不良と人形と人殺しと ⑤
私をおんぶして逃げる役を押し付けられた可哀想なやつ
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◇◆◇◆
「……」
イライラする。
「……っ」
イライラする、イライラする。
「……クソっ」
イライラする、イライラする、イライラする、イライラする。
「何がバファリンルナだよふざけやがって……っ」
つい数十分前の出来事が頭から離れなくて、無性にイライラする。私はやや乱暴に自分の席へと腰を下ろし、荒れた心を落ち着けるべく、一階の自販機で買った紙パックジュースを取り出しストローを通した。
紙パックを握り潰すように、勢いよくジュースを喉の奥へと流し込むと、乳酸菌飲料特有の清涼感が鼻と喉を突き抜け、少しは怒りが治まったような。
「……あー、クソっ!!」
やっぱり治らなかった。
ダッちんのやつ、絶対私が生理でイライラしているんだと思ってた。マジふざけんなっつうの。こちとら命に関わるレベルまで糖尿病が進行してからは、栄養不足や免疫力の低下が祟って、体の恒常性はボロボロだ。月のものなんて生理不順なのが当たり前で、予定通りに来た試しなんて殆どない。おかげさまで高校に入ってからは一度しか来てないっつうの。
私は苛立ちの行き場を握り拳に込めて、空っぽになった紙パックジュースを叩きつけるようにゴミ箱の方へと投げ捨てる。しかし球投げなんてろくにした事のない私は所謂ノーコンという部類に属する運動音痴だ。紙パックはゴミ箱を綺麗に避けて、地面に落下した。
「……っち」
まぁ、だからと言って一々ゴミを拾い直しに行ったりはしないけど。私がやらなくてもほら、たった今別の誰かが捨ててくれた。私は足を失った身体障害者だ。そんな私を一々立たせてゴミを拾いに行かせるとか、それは俗に言う障害者差別である。自分一人の力で歩ける足を持った健常者が、私のような障害者を助ければいいのだ。
「……あの、赤海さん」
だから当然。
「せめて、私の代わりに捨てて欲しいって……言ってくれないかな」
そんな説教を付け加えるなんてナンセンスなわけで。
「……」
私は私の代わりに紙パックを捨ててくれたクラスメイトに少しだけ視線を向ける。こいつは……あー、なんか見覚える。あれだ。確か避難訓練の時、私をおんぶして逃げる役を押し付けられた可哀想なやつ。災害時だけじゃなく、普段からも私の事を気にかけるように担任に言われているのかな。かったるい。
私はすぐに視線の行き場をスマホの方へと移した。私は別に、私の世話を焼いて欲しいだなんてこいつに頼んだ覚えはない。こいつが勝手に私の世話を焼こうとしているだけだ。私にはこいつと話すつもりも筋合いもない。私にとってこいつは、ただ視界に映るだけのモブキャラAでしかないのだ。
(マジで消えろよあのガイジ)
(生意気すぎんだろ、調子に乗りやがって)
「……」
当然、教室のどこかから聞こえるそんなひそひそ話だって、私にはどうでも良い環境音の一つに過ぎなかった。私はイヤホンを両耳に嵌め、ホームルームが始まるまでの数分間を机に突っ伏せながら、今朝の出来事を思い返しつつ時間が過ぎ去るのを待った。
『どんな色ーが好き?』
今日。……いや、今日に限った事ではないけれど、私を夢から呼び起こしたのは、リビングの方から聞こえてくるお母さんの歌声だった。
『赤いいーろが好き』
朝の教育番組で流れる歌を、いい大人が一生懸命歌っている。私はそんな耳障りなノイズによって、毎日不快な目覚めを経験させられている。
『一番先ーに無くなるよー。赤いクレーヨーン』
そして。
『ガイジに歌なんか理解出来るかっつうの』
リビングに顔を出した私は、ダウン症を抱えたアスタに歌を教えるお母さんに向け、嘘偽りのない真っ直ぐな真実だけを伝えた。
お母さんはそんな私に対し、怒るでも叱るでもなく。
『そんな事ない』
心の底から信じている……、いや。心の底からそう信じたいだけのご都合主義な展開を、淡々と口にした。
『覚えるのが人よりちょっと遅いだけよ。ね? アスタ』
お母さんはすぐ隣のアスタに向かって同意を求める。その姿はまるで、自分の理想を血の繋がった息子であるアスタに託すようでもあった。でも残念。アスタはそんなお母さんの願いなんて我関せず。テレビに映る教育番組を、初めて文明の利器に触れた猿のようにジッと見つめるばかりである。
先週までの我が家なら、この話はこれで終わりだった。人間未満のアスタには、お母さんの気持ちに応える知能なんて備わっていない。お母さんの味方であるお父さんは、毎朝早くから仕事に出ている。それで私は徹底的にお母さんの事を敵視しているのだから、お母さんの同意は誰にも届くはずがなかったのだ。
でも、今の我が家にはそんなお母さんの理想に同意してくれる人物がいる。勿論それは毎朝早くに家を出るお父さんの事ではなくて。
『キョウもそう思うでしょ?』
それは先週まではいなかった筈の、赤海家五人目の家族であって。
『うん! アスタ、今度はお姉ちゃんと歌お?』
赤海 響。ある日突然赤海家に紛れ込んでいた、私の妹にしてアスタの双子の姉。幼少期の私と全く同じ顔を持った、五歳児に相当する体のゼロ歳児。それで。
『どんないろーが好き! 赤いー色が好き!』
『……』
前職はポチ。お母さん005号に産ませた、私のクローンの成れの果て。
数日前、あの黒い魔女から逃げ出すように我が家へ帰った私は、あの魔女が作り出した偽りの日常に身を置く事になった。その日常では私の起こした大騒動が無かったことにされ、あの日の出来事を覚えている人は誰もいない。私が壊した建造物も時間と共に直って行くし、私が殺した人々はそもそも最初からこの世にいなかったものとして、皆んなの認識が改変されて行った。
そんな新世界における私の設定は、魔法使いの障害者という地位を剥奪され、ただの障害者として一般人の人生を歩む事を強制されている。誰も私が何者だったのかを知らず、誰も私が何をしたのかも知らず、あの魔女に用意された一般市民のシナリオをただなぞるだけの、そんな日常生活。
しかし、そんな日常の中にもイレギュラーが紛れ込んでいた。それが赤海キョウ、もといかつて私とザンドが育てたクローンのポチであった。
あの日、ポチの体は完全にザンドの支配下に置かれて持っていかれた筈なんだけどな。それが何の因果なのか、もしくはあの魔女による嫌がらせなのかわからないけど、こうしてポチはキョウと言う名前を与えられ、私の妹という地位も与えられながら、この家の一員になっていたのである。
正直、冗談じゃないって言うかさ。ただでさえこの家は私にとって居づらい場所でしかないのに、ほんの僅かな私の居場所さえも、あの魔女は私から奪うつもりなんだ。私はアスタの隣で元気に歌う、気持ちの悪い妹の姿からすぐに視線を逸らした。
『イヴも一緒に歌わない?』
健常者のなり損ないだらけのリビングを後にし、顔を洗う為に洗面所の方へと足を向ける私。そんな私の背中に、お母さんの悍ましい提案が投げられる。
『歌うわけねえだろ』
もちろん私はその気持ち悪い提案を突っ返し、洗面所の方へ向かわせてもらった。
それから他の身支度も一通り済ませた私は、七時半になる頃には登校の準備が完了していた。通学時間は比較的短い為、今から家を出れば8時前には学校に着くだろう。部活の朝練があるわけでもない私がそんな早くに学校へ行くのは不自然な行為であるため。
『イヴ。もう学校に行くの? 最近なんだか学校に行くの早くない? その割に帰って来るのはいつも遅いし……』
当然、その事についてお母さんに言及される。けれど私が毎朝早くに登校し、夜遅くに帰宅するのには、誰もが納得せざるを得ない理由があるのだ。
『まぁね。こんな家一分一秒でも長くいたくないから』
出来るだけこの家の空気を吸いたくないという、それはそれは海のように深く、誰にも否定する事の出来ない仕方のない理由が。
『……そう』
私の嘘偽りのない正直な気持ちを聞くと、お母さんは素直に引き下がってくれた。……まぁ。
『あ……、今日も一人で行くの? お母さん、車出すわよ?』
引き下がったら引き下がったで、次から次へと形を変えて私に擦り寄ろうとしてくるのがウザったるいんだけどね。
お母さんの記憶があの魔女の手によってどこまで弄られているのかなんて、私にはわからない。けれどこの数日間を共にした感じ、私が退院するまでのやり取りはあった事として残っているのは確かだった。私がそれまで本性を隠しながら生きていた事も、私がアスタやアスタみたいな障害者の事をどう思っているのかも、手術を受ける前の親子喧嘩も、全部全部お母さん達の記憶には深く刻みつけられている。
ざっと見た感じ、改竄されている記憶といえばキョウが家族の一員になっているのとか、私が既に一人での歩行が出来るまで回復しているようになっているのとか、そのくらいかな。本当にあの魔女は必要最低限の記憶しか改竄していないらしい。
だとすれば、お母さんからしたら気が気でないんだろうな。あの激しい親子喧嘩の果てに良好な親子関係を築けていたのに、退院日になっていきなり私の態度が急変してしまったんだから。自分の知らないうちに娘の地雷を踏み抜いてしまったんじゃないかって、それで毎日毎日馬鹿みたいに私の機嫌を窺いながら距離感を測っているんだ。本当気持ち悪いったらありゃしない。
でも、折角車を出してくれると言うからには、今日は思い切ってお母さんの提案に甘えてみるのもいいだろう。
『車出してくれるの? わーい、やったー。嬉しいなー。ありがとうお母さん。大好き。じゃあ早速行こうよ。もちろんアスタはお留守番ね』
『な、何言ってるの? 一緒に連れて行くに決まってるじゃない』
ま、どうせこうなるだろうとは思っていたけれど。
『えー、何それ。それじゃあ学校の人にアスタの事知られちゃうじゃん。家族にこんな奴がいるってバレたら私虐められるんだけど』
『……』
『体と頭の障害者姉弟とか傑作だもんね。お金に困ったら私とアスタで見世物小屋でも開こうか?』
『…………』
お母さんが何も言って来なくなったところで、この無意な会話はようやく終わりを告げる。私はお母さんの横を素通りしながら玄関に向かうものの、直前になって大切な事を思い出してお母さんの方へと振り向いた。
『あ。そうだお母さん』
『え……。な、何? 何かお母さんに用事でもあった?』
私に声をかけられるや、つい数秒前に私にどんな酷い事を言われたのかも忘れてしまったのか、それとも純粋に私に頼られるのが嬉しいのか、お母さんの表情に笑顔が宿る。今日に限らず、この人はこれまで何度も私に酷い仕打ちを受けているのに、未だに私に頼られるとこんな顔をするんだ。本当に私の事が大好きなんだな。なら、そんなお母さんの気持ちを汲み取ってあげるのが、私のような身体障害者に無償の愛を注いでくれる彼女への最大の親孝行になるはずだ。
『うん。大事な事、忘れてた』
だから私はお母さんの側まで歩み寄り、彼女目掛けて手のひらを差し出し。
『お昼代』
『……』
『早く』
『……』
千円札を受け取って、家を出た。
こうして一分一秒でも長く家族と顔を合わせない為に、私は朝早くから学校へ……行きたいのは山々だけど。学校は学校でクラスメイトは皆んな私の敵である。そんな学校に早く着いた所で、やるべき事もやりたい事もあるはずが無い。軍資金としては心許ないけれど折角お母さんから千円札も貰った事だし、私は学校に遅刻するのを覚悟の上で朝の繁華街でもぶらつこうと、新宿か池袋辺りに行こうと思い立ち。そして……
「……はぁ」
その結果、今朝のようなクソみたいなイベントに遭遇する事になったんだけどね。私はイヤホンから流れる音楽の世界に浸りながら、ため息を吐いた。
あの魔女によって日常の戻されてから、私の生活は激変した。もっとも、魔法を自在に使えていた頃の日常の方が特別だったのはよくわかっている。けれどその頃の日常は、私の心に真実をくれた。私は本当の私を曝け出しながら、自分を偽る事なく生きられていた。
それに比べて今の日常はなんだろう。家にも学校にも居場所なんてなくて、自分の感情に鍵をかけながら不平不満ばかりが一方的に溜まるだけの生活。喜怒哀楽のうち、怒以外の全てが削ぎ落とされたようなつまらない毎日。楽しいという感情なんて、もう何日も体感していない。
私、何で生きているんだろう。
家と学校を往復するだけの、意味のない時間が無情に流れて行く。夢を目指して努力する事も、部活や恋愛のような青春に打ち込む事もない。何かをする為ではなく、内臓を動かす為に生きているこの人生に。ただ死にたくないから生きているだけのこの人生に、何の価値があるのだろう。
そもそもこんな体でどんな夢を叶えられると言うんだ。こんな体でどんな部活が出来ると言うんだ。こんな体で恋愛だなんてもっての外で、そもそもこんな体を持った私を一人の人間として扱い、友達になろうと思ってくれる人間さえこの世には……。
「……」
そんな事を思っていると、ふと元友達の事を思い出す。
『てめえに友達が出来ねえのが病気のせいかよ!? 目と足を失くしたから友達が出来ねえとでも思ってんのかよ!?』
私の事が大嫌いな元友達。同じく、私もその元友達の事が大嫌いだけど。
『甘えんな! 健常者と友達になってる障害者がこの世に何人いると思ってんだ! イヴっちは人間なんだ! 魔法を使えたって、どんな病気や障害を負ったって、辺りを見渡せばウン十億人も仲間がいるれっきとした人間なんじゃねえか!』
でも、間違いなくそいつはこの世界の誰よりも私の事を理解してくれていて。
『友達なんて作ろうと思えばいくらでも作れたんだ!』
それで私は、あの騒動の後にあいつが今どうなっているのかも知りはしなくて。
「……」
いや。やめだやめ。あいつが今どうなっているかなんて、私には関係ないし知った事でもない。
私はもう、余命幾許もない人生をただただ静かに生きるのみ。家族なんていらない。友達だっていらない。恋人だってそう。私は私だけの人生を一人きりで……。
「あの」
「え?」
ホームルームが始まる前は、そんな事を考えていたのだけれど。
昼休みになり、昼食を摂り終えてからトイレに向かった私。ない足を引きずりながら、わざわざ人の少ない体育館のトイレを選んだだけあって、辺りに人は誰もいない。誰とも会いたくないから、時間が余っている時は大抵体育館のトイレを利用しているのだ。
それなのに今日は、人がいた。教室までの帰り道に、一人の男子がいた。……いや。
「赤海さ。これから少し、時間ある?」
いたんじゃなくて、私を待ち伏せしていたんだ。
「ちょっと……、大事な話があって」
「大事な話って?」
「えっと……、なんていうか」
「……」
「赤海、彼氏とかいる?」
「……」
私に告白をする為に。
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