第50話 囁く者たち
老王グレゴールの傍らに、その女は寄り添っていた。紫紺のドレス。扇の陰の、紅い唇。宮廷の誰もが認める、王の賢しき助言者——ヴェーラ夫人。
「王よ、お疑いになりますな。特使を殺めたのは、レンドルの手の者。狙いは、開戦の口実と、湖の橋にございますわ」扇の陰から、蜜のような声が、王の耳へ注がれる。「先んじられる前に、ラナリアを。……大丈夫、正義は、王のもとに」
囁きとともに、王の瞳が、とろりと濁った。
——ネフィスは、扇の裏で嗤った。刃など、要らぬ。人という生き物は、囁きひとつで、勝手に殺し合う。数百年、人の宮廷を渡り歩いて紡いできた、妾の芸の見せどころ。
——ところ変わって、魔の大陸。魔王城の玉座の間で、ヴァロスは、傍らの老将に問うていた。
「ガルドス。……父上は、なぜ、人間をあれほど憎んだ」
古の魔将は、長く、沈黙した。やがて、兜の奥から、低い声が漏れた。
「……千年の昔。先に刃を向けたのは——人の側にございました。それだけは、確かに」だが、と老将は続けた。「先代様が何を憎み、何を望まれたか。その芯は、それがしにも、ついぞ語られませなんだ」
ヴァロスは、それきり黙った。胸の奥で、また、あの声がざわめいていた。
そこへ、西方からの報せが届いた。四天王ゼクスが、西の国々で「偽りの神の社」を、順に焼いて回っている、と。千年前の勇者ゆかりの祠を、ひとつ、またひとつ。
「……好きにさせよ」
ヴァロスは、短くそう答えた。兜の奥で、ガルドスの眼だけが、わずかに翳った。




