第90話 アリアの手当帳
禁書庫の中は、時が止まっていた。
中央の書見台に、革表紙の分厚い帳面が、何十冊も、几帳面に並んでいる。聖女アリアの手当帳。その一冊目を開いた瞬間から、五人は、千年前の戦いの、本当の姿の中にいた。
そこに記されていたのは、奇跡ではなく、格闘だった。光を使った日の脈、熱、震え。眠れぬ夜の数。白髪の増えた房の位置まで、アリアは記録していた。薬草の配合を百通り試し、祈りの形を変え、失敗し、また試す。頁の端に、時折、記録ではない文字が滲んでいた。『今日も彼は、皆の前で笑っていた。私の前でだけ、震えていた』『神様。あなたの力は、どうして、この人ばかりを灼くのですか』
セラは、頁をめくりながら、声もなく泣いていた。憧れの聖女は、静謐な偶像ではなかった。癒せないものを前に、歯を食いしばり続けた、一人の必死な女性だった。
そして、後半の帳面に、それはあった。
『発見。光ハ、独リノ器ニ溜メレバ、器ヲ灼ク。サレド、信ジ合ウ心ノ間ニハ、光ハ流レル。炉ハ、多イホド、火ハ穏ヤカニ燃エル』
——絆の炉。アリアが辿り着いた、儀式の記録だった。深い信頼で結ばれた者たちの心を「炉」として繋ぎ、一人に溜まる光を、皆の間に循環させる。命の薪が燃える速さは、劇的に緩む。ただし、と、アリアの字は、厳しく続けていた。『限界ヲ越エテ絞ル一撃ノミハ、何人モ代ワレヌ。ソレハ、器自身ノ命ノ火ナレバ』。そして、あの一行。『光ノ後ニハ、深キ眠リヲ。独リニテ、燃ヤスコト勿レ』
「……深い眠りが、灼かれた分を、少しだけ戻す」帳面を読んだミラが、ゆっくりと顔を上げ、ルカを見た。「……つまり、私の昼寝制度、大正解だったってことね?」
「……はい。ぐうの音も出ません」
最後の一冊の、最後の頁。アリアの字は、そこで途切れていた。『彼ハ、独リデ故郷ヘ帰ルトイウ。最後ノ書ヲ封ジニ。私ヲ、連レテハ行カヌト。……ズルイ人。最後マデ、独リデ燃エルツモリナノダ』




