計画」という空のファイルを、苦虫を噛み潰したような顔で更新し始めた。
これまでの「効率化」や「設備改善」とは次元が違う。
「覇王を、さらに覇王にする」という、ロジックが死に絶えた究極の不条理への挑戦。
「にしし! 期待してるわよ、コウタ。貴様が私を最強にアップデートした暁には、この世界の全てのタライを黄金に変えて、私の玉座の飾りにしてやるんだから!!」
「……あ、いっす。……黄金のタライとか、成金趣味すぎて計算が追いつかないっすよ。……はぁ、本当に……ムズいわ」
カナは、どこから持ってきたのかボロボロの魔導書を広げ、仰々しく天を指差した。
「ヤッパ、女の子だから魔法よ! 長い詠唱、高火力、そして画面を埋め尽くすエフェクト! これこそが古来より伝わる、覇王に相応しい定番(お約束)なのよ!!」
「……あ、いっす。カナさん、そもそもなんすけど、魔法使えなかったっすよね。……貴様のこれまでの全戦闘記録、全部『物理』の一撃で完結してるんすけど」
コウタの冷徹な指摘に、カナは一瞬だけ泳いだ目を、すぐさま傲慢な輝きで塗りつぶした。
「何を言っているのよ! 前に一度、呪文を唱えたことがあったでしょう!? あの時は確か……ええと、そう! 『爆発しろ、不敬な者ども!』的な、かっこいいやつを!!」
「……あ、あれ、ただの怒声っす。……マイク感度が良すぎて周囲の物理演算がバグっただけで、魔力の変換効率はゼロ、というかマイナスっすよ。……大体、長い詠唱なんてカナさんのタイパ至上主義と正反対じゃないっすか」
「だまりらっしゃい! 詠唱は『溜め』よ! 溜めて、溜めて、ドカン! これが一番気持ちいいのよ!! コウタ、今すぐ私の喉と脳をハックして、世界で一番長くて破壊的な呪文をインストールしなさい!!」
コウタは深いため息をつき、魔導端末のキーを叩いて、カナの「魔力適性」を再スキャンした。
画面に表示されるのは、相変わらずの「物理特化・魔法耐性MAX」という、魔法使いからは最も遠い極北の数値。
「……はぁ。……どうしてもって言うなら、理論を無視した『外付け魔法(外部プラグイン)』を組み込むしかないっすね。……ただし、詠唱中に一文字でも噛んだら、魔力が暴走して自爆対象になるっすよ。……カナさんに、その精密な処理、できるんすか?」
「にしし! 私は王よ? 噛むなんてありえないわ! さあ、早くその『長くて凄いやつ』を出しなさい!!」
「……あ、いっす。……じゃあ、俺が裏で詠唱の同期(同期)を取るんで、カナさんはとりあえずその『古の超絶呪文』とやらを、一文字も間違えずに絶叫してください」
コウタが用意したのは、もはや経典のような長さの、意味不明な文字列の羅列だった。
カナはそれを受け取ると、高台に立ち、大きく息を吸い込んだ。
「……ああ、もう!! 舌を噛んだわ! 噛みすぎて口の中が血の味よ!!」
カナは地面に放り投げた魔導書を、さらにつま先で蹴り飛ばした。
先ほどから何度も「古の絶唱」に挑んでは、後半の難読な一節で舌がもつれ、小さな火花すら出せずに終わっている。
「フン! 今日の所は勘弁してやるわ! 喉のコンディションが王のクオリティに達していないようね。……本気を出せば、あんな呪文なんて一秒で暗唱できるんだから!!」
そう言って顔を背けるカナだったが、その肩は悔しそうに震えている。
彼女は、黙々と魔力計測器を畳んでいるコウタに、すがるような視線をチラリと向けた。
「……ねえ、コウタ。ちなみに……ホントに、できるようになるの? 明日、修行を再開したら、パァーンって派手な火柱が上がる予定なんだけど」
「……ああ。……言いづらいんすけど。そんな一日でできるなんて、あるわけないっす」
コウタは端末の画面を閉じ、冷徹な現実を突きつけるようにカナを正面から見据えた。
「カナさんがやりたいその『詠唱魔法』って、人生のリソースを全部、魔法式と魔力循環の構築にかけた人のやつっす。……ショートカットなんて存在しない、究極の非効率な技術なんすよ。……今のカナさんの適性と学習速度を計算すると……最短で三十年はかかるっすね」
「……さ、三十年……?」
カナの顔から、一気に血の気が引いていく。
覇王としての寿命(自称)の半分以上を、たった一つの魔法のために捧げるという計算。
「今すぐ最強」を地で行く彼女にとって、それは死の宣告に等しかった。
「三十年……!? 三十年経ったら、私、もう覇王を引退して、隠居してパンを齧ってる年齢じゃないの!! 嫌よ、そんなタイパの悪い修行、絶対に認めないわ!!」
「……あ、いっす。ですよね。……だから言ったんすよ。……カナさんのしたいのは『魔法』じゃなくて、魔法を使った『結果』だけを手に入れるチートなんすから」
コウタはため息をつき、膝をついて絶望しているカナを見下ろした。
物理最強の少女が直面した、初めての「努力では超えられない時間の壁」。
それは、どんな魔王よりも残酷に、カナの野望の前に立ちはだかっていた。
「コウタ何とかしてよ!! できたら、おっぱい触りまくっていいから!!」
カナはなりふり構わずコウタに飛びつき、その細い肩を全力で前後に揺さぶった。
覇道もプライドも投げ捨てた、あまりにも直球すぎる買収工作。
「……無理なもんは無理っす。てかカナさん、そのパターン、また俺をはめる気っすね。てか近づいたらトングで挟むじゃないっすか」
「ちっ!!」
舌打ちを隠そうともせず、カナはコウタを放り出すと、地面に大の字に寝転がった。
その不機嫌さはもはや周囲の空気を物理的に重くし、近くを飛んでいた小鳥が慌てて逃げ出していく。
「カナさん、よく考えてくださいよ」
「なに!! 私は今、非常に不機嫌なの! 魔法の使えない覇王なんて、炭酸の抜けたコーラと同じよ!!」
「……ジジイの店のパン屋、あれ。……再建したのは俺たちっすけど、結局客が戻ってきたのは、ジジイが何十年も積み上げてきたものが表に立っただけっす。……不味いなりに、ちゃんとした土台をジジイは持ってたんすよ」
コウタは淡々と、だがどこか鋭いトーンで続けた。
カナは横たわったまま、片目だけを開けてコウタを睨む。
「……だから何が言いたいのよ。嫌味なら聞き飽きたわ」
「カナさんの魔法の土台、そもそもゼロだし。土台もないのに、俺が無理やりハックして、いきなりそんなチート使えるようになって……。カナさん、それ、カッコいいっすか?」
コウタの問いかけに、カナの動きが止まった。
「カッコいい」という言葉は、彼女にとって、強さや支配よりも根源的な行動原理だった。
「……コウタ。それ、本気で言ってるの?」
「本気っす。……中身スカスカの魔法を唱えて、数字だけ稼いで。……それをカナさんは『覇道』って呼ぶつもりっすか? …俺が憧れた(……あ、いっす、今のはなしで)、俺が管理してる覇王は、そんなハリボテじゃないはずっすよ」
沈黙が流れる。
カナはゆっくりと起き上がると、自分の手のひらを見つめた。
魔法なんて一度も宿ったことのない、タコだらけの、トングを握るためだけに鍛えられた泥臭い手。
「フン…確かに。この私が『借り物の力』でイキるなんて、あの聖騎士の二番煎じじゃないの。そんなの、死んでも御免だわ!!」
カナは力強く立ち上がり、鼻を鳴らした。
その瞳には、絶望ではなく、別の種類の不遜な光が戻っていた。
カナは、泥を払って立ち上がると、じりじりとコウタの鼻先まで顔を近づけた。
その瞳は、逃げ場を許さないほど鋭く、それでいて幼い子供のような純粋さで揺れている。
「コウタ。じゃあ、あんたの言うその『カッコいい』ってのは、一体何なのよ」
カナの声は、低く、空気を震わせた。
自分をアップデートしろと言い、チートを欲しがった彼女が、初めて他人の評価基準に触れようとした瞬間。
「そんなん、知らねっす」
コウタは視線を端末に落としたまま、吐き捨てるように言った。
その指先が、一瞬だけ不自然に止まる。
「はぁ!? 散々私に説教しておいて、知らないとはどういうことよ! 無責任にも程があるわ!!」
「知らねっす。そんなの、俺の計算の外にあるバグみたいなもんなんすから。ただ、土台もねえのに数字だけ盛ってる奴を見ても、俺の端末は何一つ熱くならない。それだけは確かっすよ」
コウタは端末を乱暴にポケットにねじ込むと、背を向けて歩き出した。
夕闇に溶けていく彼の背中は、相変わらず冷たく、そして少しだけ不器用に見えた。
「チッ。何よあいつ。自分で言っておいて、丸投げ(エスケープ)しやがって!!」
カナは独り、取り残された修行場で、自分の拳を握りしめた。
「カッコいい」の定義は、コウタにも分からない。
けれど、彼が自分の「中身」を見ていることだけは、嫌というほど伝わってきた。
「ふん。中身、ね。いいわ。魔法が三十年かかるなら、三十年後の私が最強ならいいんでしょ!? でも、今日一日の修行を『無駄』って言わせないくらいのことは、やってやるわよ!!」
カナは地面に転がったトングを拾い上げ、再び構えた。
魔法の詠唱ではなく、風を切る音。
それは、何十年かけても揺るがない、彼女自身の「土台」を叩き直す音だった。
修行場の片隅。コウタが置き忘れた予備の魔導端末を、カナは不機嫌そうに拾い上げた。
画面を適当にフリックした、その時だった。
『カナ専用:高負荷時における魔力バイパスおよび肉体強度補完プロトコル:Ver. 3.42』
そこには、魔法が使えないカナのために、彼女がトングを振るう際の関節への負担を予測し、魔石のエネルギーで補正するための複雑な計算式がびっしりと並んでいた。
「ふーん……コウタ、ツンデレ好き確定じゃない!!」
カナの顔が、これ以上ないほどの勝ち誇った笑みに歪む。
ちょうど端末を探しに戻ってきたコウタが、その画面を見て「あ、」と硬直した。
「……あ、いっす。それ、ただの効率化の試作品っす。カナさんの無茶な動きで俺の端末にエラーが出るのがウザいから、予防措置として組んだだけで……」
カナはニヤリと笑うと、わざとらしく顔を背け、耳まで赤くして「お約束」のセリフを叩きつけた。
「ふん! べ、べつにあんたのためにつよくなりたいわけじゃないんだからね!!」
「…………は?」
「べ、べつにコウタと一緒にクエストなんて行きたいわけじゃないんだからね!!
……ちょっと、なんか言いなさいよ!!」
「……いや、急にどうしたんすか。古いOSの定型文でも読み込んだんすか。タイパ悪いっすよ、そのキャラ作り」
コウタの冷めた反応に、カナはさらに顔を赤くして、トングを激しく打ち鳴らした。
「はあっ?もっかい!!
……ど、どうしてもっていうなら、聞いてあげてもいいわよ!!
てか なんか言いなさいよ!!」
「……あ、いっす。……じゃあ、どうしてもって言うなら、その端末返してください。それがないと、明日からのカナさんの『土台作り』のメニューが更新できないんで」
「にしし! 素直じゃないわね!!」
カナは端末を放り投げ、満足げに鼻を鳴らした。
コウタはそれを空中でキャッチし、やれやれと首を振る。
覇王によるあまりに古典的なツンデレごっこは、夕暮れの修行場を、いつもより少しだけ騒がしく、そして少しだけ体温の高いものに変えていた。
「ハッハッハ! 見なさいコウタ、私の指先から溢れ出すこの……この、見えない何かを!!」
カナは森の中を、スキップと猛ダッシュを交互に繰り返すような不自然な動きで突き進んでいた。
その背後で、コウタは端末の画面を高速でスクロールさせ、カナの歩幅に合わせて地面の摩擦係数を調整し、飛んできた小石を不可視の結界で弾き飛ばしている。
「……あ、いっす。……今、カナさんの『覇気(という名の俺の魔力)』を、ビジュアル重視で三割増しにしておいたっす。……そのトングを振れば、だいたい何でも爆発するはずっすよ」
「にしし! 最高よコウタ!! これこそ王の力! 宇宙の理そのもの……あ、」
目の前に、プルプルと震える最弱の魔物「ブルー・スライム」が現れた。
カナは勝ち誇った顔でトングを突き出し、コウタの「爆破パッチ」が発動するのを待つ。
だが、運悪くコウタの端末が、バックグラウンドで走らせていた「カナ専用・全裸回避プログラム」の自動更新により、一瞬だけフリーズした。
「……あ、……しまった。……魔力同期、一時中断っす」
「えっ」
カチッ、とトングが空を切る虚しい音が響く。
爆炎も、衝撃波も、何も起きない。
それどころか、勢いよく振り抜いた反動で、カナは濡れた苔に足を滑らせた。
「きゃ、きゃあーーー!!」
派手な悲鳴と共に、カナはスライムの真上に顔面からダイブした。
冷たくて粘着性のあるスライムの体が、カナの顔や体にベッタリと張り付く。
「クソザコナメクジ」の真骨頂である、自爆による完全敗北。
「……カナさん。……大丈夫っすか。……今、システム復旧したっす。……あ、……もう遅いっすね」
コウタが冷めた目で端末を閉じると、スライムに揉みくちゃにされ、泥と粘液まみれになったカナが、ヌルリと首だけを持ち上げた。
鼻の頭にスライムの欠片を乗せながらも、その瞳は依然として「勝者」の輝きを放っている。
「……ふん。……なるほど。……私の体温でスライムを内部から蒸発させる、『高度な密着戦術』のフェーズ1が完了したわね。……貴様、私のこの……捨て身のデバッグを、ちゃんと記録していたかしら!!」
「……いや、どう見てもただ押し倒されて、スライムに懐かれてるだけっす。……あ、いっす。……『密着戦術』ってことにしとくんで、早くそこ退いてください。……タイパ悪いんで、俺が今からそいつ、一瞬でデリートするっすよ」
「にしし! 見なさいコウタ! この、貴様から搾取した上着から溢れ出す……私の真なる輝きを!!」
スライムに溶かされた装備の代わりにコウタの上着を羽織ったカナは、裾を引きずりながらも、まるで数千人の軍勢を率いる将軍のような顔で森を闊歩していた。
だが、その足元は粘液でぬるぬると滑り、三歩進むごとに「おっと……これも戦術よ!」と、生まれたての小鹿のように膝を震わせている。
「……あ、いっす。……カナさん、それ戦術じゃなくて、単に歩行能力が死んでるだけっす。……あと、その上着一枚だけだと、風が吹くたびに色々と『公序良俗』がログアウトするんすけど」
コウタはため息をつき、道端のギルド出張所に設置された自動販売機(魔導式)の前に立った。
彼は端末を操作し、もっとも安価で、かつ「露出を物理的に封じる」ためのアイテムを選択した。
「……ほら、これ着てください。……今のままじゃ街の検問で弾かれるっす」
「なっ……! 貴様、また私に安物の布を……。……あら? 何これ、妙にピッチリしているわね。……これが、最新の戦闘衣なの?」
コウタが差し出したのは、シンプルな黒のスクール水着……を、さらに実戦用に補強したような、装飾の一切ない競泳水着だった。
カナは岩陰で着替えると、バサリと上着を脱ぎ捨てて、日の光の下に躍り出た。
「ハッハッハ! 素晴らしいわコウタ! 身体の線が強調され、かつ水の抵抗を極限まで減らしたこの機能美! これぞまさに、私の『水陸両用・覇道形態』の完成ね!!」
「……いや、ただの水着っす。……露出を抑えるために一番布が密着するやつを選んだだけっすよ。……てか、なんでその格好で王冠を被り直すんすか。……シュールすぎて視覚的デバフがひどいっす」
カナは水着姿にプラスチックの王冠という、もはや何のアニメの怪人か分からない出で立ちで、腰に手を当てて高笑いした。
実力は相変わらずのクソザコで、水着に着替えたからといってスライムに勝てるわけでもない。
だが、彼女の脳内では、この「新装備」によって戦闘力が五万倍に跳ね上がったことになっている。
「さあ行くわよコウタ! この新たなる法衣を纏った私に、もはや死角はないわ! 街の民どもに、この令和の最先端を拝ませてあげようじゃない!!」
「……あ、いっす。……俺は五メートル後ろを歩くんで、他人の振りしてくださいね。……羞恥心のパッチ、早く実装されないっすかね、この人」
夕暮れの街へと続く道。
自信満々に水着で闊歩するクソザコ覇王と、その背中を死んだ魚の目で見守る家来。
「ハッハッハ! 門番どもが驚愕のあまり槍を落としていたわ! やはりこの法衣……世界を戦慄させるには十分すぎる威光を放っているようね!!」
カナは、接着剤が白く浮き出た歪な二代目王冠を、これ以上ないほど誇らしげに揺らした。
水着姿で夕暮れの街を堂々と闊歩する姿は、もはや覇王というよりは「脱走した特殊な訓練兵」にしか見えない。
その背後で、コウタは上着のフードを深く被り、通行人の視線から逃れるようにして歩調を合わせている。
「……あ、いっす。……門番が驚いたのは、カナさんの威光じゃなくて、その『隙だらけの防具』でよく生きて帰ってきたなっていう憐れみの視線っすよ。……早くギルドで報告済ませて、服買いに行くっすよ」
「黙りなさい家来! 報告こそが王の凱旋パレードよ! ギルドの民草に、この……スライムの粘液にも屈さぬ、究極の機能美を拝ませてあげるのよ!!」
勢いよくギルドの重い扉を蹴破らんばかりの勢いで開けたカナは、受付カウンターへと一直線に突き進んだ。
ざわついていたギルド内が、一瞬で凍りついたような静寂に包まれる。
カウンターの向こう側では、いつもの受付嬢が、ペンを握ったまま石像のように固まっていた。
「にしし! 驚いたかしら! 見なさい、これこそが私の真の姿……『水陸両用・覇道形態』よ! さあ、スライム十匹討伐の報酬を、畏れ多くもこの私に献上しなさい!!」
カナがカウンターに身を乗り出し、ドヤ顔で歪んだ王冠をキラリと(接着剤の反射で)光らせた。
受付嬢は、カナの首から下……一ミリも「冒険」に適していない黒い布地の面積を凝視し、それから数回、ゆっくりと瞬きをした。
「……あ、あの。……お客様? 大変申し訳ございませんが、当ギルドは……ええと、その……『プール』ではありませんし、ましてや『露出狂の更生施設』でもございませんので……」
「な、何ですって!? 露出……!? これは戦闘服よ! 貴様、この機能美が分からないの!?」
「分かりかねます。……あと、その頭の……ボンドがはみ出ている物体も、当ギルドの『安全規定』に抵触する恐れがありますので、至急、上着を着用していただくか、さもなくば衛兵を召喚いたしますが……いかがなさいますか?」
「なっ……ななな……!!」
カナの顔が、みるみるうちに沸騰したヤカンのように真っ赤に染まった。
覇王としてのプライドが、受付嬢の「事務的で冷徹な正論」によって粉々に粉砕されていく。
彼女は震える手で隣のコウタを振り返ったが、コウタは既に、壁際で「私はこの人を知りません」というオーラを全身から発して他人の振りをしていた。
「……あ、いっす。……カナさん。……タイパ悪いんで、そろそろ泣きながら逃げるフェーズに入っていいっすか?」
「う、……うああああああん! コウタのばかぁ! この服、全然機能的じゃないじゃないのぉぉぉ!!」
「……もう、嫌。もう絶対に、一歩もこの部屋から出ないわ。私はここで、歴史の闇に消える無冠の王として、腐って死んでいくことに決めたわ……!!」
宿の安っぽい布団に、カナは芋虫のように丸まって潜り込んでいた。
足元から覗く水着の裾が、先ほどまでの惨敗を物語っている。
歪んだ王冠は枕元に投げ捨てられ、そこには「この世の終わり」を体現したような、重苦しい湿り気が漂っていた。
「……あ、マジっすか。それ、絶対っすよ? 誓ってもいいっすか?」
コウタの声は、いつになく軽やかだった。
彼はカナの絶望を慰めるどころか、むしろ「待ってました」と言わんばかりのスピードで背負っていた荷物を床に置いた。
その背中からは、数日ぶりに「自由」の翼が生えかけている。
「いやー。やっとか。やっと休めるんすね、俺。カナさんの『覇道(迷子)』に付き合って、一日の平均歩行距離が二十キロ超えてたんで、正直膝が笑ってたんすよ」
「……えっ。……ちょっと、コウタ? 今、何か失礼なこと言わなかったかしら」
布団の隙間から、片目だけがギョロリとコウタを覗き見る。
だが、コウタはそれを完全に無視し、窓際の椅子に深く腰掛けて、端末の画面を優雅に操作し始めた。
「あ、いっす。……気にしないでください。……俺は今から、この二日間で溜まったログの整理と、自分へのご褒美に『超高画質な猫動画』を十時間くらい一気見するんで。カナさんは、どうぞ心ゆくまで腐っててください」
「…………貴様、私がこんなに、魂を削るような屈辱を味わったというのに、猫? 猫を見るというの? 王が泥を啜っている間に、家来が猫と戯れるなんて、銀河の法が許さないわよ!!」
「許すっす。……てか、そもそも引きこもるって決めたのはカナさんじゃないっすか。……タイパ最高っすね、動かない主人は管理が楽で助かるっす」
コウタは心底幸せそうに、鼻歌交じりで画面を眺めている。
カナの「構ってほしいオーラ」を物理的に遮断する、完璧な防御陣。
部屋には、端末から流れる穏やかな猫の鳴き声と、コウタの「ふふ、可愛いっすね……」という、感情の籠もった(カナには一度も向けられたことのない)優しい独り言だけが響き渡った。
「…お、お腹空いたわ。コウタ、不味いパンを買ってきなさい。……今すぐに、私の絶望に相応しい、あのパサパサのやつをよ!!」
「却下っす。俺、今、休み(バケーション)なんで。不味いパンが食べたければ、自分で時空を歪めて(歩いて)買いに行ってください。……あ、部屋から出ないんでしたっけ。……残念っすね」
「ムキーッ!! 貴様! さっきまでの献身的な態度はどこへ行ったのよ!! この……有能を装った、冷血な効率厨めぇぇ!!」
布団の中で暴れるカナと、一ミリも動かずに猫を愛で続けるコウタ。
二人の「主従関係」は、カナの引きこもり宣言によって、コウタの一方的勝利へと書き換えられてしまった。




