第16話 踏みとどまる
街の外から、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。あの日、村で聞いたのと同じ、危険を告げる鐘。ルカの全身が、ぞくりと粟立った。
「魔物だ! 魔物が壁を越えてきたぞ!」
外へ飛び出すと、街はすでに混乱の渦の中にあった。城壁の一角が破られ、そこから黒い魔物たちが、街の中へとなだれ込んできている。逃げ惑う人々の悲鳴。倒れる兵士。あの日の村の光景が、そのままここに再現されていた。
ルカの足が、また竦んだ。逃げろ。隠れろ。体に染みついた反射が、そう叫んでいた。あのときと同じだ。怖い。逃げ出したい。ルカは、思わずその場から後ずさろうとした。
——そのときだった。
すぐそばで、小さな悲鳴が聞こえた。見ると、逃げ遅れた一人の幼い子どもが、瓦礫につまずいて転び、その目の前に、一体の魔物が迫っていた。赤い眼。裂けた口。子どもは恐怖で動けず、ただ泣きじゃくっている。
その姿に、ルカは——かつての自分を見た。炎の中で立ち尽くすことしかできなかった、無力な自分。隠れることしかできなかった、弱い自分。そして、自分が隠れているあいだに、父も、リーナも、命を落とした。
——もう、いやだ。
もう二度と、誰かが死ぬのを、ただ見ているだけなんて、いやだ。
気がつくと、ルカは駆け出していた。考えるより先に、体が動いていた。震える手で背の剣を引き抜き、子どもと魔物のあいだに、その身を割り込ませる。生まれて初めて、ルカは魔物に背を向けるのではなく、立ち向かっていた。
「こ……来るな!」
両手で剣を構えるが、その切っ先は、情けないほど震えていた。剣の握り方も、振り方も、ろくにできない。ルカが力任せに剣を振り下ろすと、魔物はそれをやすやすと躱し、鋭い爪を振りかざした。
避けられない——ルカが死を覚悟し、ぎゅっと目をつぶった、その刹那。
鋭い金属音が、響き渡った。
おそるおそる目を開けると、ルカの前に、ドランの背中があった。抜き放たれた剣が、魔物の爪を受け止めている。次の瞬間、ドランは流れるような動きで剣を返し、ただの一撃で、魔物を斬り伏せた。
「無茶をしやがって」
ドランは、肩越しにルカを振り返った。けれど、その声に、ルカを責める響きはなかった。
その後、駆けつけた兵士たちと、ドランの奮戦によって、街に入り込んだ魔物は、ほどなく討ち取られた。鐘の音がやみ、街にようやく静けさが戻ったころ、ルカはまだ、自分の手の中の剣を、呆然と見つめていた。
勝てはしなかった。むしろ、ドランがいなければ、あの子どもも、自分も、死んでいただろう。それでも——ルカは、逃げなかった。隠れなかった。生まれて初めて、自分の意志で、踏みとどまったのだ。
ドランは、そんなルカを、じっと見つめていた。剣も握れない、弱い子ども。それでも、あの一瞬、この子どもは、震える足で魔物の前に立った。誰かを守るために。——その姿に、ドランは、とうに忘れていたはずの何かを、見た気がした。
「お前、これからどこへ行くつもりだ」
ドランが尋ねると、ルカは、北の祠を目指していることを、ぽつぽつと打ち明けた。神に会うのだと言えば笑われるかと思ったが、ドランはただ黙って聞いていた。
聞き終えると、ドランは、くしゃりと髪をかき、ふっと息を吐いた。
「……一人じゃ、どうせ途中で野垂れ死ぬのが落ちだ」ぶっきらぼうに、ドランは言った。「祠とやらまで、俺がついていってやる。剣の握り方くらいは、教えてやるよ」
ルカは、はっと顔を上げた。その目に、また涙がにじむ。けれど、それはもう、ただ悲しいだけの涙ではなかった。
こうしてルカは、初めての仲間とともに、再び北へと歩き出した。祠は、まだ遠い。けれど、その一歩は、もう一人きりではなかった。




