不良と人形と人殺しと ②
本当にこの短期間で凄く変わったね、ダイちゃん。ダイちゃんの変わりっぷりを見ていると、父親譲りのダイちゃんの高身長も相まって、私はどんどんダイちゃんが小学生である事を忘れてしまいそうになる。
それは親としては喜ぶべき事なのだろうけれど、しかしそれと同じくらいか、下手したらそれ以上の寂しさにも襲われてしまうのだ。私と彼は、5ヶ月前までまともな家族ではいられなかった。最近になってようやくちゃんとした家族になれそうな空気が出てきたのに、あの子の心はそれより早く大人になっていく。あんなに早く自立されてしまったら、私は親としてどうやってあの子と接すればいいのだろう。
私を置いて、どんどん大人になって行く彼が私は……。
「それとこれ。鎮痛剤。飯食ったらちゃんと飲めよ?」
「……」
……ん?
えっと……。なんだろう。ダイちゃんがテーブルの上に置いてくれたそのお薬を見て、ただならぬ不安が私の心を蝕んでいく。
鎮痛剤。更に詳細な商品名を言ってしまうと、ダイちゃんが置いてくれたそれはバファリンルナだった。
バファリンルナ。そう、重めの生理によく効くあの鎮痛剤である。うん。……うん? ……うーん。
「……」
なんでバファリンルナ? あれ。ダイちゃん、私が風邪の悪化か何かで倒れたと思っているんじゃ……。
「ねぇ、ダイちゃん」
「何?」
「どうして鎮痛剤を持って来たの?」
「は?」
「もしかして何でお母さんの体調が悪いのか……わかってたりする?」
「……」
ダイちゃんは酷く困惑した表情を浮かべながら長考した後、意を決したように。
「いや、ほら。お袋って一ヶ月周期くらいでよく鎮痛剤飲んでるし、今日も多分この薬なのかなー、……みたいな」
けれど気まずさに耐えきれなかったのか、即座に私から目を逸らしながらそう呟いた。
「……」
あー、これわかってるやつだ。
どうしようダイちゃん。つくづく私を置いてぐんぐん大人になって行くとは思っていたけど、まさか生理痛の女の人を気遣えるようにまでなってるとかお母さん聞いてないよ。そんな男子小学生との接し方とか、お母さん知らない。そもそも生理痛に理解ある男子小学生って何なの? そこまで行くともうお母さん怖いよ。
いや、でもどうだろう。今の小学六年生なら、男子でもそういうのってとっくに学校で習ってたりするのかな。私の時代は女子だけ教室に残されてからそういう性教育を受けたけど、今はスマホだのネットだので誰でも簡単に性知識を調べられるような時代だ。ネットで変な知識を覚えられる前に、学校の方で正しい知識を身につけさせるのが、今の時代の性教育としては合っている気がする。
私の時代でさえませた男子が、初潮を迎えた女子をからかって泣かせたりもしたものである。そう言ったいじめを対策する為にも、生理とはなんたるかを早いうちから男子に教えていたとしても全然不思議じゃない。そうだ、きっとそうなんだ。
私は小学生らしくないにも程がある息子の姿を、そう言う理由付けで無理矢理納得する事にした。……のだが。何を思い立ったのだろう。ダイちゃんは徐に「あ、そうだ」なんて言い出しながら立ち上がった。
「……どうしたの? ダイちゃん」
「ココアでも淹れてくるよ。あったかいもん飲んだら少しは落ち着くだろ?」
「……」
あ、違う。これこの子がおかしいんだ。
だって教えるわけないもん。仮に現代の小学校が早めの性教育を実施する方針だったとしても、生理痛に苦しむ相手にはあったかい飲み物を淹れてあげましょうとか、そんな生理の時に彼氏がしてくれたら嬉しい事みたいな具体的な事例を義務教育で教えるわけないもん。
私は自分の想像を超えて大人びてしまった息子に底知れぬ恐怖を抱いたまま、ダイちゃんの奇行を見守るのだけれど……。
「ほら、ココア。それと湯たんぽも持って来たから、これでお腹も温めて」
彼氏だった。
「湯たんぽ熱過ぎないか? 熱いならお腹摩るけど。マッサージとかいる?」
理解ある彼氏だった。
「あー、そうだ。学校には昼から行くって連絡してあるから、それまでに家事もやっとくよ。掃除と洗い物と洗濯と……。とりあえず洗濯する物何かある? シーツとか枕カバーとか変えようか?」
旦那だった。
ダイちゃんの小学生を超越した気遣いはとどまる事を知らない。
「それじゃあ洗濯と掃除して来るから、用があったら電話して。もし掃除機の音が響くようならちゃんと言ってくれよ? 雑巾掛けにしておくから。不安ならほら、テレビもつけろよ。NHKの子ども向け番組でも、体調悪い時に見れば気分も和らぐと思うぞ。それと部屋の明かりはどうする? 生理痛が酷くても日光を沢山浴びれば夜には熟睡出来るようになるってネットに書いてあったんだけど。カーテン開けようか? あー、でも眩しさで余計体調悪くなる人もいるんだってな。じゃあ少しだけカーテン開けるから、眩しかったら言って。あとその体じゃ重いもん持てないだろ。何か買う物は? 食べたい物とかある? プリンとかアイスとか買って来ようか? あとそれから」
「……っ」
止め処なく溢れるダイちゃんの気遣い。小学生男子では決してあり得ないその悍まし過ぎる光景に、体調不良とは別の要因で冷や汗がダラダラと額に込み上がった。
わかってる。この子わかり過ぎている。しかも普通に生理痛って言っちゃってるし。
しかしまぁ、あれだ。とは言えだ。そんな気遣いレベル99のダイちゃんの姿を見たおかげで『あーやっぱりこの子は大人びてはいるけれど、まだまだ大人にはなりきれない男の子なんだなー』と、僅かながらも安心感を覚えてしまう私もいた。
確かに生理中の彼女に優しくなれる男の人は素晴らしい。けれど生理というのは必ずしもパートナーに構ってあげるのが正解にはなり得ないのである。
毎月襲われる痛みが怖くて、苦しくて、そんな痛みに一人で悶えるのが不安で不安で。そんな時に誰かが寄り添ってくれるととても嬉しいし、人肌が恋しくて泣きたくなる時だってあるだろう。
けれど生理痛というのは酷く気まぐれで、時には痛みにしか意識が向かないあまり、誰かに構われる事にイライラしてしまう理不尽さを見せてしまう時だってある。そして、そんな時は寄り添ったりなどせず、何も言わずにそっと一人きりにして欲しいのだ。
生理痛に苦しむパートナーを労わる気持ちはとても大切だ。けれどパートナーを思いやるあまり、一人きりにして欲しい彼女の気持ちも考えずに構って来られると、彼女側としても嫌な気分になってしまう。構って欲しいと言ったり放っておいて欲しいと言ったり、とても理不尽で自分勝手な事を言っているのは百も承知だけれど、それでもそんな些細な事がきっかかで百年の恋が冷める事だって普通にあるのだ。
そして今、一時的な気絶を伴う程の生理痛に苦しむ私の心理は、まさにそんな感じだった。今はどちらかと言えば痛みに耐えるのに集中したいから、構ってくれるのではなく放っておいて欲しい気持ちの方が幾分か強い。
そんな私の乙女心に気がつかず、構ってあげる事が最善の選択だと信じて疑わないダイちゃんは、やっぱりなんだかんだ言ってもまだまだ小学生なのだろう。誕生日さえまだ迎えていない、11歳の男の子なのだから。
よかった。この子にもまだ子どもらしさが辛うじて残っていて本当に良かった。この子の中に子どもらしさが残っているのなら、私もまだ一人の大人としてこの子と接する事が出来る。一人の親として、この子を導いてあげる事が出来る。もしもこの子が一人きりにして欲しいこの複雑な乙女心まで理解出来るような子だったら、それこそ親としての、大人としての私の立つ瀬がなくなってしま
「あ……、ごめん。ちょっとしつこ過ぎたな。俺もう出てくよ」
完璧かよ〜〜〜〜〜。
「一人が不安になったり、何かやって欲しい事があったら電話しろよ? そん時はすぐ行くから」
一人きりにして欲しい乙女心と一緒にいて欲しい乙女心の両方を汲み取ってくれるスパダリかよ〜〜〜〜〜〜。
「うっ……、うぅっ……」
「お、お袋? 何で泣くんだよ! そんなに痛えの?」
「いっぐ……、ぐすん……っ」
どうしよう。ダイちゃんが更生してくれた嬉しさがヤバみ過ぎてヤバい。
この子絶対小学生じゃない。多分背中にジッパーとかついてて、それ開けたら中から私を幸せにしてくれる白馬の王子様が出てくるんだ。小学生の皮を被った王子様なんだ。絶対そうなんだ。
「ダイちゃん……っ」
「どうした?」
「私……っ、将来ダイちゃんがお嫁さん連れて来たら、その女刺しちゃうかも知れない……っ」
「何だよ急に……」
気持ち悪い物を見るような目で私の事を見てくるダイちゃんだった。
でも仕方がないよ。私が悪いの? こんな風に変わっちゃったダイちゃんが悪いんじゃないの? 私、28年も生きていながらこんな風に男の人に優しくされた事とか一度もない……っ。まさか私の人生で初めて私をお姫様扱いしてくれたのが実の息子だなんて、こんな残酷な事があってもいいのだろうか。あー、デートしたい。
「……あ」
デート……。そうだデートだ。すっかり忘れていた。あんな大事な事を忘れていただなんて変だな。
……変と言うか、どうもここ数日間の記憶が曖昧だ。なんだか最近、とても世間を騒がすような大事件があったような気がするのに、まるで遠い昔に見たドラマやアニメの出来事のように、その大事件の詳細が思い出せない。思い出せないだけならまだしも、それだけのショッキングな出来事を思い出せない現実を受け入れている自分がいる。
本当に何かあったはずなんだけどな。なのに私、その出来事を思い出せなくても、まぁいいや以上の事を思えなくなっている。まるで魔法にでもかかったかのように、記憶や認識が捻じ曲げられているような……。
なんて考えてはしまうものの、結局はまぁいいやで済んでしまう程度の出来事だ。私はそんな曖昧な出来事よりもよっぽど大切な出来事の方に頭を切り替え、部屋を去ろうとするダイちゃんを引き止めた。
「……あのね、ダイちゃん。そこのバッグの中を見て欲しいんだけど」
「バッグ?」
私に引き留められ、部屋の隅に置かれたバッグの方へと足を向けるダイちゃん。私はバッグの中の何を見て欲しいかまでは言わなかったものの。
「これって」
しかしバッグの中で一際目立つそれは、確かな存在感をダイちゃんへ示してくれた。ダイちゃんはそのチケットを抜き取りながら、私の方へと視線を送る。
「USJのワンデーパス。ウインナーの懸賞でね。物は試しに送ってみたら当たっちゃった」
「……あ、そう。ペアチケット?」
「だね。カップルがターゲットなんじゃないかな。とりあえずそれで二人までは行ける」
「へー。そうなんだ」
「……うん」
「……」
そこで私達の会話は一旦止まってしまった。本来の年齢の何倍ものスピードで大人びてしまった彼の事だ。これから私が何を言おうとしているのかは、とっくに察しているのだと思う。
「でね、ダイちゃん」
「……」
察しているからこそ。
「それ、来年まで使えるみたいだから。……冬休みとか、それが急なら春休みとかでも良いんだけど、みんなで行かない?」
「……」
私の誘いをどうやって断ろうか、必死に考えてる。
「離婚したらあんまり贅沢は出来なくなると思うけど……、でも年に一回くらいなら旅行に行くのもいいと思うんだ」
それで。
「だからね。私とアキとダイちゃんで」
「いいじゃん」
ダイちゃんは私の言葉を遮りながら、USJのチケットをバッグの中にしまいなおしてそう言った。
「行って来なよ。アキも喜ぶと思う」
自分が行かないのを大前提とした返事を、淡々と虚しく返してくるのだった。
「……」
どうせこうなる事は予想していた。いつもそうだ。ダイちゃんからは私に尽くしてくるくせに、私からこの子に何かをしてあげようとしても、この子は決してそれを受け取らない。この子が退院したあの日からずっとそうだった。
それでもこの子の中にまだ子どもらしさがあるのを願って。遊園地と聞いて心を弾ませるような、そんなあどけなさが残っているのを期待して、今もこうして誘ってみたけれど。やっぱりダイちゃんは受け取ってはくれなかった。
親しさと言うのは、あげるだけでは成り立たない。ただあげるだけの関係というのは、奴隷と主人の関係だ。親しいというのは、何かをあげた時、それと同じだけの何かを貰い受ける事で初めて成立する。だから。
「みんなで行こうよ」
私はこの子にあげたいんだ。私はこの子を、ずっと私達に尽くさせてばかりの召使いにはしたくない。何かをしてくれたなら同じくらいの何かを返してあげられる、平等な関係になりたい。だから私はこの子の拒絶を受け入れるわけにはいかないのだ。
「俺はいいよ。乗り物酔いするし」
「変な嘘やめてよ。車とか電車とか、今まで普通に乗ってたのに」
「……」
「別に私、追加のチケット代くらいのお金なんてなんとも思って」
受け入れるわけにはいかないのに。
「チケット代くらいとか言うなよ」
私が何の気なく呟いたその一言は、ダイちゃんにとって絶対に譲れない意地の領域を、土足で踏み抜いてしまったらしい。ダイちゃんはより強固な意志で、より屈強な心で私の言葉を遮った。
「俺はそうやって……。最初は百円くらい別に大丈夫だろとか思いながら、お袋の金に手をつけた。でもそれがしばらくしたら五百円くらいになってて、また少ししたら千円くらいになってて。それで俺、気づいたら一万円盗む時もたかが一万円くらいとか思うようになってた」
「……」
「どんなに安くてもさ、金に対して一度でもくらいとか思っちゃうと、二度と戻れなくなるのは、よくわかってるつもりだから」
「……」
そこまで言って、ダイちゃんは私から一歩引いた。そのたった一歩の距離が、私の目には酷く果てしない距離に写ってしまった。このままあの子が部屋を去ったが最後、この溝は決して埋まらない奈落に変わってしまうような恐怖まで覚えた。
あの事件以来、ダイちゃんが私におねだりをしてくれた事がたったの一度だけある。どんなに安くても良いし、どんなにキツくてもいいから、お駄賃をくれる場所で働きたいというおねだり。お金を貯めたい理由も言えないし、貯めたお金の使い道も話してはくれない。その時が来たら事情は話すから、それまでは何も聞かないで欲しいというダイちゃんたってのおねだり。
そうして親戚の焼肉屋さんをお手伝いするようになってからしばらくが経つけれど、きっと彼はそこでお金の大切さを身をもって知ったのだろう。子どもならまだ知らなくてもいい深さまで知ってしまったのだろう。そんなダイちゃんに対して、チケット代を何でもないかのように引き合いに出すのは悪手だった。でも。
「それは違うと思う。勝手にお金を持って行くのと、ダイちゃんの為にお金を使いたいと思って使うのとじゃ、全然違うよ」
その気持ちに嘘はない。例えダイちゃんの意地を否定する事になろうとも、私にとって、改心してくれたこの子の為に使えるお金なら、どんなに高額だろうと惜しいとは思えない。それこそ遊園地のチケット代程度のお金なら、全くもって惜しいとは。
「家族三人で旅行に行けるなら、追加のチケット代なんてお母さんからしたら」
思わないのに。
「チケット代だけじゃねえだろ」
けれど私がどれだけこの気持ちを伝えようとも、ダイちゃんは自分の線引きを決して譲歩してはくれなくて。
「大阪までの交通費は? 大阪での宿泊費は? それを三人分とか何万円かかるんだよ」
「……」
「頼むから俺の為に金を使おうとかすんなよ」
「……」
「迷惑なんだよ」
「……」
そこまで拒絶して来る相手に詰め寄る勇気なんて、当然私にあるはずもなくて。
わかってる。私に追加のチケットを買わせない為に、わざわざ『迷惑なんだよ』なんてキツい言葉を彼が選んだ事くらい、しっかり理解出来ている。……でも。わかった上でもそんな強い言葉を面と向かって言われると、心が折れてしまいそうだ。
「……ごめん。言い過ぎた。じゃあ俺、洗濯してくるから」
私の表情から、今の一言でどれだけ私が傷ついたのかを彼なりに察してくれたのだろうか。ダイちゃんはバツが悪そうに謝罪をして、そそくさとこの部屋を去って行った。私はダイちゃんのいなくなった部屋で、ただ黙ってダイちゃんの作ってくれた卵粥を見る事しか出来なくて。そしたらこんなタイミングで、いきなりスマホが鳴り出して。
「……先生?」
スマホを手に取り見てみると、ダイちゃんの担任の先生からLINEのメッセージが届いていた。そういえばダイちゃん、私の為に学校には昼から行くって伝えてあるとか言っていたような……。
もしかしたらズル休みじゃないかを確認する為の連絡だろうか。それとも体調の悪い母の為とは言え、子どもの勝手な判断で遅れて通学するのはまずかったのだろうか。私は返事の言葉を考えながらメッセージを開いたのだが。
「……え」
担任の先生から届いたメッセージはそのどれでもなく。それどころか頭の片隅にさえなかった事をいきなり言われたものだから、私は一瞬思考が止まってしまったのだ。
メッセージの内容は、修学旅行費が未納である事を告げる物だった。
修学旅行。そんな学生にとっての一大イベントが来月あるらしい。私はそんな大事な行事が近付いているのを、今日と言う日まで全く知らなかった。そんな事も知らなかった事実は、私が親としてまだまだ未熟である事の証明になる。それと同時に、ダイちゃんとの距離が私の想像よりも遥かに離れている事を、嫌という程思い知らされた。
ダイちゃん、修学旅行の事なんて一度も言ってくれなかったな。言い忘れていた、なんて事は絶対にないんだろう。ダイちゃんはわざと私に言わなかったんだ。話に出さないどころか、そんな行事が近づいている事を匂わせもしなかった。それもこれも、全部私にお金を払わせない為に。あの子、修学旅行に行かないつもりなんだ。
「……」
優しくされた程度で浮かれて、馬鹿みたいだ。本物の家族になりつつあるとか、思い上がりも甚だしい。
結局あの子は、暴力的な側面を見せなくなっただけだった。私達の関係は昔と変わらず、他人のまま。同じ家で暮らすだけの他人であり、それでいて。
「……」
同じ血が流れているだけの他人なんだ。
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