博愛の魔女 ⑭
それから魔界に帰るまでの二十日間の記憶は、殆ど残っていない。当然だ。この世界最後の二十日間、私とダイゴロウさんは何もしていないのだ。
起きて、ご飯を食べて、時間が経つのを待って、夜になれば静かに眠りに入る。私達の間で会話が交わされる事はたったの一度もなく、ただただ無意味に生きていた。健やかな人生を送る為ではなく、内臓を動かす為だけに栄養と睡眠を取っていた。そんな何もない日常だけが、淡々と過ぎ去っていった。
けれど、私と彼の間でたったの一度も会話がないまま永遠の別れを遂げたのかと言うと、そうでもない。私が魔界に帰る四月初旬。私が最後の試験である、この世界の住人から私の記憶を消し去るその日、その最後の瞬間だけ、私達は会話を交わしたのだ。
最後の二十日間の記憶は殆どないけれど、最後の日の記憶に関しては今でもはっきりと覚えている。確かその日の新聞では、撃墜させたB29から捕らえた米軍の捕虜を全員処刑したというニュースが報じられていた。とは言え、戦時中に本土を空襲した爆撃機は、合計で485機が大日本帝国軍によって撃墜させられている。私が撃墜したB29もその中の一つであり、故に処刑された米兵の中にあの時の彼が含まれていたのかどうかは、定かではない。そもそも私に頭蓋骨を叩き割られた彼は既に瀕死の状態だったのだし、処刑の日を待つまでもなく衰弱死した可能性だってあるのだ。
でも、私は今回処刑された米軍の中にあの時の彼もいたものとして、それまでの鬱憤を晴らすべく、責めるようにダイゴロウさんの前に新聞を叩きつけた。
『結局殺されるのよ』
『……』
『どうせこうなるのなら、私が殺したかった』
『……』
『まぁ、もう何もかも終わった後だけど』
『……そうだな』
私は目の前の新聞を振り払い、ダイゴロウさん目掛けてゼルルを向けた。まさか二十日ぶりの会話の初動がこんな恨み言からになるとは。あれだけ愛おしく思っていた彼への未練は、驚く程に薄い。
『もう、他の人達の記憶から私の存在は消したわ。後はダイゴロウさんから記憶を消して、これで私達の関係は終わりよ』
『……』
『一応これが最後になるし、お互い言い残す事があれば言いましょう。六年間……実質五年間だけど一緒に過ごしたよしみだし、最後くらいはね』
私に提案され、ダイゴロウさんは俯く。それは最初、私にかける最後の言葉なんて何もないという彼の意思表示かと思ったのだけれど。
『カドリー。お前は恨んでいるか?』
しかし祈るように。声を振り絞るように、ダイゴロウさんはそんな質問を私に投げた。
『恨んでるって、何を?』
『色々だ。俺のエゴでこんな世界に留学してしまった事。俺みたいな男に五年間も育てられた事。大切な友人を殺したアメリカも、そもそもそんな国と戦争をしようとしたこの国も』
『……』
『今のお前に、少しでも何かを好きだと思う気持ちは残っているか?』
神妙な顔付きで、詫びるように問いかけられた。それと同じくらい、私がその問いを否定してくれるのを期待しているようでもあった。けれど生憎、ダイゴロウさんがどんな意図でそういう質問をして来たのかはわからないけれど、その問いへの答えは決まっている。
『ないわ。全部嫌いよ。ダイゴロウの事も、この国の事も、この世界の事も。こんな世界に私を送り込んだお母様だってそう』
『……』
『みんな大嫌い』
『……そうか。なんとなくそうだろうなって、思っていた』
私がキッパリそう言い切ると、ダイゴロウさんはとても悲しそうに俯いた。まるで自分が私の性格を歪めてしまったのだと、罪の意識を抱えているようにさえ見える。
それから少し待ったものの、ダイゴロウさんの口からはそれ以上の言葉が出て来る気配がない。という事は、今のが彼の最後の言葉だと思っていいだろう。一体その問いかけにどういう意味が込められているのかはわからない。けれどその意味を知りたいと思える程、もはや私は彼に対して興味を持つ事が出来なかった。
このまま一方的に魔法をかけて、彼の記憶を奪ってしまうのも構わない。けれど紛いなりにも彼は私を五年も育てた親であり、最低限の礼節として私からも何か別れの言葉くらいはかけておくべきだと思った。そうやって捻り出した言葉はと言うと。
『私から言い残す事は、特にないわ。どうせ言った所でダイゴロウは私の事を忘れるんだしね。強いて言うなら、私はこのまま無事に異世界留学を終えられるから……、おめでとうダイゴロウとだけ言っておく』
そんな嫌味にも近い……、いや。
『これでダイゴロウの願いが叶うわね。誰も死なない素晴らしい世界で、永遠に幸せに暮らしてね』
ただの嫌味を私はダイゴロウに言い放った。
『それじゃあさようなら。ゼルル』
それから私は、ほんの数秒も躊躇う事なく記憶を奪う魔法を行使する。この世界は私の大嫌いで溢れている。人も、環境も、何もかもが煩わしい。こんなつまらない世界、一刻も早く去ってしまいたい。……まぁ、この世界を去ったところで、私を待ち受けるのはダイゴロウさん同様、かつて自分が愛したパートナーの子孫であるダイゴロウさんと繋がりたいという自分のエゴで私をこんな世界に送りつけた、そんな母の姿。私の嫌悪が尽きるのは、果たして何年先の事になるのだろうか。
『あのな、カドリー』
そんな私の心情を知ってか知らずか、記憶を奪う淡い光に包まれながら、ダイゴロウさんの口が開いた。彼の記憶は現在進行形で削除されているのだけれど、記憶がはっきりと残っていた筈のさっきではなく、こんな土壇場になって一体何を私に伝えようとしているのだろうか。
『戦場で聞いた話なんだが、お医者様というのは自分の死を恐れないらしい。毎日のように他人の死と触れ合うせいで死に慣れすぎて、いずれ訪れる自分自身の死にも鈍感になっていくそうだ』
彼の話に黙って耳を傾けてみたは良いものの、やはりそれは記憶が次々と消えて行くこの場に適した言葉なのか、私には理解する事が出来なかった。その姿は、まるで自分の経験を持ち出しながら教訓を語る大人のようでもあるのだけれど……。
『なるほど、道理でって……俺は思ったよ。俺も戦場で死に慣れすぎたんだ。……沢山殺して……沢山殺されて……気づけばもう、……とっくに死ぬ事が怖くなくなっていた』
ダイゴロウさんの言葉に途切れが目立ち始めた。いよいよ彼の記憶から私の記憶が果てて、もう数秒もしないうちに彼は一時の眠りの世界に旅立つ事だろう。目が覚めたら六年間の全てが失われる、そんな深い眠りに。
『だからな、カドリー』
だが、ダイゴロウさんは虚な瞼に力を込めた。襲い掛かる眠気に最大限の抵抗を示しているのだろうか。私が逆の立場ならさっさと眠気に身を任せ、嫌いな相手との最後の時間なんてとっとと手放している筈なのに、彼はそうしようとはしない。何がなんでも私に伝えたい一言があるようで、それを口にするまでは絶対に眠るものかと抗って。
『誰も死なない願いは……』
そして。
『もう……どうでもい………………』
そこまで言いかけた所で、ダイゴロウさんの瞳からは光が消えた。彼は最後の言葉と共に懐から取り出した一通の封を私に差し出して、私との思い出を失った。
『……』
気絶するように眠りの世界へと旅立ってしまったダイゴロウさん。次に彼が目を覚ました時、彼の六年間は全てなかった事になる。当たり前のように一緒に過ごしていた私の姿も消えているし、そもそも私と過ごした六年間そのものがなくなっている。
今日からもう、ダイゴロウさんは一人だ。こんな差別と偏見に塗れた世の中だし、カタワとなった彼の為に献身的に尽くしてくれるお嫁さんが出てきてくれる可能性なんて、砂浜で一粒の砂を見つけるくらいには難しい事だろう。
ダイゴロウさんはつい最近30になったばかりの身である。彼の人生は、魔女の私程ではないにしてもまだまだ続く。彼はまだ、人生の半分も歩んでいない身なのだ。これからは途方もなく長い長い人生を、独りぼっちで過ごす事になるだろう。そして、世界レベルでの不老不死という彼の願いが叶った暁には、途方もないどころか永遠の人生を彼は一人で歩む事に……。
『……』
そこで私の脳裏に一つの疑問が浮かび上がった。最後まで言い切る事が出来ずに眠ってしまった彼だけど、きっと彼は最後、私にこう言おうとしたんだと思う。誰も死なない願いは、もうどうでもいいと。
合点の行く言葉だと思った。戦場から戻ってからのダイゴロウさんは、以前に比べて明らかに生への執着や渇望が薄れていたから。あれだけ死を恐れていた彼が、私の米兵殺しを止める為に、自らの命まで断とうとした程なのだ。
皮肉にも、ダイゴロウさんは戦場という死の日常へ身を置く事で、死恐怖症というトラウマを克服する事に成功した。彼はもう一般人と同様に、いつ訪れるかもわからない死について一々恐れる事はない。それどころか、目的の為なら平気で殺人の選択肢が浮かぶようになったとまで豪語していたのでたる。
なら、彼の願いはどうなるのだろう。彼にとっての死が絶対的な恐怖でなくなったと言うのなら、誰も死なない世界の価値もそれ相応に薄まっていくはずだ。
『……』
それでも彼は、その願いを叶えようとしているのだろうか。或いは死への恐怖が薄れたが故に、別の願いを望んだのだろうか。
私はその答えを知る為、彼から託された封を。彼の願いが書き記されたその手紙を確かめる。
『…………馬鹿』
そこには、利き腕を失ったが故の酷く不恰好な文字で、とても簡潔な願いが記されていた。それはとてもふざけた願いであると同時に、とても彼らしいと思えてしまうような願いだった。
ダイゴロウさんは戦場へ行き、人が変わってしまった。けれどそれは死への価値観が変わっただけであり、根底の方は会ったばかりの頃の彼と全く変わらないと思わせられるような、そんなふざけた願いだった。
「カドリーが、誰かを憎む事のない幸せな人生を送れますように」
こうして私は、誰かを憎む事の出来ない博愛主義者としての生き方を強要される事となった。
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