第87話 南街道の初夏
ラーゼンを出た街道は、初夏の光に満ちていた。
麦畑が風にうねり、道端に花が咲き、行き交う荷馬車の数も、心なしか増えている。ラーゼンの触れ書きから「密告」の文字が消えた効果は、早くも国境の外まで滲み出しているようだった。もっとも、旅の一行の朝は、相変わらず騒がしい。
「ルカ、昼寝の時間」
「え、まだ歩き始めて二時間——」
「昨日、渡し場で光を使ったでしょ。約束その三。使った夜は倍寝る。寝てないなら昼に回収。はい、木陰」
ミラの強制昼寝制度は、もはや軍律の域に達していた。木陰に転がされたルカの横で、セラが帳面を開き、几帳面に書き込む。「使用、約十秒。翌朝の顔色、良。白髪の房、変化なし」。その帳面を覗き込んだカイが、感心したように唸った。
「セラの記録癖も、ここまで来ると立派な学問だな」
「ふふ、教団の書記試験は首席でしたから! ……あ、でも本山の書庫を見たら、私なんてまだまだです。サンティエルの大書庫には、千年分の記録が眠ってるんですよ。アリア様の遺された物も、きっと……!」
本山が近づくにつれ、セラの口数は目に見えて増えていた。彼女にとってサンティエルは、幼い頃から夢に見た、信仰の故郷なのだ。夕暮れ、丘をひとつ越えたところで、ドランが足を止めた。
「……見えたぞ」
南の平野の果て。夕陽を受けて、白と金の塔の群れが、燃えるように輝いていた。大陸最大の信仰の都、聖庁サンティエル。セラが、両手を組んで、しばらく言葉を失っていた。
その荘厳な光景の裏で、誰も知らない。同じ夕陽の下、西の海沿いの道を、白い仮面が、南東へ——同じ方角へと、歩き続けていることを。




