02_受取人は不在です
皇帝は、朝食に卵を七分半ゆでろと言った。
《リターン》の加熱器には、弱と火災の二段階しかない。ボグが火災を六秒ずつ断続運転し、殻の割れた卵らしきものを作った。オルバンは操舵室の折り畳み椅子に座り、紙皿を両手で持って、しばらくそれを眺めた。
「毒味役は」
「二十クレジット追加」とメルは言った。
オルバンは自分で食べた。
コンコルディアまで三時間。メルは操舵しながら事情を吐かせた。契約を出したのは、棺のなかで目覚めたオルバン自身だった。保管庫の非常系を使い、認可輸送船へ自動公示を送ったという。
「なら荷主名を偽った。違約金は運賃の二倍」
「王朝最終記録を運ぶという記載に虚偽はない」
「人間ひとりを注釈にした時点で虚偽よ」
「私の帝位こそ、王朝の最終記録だ」
「詩的表現は重量欄に使えない」
オルバンは、休戦一周年式典へ出るつもりだと言った。三百二十七星系への公開中継の前で退位し、帝国を法的に終わらせる。どこか、長い宴席の段取りを説明する口調だった。
「受領印が出たら、あとはそっちで好きにして。私の仕事はそこで終わり」
昔の勤め先では、未着の苦情電話を受ける係だった。「確認中です」を一日に何十回も言った。自分の船なら、積んだ物がどこにあるかは分かる。そう思って買った船の中で、皇帝が卵を食べていた。
「連盟に連絡は」
「驚かせたほうが、隠されない」
「受取人を驚かせる荷物は、たいてい返送される」
メルはコンコルディアへ事前通告を送り、貨物の真正な内容を申告した。返答まで十二秒だった。
『申告を受理できません』
次に、船内表示へ赤い枠が出た。
『貴船は銀河皇帝を名乗る人物を不法輸送している疑いがあります。現位置を保持してください』
「受理してるじゃない」
「内容のみ受理し、申告は受理していないものと思われます」とハコが言った。
「その文を理解できるAIは廃棄したほうがいい」
オルバンは卵を置いた。「私が話そう」
通信画面に映ったソレル委員は、薄い灰色の服を着た、疲労さえ政策に利用しそうな男だった。オルバンの顔を見ても驚かなかった。少なくとも、メルにはそう見えた。
『当委員会は、その人物を銀河皇帝として確認していません』
「ソレル。私の顔を忘れたか」
『私人の顔貌について回答する立場にありません』
「私の血液認証と帝権鍵を送る」
『受領できません。皇帝の真正性を確認すれば、消滅した帝国の法的継続を認めることになります』
メルは割って入った。「政治の話は着港してから。第七码頭へ一・八トンと八十二キロを降ろす。署名して」
『着港を許可しません』
「では船外収容庫」
『真正性未確認の生物資料を、共同港の管理下へ置くこともできません』
ハコが小さく鳴った。「受取権者による第一回受領拒否を仮記録」
ソレルの視線が、一瞬だけ画面の外へ動いた。
『監査官を向かわせます。指示に従ってください』
通信が切れた。
「知り合い?」とメルは尋ねた。
「休戦を作った男だ。皇帝は、誰も友人と呼ばぬ」
「便利ね。私も債権者をそう呼ぶ」
コンコルディアは、戦争中の砲艦を縦横につなぎ、その隙間を居住区で埋めた巨大港だった。帝国でも連盟でもない共同色の灯が外周を巡っている。《リターン》が五キロまで近づくと、検疫ドローン六機と、小型監査艇が船体へ並んだ。
監査艇から渡ってきた女は、磁気靴で外殻を蹴り、非常扉を開けた。気密幕をくぐり、宇宙服の透明な面頬を上げる。短い髪に連盟監査官の青い上着。右手に検査端末、左手に短銃。順序に性格が出ていた。
「ラーダ・セイン監査官。全員、壁から手を離さないで」
「それだと浮く」とボグが言った。
貨物室は無重力だった。
ラーダは無視して棺を走査した。オルバンが脇に立っているのに、彼の顔を見ようとしない。
「棺のみを無人収容庫へ移します。人物は船内隔離」
「受領署名を」とメル。
「監査は受領ではありません」
「持っていくなら受領よ」
「証拠品の保全です」
「保全するなら保管料を」
ラーダは答えず、棺へ牽引索をかけるようドローンに指示した。非常解除盤の前に立ち、命綱を短く取る。
メルは受領端末を彼女の前へ出した。ラーダはその脇から解除盤へ手を伸ばした。
「搬出します」
「ハコ、貨物を保持して」
「索路内に作業者がいます。自動保持は推奨できません」
「あの人が離れたら」
「もう引いてる」とボグが言った。「いったん切れ」
棺が床から浮いた。これを持っていかれれば、運賃を請求する証拠まで向こうの倉庫へ入る。メルは端末の空白を見た。たった一つの署名を、どうしてしない。
「保持を続けて。向こうが引くのをやめれば済む」
ボグがもう一度、止めろと言った。
《リターン》の腹から貨物索が飛び出し、棺ではなく検疫ドローンをつかんだ。隣のドローンと港の誘導塔が順につながる。メルが解除へ指を戻すより先に、三本目の索がラーダの命綱を巻き取った。
港と船と監査官が、一本のひどい荷造りになった。
「推力停止!」
「停止済みです。港の誘導塔が回転しています」
星々とコンコルディアが窓を上下に流れた。メルは逆噴射し、塔との距離を読む。八百。五百。二百。
面頬を閉じたラーダが窓の外を、短銃を握ったまま振り子のように通過した。
「あの人ごと索を切る」とメル。
「監査官は貨物ですか」とハコ。
「今から救難貨物!」
ボグが切断器を叩いた。索が切れ、《リターン》は港から弾かれ、船側に残ったラーダだけが外殻へ激突して非常扉へ吸い込まれた。メルは推進器を全開にする。背後で誘導塔が傾いた。着港料より安い被害であることを祈った。
「ソレル委員の通信を確定記録しました」とハコが言う。「第一回受取拒否。臨時保管責任を継続します」
そのとき、アウレリア方面の暗闇に光がともった。
「冠網に起動反応」とハコ。「民生系は一年近く暫定運転を継続中。反応源は別系統、軍事系です」
細長い旧帝国駆逐艦が一隻、一年近い静止を振り落とすように船首を上げた。船腹に《忠節》の名が浮かぶ。
『皇帝御座船を確認。護衛任務を再開』
通信と同時に、二十一の砲口が開いた。
「あれを止めて」とメル。
「礼砲だ」とオルバン。
「実弾に見える」
「古式ゆえ」
一発目が港の脇を通り、退避中の巡視艇を裏返した。二発目で共同港の全艦が散り始めた。平和を祝う二十一発は、十九発を残していた。
全銀河向けの緊急放送が割り込む。ソレルの顔の横に、《リターン》の船籍写真が表示された。
『皇帝を名乗る人物の誘拐事件が発生しました。運送船長メル・ハーディを誘拐容疑者、当該人物を被害者、監査官ラーダ・セインを人質として――』
「受け取りもしない被害者を、誘拐したことにされた」
貨物室の扉が開き、額から血を流したラーダが短銃をメルへ向けた。
ラーダの背後で、オルバンが袖についた卵の殻を払った。
「まず」と彼は静かに言った。「あの護衛艦を止めたい」
十九発目の礼砲が《リターン》のすぐ脇を通りすぎた。




