第94話 泣き虫の君へ
光に応えて、床が開いた。
石段の下は、小さな石室だった。埃を被った机、朽ちた椅子、壁の書架。千年前、戦いを終えた勇者が、最後の日々を過ごした書斎。机の上に、一冊だけ、革の書が、封蝋も鮮やかに、置かれていた。表紙に、一行。
『——光を継いだ、泣き虫の君へ』
五人が石室に降り、ミラの灯す小さな火の下で、ルカは、千年待たれていた頁を、開いた。
『これを読む君は、きっと僕に似て、泣き虫だろう。まず、それでいいと言わせてくれ。泣ける者は、他人の痛みが分かる者だ。神が僕らの血を選んだ理由は、たぶん、力じゃない。そこだ』
手記は、伝説が語らなかったことを、順に、記していた。人間が先に魔の大陸を侵したこと。初代魔王が、焼かれた村の生き残りだったこと。それを戦いの最後に知り、勝利の剣が、ひどく重くなったこと。最後の一撃——光のすべてを絞った一振りが、魔王と共に、自分の命の大半を、灼き尽くしたこと。
『僕は、故郷に帰って死ぬ。たぶん、あと数年だ。悔いてはいない。ただ、ひとつだけ、誰にも言えなかったことを、ここに置いていく』
頁を、めくる。ルカの指が、震えた。
『魔王を討った後、僕は城の地下で、魔方陣を見つけた。その中央に——子どもが、眠っていた。魔王の、息子だ。僕は剣を抜いた。ここで断てば、災いの芽は消える。……抜いて、構えて、そして、できなかった。眠る子どもの顔は、ただの、子どもだった。父親の野望も憎しみも、まだ何ひとつ、自分で選んでいない、ただの子どもだった』
石室が、しん、と静まり返った。
『陣は父王の魔法で、僕には解けも、殺しもできなかった——いや、正直に書く。試す前に、僕の心が折れた。僕はその子を、置いて帰った。だから、いつか君が立ち向かう災いは、僕の弱さが遺した災いだ。すまない。心から、すまない。その上で、虫のいい頼みを、ひとつだけ』
『その子に会ったら、剣より先に、眼で視てほしい。父の呪いの外で、あの子自身が、何かを選べるのか。選べるのなら——選ばせてやってほしい。それが、僕がガルドスに約束して、ついに見つけられなかった「終わらせ方」の、唯一の手がかりだ。もし選べぬ怪物に堕ちていたなら、その時は、迷うな。ただし、独りで燃えて斬るな。君の隣の炉と共に、燃えろ』
手記は、そこで終わっていた。最後の行の、その下に、押し花がひとつ、挟まれていた。千年前の、名も知れぬ、小さな花。
長い、長い沈黙のあと、ルカは、顔を上げた。頬は濡れていた。けれど、その眼は、澄んでいた。
「……視るよ、ルーカス。僕が、視る」
——その時だった。絆の炉が、五人の胸で、同時に、警鐘のように疼いた。地上から、微かに——何かの、焦げる匂い。




