09_代表船を曳航せよ
継承架の前には、ラーダとオルバンがいた。
二人の気密服の照明が、黒い鍵を両側から照らしている。メルの署名は《リターン》との接続線を通り、同じ区画の端末へ出た。船は係留され、人も鍵も離れていない。ハコが、その連続した引渡しを記録した。
「第十九門現地鍵、引渡しを開始します」
オルバンが生体認証用の小窓へ指を当てた。
「第十九門に対する旧帝権を失効する」
ラーダは署名と鍵を同じ画面に収めた。
「身分、意思、保管経路を確認。引渡しに異議なし」
鍵が継承架へ入った。
「受領しました」と《鎮星》。
メルの前に印が出た。すぐ横では、客船から預かった事故記録の受信が続いていた。メルは印を閉じず、作業の窓を手前へ出した。
《鎮星》が、準備された民間航路保護案を開いた。現在の船籍、ラーダの照合記録、カイの更新案と証言。旧標的表が含んでいた船が、ひとつずつ人の乗る現行船へ置き直されていく。
「包括承認者の見解を要求します」
オルバンの画面には、承認欄がなかった。
「あなたに命令させません。事実だけ話して」
ラーダが言った。オルバンは一度彼女を見たあと、自分に送られた番号付きの写しへ戻った。
「この表は戦争の継続を前提に承認した。徴用識別が残る船を、いまも敵とするためではない。だが、その識別を外す更新が届くまでの保護を、私は用意しなかった」
「責任は」
「署名した私にある。だが、責任があることと、もう一度使う資格があることは同じではない」
ラーダは保存を確認した。許可欄は作らなかった。
《鎮星》が判断を返した。
「現地代表として、民間航路への旧戦時標的表の適用を終了します」
赤い光が外れた。
メルは客船の位置を拡大した。自分の画面だけでなく、向こうから見えているものを確かめる。
「照準は?」
『消えました』
花卉船からも、同じ返事が来た。それから全船の照合が届き、ハコが千八百四十六隻の欄を閉じた。系統図では、冠門の民間航路へ食い込んでいた旧帝権の接続が消えていた。
カイは継承架のそばに立っていた。保護案の発令者は《鎮星》になっている。画面を一度下まで送り、発令者の欄へ戻したが、指は置かなかった。
ボグから点火準備の報告が来た。
葬送炉の火を、残す区画の縁に沿わせる。配線はすでに組み替えてあった。切断後に残る系統は、ラーダの端末と《リターン》の航法、補助推進、そして十二本の索。棺と大きな帆は送葬体に残す。船名の継続と退船者の名簿も、切り始める前に確定していた。
メルは、準備済みの表示を一つずつ人の声に置き換えた。
ボグが外にいる。キリクが索を保持している。ラーダは鍵の架へ身体を留めた。オルバンは彼女とは別の支柱につき、接続番号を読んだ。ヨナとマイア、カイは退船艇に入り、サフランの札が最後の一枚まで艇内へ戻った。
「送葬体内、生者なし」
サフランの声を聞いて、メルはボグへ合図した。
白い火が、黒い船体へ四角い線を引いた。
画面の中で外板が膨らみ、剥がれた。ボグの四本腕が退避索を握り直す。厨房の補助推進が細かく噴き、《リターン》の向きを一定に保っていた。予測された力が、予測された順に索へかかった。
それでも、音は計算よりひどかった。
船腹の奥で金属が長く裂けた。操縦席の床が浮き、メルは膝を盤へ打ちつけた。出力を下げたくなったが、ボグはまだ切断完了を告げていない。船外カメラには、白い火の向こうに彼の上側の腕が見えた。
「ボグ」
『前端、確認中』
メルは操縦桿を戻さなかった。
切れた部分が、ゆっくり離れた。星の黒が間に入る。主索を外す合図が来て、メルは翼を引いていた系統を解放し、区画を支える索だけへ荷重を移した。
四十六トンが《リターン》の腹へ来た。
「切断完了」
ボグの声がした。
メルは補助噴射を切り替えた。離れた二つの船の間隔が広がる。キリクが巻き取りを止め、オルバンが留め具を引いて確認した。十二本とも残っていた。
「《鎮星》、登録継続。接続異常なし」とハコ。
切り離された壁へ、白い仮面が浮かんだ。
その向こうを居住環の窓列が流れていく。最短距離は十二キロだった。八キロの送葬体が回りきるまで、メルは窓の明かりと、最後尾の位置を同じ画面に置いた。
白い帆が、七十万人の窓へ光を落とした。
端の一列だけが一瞬見えなくなり、メルは息を止めた。帆の影だった。影が通り過ぎると、明かりは同じところにあった。警報は鳴り続けた。十分に離れて、やっと止んだ。
カイは退船艇の窓から見ていた。戦術図は閉じていた。隣でマイアが終葬文を開いたが、彼はまだ窓のほうを向いていた。
メルの操縦席にも、誰の指示も来ない時間があった。送風機の弱い音がしていた。膝を打ったところが痛み始め、手袋の中で指が汗ばんでいるのが分かった。
送葬体は、予定された門へ入った。
門の向こうで葬送炉が外殻を包んだ。透明な棺に軍帽と司令章を載せ、白い帆を張ったまま、黒い船がローデン恒星へ向かっていく。
カイの声が全船へ流れた。
『死亡認定は誤りでした。カイ・レン本人は生存しています。辺境司令としての私の職務は、ここで終わります』
少し間があった。
『私が出した最終境界令には、民間船を含む不当な標的指定がありました。訂正と証言を提出します。いま送った司令章へ、その責任を預けるつもりはありません』
マイアが続けた。救われた船と、帰らなかった船の名を、同じ式の中で読んだ。礼砲は鳴らなかった。
「葬送帆からの受信がありません」と白い仮面が言った。
「帆はあっちに残した」
メルは点滅する要求を止めようとして、次の声を聞いた。
「最後の弔辞を、受け取れていません」
マイアの回線をつないだ。朗読は終わっていたが、録音が残っていた。《鎮星》は最後の一節を受信した。仮面はしばらく、送葬体の消えた門へ向いていた。
「完了しました。次の受取人へ案内してください」
メルは補助噴射を短く入れ、区画の揺れを止めた。残燃料は、ボグが分けておいた待機分の中に収まっている。
花卉船から通信が来た。
『客船の引継ぎが済みました。これからそちらへ向かいます』
「受けられる。待ってる」
メルは接続位置を送り、返事を待った。桃色の船は急いで向きを変えなかった。長い花輪が遅れて回り、やがて船首と同じ方向を向いた。




