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「う、うわぁぁぁぁん!! あんまりよ、あんまりだわコウタ!! 私を、この、こんな……っ、寂しさで爆発しそうな更地に、一人で置いていくなんてぇぇ!!」


岩の家の中、カナはコウタのシャツの裾を握りしめたまま、子供のように泣きじゃくった。

不眠不休で大地を耕し続けていた時の「無」の表情はどこへやら、今は感情の堤防が決壊し、泥だらけの顔をさらにぐしゃぐしゃにしている。

その姿には、覇王の面影など微塵もなかった。


「……あ、いっす。……泣くのはいいっすけど、鼻水を俺の予備のシャツで拭くのはやめてください。……あと、カナさんのスタミナが無限なせいで、泣き声のボリュームが全然落ちないの、近所迷惑(モンスター騒音)っすよ」


コウタは冷たくあしらいながらも、逃げ出すことなく、その場に棒立ちでカナの重みを受け止めていた。

賢者はその光景を、岩の影からボロ布を被って震えながら見守っている。


「寂しかったのよ! 貴様がいないと、私の『にししし!』にキレのあるツッコミが入らないじゃない! ただの独り言になって、虚しくて、もう土を掘るしか道がなかったのよぉぉ!!」


「……あ、いっす。……だからって隣国の国境まで耕すのは、開拓じゃなくて侵略っすよ。……俺がいない間に、外交問題バグを量産しないでください」


コウタはため息をつきながら、営業先で「ついで」に買ってきた、ハーブの香りがする清潔な蒸しタオルをカナの顔に押し当てた。

泥が少しずつ落ち、その下から、疲れを知らないはずの肉体に宿った「精神的な疲労」が覗く。


「……カナさん。……置いていったのは、この国の『予算』を稼ぐためっす。……主人が無一文で水着姿なのは、タイパ以前に組織の信用問題に関わるっすから。……ほら、これ食べたら、さっさと風呂入って寝るっすよ」


コウタが差し出したのは、ジジイの石パンとは比較にならない、ふわふわで柔らかい白パンだった。

カナはそれを受け取り、涙でしゃくり上げながら、一口、また一口と、人間らしい味を噛み締めた。


「……美味しい……。……不味くないパンが、こんなに美味しいなんて……。……コウタ、貴様……。……もう二度と、私の視界から一秒以上消えることは許さないわよ……。……これ、覇王の……勅令なんだから……」


「……あ、一秒は無理っす。……トイレくらい一人で行かせてください」



「……コウタぁ。……私、やるわ。……もう寂しさで土を掘るんじゃなくて、未来のために、この大地に『覇王の種』をまいてやるわ!!」


泥を拭い、まともなパンで人心地ついたカナは、再びクワと種袋を手に取った。

一度スイッチが入れば、無限のスタミナがプラスに(?)働く。

彼女は「にししし!」と力なく笑いながら、地平線の彼方まで続く広大な開墾地に、猛烈な勢いで種をまき散らし始めた。

それはもはや農業というより、超高速の弾幕射撃に近い光景だった。


「……あ、いっす。……カナさんはそのまま、その無限の体力で種まきに専念しててください。……あ、ジジイ。……カナさんが倒れない程度に、まともな飯の準備、頼むっす。……もちろん、あの『暗黒物質』は抜きで」


コウタはカナを農地に隔離メンタルケアすると、すぐさま賢者を岩の影から引きずり出した。

その瞳には、営業で稼いできた金貨の輝きよりも鋭い、冷徹な「改革者」の光が宿っている。


「……さて、賢者さん。……主人が泥遊びに夢中なうちに、俺たちでこの領地のシステムを根本から書き換える(パッチを当てる)っすよ。……稼いできた金は、全部ここにブチ込むっす」


「ひ、ひいいい……! コウタさん、目が怖いよ……! 急進的すぎる改革は、既存の法則(物理演算)が耐えられないよぉぉ!!」


「……あ、大丈夫っす。……物理が無理なら魔法で補強するだけっす。……街道の整備、魔導通信網の敷設、そして周辺諸国への『既成事実』の構築。……カナさんが種をまき終わる頃には、ここを後戻りできないレベルの『要塞都市』の基盤に変えておくっすよ」


コウタは、稼いできた予算を湯水のように使い込み、次々と資材を発注し、賢者に高度な術式を編ませていく。

主人が一粒の種をまく間に、家来は一キロの魔導光ファイバーを敷設する。

それは、あまりにも歪で、あまりにも効率的な、二層構造の建国劇だった。


「……ふぉっふぉ。……飯じゃ。……覇王の娘には、この『特製・大地のスープ(泥ではない)』を飲ませて、さらに働かせるとしよう……」


「ジジイ! スープの中に変な粉入れないで! 栄養価が高すぎて、カナさんが光り出したらどうするのよぉぉ!!」





「……ふぅ。……終わったわ。……この広大な土地すべてに、私の愛(執念)を込めた種をまき終えたわよ……!!」


カナは、地平線の端から端までを一人で往復し終え、泥だらけの顔を上げた。

無限のスタミナに任せて、ひたすら下を向いて土と向き合っていた数時間。

しかし、視線を上げた彼女の目に飛び込んできたのは、自分が知っている「のどかな更地」ではなかった。


「……な、なによこれぇぇ!! 私の更地が、知らない間にサイバーパンクになってるじゃないのぉぉ!!」


そこには、賢者の魔法で精緻に固められた、幾何学的な模様が光る「魔導舗装」の街道が一直線に伸びていた。

街道沿いには、コウタが設計し、賢者が半泣きで具現化した「魔導通信塔」が青白い光を放ちながら天を突いている。

かつての湿地帯の面影はなく、そこには「超近代的な都市の骨格」が、暴力的なまでの速度で組み上がっていた。


「……あ、いっす。……カナさんが種をまく効率が良すぎて、こっちの工事が追いつくかヒヤヒヤしたっすよ。……稼いだ金は全部使い切って、さらに賢者さんの魔力を前借オーバークロックして、インフラの基礎は完成させたっす」


「……あ、……あ……。……僕、もう……一滴も魔力が出ないよ……。……街道の接合部をミリ単位で調整させられるなんて……。……これじゃ、建築家アーキテクトじゃなくて、ただの奴隷だよぉぉ……」


コウタは端末を叩きながら淡々と告げ、賢者は道路の端でボロ布を被ったまま、干からびた雑草のように力尽きていた。


「貴様ら、主人の留守……じゃなくて、泥遊び中に勝手なことを!! このハイテクな塔は何よ!? 私、こんなの頼んでないわよ!!」


「……あ、いっす。……これ、カナさんの声を領地全土に一瞬で届ける『覇王放送システム』のアンテナっす。……タイパ重視で、カナさんの無駄にデカい声を効率よく拡散するために作ったっすけど、いらなかったっすか?」


「…………え。……私の声が、どこまでも届くの? ……にししし! いいじゃない、最高よコウタ!! さっそく、私の『建国宣言』を全世界に爆音で流してやりなさい!!」


カナは一瞬で手のひらを返し、泥だらけのまま通信塔に駆け寄った。


「あー、あー! テステス! 聞こえてるかしら、愚民ども! ……にししし! コウタ、ボリュームは最大よ! 私の美声を、この世界の隅々まで叩き込んでやりなさい!!」


カナは、青白く発光する魔導通信塔の真下に立ち、賢者が震える手で差し出した「魔導マイク(石に糸を巻き付けた何か)」をひったくった。

泥だらけの水着、ボロボロのマント、そして不眠不休の種まきでギラついた瞳。

歴史上、これほどまでに「不審者」に近い姿で建国を宣言した王がいただろうか。


「……あーあ、諸君! おはこんばんにちは! えー、なんか沼っぽいところからお届けしております、令和の覇王、カナよ!!」


通信塔の先端が激しく明滅し、カナの声が魔力波となって街道沿いのスピーカー(賢者が無理やり設置させられた拡声石)から大音量で鳴り響く。

遠くで作業していた職人たちが、あまりの爆音に耳を塞いでひっくり返った。


「いい、よく聞きなさい! 本日をもって、この地を正式に……『カナチャンラブネストゥィズコウタキングダム』と命名いたします!! 拍手!! 全員、地面に頭を擦り付けて、この尊いネーミングセンスを讃えなさい!!」


「……あ、いっす。……名前、長すぎっす。……ドメイン登録(魔導登録)する側にもなってほしいっすよ。……あと、『ラブネス』のあたりで周辺諸国から『公私混同のバカの国』としてマークされるの確定っすね」


コウタは端末の画面を眺めながら、淡々と「外交的リスク」を読み上げた。

背後では、魔力を吸い取られ続けた賢者が、「ラブネスト……コウタ……キングダム……。僕が作った美しい幾何学模様の街道が、そんな名前の国のインフラになるなんて……」と絶望のあまり泡を吹いて倒れている。


「うるさいわね! 名前は力よ! さあ、ジジイ! 貴様も祝いのパンを焼きなさい! 記念すべき第一回・建国記念パーティの始まりよ!!」


「……ふぉっふぉ。……めでたいのう。……では、この『祝・爆発パン』を全土にばら撒くとしよう……」


「ジジイ! 祝いの席でテロを起こさないで! あとカナさん、マイクのスイッチ切る前に鼻をかむのはやめてください。……全土に『ズズッ』って音が響き渡ってるっすよ」


「……ねえ、コウタ。……ちょっと気になってたんだけど」


カナは、青白く発光する幾何学的な街道と、空高くそびえ立つ通信塔を見上げ、ふと我に返ったように呟いた。

足元には、自分が猛スピードで植えた種が、賢者の魔導肥料とコウタの高度な環境制御によって、すでに異常な速度で芽吹き始めている。


「ここ、サイバーパンクですっごいハイテクなのは認めるけど……誰もいないじゃない!! 国民は!? 私を崇めるはずの群衆はどこに消えたのよ!!」


「……うっす。……主要産業はAIによるオートメーションですべてまかなってるっす。……わざわざ手間のかかる『人間』なんて集めて、福祉だの暴動だののリスクを抱えるのはタイパ最悪っすから」


コウタは手元の端末を流れるように操作し、ホログラムのグラフを表示させた。

そこには、無人の農機が効率的に作物を収穫し、ドローンが街道を整備し、自動翻訳AIが周辺諸国に勝手に外交メールを送り続ける、冷徹なまでの「完全無人化」のログが並んでいる。


「あんた……いつの間にこんなことやってんのよ!! 私が種うえてる間に、そんな高度な文明を構築してたわけ!?」


「……あ、いっす。……不労所得パッシブ・インカムでいきましょうっす、カナさん。……カナさんは適当にマイクで吠えて、ジジイは意味不明なパンを焼き、賢者さんはインフラのバッテリー(生贄)になってれば、あとはAIが勝手に外貨を稼いでくる仕組みっす」


「ひ、ひいいい……! 僕は……電池……僕は人間電池なんだぁぁ!!」


街道の隅で、通信塔に魔力を吸い上げられ続けている賢者が、青白い火花を散らしながらガタガタと震えている。


「……にししし! 不労所得! なんて甘美な響きかしら!! ……でも、ちょっと待ちなさい。……そんなこと言ったって、この国の人口、だいたいここ(更地)にいる四人しかいないじゃないっ!!」


カナは、自分と、冷徹なコウタと、泡を吹く賢者と、虚空を見つめるジジイをトングで指差した。

ハイテクな高層アンテナが立ち並ぶ中、生身の人間は四人。

しかも、まともな精神状態なのは一人もいない。


「……うっす。……人口密度はほぼゼロっすけど、サーバー上の仮想国民( bot )は一千万人を超えてるっす。……対外的には『超多民族国家』ってことにしてるんで、カナさんはそのまま『自分には大勢のファンがいる』とでも思い込んでればいいっすよ」


「……それ、誰もいないじゃないのぉぉぉ!!」

 

「にししし! こうなりゃサイバーパンクMAXよ!! コウタ、世界中のマジカル電子マネーをかき集めるのよ! 富と! 権力と! 欲望の全てをこの更地ラブネストに集約させなさい!!」


カナは通信塔の基部に足をかけ、泥のついた水着を翻して高らかに叫んだ。

もはや農業大国なんて地味な目標は過去のものだ。

彼女の眼前に広がるのは、魔導舗装が青く光る無人の大通り。

そこには「人間」という不確定要素を排除した、純粋な数値だけの帝国がそびえ立っていた。


「……うっす。……てか、すでにここ、外貨(電子マネー)の保有量だけなら、世界中の国の中で上から数えた方が早いっすよ」


「……はぁぁぁ!?」


コウタは、眩いホログラムディスプレイを空中に展開し、猛烈な勢いで上昇する棒グラフを指し示した。

カナの理解を絶する桁数の数字が、秒単位でさらに膨らみ続けている。


「いやいやいや、おかしいでしょ!! あんた、営業から帰ってきてまだ数日しか経ってないじゃない!! なんでそんな短期間で、小国を丸ごと買い叩けるような資金が溜まってるのよ!?」


カナはマイクを放り出し、コウタの胸ぐらを掴んで激しく揺さぶった。

いくら爆薬を売ったところで、この数字は説明がつかない。

物理法則すらバグらせる、あまりにも異常な「経済の暴力」だ。


「……いやぁ、人間ってコストがないんで」


コウタは揺さぶられながらも、無機質な声で淡々と続けた。


「……他の国は、国民を食べさせたり、不満を抑えたり、インフラを保守するのに莫大な無駄ロスを出してるっすけど。……ここは人口四人。……賢者さんの魔力をサーバーの電源にして、AIに秒速一億回の超高速取引ハイフリークエンシー・トレードをさせてるだけっす」


「ひ、ひいいいい……! 僕の魂が……僕の魔力が……一秒間に何兆円もの欲望に変換されて削られていくよぉぉ!! 止めて、誰か僕をコンセントから抜いてぇぇ!!」


通信塔と一体化させられ、光の回線に飲み込まれかけている賢者の悲鳴が、サイバーな夜空に木霊する。


「……あ、いっす。……カナさんが種をまいてた間に、俺は世界中の市場をハックして、各国の王室の隠し財産をAIで『最適化(横領)』しておいたっす。……今のカナさん、実質的に世界の銀行のオーナーっすよ。……よかったっすね」


「……怖いわよ!! 全然良くないわよ!! 私が欲しかったのは、もっとこう……領民が『カナ様ぁ〜!』って跪いて、貢ぎ物をくれるような……手触りのある覇道なのよ!!」



「にししし! 金が有り余ってるなら話は早いわ! すぐさま、この世界の粋を集めた職人たちに『カナチャンラブキャッスル』を作らせなさい!! コウタ、いい? あんたと私の寝室は、当然『一つ』なんだからね!! 逃げ場なんてないわよ!!」


カナは、札束(という名の電子マネーの塊)が空を舞う幻覚を見ながら、トングでコウタの鼻先を突っついた。

人っ子一人いないサイバー空間に、強引に「愛(執念)」という名の建物をねじ込もうとする。

それが彼女の、孤独への精一杯の抵抗だった。


「……あ、いっす。……職人を呼ぶのはタイパ悪いんで、AIに設計させてナノマシンで自動建築ビルドさせるっす。……寝室一つなのも承知したっすよ。……カナさんのイビキを二十四時間録音して、国家の防衛用ノイズとして活用するのに好都合っすから」


「誰がイビキよ!! あと、ジジイのパン工場もちゃんとしたのを建てなさいよ! そこで更なる……何かしらの物質パンを焼かせるのよ!!」


カナが地平線のかなたを指差すと、そこにはすでに、不気味なほど洗練されたメタリックな巨塔がそびえ立っていた。


「……うっす。……ジジイのパン工場、フルオートメーションのやつが、もうあそこにあるっす。……原料の搬入から、ジジイの『粉……粉……』という呟きのサンプリング、そして焼き上がった暗黒物質の宇宙投棄まで、全て全自動シームレスっす」


「……あ、……あ……。……わしの……わしの魂が……ベルトコンベアに乗って流されていく……。……手が勝手に……捏ねる動きを……止められんのじゃ……」


工場の中心部で、最新鋭のマニュピレーターに体を固定されたジジイが、半ば機械の一部と化してパンを捏ね続けていた。

その様子は、もはや「伝統の味」というより「呪いのデジタルコピー」に近い。


「……ひ、ひいいい……! 街道の次は、お城の骨組み……!? コウタさん、カナさんの『愛』のデータが重すぎて、僕の魔力回路が、真っオーバーヒートだよぉぉ!!」


通信塔の頂上で、賢者の魔力が「ピンク色のノイズ」となって弾け、建設中の『ラブキャッスル』の壁が淫靡に明滅し始める。


「……あ、いっす。……賢者さんの魔力が尽きる前に、寝室の防音壁(物理)だけは最大強度で仕上げるっす。……カナさんの夜通しの自分語り(演説)を、一ミリも漏らさないようにしないといけないっすからね」


「コウタぁ!! 貴様、一言多いのよ!! 二人で、この黄金の寝室で、永遠に『建国の理想』について語り明かすのよぉぉぉ!!」



カナは泥だらけだった足を綺麗に(賢者の洗浄魔法で無理やり)洗われ、新品のシルクのマントを羽織って、黄金の寝室の中央でトングを高く掲げた。

窓の外には、AIが管理する無人のサイバー都市が青白く光っているが、この部屋の中だけは、彼女の情念がそのまま形になったような、過剰なまでの熱気に包まれている。


「さあ、覚悟しなさいコウタ!! 今夜は一睡もさせないわよ!! 私が描く『世界の再構築デバッグ』の理想から、貴様の給料の〇・一パーセントをいつ一パーセントに上げるかという重要議題まで、永遠に語り明かすんだから!!」


「……あ、いっす。……じゃ、俺、寝るっすね」


「聞けええええええ!!」


カナが絶叫した瞬間、コウタは懐から最新の操作端末を取り出し、寝室の隅にある「一畳分ほどの不自然な空間」に向かってタップした。

すると、床下から静かに、だが重厚な駆動音と共に、厚さ三十センチはあろうかという「防弾・遮音・魔力無効化仕様」の特殊強化ガラスパネルがせり上がってきた。


「……な、なによこれ。……何なのよこの、透明な公衆電話ボックスみたいなやつは!!」


「……あ、いっす。……これ、最新の『タイパ管理型・個人用隔離シェルター』っす。……カナさんの演説をBGMにすると、睡眠のクオリティがバグるんで、物理的にシャットアウトさせてもらうっすよ」


コウタは淀みない動作でその透明な箱の中に入ると、内側からカチリとロックをかけた。


「ちょっと!! 出てきなさいよ! 寝室は一つって言ったじゃない!! これじゃ、ただ同じ部屋に『展示』されてるだけじゃないのよ!!」


カナはトングでガラスをガンガンと叩くが、賢者の魔力を搾り取って作られた最高強度の防弾ガラスは、火花すら散らさず冷徹に彼女を拒絶している。

シェルターの中のコウタは、ノイズキャンセリングヘッドホンを装着し、アイマスクをずらしながら無表情にこちらを見た。


「……あ、……っす。……外側からは、カナさんの口パクが見えるんで、一応『聞いてるフリ』だけはしておくっすよ。……あ、もうすぐ賢者さんの魔力が安定期に入るんで、照明も落とすっす。……おやすみなさい、カナさん。……明日も無人農機のアップデートで忙しいんで」


「待ちなさい! まだ『ラブ』の部分が全然始まってないわよ!! コウタぁぁ!! 開けなさぁぁい!!」


「…………ふんっ! もういいわよ! コウタなんて、もう知らないんだから!!」


翌朝、黄金の寝室にカナの「拗ね」のオーラが充満していた。

シェルターから平然とした顔で出てきたコウタに対し、カナはベッドの端で膝を抱え、ぷいっと顔を背けた。

その手元には、昨晩、一晩中ガラスを叩き続けたせいで、無惨に「くの字」にひしゃげた愛用のトングが握られている。


「……あ、いっす。……おはようございます、カナさん。……そのトング、もう金属疲労バグで寿命っすね。……予備のトング、外貨で千本くらい一括発注しておいたっす。……今、無人ドローンが国境を超えて輸送中なんで、好きなだけ壊していいっすよ」


「……いらないわよそんなの!! 貴様なんて、大っ嫌いよ!! 今日から私は、一人でこの国を統治して、一人で豪華な朝食を食べて、一人で幸せになるんだから!! 貴様は一生、その透明な箱の中で、数字とだけ喋ってなさい!!」


カナは勢いよく立ち上がると、シルクのマントをバサリと翻し、大股で寝室を後にした。

その背中は「絶対に追いかけてくるなよ(でも本当は追いかけてきて謝ってほしい)」という、あまりにも分かりやすいクソザコな信号フラグを発信している。


「……あ、いっす。……じゃ、俺、システムのデバッグに戻るっすね。……あ、カナさん、出口そっちじゃなくてクローゼットっす」


「わ、わかってるわよ!! 貴様を油断させるための高度なフェイントよ!!」


カナは真っ赤な顔をして正しい扉から飛び出し、無人の長い廊下を猛烈な勢いで突き進んだ。

向かった先は、ジジイのオートメーションパン工場。

彼女は、機械の音だけが響く巨大な食堂の隅に座り、ベルトコンベアから自動で流れてきた「祝・建国(という刻印が入った)超硬質パン」を、一人でボリボリと齧り始めた。


「……美味しいわ。……やっぱり、一人で食べるご飯が一番タイパがいいのよ……。……ぐすっ。……あいつのツッコミなんて、……ただの雑音だわ……。……にししし……。……自由よ……私は自由なのよ……」


カナの瞳には、寂しさという名の涙が溜まっていたが、それを拭ってくれる「冷徹な家来」は、今や別のモニターの前で、国家のGDPをさらに数パーセント押し上げる作業に没頭している。



「コウタ!! もういいわ、こんな国!! 愛もなければツッコミもない、ただ数字が踊るだけの冷たい箱庭なんて、もういらないわよ!! 帰るわよ、私たちの『更地』へ!!」


カナは、食べかけの超硬質パンを床に叩きつけ、食堂のスピーカーに向かって絶叫した。

全自動で管理された黄金の城も、世界中からかき集めた電子マネーも、今の彼女にとっては「コウタと話す時間」を奪う邪魔者でしかなかった。


「ジジイ! 行くわよ! 貴様もそのマシーンの一部みたいな生活は終わりよ! 泥にまみれて、またあのクソマズいパンを焼きなさい!!」


「……ふぉっふぉ。……そうか、終わりか。……では、この工場の自爆スイッチを押して、景気良くおさらばするとしようかのう……」


「待てジジイ!! 景気良すぎんのよ!!」


カナはジジイの腰布を掴んで強引に引きずり出すと、通信塔の頂上で今にも発火しそうになっていた賢者を見上げた。


「賢者! 貴様にはこの国をあげるわ! 好きなだけ魔力を使って、このサイバーな地獄の王になりなさい!! さらばよ!!」


「え、ええええええ!!? いらないよぉぉ!! 借金(魔力的前借)とバグだらけの無人国家なんて、僕一人じゃ維持できないよぉぉ!! カナさん、行かないで! 捨てないでぇぇ!!」


賢者の悲鳴が空に響く中、カナはコウタが籠もるシェルターの扉をトング(予備)で激しく叩き壊した。


「さあコウタ! 撤収よ!! 営業で稼いだ金は全部ここに置いていくわ! 私たちには、あの何もない、不便で、理不尽で、貴様が私をゴミのように見る『ギルド』がお似合いなのよ!!」


「……あ、いっす。……じゃ、資産の全譲渡手続きと、都市システムのオートパイロット移行、完了したっす。……ちょうどこの生活、タイパ悪くなってきたところだったんで、助かるっすよ。……さ、帰るっすか」


コウタは驚くほどあっさりとシェルターから出てくると、最小限の荷物だけを手に取り、カナの横に並んだ。


「……あ、……っ。……なによ、もっとこう……『カナさん、この国を捨てるなんて正気ですか!?』とか、引き止めなさいよ!!」


「……いや、無理っす。……カナさんの『拗ね』をこれ以上管理するのは、国家予算をつぎ込んでも赤字っすから。……ほら、早く行くっすよ。……ジジイが本当に自爆ボタンに手をかけてるっす」



「……あ、いっす。……ここっすか。……結局、ここに戻ってくるのが一番タイパ良かったんすかね」


コウタが死んだような目で呟いた先には、数日前に「建国してくるわ!」とカナが爆音で飛び出していった、あの冒険者ギルドの自動ドアがあった。

かつての更地は、今や賢者が泣きながら維持する「無人のサイバー地獄」と化し、二人は結局、全ての富を捨てて、始まりの場所へと夜逃げ同然に帰還したのである。


「にししし! 道をあけなさい! 伝説の覇王が、ちょっとした『バカンス』を終えて帰還したわよ!!」


カナは、コウタから搾取したボロボロの上着をマントのように翻し、ギルドのドアを物理的な衝撃とともに跳ね上げた。

中では、数日前と変わらぬ顔ぶれの冒険者たちが、安酒を飲みながら依頼板を眺めている。

だが、彼らの視線がカナに突き刺さった瞬間、ギルド内は静まり返った。


「……え、カナさん? ……あの、建国して『世界を管理する』って言ってませんでしたっけ? ……なんで、前よりさらに布面積が減って、泥だらけで戻ってきてるんですか?」


受付嬢が、震える手でペンを落とした。

カナの格好は、もはや「露出狂の覇王」を通り越し、「野生に還った何か」に近い。

水着の上に、コウタの予備の布を適当に巻き付けただけの、極限の低コスト(搾取)スタイルである。


「愚かな。王とは、常に変化し続けるものよ。……私はね、あまりにも完成された『ラブネスト』に飽きたの。……だから、あんな資産価値一兆円の都市、その辺のボロ布(賢者)にあげちゃったわよ! にししし!」


「……ひっ! 一兆円!? ……あ、いっす。……受付さん、とりあえずクエストあるっすか。……この人、寂しすぎてまた土地を耕し始める前に、何かしらの獲物を与えないと、ギルドの壁が物理的に『更地』になるっすよ」


コウタは慣れた手つきでカウンターに身を乗り出し、最も効率よく稼げ、かつカナの体力を削れる「肉体労働系」の依頼を探し始めた。


「……ふぉっふぉ。……ここなら、わしのパンを焼く場所も自由じゃ。……まずは、このギルドの厨房を『暗黒の釜』に変えるとしようかのう……」


「ジジイ! 帰ってきて一分で営業停止処分になるようなことしないで!!」


令和の建国。

それは、史上最速で世界の頂点を極めた覇王が、わずか数日で全てを投げ出し、再び「日雇い冒険者」の地位から再スタートするという、あまりにもクソザコで、あまりにもいつも通りの、日常への帰還の記録となった。

莫大な富を捨て、再びコウタと共にギルドへ舞い戻った

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