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礼金無双のマンションオーナー ~相場よりも安い賃料でカモを釣り、住人の秘密を暴いて即追い出す~全室隠しカメラ完備ですが、覗きが趣味ではありません  作者: 団田図
第7章 サーカス団長 ダンディ伊豆崎(37)

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第40話 野獣vs管理人

 空腹は、王者の本能を呼び覚ます。

 『レジデンス・アルゴス』一〇三号室。

 破壊された給餌器の残骸を背に、ナポレオンはリビングの窓枠に前足をかけた。

 電動シャッターと窓ガラスの隙間は、およそ三十センチ。八キロの柔軟な身体なら、十分に通り抜けられる広さだ。


 鼻孔をくすぐる風の匂い。

 鳥のさえずり。

 そして何より、見知らぬ世界への渇望。


「ガウッ!」


 ナポレオンは短い四肢に力を込め、バネのように跳ねた。

 猫耳フード付きのピンクパジャマをなびかせ、百獣の王の幼体は、狭い隙間をすり抜けてベランダへと躍り出る。

 そこは一階だ。

 眼下には、手入れの行き届いた専用庭と、外部との境界であるフェンス、そしてその手前にうずくまる「獲物」の姿があった。


+++


 ルミコは、息を殺してベランダの下に潜んでいた。

 シャッターの隙間から中の様子を伺おうと、身を乗り出したその時だ。


「……え?」


 頭上で、何かが風を切る音がした。

 反射的に見上げたルミコの視界を、太陽を背にした「ピンク色の塊」が覆い尽くす。

 逆光で黒く潰れたそのシルエットは、四肢を大きく広げ、まるで空飛ぶムササビのように、ルミコの顔面めがけて落下してきた。


「いやぁぁぁッ!?」


 ドスンッ!!

 重鈍な衝撃音が響き、ルミコは芝生の上に押し倒された。

 みぞおちに八キロの砲弾が直撃し、肺から空気が強制的に絞り出される。


「ごふっ……! な、何!?」


 パニックに陥るルミコの胸の上で、その塊はのっそりと身体を起こした。

 至近距離で目が合う。

 黄金色の虹彩。

 太い前足。

 そして、獲物を見つけた喜びに震える口元。


「ガウガウッ!」


 ナポレオンにとっては、これは狩りのシミュレーションであり、最上級の「じゃれつき」だった。

 だが、襲われる側にとってはたまったものではない。

 ナポレオンが興奮して首を振った拍子に、ピンク色のフードがバサリと脱げ落ちた。

 露わになったのは、まごうことなき猛獣の頭部。


「ヒッ……ラ、ライオン……!?」


 ルミコの悲鳴が裏返った。

 猫ではない。犬でもない。

 それは、サバンナの食物連鎖の頂点に君臨する、殺戮の王の顔だった。


「キャーッ!! 助けてェェッ!! 誰かー!!」


 ルミコは半狂乱でナポレオンを押しのけようとするが、爪が服に食い込み、離れない。

 ナポレオンは「遊んでくれるのか!」とさらに興奮し、ルミコのブランド物のジャケットに噛み付いた。


+++


 その悲鳴は、マンションオーナーの指示で庭木の手入れをしていた管理人の耳にも届いた。


「……む?」


 管理人は持っていた剪定ばさみでの刈込を止めた。

 ただの悲鳴ではない。生命の危機に瀕した者の、切迫した叫びだ。

 彼は瞬時に脚立から飛び降りると、声のする一〇三号室の専用庭へと疾走した。

 六十代後半とは思えぬ健脚。元刑事としての現役時代の勘が、全身の筋肉を戦闘モードへと切り替える。


 現場に到着した管理人が目にしたのは、仰向けに倒れた不審な女と、その上に馬乗りになっている奇妙な獣の姿だった。


「……大型犬か? いや」


 管理人の目が鋭く細められる。

 骨格の太さ。筋肉の付き方。そしてあの耳の形。

 檻の外にいるはずのない生物だ。


「ガアアッ!」


 ナポレオンが管理人の気配に気づき、ルミコから離れて威嚇の姿勢を取った。

 その瞬間、管理人は手に持っていた剪定ばさみを、躊躇なく芝生の上へと放り投げた。


(刃物はまずい。殺してしまう可能性があるし、興奮させれば被害が拡大する)


 彼は素手で構えた。

 腰を落とし、重心を低くする。古流柔術と逮捕術を組み合わせた、彼独自の構えだ。


「お嬢さん、動くなよ。刺激するな」


 管理人が低く声をかけると同時に、ナポレオンが地面を蹴った。

 速い。

 猫の瞬発力と、大型獣のパワーを併せ持っている。

 黄金の弾丸と化したナポレオンが、管理人の太腿に食らいつこうとする。


「シッ!」


 管理人は紙一重で半身になり、その突進をかわした。

 すれ違いざま、鋭い爪が管理人の作業ズボンを切り裂く。

 ビリィッ!

 布が裂け、わずかに赤い線が走った。


「ほう……よく研いだ一物いちもつだ」


 管理人は冷や汗一つかかず、ニヤリと笑った。

 ナポレオンは着地と同時に身をひるがえし、再び飛び掛かる。

 右、左、そして正面。

 目にも止まらぬ連続攻撃。管理人はそれを最小限の動きでいなし、さばき続ける。


(捕獲網がないのが悔やまれるな。このスピード、まともに組み付けばこちらの腕一本は持っていかれる)


 一進一退の攻防。

 ルミコは腰が抜けて動けないまま、現実離れしたその光景を呆然と見つめていた。ピンクのパジャマを着たライオンと、作業着の初老男性が、カンフー映画のようなバトルを繰り広げているのだ。


 管理人は、ナポレオンの動きに「ある癖」を見抜いた。

 動くものを目で追う習性。

 そして、攻撃の直前にわずかに沈み込む予備動作。


 管理人はバックステップで距離を取ると、近くにあった植木の枝を「バキッ」とへし折った。

 葉のついた、しなやかな枝だ。


「こいつはどうだ?」


 管理人はその枝を、ナポレオンの目の前でヒュンヒュンと振った。

 不規則に動く葉先。風を切る音。

 ナポレオンの瞳孔が、キュッと丸く収縮した。

 野生の王としての威厳が消え、ただの「巨大な猫」の本能が顔を出す。


「ガウ……?」


 ナポレオンの視線が、枝の先に釘付けになる。

 管理人は枝を左右に、そして上下に揺さぶる。

 ナポレオンの首もそれに合わせて、右、左、上、下。


 完全にロックオンした。

 管理人が枝を高く放り上げる。

 ナポレオンはたまらず、空中の枝に向かって大ジャンプした。


「今だ」


 その隙だらけの腹に、管理人が滑り込む。

 空中で無防備になったナポレオンの首根っこを、熟練の手つきでガシリと掴んだ。

 

「確保!」


 ドスンと着地すると同時に、管理人はナポレオンを地面に押さえ込み、体重をかけて制圧した。

 首の後ろを掴まれたナポレオンは、途端におとなしくなり、「ミャウ~」と情けない声を出して脱力した。


「ふぅ……。手のかかる珍客だ」


 管理人は額の汗を拭い、腰にぶら下げていた無線機風スマホを手にした。

 

「こちら『レジデンス・アルゴス』管理人。敷地内にて特定動物と思われる猛獣を確保。至急、警察官と保護ゲージを頼む。……ああ、それと不法侵入者も一名いる。逮捕してくれ」


 彼は、へたり込んでいるルミコに鋭い視線を向けた。


「そうだよな。逃げられると思うなよ」

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