第89話 封を解く者
教皇エレナは、齢八十を超える、小柄な老女だった。
謁見の間で一行の話を聞き終えると、老教皇は、長いこと目を閉じていた。傍らの高位聖職者たちが、口々に反対を唱える。封を解けば信仰が揺らぐ、巡礼が減る、教団の千年の権威が——その喧噪の中、エレナは静かに目を開け、ルカを見た。
「……勇者の末よ。そなたの髪の、その白い一房。それは」
「はい。……光の、代償です」
謁見の間が、静まり返った。エレナは、玉座を降り、ルカの前に立つと、皺だらけの手で、その白い房に、そっと触れた。
「三百年、封じてきたのは、記録ではない。……恥じゃ。生身で戦い、灼かれてくださった御方を、綺麗な偶像に作り替えた、わしらの恥じゃ」老教皇の眼から、涙がひとすじ、伝った。「そして今、その代償を、目の前の子どもが、また払うておる。……これ以上、何を守るために、隠すというのか」
反対の声が、なおも上がりかけた。その時、セラが、進み出た。
「恐れながら、申し上げます!」小柄な体の、どこから出るのかという声だった。「私は、アリア様に憧れて神官になりました。ですが、旅に出て知ったのです。本当に尊いのは、翳りのない光ではなく——翳りながら、それでも人を照らそうとする光だと! 真実のルーカス様は、伝説より、ずっと、ずっと気高い御方です! 信仰は、真実から逃げるための帳ではありません!!」
言い切って、はっと我に返り、耳まで赤くなって縮こまる。長い沈黙のあと、エレナが、ふ、と笑った。
「……アリア様も、そういう物言いをなさる御方だったと、記録にはある。——開けよ。封を、解く」
黒い扉の聖印に、教皇の錫杖と——ルカの光が、同時に触れた。三百年の錠が、音もなく、ほどけた。




