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礼金無双のマンションオーナー ~相場よりも安い賃料でカモを釣り、住人の秘密を暴いて即追い出す~全室隠しカメラ完備ですが、覗きが趣味ではありません  作者: 団田図
第6章 美容整形外科医 日矢倉 亨(38)

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第30話 執着

 その感触は、どこまでも慈悲深く、そしてどこまでも冷徹だった。


 日矢倉ひやくら美容クリニック、特別個室。

 窓のないその部屋は、外界から切り離されたシェルターのようだった。

 空調の低い駆動音だけが響く静寂の中で、黒浦くろうら玲子れいこはベッドに横たわっていた。

 顔全体が分厚い包帯で覆われている。視界は遮断され、鼻と口の部分だけが呼吸のために開けられている状態だ。

 術後の痛みは、点滴から送られる鎮痛剤によって鈍く麻痺している。まるで深い水底に沈んでいるような浮遊感があった。


「……レイさん。失礼するよ」


 耳元で、日矢倉(とおる)の囁くような声がした。

 温かい蒸しタオルが、玲子の首筋に触れる。

 亨が彼女の体を拭いているのだ。


「ん……亨、さん……?」

「ああ、じっとしていて。術後は汗をかきやすいからね。清潔にしておかないと」


 タオルの温もりが、鎖骨をなぞり、肩へと降りていく。

 亨の手つきは、熟練の職人のように丁寧で、かつ執拗だった。皮膚の一ミリたりとも見逃さないというような、粘着質な愛撫に近い清拭せいしき


「あ……そこ、は……」

 玲子がわずかに身をよじる。

 亨の手が、パジャマのボタンを外し、胸元へと滑り込んでくる。

 さすがに羞恥心が湧いた。だが、亨の声はあくまで医師として、そして「愛する婚約者」として諭すように響く。


「恥ずかしがらなくていいんだよ、レイさん」

 亨は優しく、しかし有無を言わせぬ力強さで玲子の腕を押さえた。

「僕は君のすべてを知っている。骨格も、筋肉の付き方も、皮膚の質感も……手術ですべて見せてもらったからね。今さら隠すことなんて何もない」


 タオルが胸の膨らみを包み込むように拭う。

 玲子の背筋にぞくりとしたものが走る。それは快感ではなく、解剖台に乗せられた蛙のような無防備さへの恐怖に近い。

 だが、玲子はすぐにその感情を押し殺し、甘く吐息を漏らしてみせた。


「……ふふ、そうね。私、もう亨さんのものだものね」

「そうだよ。君は僕の作品であり、僕の魂の家族だ。これからは僕が君の手足になる。食事も、着替えも、排泄の世話だって……君が老いて動けなくなるまで、僕が全部やってあげるから」


 亨の声が熱を帯びる。

「一生、こうして君を愛でていたいんだ。誰にも触らせない、僕だけの宝物として」


(……うわ、重っ)


 包帯の下で、玲子は白目を剥いていた。

 「排泄の世話」というワードが出た時点で、普通の女ならドン引きして逃げ出すところだ。

 だが、玲子の脳内では、黄金色の計算機が凄まじい速度で叩かれていた。


 ――こいつ、筋金入りの尽くすタイプだわ。

 

 多少の粘着質さは、金のためなら我慢できる。むしろ、これほど依存してくれれば、結婚前でも財布の管理権を握るのは容易い。

 献身的な介護? 大いに結構。私は何もしなくていいってことだ。

 家事も労働も放棄して、一生このATM男に寄生して生きていく手もある。


「嬉しい……。そんなに愛してもらえるなんて、私、世界一の幸せ者だわ」

 玲子は亨の手を握り返し、指を絡めた。

「早く包帯を取りたいな。亨さんが作ってくれた『新しい私』で、あなたにキスしたい」


「……ああ、僕もだよ。待ち遠しい」

 亨が玲子の指先に口づけを落とす。その唇はひどく冷たかったが、吐息だけが火傷しそうに熱かった。

「完璧なんだ。君の新しい顔は……僕の理想そのものだよ」


 亨の言葉に、玲子は勝利を確信した。

 「理想」と言うからには、きっと絶世の美女に仕上がっているに違いない。

 人気芸能人か、フレッシュアイドルか。もしくは、往年の大女優のような気品ある顔立ちか。

 どちらにせよ、指名手配中の「黒浦玲子」とは決別できる。


(さようなら、惨めな逃亡生活。待ってなさい、セレブな港区女子ライフ)


 玲子は包帯の中で、誰にも見えない笑みを浮かべた。

 亨が愛おしそうに撫でているその肌が、誰の顔を模しているのかも知らずに。


+++


 一週間後。

 退院の日がやってきた。

 顔の抜糸は済み、腫れも引いたが、まだ包帯は巻いたままだ。「自宅で、二人きりの時に外して鏡を見てほしい」という亨の強い希望だった。

 

 深夜、人目を避けるように裏口から出ると、亨の車が待っていた。

 玲子は深々と帽子をかぶり、助手席に滑り込む。

 

「気分はどう? 痛みはない?」

 ハンドルを握る亨が気遣わしげに尋ねる。

「ええ、大丈夫。少しつっぱる感じがするけど」

「それは皮膚が定着しようとしている証拠だ。すぐに馴染むよ」


 車は夜の首都高を滑るように走る。

 玲子の胸は高鳴っていた。

 これから向かうのは、あの要塞マンション『レジデンス・アルゴス』。

 そして、亨が「君のためにリフォームした」という愛の巣だ。


「ねえ、亨さん。お部屋、どんな風になったの?」

「着いてからのお楽しみだよ。……きっと、君なら泣いて喜んでくれるはずだ」

 亨は自信たっぷりに微笑む。

「家具も、カーテンも、小物の一つ一つまで……僕が記憶を頼りに集めたんだ。君が一番リラックスできる、本当の『家』にするためにね」


(記憶を頼りに? ああ、私の好きそうなものを想像してくれたってことね)

 玲子は都合よく解釈した。

 きっと、白を基調としたロココ調の家具や、シャンデリア。あるいは、モダンでシックな高級ホテルのような内装。

 金に糸目をつけない医師の彼が用意したのだ。期待値は天井知らずに上がっていく。


 亨の声が弾んだ。

「やっとだ……やっと、元の生活に戻れる」

「元の生活?」

「あ、いや。……理想の生活、という意味さ」

 亨は一瞬言い淀んだが、すぐに優しい声に戻った。

 玲子は気にも留めなかった。男はマリッジブルーにでもなっているのだろう。


 やがて、車は重厚なゲートをくぐり、『レジデンス・アルゴス』の地下駐車場に滑り込んだ。

 エンジンが止まる。

 静寂が戻ってくる。


「さあ、行こう。僕たちの本当の城へ」

 亨がドアを開け、手を差し伸べる。

 玲子はその手を取り、姫君のように車を降りた。


+++


 午前二時。

 エレベーターは無音で上昇し、4階で停止した。

 内廊下には、誰もいない。監視カメラのレンズだけが、黒い瞳のように彼らを見つめている。


 401号室の前。

 亨が鍵を取り出す手が、微かに震えていた。

 武者震いだろうか。それとも、感動に打ち震えているのだろうか。


「……ここを開ければ、僕たちの新しい人生が始まる」

 亨が厳かに宣言し、鍵を回す。

 カチャリ、という解錠音が、運命の歯車が噛み合う音のように響いた。


 ドアが開く。

 真っ暗な室内。

 

「どうぞ、レイさん」

 背中を押され、玲子は一歩足を踏み入れた。


 その瞬間。

 鼻をついたのは、新築マンション特有の建材の匂いでも、高級アロマの香りでもなかった。


(……線香?)


 古びた畳の匂い。樟脳しょうのうの匂い。

 そして、湿気た煎餅のような、生活感の染み付いた埃っぽい匂い。

 玲子は眉をひそめた。

 ここ、本当にあの高級マンションよね?


「電気をつけるよ」

 パチン。

 スイッチが入る。


 玲子の視界――包帯の隙間から見える世界――が、明るくなった。

 そして、彼女は絶句した。


「…………は?」

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