第96話 焼け跡の問い
誰も、動けなかった。
粗末な外套の若者が、一歩、村の跡へ足を踏み入れる。ただそれだけで、夏草が波のように伏し、夜気が鉛のように重くなった。跪いたゼクスが、忘我の声で「魔王様、魔王様」と繰り返している。ヴァロスは、それを一瞥もしなかった。血の色の瞳は、ただルカだけを、静かに映していた。
「動くな、ゼクス。——余は今宵、剣を取りに来たのではない」
魔王は、丘の上のふたつの墓と、五人の旅人と、剣を構える白い一房の少年を、順に見た。そして、言った。
「問いに、来た」
その言葉に、ルカは、既視感を覚えた。雪の頂で、千年の魔将も、同じことを言った。王と、その老臣。二人は、同じ形をした問いを、抱えている。
「勇者、ルカ。……貴様は、何のために、剣を取る」
風が、焼け跡を渡った。ルカは、剣を構えたまま、正直に、答えた。
「最初は……復讐でした。あなたの軍が、この村を焼いた。父を、幼馴染を、みんなを」声は、震えなかった。「でも、今は、違う。僕は——終わらせるために、剣を取ります。千年続いてきたこの戦いの、終わらせ方を、探すために」
「終わらせ方」ヴァロスが、その言葉を、舌の上で転がした。「……それは、余を滅ぼすこと以外に、在るのか」
「わかりません。だから——視ます」
ルカは、両の眼に、光を灯した。ルーカスの、最後の頼み。剣より先に、眼で視てほしい。金色に透けた視界が、夜そのもののような存在の、内側を映す。
視えたのは、鎖だった。
黒い光でできた無数の文字が、鎖となって、若者の全身に幾重にも巻きついていた。千年、魔方陣の中で刻まれ続けた、父の言葉。人間を滅ぼせ。大陸を支配せよ。余の意志を継げ。文字は皮膚に、骨に、魂の芯にまで喰い込み、もはやどこまでが鎖でどこからが本人なのか、見分けもつかない。そして——その鎖の、いちばん奥。すべての文字の下敷きになった、いちばん深い場所に。
小さな、灰色の火が、あった。
膝を抱えて、うずくまる子どもの形をした、今にも消えそうな、小さな火。声もなく、千年、泣き続けている——
ルカは、思わず、剣を下げていた。頬を、涙が伝っていた。
「……あなたの中で」掠れた声で、ルカは言った。「子どもが、泣いてる」
夜の空気が、びしり、と鳴った。
「——戯言を」
ヴァロスの声は、平坦なままだった。だが、その足元の草が、一斉に、黒く枯れた。




