第41話 嵐の前夜
避難民は聖堂と地下へ。城壁には石と油が運び上げられ、聖騎士団三百が持ち場についた。逃げるという選択肢は、初めからなかった。数万の避難民を抱えて動けるはずもなく、結界を持つこの都より安全な場所など、もう大陸のどこにもなかったからだ。
その夜、ルカは城壁の上で、ドランとガイウスの途切れがちな会話を聞いた。
「……グレンの村のこと、まだ夢に見るか」
ガイウスが、静かに問うた。ドランは長いあいだ黙り、それから、手すりを握ったまま、ぽつり、ぽつりと語った。ラーゼン王国の兵だったころ。敵国に通じた疑いのある自国の村を焼け、という命令が下ったこと。ガイウスは拒んで軍を追われ、ドランは——従ったこと。燃える家々と、あの夜の悲鳴を、酒で塗り潰して生きてきたこと。
「俺はな、ルカ」気配に気づいたドランは、振り向かずに言った。「魔物と同じことを、人間にやった男だ。お前が思ってるような、立派な剣士じゃない」
ルカは、すぐには言葉が出なかった。それでも、絞り出した。
「……昔のドランさんのことは、僕にはわかりません。でも、いま隣にいるドランさんは、僕とミラを何度も守ってくれた人です。明日も、この街の人を守るために、ここに立ってる。僕が知ってるのは、それだけです」
ドランは答えなかった。ただ、夜風の中で、その肩から、ほんの少しだけ力が抜けたように見えた。
城壁の反対側では、ミラが地平を見つめていた。夜の底が、赤い。村々を焼きながら近づいてくる、火の河。隣に、そっとセラが立った。
「……怖く、ないのですか」
「怖いわよ」ミラは、目をそらさずに答えた。「でも、もう、憎いだけじゃない。……守りたいものが、下にいるから」
壁の下からは、避難民の子どもたちの寝息が、かすかに聞こえていた。




