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礼金無双のマンションオーナー ~相場よりも安い賃料でカモを釣り、住人の秘密を暴いて即追い出す~全室隠しカメラ完備ですが、覗きが趣味ではありません  作者: 団田図
第6章 美容整形外科医 日矢倉 亨(38)

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第31話 蘇った亡霊

「…………は?」


 声にならない声が漏れた。

 そこにあったのは、玲子が夢見ていた「セレブな愛の巣」とは、あまりにもかけ離れた光景だった。


 コンクリート打ちっ放しだったはずのモダンな壁は、なぜか薄汚れたベージュ色の壁紙で覆われている。所々にシミがあり、カレンダーを剥がしたような跡まで再現されている。

 床には、高級フローリングの上に、安っぽいゴザと畳が敷き詰められていた。

 

 リビングの中央には、イタリア製のソファではなく、足の短いちゃぶ台。

 その上には、ミカンが入ったカゴと、急須。

 そして部屋の奥、一番目立つ場所には。


 黒光りする、巨大な仏壇が鎮座していた。


「な、何これ……?」

 玲子は混乱のあまり、立ち尽くした。

 昭和のドラマセット? お化け屋敷?

 窓の外の景色だけが、ここが東京の高級住宅街であることを示しているが、室内だけ時空が歪んでいる。


「素晴らしいだろう?」

 亨がうっとりとした声で囁いた。

「苦労したんだよ。実家の家具をそのまま運び込んで、壁紙もあの頃と同じものを取り寄せて……。ほら、あそこを見て」


 亨が指差した先には、柱に古びた傷があった。

「僕が子供の頃につけた背比べの傷も、大工に頼んで再現してもらったんだ」


 狂気。

 玲子の背筋が凍りついた。

 この男、頭がおかしい。ただの医者ではない。何かに囚われた亡霊だ。

 だが、玲子は必死に自分を落ち着かせた。

 (落ち着け。インテリアの趣味が最悪なだけよ。金さえあれば、こんなゴミ家具、後で全部捨ててリフォームし直せばいい)


 重要なのは、私の顔だ。

 新しい顔さえ手に入れば、この気味の悪い部屋から逃げ出すことだってできる。


「す、すごいこだわりね……。でも、亨さん。私、早く顔が見たいわ」

 玲子は話題を変えた。

「そうだったね。さあ、こちらへ」


 亨は玲子の手を取り、寝室へと案内した。

 そこにもまた、ダブルベッドではなく、煎餅布団が二組並べられていた。

 そして部屋の隅には、古めかしい三面鏡の鏡台が置かれている。

 表面のニスが剥げかけ、鏡の縁が少し曇った、年代物の鏡台だ。


「ここに座って」

 玲子は言われるままに、鏡台の前の丸椅子に座った。

 三面の鏡に、包帯姿の自分が映る。


「いよいよだね、レイさん。……いや、もう『レイ』という君の名前で呼ぶのはよそう」

 亨が背後に立ち、玲子の肩に手を置いた。

 鏡越しに目が合う。

 亨の瞳は、異様なほど潤み、期待に打ち震えていた。


「君は生まれ変わるんだ。世界で一番美しく、気高く、僕を愛してくれる女性に」


 亨の手が、包帯の留め具にかかる。

 シュル、という小さな音と共に、包帯が緩む。

 玲子の心臓が早鐘を打つ。


 一層、また一層と、ガーゼが剥がされていく。

 外気に触れた肌が、ひやりとした。

 まだ浮腫みは残っているだろうか。でも、きっと美しいはずだ。亨が「完璧」だと言ったのだから。


 最後のガーゼが、目元から外された。


「…………あ」


 玲子は、鏡の中の自分を見た。

 思考が停止した。

 息が止まった。


 鏡に映っていたのは、二十代の美女ではなかった。

 

 目尻に深く刻まれた、カラスの足跡のようなシワ。

 重力に負けたように作られた、垂れ下がったまぶた

 頬はげっそりとこけ、口元には深いほうれい線が刻まれている。

 肌全体には、無数の老人性色素斑シミが、まるで星空のように散りばめられていた。


 それは、どう見ても。

 七十代の、老婆の顔だった。


「……………………は?」


 玲子は震える手で、自分の頬に触れた。

 指先に伝わるのは、若々しいハリではなく、たるんだ皮膚の感触。

 特殊メイク? ドッキリ?

 いいえ、違う。これは私の皮膚だ。痛みも、感覚もある。

 

「なんで……なに、これ……」


 混乱する玲子の背後で、亨が感極まった声を上げ、抱きついてきた。

 彼は老婆の顔になった玲子の髪に顔を埋め、むせび泣いた。


「ああ……完璧だ……!」

 

 亨は鏡の中の「老婆」を見つめ、恍惚の表情で呼びかけた。


「お帰りなさい、母さん。……また会えたね」


 その言葉が、玲子の脳髄に突き刺さった。

 母さん。

 母さん?

 

 墓地で泣いていた男。

 「一番好きな顔」にしてくれと言った私。

 「元の生活に戻れる」と言った彼。

 再現された実家のリビング。

 線香の匂い。


 すべてのピースが、最悪の形で噛み合った。


「いや……」

 玲子の喉から、引きつった悲鳴が漏れ出す。

 

 こいつは、私を整形して美しくしたんじゃない。

 死んだ母親の顔を、私の顔面に再現したんだ。

 私は、こいつの母親のデスマスクにされたんだ。


「いやああああああああああああああああッ!!!!」


 401号室に、玲子の絶叫が響き渡った。

 それは、かつて数多の男を騙し、嘲笑ってきた女が、初めて味わう「真の恐怖」の叫びだった。


「どうしたの? 母さん。どこか痛むのかい?」

 亨は心配そうに覗き込んでくる。その目は純粋で、狂気一色に染まっていた。

「大丈夫だよ。僕がずっとそばにいる。もう二度と、死なせたりしないからね」


 鏡の中の老婆が、恐怖に顔を歪めて叫んでいる。

 それは玲子自身の顔でありながら、もう二度と取り戻せない「自分」の成れの果てだった。


 その様子を、天井の隅にある火災報知器の赤いランプが、静かに見下ろしていた。

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