不良と人形と人殺しと ③
◇◆◇◆
朝に1時間と夕方に1時間の計2時間。犬の健康を考えた上で、最も理想とされる散歩の時間。トヨリが生きていた頃はよっぽど天気が悪くない限り、そのルーティンを崩したりはしなかったけれど。
「ゴロー」
「……」
「今日も行かないの?」
「……」
「もう三日も行ってないよ。健康の為にたまには歩こ?」
「……」
「君たちまで死んだら、お父さんの生きる意味が本当になくなっちゃう」
「…………」
三日も散歩に行っていない大型犬のゴローは、そこまで言われて久しぶりにその重い腰を上げてくれた。
犬は本能的に散歩を好む。散歩を嫌う犬がいたとしたら、それはたまたまそう言う個体だったのか、怪我や病気で元気がないのか、或いは老化に伴い体力が落ちているかのどれかであり、老犬であるゴローが散歩に行きたがらないのは3番目の理由が最も原因として考えられるものだ。
でも、僕は知っている。この子が散歩に行きたがらなくなったのは、つい最近の出来事なのだと。トヨリがこの世を去ったあの日から、生きる希望を失ったようにゴローから活力が消えて行ったのだと言う事を。
死を理解する動物は存在する。例えば象なんかだと、群れの仲間が死んだ際に、その遺体に花を添える葬式に近い行動を見せる群体が稀に見つかるのだそうだ。
とは言え、象と言うのは元々知能が高い事でも知られている動物であり、犬のゴローが彼らのように生き物の生死を認識しているとは決して思えないのだけれど。それでもゴローが最も懐いていたトヨリが亡くなった事で、ゴローが長い間トヨリと会えないでいるのは紛れもない事実だ。仲間とのコミュニケーションを大切にする犬という生物の特性上、信頼しているパートナーが不在しているこの現状は、ゴローの精神を磨耗させるのに十分な凶器として成り立っているのだろう。
「じゃあ行こうか」
でも。だからといってトヨリを生き返らせる魔法なんて僕が使える筈もない。僕に出来るのは、かつてトヨリが愛した彼ら三匹の面倒を、今は亡きトヨリに代わってやってあげるくらいしかないから。
……。
一瞬。ほんの一瞬だけど、トヨリを生き返らせられる一つの可能性が僕の脳裏をふとよぎった。けれどそれが決してあり得ない可能性だと言うのは、他でもないあのウィザードに作られた僕が一番よく知る事実だ。僕はそんなあり得ない仮定の話はさっさと忘れ、久しぶりに散歩への意欲を見せてくれたゴローと共に朝の散歩へと出向いたのだけれど。
「……え。ちょっと」
それは三匹の犬と共にいつもの散歩コースを周り終えた帰りの事だった。他の二匹はいつも通りとは言え、ゴローはこれが三日ぶりの散歩になる。そんな彼の為に、今日の散歩は少しばかり張り切ってしまい、いつもの散歩コースを二周もしてしまったのだ。
そうなるといよいよ僕自身、学校に遅刻しそうになる。僕は急ぎ足で帰り道を歩き、家までの道のりを一直線で……進んでいた時だった。
それまでは僕に引きずられるようにのそのそと歩いていたゴローが、突然飛び出した。今が車の少ない時間帯だったから良かったものの、時間が時間なら車に轢かれても仕方のない咄嗟の行動である。
ゴローが突然こんな行動に出るだなんて思ってもいなかった僕は、リードを掴む握力もそれ相応に甘かった。リードはゴローに引かれるようにスルスルと僕の手を抜けて行き、ゴローは完全に僕から離れてしまう。そうやってゴローが駆け出した先には、一人の少女が歩いていて。
「は!? ちょっと何こいつ!」
ゴローはそんな見ず知らずの少女に向かって、喜びと悲しみを一纏めにしたような甲高い鳴き声を上げながら飛び掛かっていて。
「ふざけんな! ねぇ、臭いんだけど! 飼い主どこ!?」
少女はそんなゴローに対し全力の嫌悪感を剥き出しにしているのに、ゴローは少女の気持ちなんて一切合切無視しながら、全力の甘えた行動を見せていて。
「ちょっとどこだよ飼い主! なんとかしろよ!」
トヨリにしか見せないような顔を浮かべながら、眼帯と義足を嵌めている少女に甘えていて。
ゴローのあんな鳴き声を聞いたのっていつ以来だろう。亡骸になって帰って来たトヨリを見た時以来じゃないだろうか。トヨリ以外に決して懐かないゴローが。今だって誰かを噛まないように、噛み付き防止用の口輪を付けているゴローが。まるでトヨリにでも再会したかのように、甲高い悲鳴をこぼしながらあの少女に擦り寄っている。
「あの、ごめんなさい」
そんな珍しい出来事に驚きつつも、しかし目の前で起きている出来事は酷くまずい状況なのは確かだった。物珍しい光景を前に少しばかり判断が鈍ってしまったものの、この光景を一言で纏めると、僕の監督不行き届きが原因で、大型犬のゴローが見ず知らずの通行人に飛び掛かっているのである。
「こら、ゴロー。ダメだよ」
僕は慌てて少女の元へと駆け寄り、ゴローのリードを引っ張った。僕に力負けしてズルズルと彼女から遠ざかるゴローだけれど、ゴローはそれでも負けじと彼女の方へ駆け寄るのをやめない。酷く悲しそうな鳴き声を漏らしながら、彼女に擦り寄ろうと躍起になるのだ。
本当にゴローに身に何が起きているのか、全くもってわからなかった。出来る事ならたっぷり時間を取って、その行動の理由を推測したい所だけれど……。
「きみの犬?」
自分が不機嫌である事を微塵も隠そうとしない、敵意剥き出しの少女の声が、重く僕の方へとのしかかる。
「……あ、はい」
「へー」
彼女は犬三匹のリードを引く僕に、心底見下したような冷たい視線を送った。その表情からはお世辞にも好意の感情が伝わらず、これから僕の過失に対してどうやって虐めて抜いてやろうかと言う悪意が滲んでいるように思えた。
「あの、怪我とかは」
「怪我は別にしてないけど」
そして、そんな僕の偏見はどうも当たってしまったようで。
「でもする所だった。制服なんかよだれついちゃってるし。あーあ、くっさいなぁ……もう」
少女は、ゴローの唾液によってシミのついてしまったスカートを手のひらで靡かせながら僕に詰め寄った。
「で?」
「……」
「どうしてくれるの?」
「……えっと。それはもちろん、クリーニング代はお支払いします」
少女が心から制服の賠償を求めていないのは、態度からしてなんとなくわかった。法律の話で言えば、この件に関してはゴローを制御出来なかった僕に全面的な非があるのだ。少女もその事はよく理解しているようで、きっと金銭的な賠償はどうでもいいんだと思う。
彼女の心を突き動かす原動の名前は、一言で言えば憂さ晴らし。彼女は己の理を絶対的な盾にする事で、法的弱者の立場である僕を虐めようとしている。僕には彼女がそういう人間にしか見えなくて。
「それだけ?」
「……」
「きみさ。飼い犬が他人に襲い掛かったら、飼い主は何をしなきゃいけないか知ってる? 保健所に届けなきゃいけないんだけど」
それで。
「……」
実際、彼女は僕の思った通りの人間みたいで。
「私がじゃなくて、飼い主が届けなきゃいけないんだよ」
「……はい。知ってます」
「そう。じゃあ早く連絡しなよ」
これがただの悪人が相手なら、僕は魔法というとてもシンプルな解決案でこの場を切り抜ける事が出来たんだけどな。けれど生憎僕は、先日の大騒動で厄介な相手と戦ってしまったが為に、殆どの魔力を使い果たした身である。もう暫くの間、僕はろくな魔法も使えない見た目相応の男児としてしか活動する事が出来ない上に、この件に関して言えば彼女はただの悪人ではない。僕の不手際による被害を受けた被害者なのである。……まぁ。
「何その顔。このくらいで騒いで嫌な人だなーとか思ってる? でもそういう法律なんだから仕方なくない? そりゃあ日本じゃこういうのを許してくれる人が殆どなんだろうけどさ。でも私はこういうの絶対許さない人だから」
悪人である事に違いはないんだろうけれど。そしてこういう人に関わってしまった時、暴力以外で解決出来る最善の方法と言えば、下手な反論はしないで素直に相手のサンドバッグになる事だ。
「きみみたいな子供が、犬を三匹も連れて散歩かー。それで制御が効かなくなったとか終わってる。しかもそのクソ犬、口輪つけてるって事は噛み癖とかある感じ? こりゃあ過失は完全にきみにあるね。いや、きみみたいな子供に散歩を一任している親御さんにあるのか」
相手の気が済むまで。或いはこの光景に見かねた通行人の誰かが助け舟を出してくれるまで、ただ黙って相手の敵意を受け止める。幸いな事に、僕の体は周囲の同情を買いやすい子どもの体だから。もう少しだけ我慢すれば、必ず誰かが助けに来てくれると。
「あーあ、可哀想。こんな飼い主のせいでお前殺処分だよ」
そう、思っていたのに。
「あ」
ゴローが僕の拘束を掻い潜り、またしても飛び出した。彼が老犬である事を忘れてしまいそうなくらい尻尾を振り回しながら、少女の方へと近寄ろうとする。あれだけ惜しみなく敵意を向けてくる少女の事を、心の底から愛おしそうに駆け寄ろうとする。
……でも。
「だから近づくんじゃねえよ! 汚ねえなっ!」
何度少女に擦り寄ろうとしても、少女がゴローに向ける感情は嫌悪以外の何者にもならなくて。そんな嫌いな対象に危害を加える事を、この人は躊躇うような人物じゃなくて。
ゴローの甲高い悲鳴が響き渡った。少女が松葉杖を振り上げ、その老体に叩きつけた為だ。
「ゴロー!」
僕は慌ててゴローに駆け寄るものの、しかしゴローの悲鳴に驚いた他二匹が動揺してしまい、縦横無尽に辺りを駆け回る。二匹のリードも僕の手から逃れてしまい、どの子から手をつければいいのかもわからなくなってしまう。
魔法という便利な力に頼りながら生きていた僕だ。頼り過ぎながら生きていた僕だ。魔法が使えない生まれて初めての状況に、頭が回らない。このままだとトヨリの忘れ形見である彼らの中の誰かが、車の多い場所に飛び出して轢き殺される可能性だってあって。
「はい、二回も襲って来たー。そいつもう殺処分決定ー」
そんな僕の姿を、少女はあくまで他人事の立場から嘲笑って来て。
僕は思わず、怒りの感情が込み上がってしまった。少女を責めるように、その顔を睨みつけてしまった。少女はそんな僕の反抗的な態度が気に入らなかったようで、より一層僕を煽り立てる言葉を続けるのだけれど。
「何その目。早く保健所に連絡しろよ。被害者ぶんな。被害者は私の方なんだか……」
でも、少女の口から言葉が全て吐き出される事はなかった。この状況を見兼ねた一人の通行人が、ようやく僕の味方として現れてくれたからだ。
その通行人は、再び松葉杖を振りかざそうとした少女の手首を握りしめ、それ以上の暴行を制止してくれていた。
「……はぁ?」
突然の出来事に、少女は驚いたように振り返った。自分を妨害する第三者に対しても僕と同じか、それ以上の敵意をぶつけようと、攻撃的な言葉を投げようとした。
「なんだよてめ……」
……が。
「え……」
通行人の顔を見た瞬間、少女の言葉は止まった。言葉どころか、少女の顔にこびりついた敵意そのものが抜け落ちて行くような気がした。
少女は驚いた顔でその通行人の顔を覗き込む。もっとも、その思わぬ助っ人に驚いているのは少女だけじゃなく、僕もなのだけど。
「ちっす。1週間ぶりっすね」
その助っ人は、小学生らしからぬガタイの良さで、少女の暴行を止めてくれた。また、片手にぶら下げたレジ袋からウインナーの袋を取り出し、それを地面に撒き散らかした。ウインナーの匂いに釣られたポンタとティッチが、助っ人の足元へと足を進める。
助っ人は足元までやって来た二匹のリードを踏み、逃げられないようにしながら。
「何やってんすか? イヴさん」
自分が少女の知り合いである事を、僕に教えてくれた。
「……ダっちん」
ダっちんがなんなのかはよくわからなかった。
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