第20話 招かれざるサンバ
翌朝。
高級遮光カーテンの隙間から差し込む朝日が、澱んだ空気のリビングを鋭く切り裂いた。
その光線は、床に散乱するコンビニ弁当の空き容器や、脱ぎ捨てられた下着やストッキングの山を無慈悲に照らし出している。
ジリリリリリ!
静寂を破ったのは、テーブルの上で振動するスマホの無機質な電子音だった。
ソファの上の「洗濯物の地層」がモゾリと動き、そこから不機嫌そうなミウの顔が突き出した。
彼女は顔にかかった髪を乱暴に払いのけ、手探りでスマホを掴むと、画面も見ずに通話ボタンをスライドさせた。
「……はい、もしもしぃ」
猫撫で声ではない。寝起き特有の、低くしゃがれたドスの効いた声だ。
『おはよう、ミウ。まだ寝てたのか? 今日からだぞ』
電話の主は、彼女たちの担当マネージャーだった。
その言葉を聞いた瞬間、ミウの脳裏に昨日の打ち合わせ内容がフラッシュバックし、眠気が一気に吹き飛んだ。
「あ……お疲れ様です。わかってますよ。今日からですよね、『地獄の仕事』」
『人聞きの悪いことを言うな。「72時間完全密着生配信」だ』
マネージャーは事務的な口調で続けた。
『今から一時間後に業者が入る。それまでに貴重品と見られたくない私物はまとめておけ。部屋を「スタジオ」に作り変えるからな』
「はーい。……あ、そうだ。あの件、どうなりました?」
『ああ、カメラの死角のことか?』
ミウが一番懸念していたこと。それはプライバシーのなさだ。
72時間監視される生活など、正気の沙汰ではない。トイレに行く時も、着替える時も、常に「アイドル」でいなければならないなんて、拷問以外の何物でもない。
『安心していい。交渉して、三箇所だけ「聖域」を作った』
「どこ?」
『トイレ、脱衣所、そしてウォークインクローゼットだ。この三箇所には配信カメラを設置しない。音声もオフにする』
ミウは安堵の息を吐いた。
『その代わり、そこが君たちの「楽屋」になる。困ったことがあったらそこに逃げ込め。壁に「カンペ」を貼っておくから、進行に詰まったら確認しろ』
「カンペって……あ、台本の内容?」
『そうだ。3日間の長丁場だ、全セリフを暗記するのは無理だろう。カメラの死角に、その日のタイムスケジュールと、想定される会話の流れ、喧嘩の仲裁の仕方、感動的なセリフの言い回しまで、全部貼っておく』
マネージャーの声には、妙な自信が滲んでいた。
『つまり、君たちはカメラの前でアドリブをする必要はない。ただ「生活」しているフリをして、時々クローゼットで台本を確認し、出てきてその通りに喋ればいいんだ』
「了解です。……はあ、助かった」
ミウが通話を切ると、他の三人もそれぞれの寝床から這い出してきたところだった。
「今の、マネージャー?」
カレンが顔にフェイスパックを貼り付けたまま、ゾンビのように起き上がる。
「うん。トイレとクローゼットはカメラなしだって。カンペもそこら中に貼ってくれるらしい」
「マジ? 神じゃん」
リナが冷蔵庫から炭酸水をラッパ飲みしながら、あくび混じりに言った。
「じゃあ、そこでタバコ吸える?」
「バカ、煙でバレるでしょ。3日間くらい我慢しなよ」
サクラが呆れたようにツッコミを入れる。
彼女たちはまだ楽観視していた。
「死角」さえあれば、そこで息抜きができる。
カメラの前だけ「イイ子」を演じれば、あとはクローゼットの中で素に戻ればいい。
そう、高をくくっていた。
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一時間後。
生配信前に別の仕事である『台本アリ「解散ドッキリ」』を演じに4人が家を空けている隙に、304号室へドタドタと軍団が押し寄せてきた。
事務所が手配したプロの特殊清掃業者と、インテリアコーディネーターたちだ。
「はい、急いで! 配信開始まであと四時間しかないわよ!」
リーダー格の女性スタッフが手を叩き、作業員たちが一斉に散らばる。
彼らの手際は魔法のようだった。
床を埋め尽くしていたゴミの山は、巨大な業務用ゴミ袋へと次々に吸い込まれていく。
カレンたちが脱ぎ散らかした服はランドリーバッグへ放り込まれ、テーブルの上のカップ麺の容器も、油染み一つ残さず拭き取られた。
澱んでいた空気は強力なオゾン脱臭機で浄化され、代わりにフローラルなアロマの香りが充満していく。
「次は家具の搬入だ! 傷つけるなよ!」
運び込まれてきたのは、彼女たちの荒んだ生活感とは真逆のアイテムばかりだった。
パステルピンクやミントグリーンのクッション。
北欧風の温かみのあるローテーブル。
ふわふわのラグマットに、観葉植物のパキラやモンステラ。
壁には「Dream」「Hope」といったポジティブな英単語が書かれたアートポスターが飾られ、殺風景だった部屋は、見るも華やかな「誰もが憧れる夢見る少女たちの部屋」へと劇的改造を遂げた。
「すごい……これ、私たちの部屋?」
別の撮影を終えて帰宅(スタジオ入り)した一同。メイクを済ませ、衣装である「可愛い部屋着」に着替えたサクラが、目を丸くして呟く。
「これなら映えるね。視聴者も騙されるわ」
リナが満足そうに頷き、さっそく新しいソファの座り心地を確かめる。
そんな中、運び込まれたダンボールの山の中に、一つだけ見慣れない箱が混ざっていた。
他の家具とは違う、飾り気のない無骨なパッケージ。
「何これ?」
ミウがカッターで封を開ける。
中から出てきたのは、真っ白で丸いフォルムをしたロボット掃除機だった。
「『高性能静音ロボット掃除機・サンバ』……?」
ミウがパッケージの文字を読み上げる。
「事務所からの差し入れかな? 『お前ら掃除できないからこれ使え』ってこと?」
「あはは、ありそうー。マネージャーの嫌味じゃん」
カレンが笑いながら、本体を取り出した。
最新モデルなのだろうか、表面はツルリとしていてボタンも少ない。ただ、本体上部に、やけに大きなカメラレンズのような突起がついているのが特徴的だった。
そのレンズは、まるで人間の目玉のようにギョロリとしていて、どこか有機的な不気味さを感じさせる。
「まあいいや、掃除してくれるならラッキーじゃん。誰か設定してよ」
「私やるー」
サクラが軽い調子で手を挙げた。機械に強いわけではないが、説明書を読むのが一番マシなのが彼女だった。
「えーと、電源を入れて、Wi-Fiに接続……と」
サクラはスマホを取り出し、何の気なしにマンション備え付けの無料Wi-Fiのパスワードを入力する。
『ピッ、接続完了シマシタ』
合成音声が響き、サンバのインジケーターが青く点灯した。
「動いた!」
ウィーン……という静かな駆動音を立てて、サンバが動き出す。
クルクルと回転するサイドブラシが、清掃業者が取りこぼした微細な埃をかき集めていく。
そして、上部の「目」が、グルリと回転して部屋全体を見渡した。
その動きは、まるで初めて訪れた場所を値踏みする侵入者のようにも見えたが、彼女たちは気にも留めない。
「すごーい、賢いねこいつ」
「名前つけようよ。『サンちゃん』でいい?」
「そのまんまじゃん」
彼女たちは笑い合い、新しい同居人を家族として歓迎した。
それが、自分たちの生活を根底から覆す「客」だとも知らずに。




