第74話 決闘前夜
その夜の野営は、静かだった。
「断りなさいよ、あんなの」火の番をしながら、ミラが、低い声で言った。「約束なんて知らない。逃げたって、誰も責めない」
「……逃げたら、あの人はきっと、追ってこないと思う」ルカは、火を見つめたまま答えた。「でも、僕が逃げたら——千年前から続いてる何かが、また、宙ぶらりんのままになる気がするんだ。それに……あの人しか知らないことが、ある」
ミラは、長いこと黙っていた。それから、立ち上がりざま、ルカの頭を、ぱしんとはたいた。
「……朝の粥、多めに作るから。残したら、許さないから」
それが彼女の、行ってらっしゃいだった。
少し離れた岩陰では、ガルドスが一人、火も焚かずに座っていた。そこへ、のそりと歩み寄る影があった。ドランである。手には、トウヤの村で買った酒の、最後の一瓶と、杯が二つ。
「……千年物の武人ってのは、酒は飲まんのか」
「……人の酒は、九百年ぶりよ」
ごつい籠手が、杯を受けた。二人の男は、言葉少なに、飲んだ。星が、恐ろしいほど近い夜だった。やがて、ドランが、ぽつりと問うた。
「あんた、千年、何を待ってた」
「……問いの、答えを」ガルドスは、杯を干した。「千年前、それがしは、貴様らの祖と三度、剣を交えた。二度は、預けあった。三度目——それがしは、敗れた。だが奴は、剣を、下ろした」
「……なぜ」
「明日、あの小僧が勝ち取れたなら、話してやろうよ」兜の奥で、古の眼が、わずかに笑った気配がした。「……良い弟子を、持ったな。あの槍の若いのも、貴様の剣も、悪くない」
そこへ、恐る恐る、カイが杯を持って現れた。「お、俺も、一杯だけ」。注がれた一杯に、盛大に噎せる若者を、人間と魔物、二人の古強者が、同じ顔で眺めていた。その夜、山の風は、珍しく穏やかに、歌っていた。




