博愛の魔女 終
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「私ね、数十年ぶりに人を嫌いになれると思ってた」
「……」
「私の娘の世界をめちゃくちゃにして、私の娘そのものまでめちゃくちゃにして。あの子のせいで、ホリーはもう魔法が使えなくなっちゃった」
「……」
「今はあの子のお願いで、作り物の記憶を植え付けてあるの。久しぶりに同郷のお友達が集まっているから、落ち込んでいる自分を見せたくないって言われてね。だからもう何日かは無邪気な子どもでいられるんだろうけれど、皆んなが帰った後に記憶を戻されたらどうなるのやら……。それでね」
「……」
「これだけの事があったのに私、あのおてんば娘を魔法で治せちゃったのよね」
「……」
「完全に治せたわけじゃないのよ? 体を少し前の状態、あの子がヒュミー相手に無茶をして、ボロボロになる前の体に戻せただけ。でも、治せるには治せたのよ。私、あんな悪者でさえ嫌いになる事が出来なかったみたい」
「……」
「あの子の姿にあなたを重ねてしまったのも、嫌いになれなかった理由の一つかもしれないわ。四肢を失って、異常なまでに死を恐れて。あなたの強い所とは似ても似つかないけれど、あなたの弱い所とは本当にそっくりだった」
「……」
「それでも私の娘の未来を奪った張本人の筈なのにね。それを嫌いになれなかっただなんて、私は親失格だわ。本当に一生誰も嫌いになる事が出来ないみたい」
「……」
「それもこれも、全部あなたのかけた願いのおかげね。おめでとう。あなたの望み通り、私は死ぬまで博愛主義者でい続けられる」
「……」
「ねぇ、ダイゴロウさん。どうしてあんな願いを叶えたの? 死への恐怖がなくなったって、この世界で一番のお金持ちになるとか、自分の体を元に戻すとか、今後のあなたの人生を華やかにさせる願いなんていくらでもあったはずよ」
「……」
「この世の全てを恨んだ私への償いのつもり? あなたは親切心であんな願いを叶えたの? おかげで私、ずっと人を嫌いになれない。一度嫌いになったはずのあなたの事だって、こんなにも愛おしい」
「……」
「なーんてね。そういえばあの頃もダイゴロウさんのお嫁さんになりたいとか言ったりもしたわよね。あの頃は私の歳も歳だったし相手にもされなかったけれど、今の私が同じ事を言ったらあなたは何て答えるの?」
「……」
「せめてあなたが生きている内に、そのくらいは聞いておきたかったかなー」
「……」
「てぃひっ」
私は最後のお供えとして、とびっきりの笑顔を彼の墓前へと備えた。
笑顔。それは誰も嫌いになれなくなった私のチャームポイント。彼が私にかけた、一生物の呪い。今となっては、私の人格を操るようなあんな身勝手な願いを叶えられた事実さえも憎いとは思えない。まぁ実際、この呪いを逆手に取って『好きになった相手や物にしか魔法をかけられない魔女』という、事実上何のデメリットもない制限を自らの魔法に課しながら、私は上級魔女としての人生を謳歌しているのである。何かと便利に使わせて貰っている以上、彼を恨むつもりなんてさらさらないのだ。
「さてと」
私は大きく伸びをしながら、夕日の沈む空に視線を向けた。懐かしい人に愚痴を聞いて貰ったり、昔話を思い出したりと、こんな霊園のど真ん中で何かと長居をし過ぎてしまった。日もそろそろ落ちかけているし、サチちゃんも晩御飯を作って私の帰りを待っている頃だろう。いい加減サチちゃんの家に帰るとしよう。
懐かしい気持ちに包まれながら、私は最後に彼のお墓に水をかけた。
仏教では人は死んだ後、六つの世界のいずれかに生まれ変わる輪廻転生という考えがある。
善良な人生を送った人間が行き着く苦悩のない世界、天界道。
私達が生きるこの世界と同じで、苦しみと煩悩に溢れた世界、人間道。
争いを好み、誰かを蹴落とすような生き方をした人間が辿り着く争いに塗れた世界、修羅道。
小さな命を殺めた者が動物となって生まれ変わる世界、畜生道。
食べ物に対して強い執着を持つ、食い意地の張った者が辿り着く飢えと乾きの世界、餓鬼道。
そして悪逆の限りを尽くした人間が落ちる世界、地獄道。
ダイゴロウさんは人を殺めた。飢えと乾きを凌ぐ為、罪なき民間人を何人も殺めたと言っていた。そんな彼が辿り着く世界があるのだとすれば、修羅道か餓鬼道か地獄道の何れかに当てはまると私は思う。
中でも餓鬼道に落ちた人間は、水と食べ物のない世界を死ぬまで彷徨い続ける事になるのだと言う。けれど誰かが自分のお墓に水をかけてくれた時に限り、餓鬼道へ転生した彼らの目の前に水が降りかかって来るのだそうだ。
ダイゴロウさんがどの世界へ転生したのかなんて私は知り得ないけれど、もしもあなたが餓鬼道に落ちたのなら、お墓に水をかける私のこの行為も無駄にはならない。あなたが餓鬼道での一生を終えるまで、私は何度だってあなたの為にお墓に水をかけに来よう。
……まぁ。
「……」
こんな事をしてはいるものの、結局私自身、死後の世界なんて信じてはいないのだけれど。
これはただの自己満足だ。ダイゴロウさんの死後も、ずっと彼のお墓に水をかけに行く自分の愛に酔っているだけである。
ダイゴロウさんはもういない。彼の肉体だった物はとっくに微生物に分解され、植物や鳥や虫に食われてそれぞれの栄養となった。人には魂なんて物はない。高度に発達した脳や、それに付随した知能の事を魂だの心だのと呼んでいるだけだ。人は死んだら何もない。心肺と呼吸と脳機能が止まった瞬間から、あなたという存在はただの無になった。私がいくらお墓に水をかけたって、この水を受け取るあなたはこの世にもあの世にも居はしないのだ。
人は空気をお金では買わない。空気は当たり前のようにそこら中を漂っているからだ。
健康な人は命をお金では買わない。健康に生きている自身という存在が、当たり前のようにここに存在しているからだ。
人は日常をお金では買わない。日常というのは、生きているだけで当たり前のように自分の身に降りかかるからだ。
世の中にはわざわざお金で買う必要のない当たり前が、星の数程溢れている。私達はそれらを所持しているのが当たり前だから、時にはそれらが無価値にさえ思えてしまう。けれど持っているのが当たり前な物は、そのどれもが一度失えば二度と手に入れる事の出来ない宝物ばかりだ。
お金は手に入れるのに苦労するが、失ってもまた得る事が出来る。食べ物もそう。恋人もそう。衣食住の全てがそうだ。
なのに苦労しなくても手に入る命や日常は、一度失えばそれっきり。若い頃は暴飲暴食だの惰眠を貪ったりなどしながらあれだけ無価値に命や日常の無駄遣いをしていたのに、死の間際になってようやく人はそれらの価値に気がつく事になる。そして、その価値に気づいた頃にはもう全てが手遅れで、あっという間に人はそれらを失うのだ。
そして、人生の1/10も歩んでいない私もやはり、それらの価値を見出せない人物の一人でもあるわけで。当たり前のように過ぎていく日常をありがたいだなんて、微塵も思う事が出来ないわけで。
日常は何もせずとも手に入る。そんなに簡単に手に入る物なら、いつまでもいつまでも続いてくれるわけにはいかないのだろうか。
「……」
ダイゴロウさんと、長閑な村で農作業をしながらいつまでも平和に生き続けたかった。彼と別れて数十年が経った今もそう思ってしまうのは、そんなにも贅沢な事なのだろうか。
まったく。生きるというのは残酷である。
「どうせいつかは無になるのに、どうして神様は一時の有を私達に授けるのかしら。……ほんと、幸せだった毎日がずっと続けばいいのに」
お墓への水撒きを終え、最後にそんな愚痴を呟いた私の独り言は。
「生き返らせてやろうか?」
どこぞの誰かが返事を返した事で、独り言から会話へと姿を変えた。
とは言え当然二十年近くも前に亡くなったダイゴロウさんが返事をしてくれるはずもないので、返答者の正体を知ろうと、私は後ろを振り返った。物思いに耽る私に茶々を入れるような野暮なそのお方は、一体どんな顔をしているのか確かめてやろうと思った。
「なんてな」
そしたらそこには見知らぬ男性が。……いや。
「俺の魔法には、最低でもDNAが必要だ。土葬ならまだしも、火葬された骨にDNAなんざ残っちゃいないよ」
見知らぬウィザードが立っていて。
「あなたは?」
私は思わず彼の正体を尋ねてしまうのだけど。
「わたくしのお友達よ」
私の問いに答えたのは見知らぬウィザードではなく、大柄な彼の背中に隠れた見知ったウィッチであった。
「え」
私は思わず目を丸くする。当然だ。彼女と直接顔を合わせた回数なんて、100年近く生きた人生の中で数えられるくらいしかないけれど、しかし彼女の事を知らない魔女なんてこの世にはいない。それこそ生まれたての赤ん坊でもない限り、彼女という存在は否が応でも魔女達の脳裏に深く焼き付いてしまうものだ。なんなら生まれたての赤ん坊でさえ、彼女が放つ神々しさと禍々しさには強烈な印象を植え付けられるのではないだろうか。
「魔女元帥様……。どうして?」
それが私達の長、魔女元帥という化け物なのだから。
「カドリー」
魔女元帥様は、そのあどけない少女の背格好から小さな手のひらを伸ばして私に差し出して来た。そして。
「わたくし達と一緒に、天国を作ってみない?」
「……」
私にそんな提案を持ちかけた。
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