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礼金無双のマンションオーナー ~相場よりも安い賃料でカモを釣り、住人の秘密を暴いて即追い出す~全室隠しカメラ完備ですが、覗きが趣味ではありません  作者: 団田図
第8章 大手広告代理店 國花 莉緒子(29)

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第47話 怒りと月明かりの交差点

「ちょっとあなた! どういうつもり!?」

「それはこちらの台詞だ! よくもぬけぬけと……」


 信也もまた、普段の冷静さをかなぐり捨てて応戦した。


「私の企画、どこで盗んだの!? あのアイデアは、私が数日前の夜に思いついたオリジナルのものよ! 誰にも話してない……いや、友人にしか話してないわ!」

「はあ? オリジナルだと? 笑わせるな! あれは僕が……僕の大切な人と語り合って生まれたアイデアだ! 君こそ、僕のPCをハッキングしたんじゃないのか!?」

「ハ、ハッキングぅ!? 私がそんなことできるわけないでしょ! あなたこそ、私の会社にスパイでも送り込んだんじゃないの!?」


 お互いに一歩も引かず、至近距離で睨み合う。

 端正な顔立ちの信也だが、怒ると眉間のシワが深く刻まれ、理屈っぽいオーラが倍増する。

 莉緒子も負けじと、ヒールで背伸びをして威圧感を放つ。


「信じられない。大手代理店のエースだか何だか知らないけど、人のアイデアを盗んでドヤ顔なんて、恥ずかしくないの?」

「その言葉、そっくりそのままお返しするよ。……『見えないからこそ、味わいたい』? よくもまあ、僕の思考回路をあそこまでトレースできたもんだ」

「何ですってぇ!?」


 二人の声が廊下に響き渡る。

 通りかかった清掃員が、怯えたように足早に去っていく。


「もういい! これ以上話しても時間の無駄ね。今回の件、法務部を通して正式に抗議させてもらうわ!」

「望むところだ。こちらも徹底的にやらせてもらう。……君のようなプライドのないクリエイターには、二度とこの業界を歩けないようにしてやる!」


「ふんっ!」

「ふんっ!」


 二人は同時に顔を背けると、それぞれ逆方向へと大股で歩き出した。

 最悪だ。

 最高傑作だと思っていた企画が、まさかあんな嫌な男と被るなんて。

 莉緒子は怒りのあまり、持っていたミネラルウォーターのペットボトルを握り潰していた。


+++


 その夜。

 莉緒子は怒りに震えながら、タクシーでマンション『レジデンス・アルゴス』へと戻った。


「あーもう、イライラする! 信じられない、最低、最悪!」


 エントランスのオートロックを乱暴に解除する。

 あの男の顔を思い出すだけで、胃液が逆流しそうだ。

 せっかくの「月」の企画が、あんな泥棒野郎のせいで台無しになった。

 今日のコンペは、内容が酷似しすぎていたため、クライアントも困惑し、決定は保留となった。事実上の痛み分けだ。それがまた腹立たしい。


「今日はもう、彼に全部愚痴ってやるんだから……!」


 莉緒子はエレベーターに乗り込み、3階のボタンを押そうとして、慌てて2階を押した。

 怒りで自分の階数すら間違えるところだった。


 チン、と軽い音がしてエレベーターの扉が開く。

 莉緒子はカツカツと廊下を歩き出した。

 早く部屋に帰って、ジャージに着替えて、ベランダでビールを飲みたい。

 そして、隣の彼に「今日、最悪なことがあってさ」と聞いてもらいたい。

 彼ならきっと、「それはひどいですね」と優しく慰めてくれるはずだ。あの理屈っぽい男とは大違いだ。


 203号室の前まで来た時だった。

 ふと、視界の端に人影が入った。

 階段の方から上がってきたスーツ姿の男が、隣の204号室の前で立ち止まった。


(……え? 誰?)


 このマンションはオートロックだ。住人以外が入ってくることは難しい。

 ということは、204号室の住人……つまり、あの「彼」?

 莉緒子は今まで、一度も彼と顔を合わせたことがなかった。

 どんな人なんだろう。

 声の感じからして、優しそうな塩顔男子を想像していたのだが。


 男が、鍵を取り出そうとして振り返った。

 廊下のダウンライトに照らされたその顔。

 見覚えのある、神経質そうな眉間のシワ。

 さっきまで、これでもかと罵り合った、あの憎きライバル。


 伊多波いたなみ信也しんやだった。


「……は?」


 莉緒子の口から、間の抜けた声が漏れた。

 思考が停止する。

 なぜ、こいつがここにいる?

 まさか、私の後をつけてきた?

 ストーカー? それとも、さらに嫌がらせをするために?


 信也の方も、莉緒子の姿を認めて、鍵を持ったまま石像のように固まっていた。

 その目が見る見るうちに見開かれ、口がパクパクと動く。


「な……なんで、君がここに……」


 信也の声が裏返った。


「ストーカー!? 僕をつけ回して、まだ文句を言うつもりか!?」

「はあ!? 自意識過剰もいい加減にしてよ!」


 莉緒子は反射的に叫んだ。

 バッグを胸に抱え、後ずさる。


「ここ、私の家なんだけど……!」

「……え?」


 信也の動きが止まった。

 彼はゆっくりと、自分の目の前のドア番号「204」と、莉緒子が背にしているドア「203」を交互に見た。


 203。

 204。

 隣同士。


 長い、長い沈黙が流れた。

 廊下の空調の音だけが、ゴーッと虚しく響いている。


 そして、二人の視線が、吸い寄せられるように一点に向いた。

 203号室と204号室を隔てる、ベランダの方角へ。


 あの高いパーティション。

 その向こう側で、夜な夜な語り合った相手。

 顔も知らない、誰よりも気が合う隣人。

 マカロンの企画を、「運命」だと信じて一緒に作り上げた同士。


 莉緒子の脳内で、記憶の断片が走馬灯のように駆け巡る。


 ――『月が綺麗ですね』

 ――『壁一枚の純愛』

 ――『ガガガガーン!』


「……ガガガガーン?」


 莉緒子の口から、無意識にあの時の擬音が漏れた。

 信也が、雷に打たれたような顔をした。

 彼の手から、鍵が滑り落ちる。

 チャリン、という音が、静寂を切り裂いた。


「君……だったのか……」


 信也が、力が抜けたように笑い出した。

 それは自嘲のようでもあり、安堵のようでもあった。


「そうか。お隣さんは……君だったのか」


 アイデアが被ったのは、盗作でもスパイでもなかった。

 同じ場所で、同じ月を見て、同じ時間を共有していたから。

 互いに影響を与え合い、互いの言葉で企画を紡いでいたからだ。

 彼女たちは、敵同士でありながら、誰よりも深いパートナーだったのだ。


 莉緒子の目から、敵対心の炎が消え去っていく。

 代わりに込み上げてきたのは、どうしようもない気恥ずかしさと、そして愛おしさだった。

 目の前にいるのは、憎きライバルではない。

 あの夜、私の孤独を救ってくれた、「月が綺麗ですね」と言ってくれた人なのだ。


 二人はしばらくの間、廊下で立ち尽くしていた。

 抱きしめ合うことはしなかった。

 あまりにも急展開すぎて、まだ心の整理がつかない。

 それに、ここは明るすぎる。

 二人の間には、「壁」が必要だった。素直になるためには、まだ。


「……とりあえず」


 莉緒子が顔を真っ赤にして、俯きながら言った。


「ビール、冷えてますけど」

「……僕の部屋には、君が好きそうなツマミがあります」


 二人は顔を見合わせ、ぎこちなく微笑んだ。

 そして、それぞれの部屋のドアを開け、中へと入っていく。

 廊下での対面は終わりだ。

 ここからは、いつもの「壁越し」の時間。

 けれど今夜は、今までとは決定的に違う。

 壁の向こうにいるのが誰か、はっきりと分かっているのだから。


 二つのドアが閉まる音を、天井の隅にあるドーム型の監視カメラが、無機質に見下ろしていた。

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