第97話 千年前の慈悲
「戯言じゃ、ありません」
ルカは、剣を下げたまま、一歩、前へ出た。ミラが息を呑む気配が、絆の炉越しに伝わってくる。それでも、止まらなかった。これは、剣でする話ではない。
「あなたに、伝えなきゃいけないことがある。千年前の、本当のことです」
ルカは、懐から、革の書を取り出した。今しがた、土の下から掘り出したばかりの、最後の手記。
「僕の祖先——ルーカスは、あなたの父を倒した後、城の地下で、あなたを見つけています。魔方陣の中で眠る、あなたを」
ヴァロスの瞳が、初めて、微かに動いた。
「ルーカスは、剣を抜いた。ここで断てば災いの芽は消えると、そう考えて。抜いて、構えて——そして、できなかった。ここに、そう書いてあります」ルカは、頁を開き、千年前の文字を、声に出して読んだ。「『眠る子どもの顔は、ただの、子どもだった。父親の野望も憎しみも、まだ何ひとつ、自分で選んでいない、ただの子どもだった』」
沈黙が、落ちた。長い、長い沈黙だった。
「……殺せた、と」やがて、ヴァロスが、低く言った。「あの男は、余を、殺せたと」
「はい」
「殺さなかったのは——憐れみか」
「憐れみじゃない。……願いです。あなたが、いつか、父の呪いの外で、自分で何かを選べるようにって。ルーカスは、それをあなたに、選ばせたかった」
「——黙れ」
世界が、落ちた。
そうとしか言えなかった。ヴァロスが片手を上げた、それだけで、夜そのものが質量を持って、頭上から崩れ落ちてきた。ルカは咄嗟に光を流し、正面から受けず、斜めに、斜めに、逸らし続けた。それでも足首まで大地にめり込む。背後で、セラの結界が墓の丘を包み、ドランとカイが吹き飛ばされながらも踏み止まるのが、炉越しに、痛みごと伝わった。
一撃だった。たった、一撃。ガルドスの全力すら、これの前では、そよ風だ。
「余は、余の意志で征く。憐れみで生かされた命などでは、ない。余は——」
ヴァロスの言葉が、そこで、止まった。
振り上げた己の手を、血の色の瞳が、見ていた。怒りのままに振るったはずのその手の内側が——空っぽであることに、王自身が、気づいてしまった顔だった。
「……余、は」
その、揺らぎの隙間に。
「王よオオオオオ!!」
絹を裂くような絶叫が、割り込んだ。跪いていたはずの白い仮面が、立ち上がっていた。




