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礼金無双のマンションオーナー ~相場よりも安い賃料でカモを釣り、住人の秘密を暴いて即追い出す~全室隠しカメラ完備ですが、覗きが趣味ではありません  作者: 団田図
第7章 サーカス団長 ダンディ伊豆崎(37)

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第37話 引き裂かれるイタリアン

 だが、幸せな時間は長くは続かない。

 ドライヤーから解放されたナポレオンは、野生のエネルギーを持て余していた。

 「遊び」の時間だ。


「ガウッ!」


 ナポレオンがリビングの壁に向かってダッシュする。

 そこは、伊豆崎がお気に入りの、イタリア製の高級壁紙だ。


「あっ、こら! そこは爪とぎじゃ……!」


 バリバリバリバリッ!!!


 無慈悲な音が響き渡った。

 鋭利な爪が、繊細なエンボス加工の壁紙を容赦なく切り裂く。白い石膏ボードが露出し、高級な装飾が無残な短冊となって床に散らばった。


「ああっ! 私のイタリアン・ヴィンテージが!!」


 伊豆崎が悲鳴を上げて駆け寄るが、ナポレオンは「えっへん」と言わんばかりに胸を張っている。

 さらに、その興奮は収まらない。

 次は、寝室へと続く無垢材のドアだ。


 ガリッ、バキッ、メキメキッ!


 成長著しい顎の力は、堅いオーク材さえもクッキーのように噛み砕く。

 ドアの角が、見るも無残に欠け落ちた。


「だ、ダメでちゅよ! そこ噛んじゃダメ! メッ!」


 伊豆崎は指を立てて叱るポーズをする。

 しかし、その声には威厳の欠片もない。

 ナポレオンがクリクリとした大きな瞳で見上げ、「クゥン?」と首をかしげると、伊豆崎の怒りは瞬時に霧散した。


「……うぅ、可愛いから許す! 元気があってよろしい!」


 結局、これだ。

 彼はナポレオンに対して、サーカスで見せるような厳しさを一ミリも発揮できない。


 伊豆崎はため息をつきながら、クローゼットから工具箱を取り出した。

 ホームセンターで買ってあった壁紙補修キットと、木工用パテ。

 彼は床に座り込み、引き裂かれた壁紙を必死に継ぎ合わせ始めた。


「ここは糊で貼って……パテで埋めて……」


 不器用な手つきで作業を進めるが、どう見ても「ツギハギ」だ。イタリアの職人が泣いて怒るような仕上がりだが、伊豆崎は額の汗を拭って満足げに頷いた。


「うん、遠目に見ればバレない。……多分」


 その横で、ナポレオンがまた別の家具の脚を齧り始めている。

 伊豆崎は慌ててそれを止めに入った。

 破壊と修復のいたちごっこ。

 それが、この部屋の日常だった。


+++


 一方その頃。

 マンションの外には、一人の女の影があった。

 ルミコである。


 彼女は伊豆崎の乗ったタクシーを別のタクシーで追跡し、ついにこの『レジデンス・アルゴス』を突き止めたのだ。

 石造りの外壁を見上げ、ルミコはギリッと唇を噛んだ。


「ここね……サンちゃんの『聖域』ってやつは」


 彼女の脳裏には、ある確信めいた妄想が渦巻いていた。

 ――隠し子がいるに違いない。

 もしくは、どこぞの馬の骨とも知れない女と同棲しているのか。

 帰る時の慌てぶり、そして絶対に家を教えない頑なさ。怪しすぎる。


「絶対に暴いてやるわ」


 ルミコはエントランスのインターホンに指を伸ばした。

 部屋番号は、伊豆崎が入室した時に表へ回って電気が付いた部屋を確認して特定済みだ。一〇三号室。


 ピンポーン。


 呼び出し音が鳴る。

 だが、応答はない。

 部屋の中では、伊豆崎が防音室でナポレオンとプロレスごっこに興じており、チャイムの音など聞こえているはずもなかった。


「……居留守を使う気?」


 ルミコの目つきが鋭くなる。

 彼女はバッグからスマートフォンを取り出し、伊豆崎の番号をタップした。


 プルルル、プルルル。


 電子音が虚しく鳴り続ける。

 コール音はする。電源は入っているのだ。

 しかし、何度かけても「ただいま電話に出ることができません」という無機質なアナウンスに切り替わるだけだった。


「出てよ……サンちゃん……!」


 握りしめたスマホの画面が熱を持つ。

 画面の向こうに、自分以外の誰かと楽しそうに笑う伊豆崎の姿が浮かんで消えた。

 苛立ちで、ヒールのつま先が地面を叩く。


 五回目のコールが留守番電話に切り替わったところで、ルミコは通話終了ボタンを強く押した。

 ここで大声を出したり、無理やり侵入したりして騒ぎになれば、警察沙汰になりかねない。そうなれば、サーカスの公演にも影響が出る。何より、さっきから管理人らしき人物が私の方をじっと見つめている。完全に怪しまれてがっちりマークされた。

 彼女は花形スターとしての理性を、ギリギリのところで保っていた。


「……いいわ。今日は帰ってあげる」


 ルミコは自分に言い聞かせるように呟いた。

 そして、要塞のようなマンションをもう一度睨みつける。


「でも、覚悟しておいてね。城の場所は分かったんだから」


 家を突き止めた。それだけでも今日は十分な収穫だ。

 逃げ場はもうない。

 ルミコは踵を返すと、タクシーを拾うために大通りへと歩き出した。

 その背中には、執念という名の暗い炎がゆらゆらと揺らめいていた。

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