03_陛下はお引き取りください
「全員、動かないで」
ラーダの銃口はメルへ向き、メルの右手は操舵桿にあり、船は一秒に四十キロずつ礼砲から逃げていた。
「動かないと死ぬ」
「減速しなさい」
「減速すると、もっと早く死ぬ」
背後で《忠節》が二十発目を撃った。メルは船を横滑りさせ、砲弾をかわす。紙皿、工具、皇帝が一斉に右壁へ飛んだ。オルバンだけをラーダが貨物固定帯へ手錠でつないでいたため、彼は途中で止まり、威厳を壁へぶつけた。
最後の礼砲が遠ざかると、ラーダは監査端末を膝へ固定した。
「あなたたち三名を、誘拐、監査妨害、港湾設備損壊、未申告生体貨物輸送で拘束します」
「操船できる?」
「……できません」
「では監査官、拘束はコンコルディアへ戻ってから。戻る方法はあなたが考えて」
ラーダは銃を下げなかったが、撃ちもしなかった。左手が端末を取り落とし、膝の留め具で止まった。メルの手元に監査中の赤い印をつけるまで、二度、入力をやり直した。
ボグが救急箱を持ってきた。ラーダは銃を腰へ戻し、腫れた左手首を差し出した。袖を上げるのを、ボグが手伝った。
「命綱が絡むとは思わなかった」とメルは言った。
ラーダはボグの手元を見ていた。
「棺を動かさなければ、あの装置も――」
ボグが顔を上げた。
メルは言葉を切った。二本の手が添え木を押さえ、一本が留め帯を巻いていた。残る一本は、ラーダが自分で締められるまで端を持っている。
「止めろと、言った」とボグは言った。
「聞こえてた」
それを言ってから、メルは口を閉じた。
ラーダは固定した手首を胸へ寄せた。痛み止めの封を歯で切り、船長席からいちばん遠い壁へ背をつけた。
コンコルディアは受け取らない。なら帝国へ返せばいい。メルは最寄りの帝国残存軍拠点、アステル砦へ進路を引いた。オルバンは眉をしかめた。
「ヴェインか」
「受取権はある?」
「帝国残存軍の最高司令官だ」
「それだけ聞けば十分」
アステルまでの航路へ入ると、ボグは《忠節》の拡大図を出した。砲身の根元を黄色い環が囲んでいた。
「次に撃つなら、これを外したい」
「取れるの?」
「火災のとき、弾薬庫ごと捨てる。人のいる胴体は残る」
オルバンが首を振った。「全艦の切離し環を開くには、凍結された中央命令権が要る。護衛命令では通らぬ」
ボグは図を保存した。
追随する《忠節》が、今度は仕事を増やした。周囲を航行していた民間船を、皇帝行列の随伴艦と認識したのだ。
牽引光線が伸び、ごみ運搬船を左翼へ、新婚旅行船を右翼へ、家畜輸送船を後衛へ並べた。
「オルバン」
「《忠節》、随伴を解け」
『勅命を受領。全随伴艦、係留解除』
船をつないでいた物理索から家畜房の留め金まで、一斉に外れた。無重力の航路へ旅行鞄、祝祭花、六本脚の乳牛が漂い、新品の結婚指輪がメルの前窓へ張りついた。牛は輸送用の気密膜に包まれたまま、何もない場所を六本の脚で歩こうとしていた。
「解除はできた」とボグ。
「随伴が増えた」
メルは減速した。見捨てれば予定より一時間早く着く。回収すれば燃料を余計に使う。だが船の周囲を回っている乳牛の目を見た瞬間、計算をやめた。
「ハコ、全部に貨物番号。ボグ、外へ」
「皇帝の命令ではないぞ」とオルバンが言った。
「だから動くの」
三十分後、《リターン》の貨物室には旅行鞄四十七個、指輪一組、花束十三、牛二頭が収まっていた。残りは各船へ返した。牛のうち一頭はオルバンの軍服を気に入り、袖を噛んで離さなかった。
そのあいだラーダは、各船へ乗員数を照会し続けていた。全員無事、という返事には人数で答えるよう求めた。欠員零の欄が埋まってから、オルバンにつけた手錠を確かめた。
岩石衛星をくり抜いたアステル砦では、数千人の兵士が真空甲板へ整列し、《リターン》へ一斉に跪いた。
メルは荷下ろし口へ船を寄せた。
「ずいぶん受取意欲がある」
「あれを意欲と呼ぶな」とオルバンは言った。「習慣だ」
ヴェイン元帥は、白い軍装の上に戦功章を並べすぎて、胸から金属音をさせながら乗り込んできた。オルバンを見るなり両膝をつき、額を床へつける。
「陛下。よくぞ敵の魔手を逃れ、ご帰還を」
ラーダの眉が跳ねた。「敵の監査官はここにいます」
「受領端末に署名を」とメル。
ヴェインは床へ伏したまま、端末だけを避けた。
「その前に、陛下より全軍へ休戦撤回の詔を」
「休戦は撤回しない」とオルバン。
「長い監禁によりお疲れなのでしょう。御心が戻られるまで、臣下が御身をお預かりいたします」
「なら署名して」
「偽帝を正式に受領することはできぬ」
メルはヴェインと、跪かれたまま手錠につながれているオルバンを見比べた。
「どっち」
「何がだ」
「陛下か偽物か」
「陛下が休戦撤回をお命じになれば、真正と証明される」
オルバンの顔から、船内で見せていた苛立ちが消えた。代わりに、メルには重さを量れないものがそこへ乗った。
「ヴェイン。私に忠実なら、私の命令を聞け」
「陛下がそのような命令をなさるはずがございません」
「なら誰の命令を待っている」
「陛下の御命令を」
「いま聞いただろう」
「それは陛下の御命令ではございません」
ハコが鳴った。
「帝国受取権者による受領拒否を確認。第二回として記録します」
ヴェインが立ち上がる。「輸送船を確保せよ。陛下を偽装した敵性生体を丁重に保護する」
「やっぱりどっちなの」とメル。
砦の接舷兵がなだれ込んだ。同時に、《忠節》の後ろから丸い船影が現れた。側面に金の皿と二本の匙。眠りから覚めた皇室料理船だった。
『御帰還晩餐の時刻を三百三十四日超過。直ちに給仕を開始します』
料理船は砦へ強制接舷し、数百体の給仕ドローンを送り込んだ。銃を銀の盆で押しのけ、無重力区画では熱いスープの球で全員を追い回す。
「陛下、前菜でございます」
「いまは要らぬ」
「残されますと料理長が自爆します」
オルバンは手錠につながれたまま、差し出された匙を受け取った。
メルは混乱に紛れて貨物扉を閉めた。だが砦の係留腕が《リターン》を押さえ込んでいる。
「ボグ、外せる?」
ボグは画面を見た。係留腕は、左推進器の取付架を抱えていた。
「船側を外す。左を止めろ」
メルは左への燃料を切った。面頬を閉じたボグが船外へ出る。四本の腕で取付架のボルトを緩めるあいだ、メルは右だけで船を支えた。閉まりかけた貨物扉へ、給仕ドローンが最後の皿を差し込んだ。
「デザートでございます」
「そこへ置いて!」
扉が閉じた。左推進器が一段ずれ、固定爪の外へ滑る。船体に長い傷が走った。
「戻った。右だけで出せ」とボグ。
メルは《リターン》を隙間へねじ込んだ。ヴェインはスープ球と給仕ドローンに阻まれた。
要塞を抜ける直前、オルバンは振り返った。数千人の兵はなお彼へ跪いていた。誰一人、彼の言葉には従わなかった。
「第二回受領拒否を確定」とハコ。「次回拒否時、皇室輸送憲章第七条第二項が適用されます」
メルは推力を上げた。
「未読に残して。消さないで」




